カカイルワンライ「俺じゃダメですか?」

「あれ?」
 任務帰りに立ち寄った居酒屋にイルカを見つけ、思わず声が出ていた。時間的には深夜に近く、こんな時間にイルカを見かけるのは珍しい。
 カカシの声にイルカは反応するように顔を上げ、そこでイルカもまた少しだけ驚いた顔をした。驚いた顔を見せたものの、頭を下げる。ぎこちないながらも笑顔を浮かべた。会釈を返し、隣いい?と聞けばイルカは直ぐに頷く。カカシは隣のカウンターの席に腰を下ろした。
「カカシさんは今日は任務でしたか?」
 そう聞かれ、カカシが顔を向ければ、酒が入ったからか、目の縁を少しだけ赤くしたイルカがこっちを見ている。どんな任務でも口外する事は出来ないから、ま、そんなところです、と曖昧に言えば、イルカもそれを承知しているのだろう、杯を持ちながら、お疲れさまです、と労いの言葉を口にした。
 店主にビールと適当につまみを頼んだところで、カカシはイルカへ視線を向ける。イルカとは顔を合わせれば会話をするくらいで、それでも何度か飲み屋で見かけた事もあるが、日本酒を飲んでいるのは初めてだった。
「なんかあったの?」
 ついそんな言葉が自分から出ていた。普段よりも気分が落ち込んでいるんだと分かったのは顔を見た時から分かっていた。でも、しまったと思ったのはそれに悟られたくないからで。
「残業がきつかった?」
 そう誤魔化すように言葉を繋げば、イルカは笑みを浮かべるものの、やはり元気はない。たまに会って話すくらいの相手に、しかも上官である自分に話すわけがないと分かっていても。寂しげな顔を見せられて、気にならないわけがない。カカシは冷えたビールを喉に流した。
「実は、彼女が浮気してるのを知っちゃって」
 その言葉に、カカシは傾けていたグラスを口から離した。視界に映るイルカは情けない笑みを浮かべている。そっか、とカカシは呟くように返した。
 イルカに恋人がいるのは知っていた。何度か外でも見かけていた。確か同じ階級のくの一だ。そりゃそれなりの年齢だし、相手がいてもおかしくはない。でもイルカの口から直接聞いただけで、ずん、と心が重くなった。単純だ、と内心カカシは自嘲する。
 自分から聞いたとはいえ、どうにも出来ない、やり場のない気持ち。しかし、恋人に浮気された事を知り悲しみに暮れるイルカを見て、自分が好意をイルカに抱いていたとは言え、良かったとは素直に思えなかった。覚えたのはイルカを裏切った相手に対する憤りで、カカシはまたグラスを傾ける。
「別れたら?」
 あっさり口にすれば、イルカは予想通り驚いた顔をしたが、眉を下げて悲しそうに笑った。
「やっぱそうなりますかね」
 したくない選択なんだと分かり、特に苦くもないビールが苦く感じる。だってさ、とカカシは口を開いた。
「そういうの、先生は見て見ぬ振りなんか出来ないでしょ」
 自分で口にしながらも、手前勝手な台詞だと思った。イルカは、少しだけ目を丸くした後、その視線をテーブルに落とす。そこまで言うつもりながなかったのに、傷つけるつもりもないのに。顔には出ていないものの、つい熱くなっている自分がいて。内心焦るも、どうにもならなかった。それに気が付いていないイルカは、ふう、とため息を吐き出だす。唇を開いた。
「実は、彼女の気持ちが自分から離れていってるって、ちょっと前から何となく気が付いてたんです。でも俺はそれに気が付かないふりをした」
 俺、傷つきたくなかったからなんですかね。分かってたのに。
 独り言のように笑ってイルカは呟くから、その寂しげな横顔にカカシは僅かに眉を寄せた。
 普段はいつも笑顔で、子供たちの前では全力で真っ直ぐに向かい合う。そんなイルカしか目にしてこなかったからなのか、知らないイルカの人間味に触れた気がして、それだけでカカシは胸が熱くなった。でも、どう声をかけてあげても、それはイルカにとって同情でしかならない。それが歯痒くて、カカシはテーブルに置いた指を僅かに丸める。
「陳腐な話ですよね。俺は何も満たしてあげられないから、」
「待って、自分が悪いと思ってるの?」
 思わずイルカの言葉を遮っていた。
「先生は何も悪くないじゃない」
 手酌で注いだ酒を飲もうと杯を傾けようとしていたイルカは、そこで手を取め、カカシを見つめ返すから、その黒い目を見つめられ、心の奥まで見透かされそうで。何故か居心地が悪くなり、カカシは視線を下に落とした。
「女なんて勝手なもんですよ。先生がこうして自問してる間にも割り切って別の男のところへ行ってるんだから」
「今日は任務で里を出てるみたいですが、」
「心はそっちですよ」
 その女の事なんて少しも知らないし、確信があるわけじゃないのに。言い返すと、イルカは、ですね、と和やかな声で笑った。
「悪いのは彼女です。それは分かってます。浮気を許すつもりもない。ただ、彼女の気の迷いで、本気じゃないって思いたかった」
 それだけです。
 それが心の奥にあった本心だったんだろう。言ったイルカは悲しげな顔はしていない。しかし、慰めるばかりか、子供のような台詞しか言えない自分にもどかしくなり銀色の髪を掻くカカシに、隣に座ったイルカは、息をゆっくりと吐き出す。
「ありがとうございます」
 その笑顔を初めて見た気がした。一瞬惚けるも、礼を言われるとは思っていなくて、カカシは戸惑った。それが顔に出たんだろう、
「カカシさんって優しいですね」
 続けて言われ、そんな言葉を言うとは思ってなくて。面食らえば、その顔を見てイルカは白い歯を見せて笑った。


「・・・・・・寝ちゃった」
 カカシは立て肘をつきながら、隣でテーブルに顔を伏せて寝ているイルカを見つめる。
 きっと、慣れない酒を飲んでいたんだろう。自分も日本酒を好んで飲むことはないが、自棄酒もしたくなるくらい、イルカは参っていたんだろう。基本さっぱりした関係しか持ったことがない自分には縁の遠い事に感じるが。もし、もしイルカが自分の恋人で、他に好きな人が出来たなら。
 想像しようとして、ないものねだりもいいところで、カカシは可笑しくなって一人首を振った。
(・・・・・・でもなあ)
 情が深いイルカの事だ。こうして落ち込んでいてもきっと次の出会いがあれば、その恋に目を向けれるんだろうけど。
「・・・・・・だったら、それって俺じゃ、ダメ?」
 頬杖をつき、すうすう寝ているイルカの寝顔に目を落としながら、カカシは本音を呟いた。
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