カカイルワンライ「お見合い」

 イルカが現場に到着して直ぐ、
「あれ、先生」
 と、そんな声を出したのはカカシだった。
 ここは受付でもなければ、壁に囲まれた里の中でもない。他国と境界線に近い場所だ。あまりにも緊張感のない口調に、イルカは少しだけ呆れたように眉を下げるものの、想像した以上に怪我をしていない事に内心安堵する。急に任された任務で探す必要さえあるのかと思っていたが、伝えられていた場所にいた。
 カカシと、もう一人の中忍がいる太い木の影にイルカは歩み寄った。右腕を負傷しているものの、中忍は見張りをするくらいに支障はないのは見て明らかで。カカシは木の根本に座り込んでいる。
「先生仕事は大丈夫なの?」
 早々に言われた言葉に、何言ってんですか、とイルカはまた呆れ混じりにため息を吐き出した。カカシの言うとおり、確かに自分でもこの任務は想定していなかった。しかし、タイミングが悪かったと言うべきか、たまたま資料を持って立て込んでいた執務室に顔を出したイルカに、三代目から任務を言い渡され。午後の授業もあったが、早々に里を出た。
「これも俺の仕事の内です」
 基本内勤をしていようといつでも任務に駆り出される事はあるんだから、当たり前だろう、とそれを顔に出さないながらもイルカはしゃがみ込んだ。
「どこか怪我はないですか」
 カカシの顔をじっと見つめた。見た目怪我がなくとも、特殊能力による神経への攻撃や、毒や薬を使った目に見えない攻撃を受けている事はよくある。上忍のカカシに至っては耐性がある上に自分よりも遙かに知識が勝っているのは分かっているが。見落としはないようにしなければいけない。
 カカシは、情けない笑みを浮かべながらも、うん、平気、と答える。
「チャクラを使いすぎただけだから」
 表情を見る限りその言葉はきっと本当だろう。人手不足とは言え護衛の部隊がいないのは追っ手がこないからで。後はここから里に向かえばいい。腕を怪我した中忍の手当を終えると、イルカはカカシを背負う。途端、感じた重みにイルカは内心焦った。成人男性の体重を支えるくらいの力は当たり前だがある。長身で自分よりは細身で。カカシの背格好から想像すらついていたものの、思った以上の重みがあるのは確かだった。この程度の重みにふらつく事もないが、イルカはふんばるように足に力を入れる。先に飛躍した中忍の後に続いた。

 
 イルカが病院に足を運んだのは翌日の昼休み。カカシは二階の一番奥の個室にいた。
 昨日カカシを背負い里に戻ったのは夕方で、すっかり日が暮れていたから。怪我をした中忍とカカシを病院に送り届けた後、自分は報告を済ませるべくそのまま病院を後にした。
 病室の扉は開いていて、イルカはそこから顔を覗かせた。もしかしたら寝ているのかもしれないと思ったが、カカシは起きていた。
 少しは良くなったのか、上半身を起こしていつもの小冊子を読んでいた。しかしまだ本調子にはほど遠いんだろう。ぼんやりと小冊子へ目を落としていて、そこから気配に気が付いたのか、カカシは顔を上げる。イルカの顔を見た途端、表情を緩ませた。
「イルカ先生」
 名前を呼ぶカカシの声はいつも通りだ。それに安心するが、いつも通りののんびりした口調は、昨日応援で現場に着き、顔を合わせた時も同じだった事を思い出し、イルカは思わず僅かに苦笑した。それにカカシが不思議そうな顔をするが、イルカは病室に入る。
「昼休みの合間に来たんでこんなものしか渡せなくて」
 と言いながら林檎が入った袋を見せた。ここの病院の売店で買ったものだ。ここに置いておきますね、とベッドの横に設置しているテーブルへ置けば、ありがとう、とカカシから声が返る。
 顔を見に来たのは心配なのもあったし、自分がカカシを病院へ送り届けたのもあったからだ。そうじゃなかったら、顔見知りとは言え自分なんかが、のこのことこんな場所に顔は見せない。だから、早々に返ろうと帰ろうと思っていたのに。
