カカイルワンライ「約束」

 土曜の半日の仕事を終え、イルカは繁華街から離れた畑が一面に広がる道を、のんびりと歩いていた。
 朝方降っていた雨は止み、晴天の気持ちよさに空を仰ぐが、湿度が高くまだ夏はまだこれからだというのに、日差しは強い。額には既に汗が滲んでいるし、腕まくりしただけでは暑く、そろそろ時間を見つけ半袖の支給服を引っ張り出さなきゃなあ、と押入のどこに仕舞ったのかを思い出しながら、太陽の眩しさに目を眇めた時、
「イルカ先生ー!」
 名前を呼ばれ、イルカは視線を前に戻した。そこから振り返る間もなく腰に勢いよくしがみついてきたのは顔を見るまでもない、ナルトで。アカデミーの頃と何にも変わらないと思いながらも、頭を撫でた。
「お前また背が伸びたか」
 撫でる頭の場所が以前よりも上にあり、そう口にすれば、本人はそこまで気にしていないのか、そう?ときょとんとした答えが返る。
 そこから、何やってたんだ、と聞く前に、先生は仕事?と聞かれ、イルカは苦笑いを浮かべながらも頷いた。
「ナルトは今日は休みじゃないのか」
 見る分には普段と変わらない格好のナルトに聞けば、ふん、と鼻を鳴らす。
「特訓してたんだってばよ」
 得意げに返しながら、商店街で買った買い物袋を下げるイルカの姿を眺めた。
「先生はデートとかしねえの?」
 嫌みなのか嫌みじゃないのか。野暮ったいとは口に出さなくてもそれを言われているようで。独身男の一人暮らしになると仕事と家の往復だけで他に何もない。そして都合良く相手が出来るわけでもない。
 大きなお世話だ、と敢えて不機嫌そうに言えば、ナルトは可笑しそうに笑った。
 畑を過ぎれば民家がぽつぽつと立ち並び、畑の一本道より広くなった道を歩く。少し曲がった道の先に見えた人影にイルカは目を一瞬留めた。見間違えだと思ったのは、そんな場所にいるとは思えなかったから。
 小さな店は昔からそこにあり、ここの近所の子供達が駄菓子を買ったり大人が飲み物や煙草を買ったりしている。ここ数日暑かったからなのか、少し前にはなかった、店先には氷の暖簾が下げられ、その近くにカカシはいた。昼過ぎの暑い時間だからか、カカシ以外には客は見えず、綺麗とは言えない古くなった青いベンチに一人腰掛け、口布を顎辺りまで下げたカカシが、何かを咥えている。そう、自分も普段から口布をした姿しか見たことがない。だから、内心驚いた。
 カカシが口に咥えているのはアイスだった。水色の棒アイスを食べている。その姿は視界入っているのにも関わらず受け入れ難いのはそんな姿を堂々と見せるとは思っていなかったからで。
 ナルトは、少し距離があるからか、視界に入れていないからなのか、今日特訓した内容や数日前の任務の話に花を咲かせ、気が付いている様子はない。常日頃サクラやサスケと共にカカシの素顔を知りたがっているのは知っているから。戸惑いながらも、カカシの横顔を遠目ながらも見つめるイルカの視線に気が付いたのか、カカシがこっちを見た。青みがかった目がこっちを捉え、ドキリとした時、
「あー!」
 ナルトから案の定、大きな声が上がる。そんなナルトに目を向け、カカシに目を戻した時には、既にカカシの口布は普段通りに戻されていた。
「カカシ先生何してんだってばよ!」
 駆け寄りそう聞くナルトに、カカシはさっきまで素顔を晒していたはずなのに、全く動じる事なはない。
「えー、何って、任務だよ」
 ベンチに座ったまま、間延びした口調で答える。
「そうじゃなくって!それ!」
 ナルトが指さすのはカカシがさっきまで食べていた、アイスだった。
 こんな場所でのんびりアイスを食べていた羨ましさと、素顔だったんじゃないかと疑念を抱く気持ちがせめぎ合いながらも、ナルトから出た、ずりい!の言葉に、イルカは思わず笑いたくなった。同じ様に腹の中で笑っているのか、きっと口布の下は薄く笑っているのかもしれないカカシは、
「何って、アイス」
 すんなり答えると、まだ一口しか食べていないそれを持ちながら、イルカへ顔を向ける。何だろう、と思う間もなく、
「はい」
 そう言いながらカカシの手が伸び、棒のアイスが少しだけ開いたイルカの口に躊躇なく向けられる。咄嗟に反射的に口を開いたイルカの口に、その食べかけのアイスが入り込んだ。驚きに、むが、と間抜けな声も一緒に出る。
 反射的に口は開いたが、ナルトならまだしも、自分の口に入れるなんて思っていなくて。咥えながらも目を丸くする。
「ちょ、何ですか、これ」
 前々から不思議な人だと思っていたが。だって、友人だって唐突にこんな事をしてこない。
 戸惑いながらも責める目を向けるイルカに、だってさ、とカカシは口を開く。
「この前奢ってあげるって言ったでしょ」

 この前。
 思い当たるのは数日前。カカシが夜間の報告所に顔を出した。それは時間ぎりぎりで。というか、締めた後で。
「時間切れですよ」
 後片づけをしながらそう言えば、カカシは悪びれる顔をしながらも、まあそう言わないで、と報告書を出してくるのは。自分が受け取る事を知っているからだ。そりゃそうで、カカシや他の戦忍たちが命をかけた任務と比べたら、締めた後に受け付ける手間なんてわけがない。
 仕方ないですね。
 ため息混じりにそう言いながも、椅子に座り直したイルカは、カカシから報告書を受け取る。書かれた箇所を丁寧に確認した後、机の棚から片づけた判子を出すとそれを押した。
 ご苦労様でした、と言う前に、悪いね、いつも。
 そう言われて、一瞬その言葉に驚くが。イルカは直ぐに表情を緩めた。いいえ、と、笑顔で視線を机に戻し、受け付けた報告書をファイルに仕舞いながら答える。
「今度何か奢らせてよ」
 カカシの言葉に、イルカはまた顔を上げれば。いつものようにポケットに手を入れたままのカカシがこっちを見ていた。そして、ね?と、にこりと笑う。
 それは、仕事を代わってあげた同期もそうだし、こうしてちょっとした無理を聞いてくれた事に上忍がそう口にする事は珍しくもないから。
 だから。社交辞令だと分かっていながらも、期待半分に、ありがとうございます、そう返事をした。
 
 そう確かに返事をしたけど。
 アイスとか。
 食べかけのアイスだからとかじゃなくて。
 いや、そうだ。
 だって、カカシの食べかけのアイスだから。
 どう反応したらいいのか分からなくて、気温とは違う身体に感じる熱さに、頬が熱を持った。
 そんなイルカに気が付くわけがなく、またしても、ずりい!とナルトが責め立てるが、カカシは気にする事はない。
「じゃあね」
 少しだけ悪戯な眼差しを含んだ目で、困ったまま固まるイルカにそう告げるとカカシは背を向け、そのまま姿を消す。
 口の中に広がる、冷たくてソーダ味のさっぱりとした甘さを感じながら、確かに約束はしたけども。
 頬を赤くさせたまま、ちげーよ、と心の中でカカシに今更ながらに呟いた。
 
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