 座って、とカカシが勧めるから。イルカは躊躇ったが、促されるままに、近くのパイプ椅子を自分で引き寄せるとそこに座った。
「昨日はありがとうね」
 礼を言われ、イルカは困った。礼を言って欲しくてここに来た訳じゃないない。それにカカシの事だ。任務だと分かっていても自分に礼を言いたかっただけなんだろうが。分かっていても心苦しくなり、情けない顔を出しそうになったが。それに耐えるようにイルカは苦笑いを浮かべた。
「礼を言ってもらうような事なんて何にもしてないですよ」
 やるべき事をしたまでです。
 カカシの目を見てハッキリと言えば、カカシは、素直にその言葉を受け取るように、眉を下げ、うん、と答える。それを見て合わせるように微笑みながら、イルカは病室の床に目を落とした。
 昨日、病院にカカシを送り届けた後、距離はそこそこあったものの、すっかりバテていた。背負っているカカシに負担がかからないように揺れないようにしながら走っているせいもあったが、腕を負傷した中忍のスピードについていくのに精一杯だった。カカシより身体が大きい忍びなんてたくさんいる。追っ手こそいなかったから良かったものの、こんな事でバテているようじゃ足手まといにしかならない。それに、昨日は報告に向かっている時に酷使した膝がかくん、と抜けそうになったなんて。情けなくてそなんな事カカシに言えっこない。
 自己嫌悪に思わずため息が出そうになった時、カカシが代わりにと言った感じでため息を吐き出すから。イルカは視線を上げた。
 体調でも悪くなったのか。どうかしましたか、と素直に問うイルカにカカシは苦笑いを浮かべる。
「タイミング悪いなあって」
 そう口にするから、その理由が分からなくて、イルカは首を傾げた。タイミングですか、と繰り返せば、カカシは、うん、と答えながら、イルカを見る。
「だって、先生見合いするんでしょ?」
 イルカは、瞬きをした。
 とぼけたくて。見合いって、と呟くと、明日するんでしょ?とカカシが聞く。
 驚いたのは、カカシが知っているとは思わなかったから。だって同僚にさえ話してない。どう答えたらいいのか直ぐに言葉が浮かばず、イルカはカカシを見つめ返した。
 三代目から見合いの話を聞かされたのは先月の事だった。教師になってからますます仕事に追われる毎日で、恋愛さえもまともに出来ていないのを知ってか知らずか突然見合い話を勧められ。幼い頃から両親を亡くした他の子達と同じように、自分も目をかけてもらっていたから、自分を思っての事だと分かっているから。それを素直に受けた。
 例えそれを耳に入れたとしても、笑い話にしてくれればいいのに。そんな困った顔をするから。カカシの言葉をどう受け取ったらいいのか分からず、イルカは困惑気味に視線を下にずらした。
 カカシに声をかけられる度に、ご飯に誘われる度に、誰にでもそうかもしれないけど、その優しさや自分を見つめる眼差しに、もしかしたらそうなのかもしれないと、思うことがあった。昨日だって、任務中であんな場所で。自分の顔を見た途端嬉しそうな顔を見せるから。鈍い自分でも、いい加減分かる。カカシの顔を思い出しただけで気恥ずかしくなり、顔が熱くなりそうで、イルカは口を結んだ。
 冗談なんかじゃないと分かっていても。自分からは踏み出すつもりはなかった。そもそも恋愛経験だってないからこれが冗談なのか本気も分からない。だったら、このままの関係でいいと、そう思うから。
「何言ってるんですか」
 だから、冗談に変えたくて。イルカは無理に笑いを作る。
「俺が見合いするからって、カカシさんが何でそんな事言うんですか」
 笑いながら言えば、カカシは何故か少しだけ驚いた顔をした。そこからむっとした顔で、口布をしていても分かるくらいに口を尖らせると、分かってるくせに、と言う。
「これじゃあ、あなたを見合いの場所から連れ出せないからに決まってるでしょ」
 その子供みたいな口調に、その台詞に、イルカは驚きに見つめ返しながらも、内心苦笑するしかなかった。
 参った。
 思ったのはそれだった。
 だって、有耶無耶な関係でも良かったのに。自分が抱えていた不安なんか微塵にもないかのように。まっすぐ自分を見つめるから。
 思わず笑いを零せば、カカシは少しだけ眉を寄せこっちを見た。
「なに、俺なんか可笑しい事言った?」
 カカシの言葉に、可笑しい事だらけだろう、と突っ込みたくなるが、笑いたいのはそこじゃない。そうじゃないんです、とイルカはカカシへ目を向けた。
「俺、実は断ったんです」
「え、」
 驚き目を丸くするカカシに、パイプ椅子に座ったイルカは後頭部を掻く。
「俺みたいにろくに稼ぎもないし、忙しくしてるし、これと言った特徴のない自分のところに嫁にくてくれるなんて、全くもって有り難い話だとは思います」
 一回言葉を切ったイルカは苦笑いを浮かべながらも、でも、と再び口を開く。
「その女性を大切にする自信はあるけど、幸せにする自信がなくて」
 それがイルカの本音だった。
 一回は火影に言われたように、見合いを受けようと思った。でも、将来の事を考えると、どうしても、踏ん切りがつけれなかった。その女性が自分でいいと言ってくれたとしても、契りを結んだとしても、その女性を幸せに出来るのかと考えたら。そこで大丈夫だと、自分では到底納得できなかった。
 だから、たぶん、きっと。自分はきっとカカシの顔を見る度に、顔を合わせて話したり、一緒に飯を食べる度に、後悔するんだろうと思った。
 そもそも見合いなんてそんなものだと言われたらそうなんだろうが。頭を下げるイルカに、火影からは、お前らしいな、と呆れ混じりに笑われた。
 それはカカシには言えっこないが。
 情けない話なんですが。
 そう話を締めくくるイルカに、カカシは少しだけぽかんとしたような顔をして聞いていたが。やがて、困惑した顔を見せながら、がしがしと銀色の髪を掻きながら、なによそれ、と呟く。
 そんな言葉を言うとは思っていなくて、イルカはちょっと拍子抜けした。何って、だから、と口を開くイルカに、
「だったら俺、もっと格好いい告白したのに」
 何とも言えない、恨めしそうでいて、悔しそうな顔をするから。イルカは堪えようと思ったが、とても耐えることなんて出来なかった。ここを病室だと言うことも忘れ、思わず吹き出す。腹を抱え声を立てて笑った。
 だって、可笑しい。カカシの言葉を聞いていたら、自分が真剣に悩み、一人抱えていた不安が嘘みたいで。いや、その反動からくるものなのか。
「なんでそんな笑うの」
「いや、すみません、だって、」
 不満そうな顔をするカカシに眦に浮かんだ涙を抑えながら、イルカは何とか言葉を繋ごうと口を開いた。
「でも、大丈夫ですよ。うら若き女性でもない、こんな俺を連れ去りたいなんてきっとカカシさんだけだろうし。それよりなにより、十分過ぎるほど胸打たれましたから」
 一頻り笑ったイルカがそう告げると、その台詞を聞きながら、考えるように、視線漂わせた後を顔をこっちに向ける。
「えっと・・・・・・それは、どういう、」
「そういうことです」
 二度は言わない、いや、言わせないでくれ、と恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、イルカは椅子から立ち上がると、カカシを見る。
「退院、待ってますから」
 今自分の心の中にある感情を込めて口にすると、イルカはカカシのいる病室を後にした。
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