カカイルワンライ「今はまだここまで」

 雨上がり、地面に張った水たまりを避けながら歩いていれば、その先に見慣れた後ろ姿にナルトは目を留めた。その背中を追いかけようと足を向けた時、名前を呼ばる。振り返ればそこには二人の中忍らしきくの一が立っている。ただ、ナルト先輩、と呼ばれる事にどうしても慣れなくて、ああ、と曖昧な笑顔を浮かべた。
「今からお昼ですか?」
 そんなつもりはなかったが、そう聞かれて確かに昼に近い時間だったと今更ながらに思い出す。思い出した空腹に腹をさすりながら、何て答えようか考えるナルトに、
「私たちこれから食べようと思ってたんですが、もしよかったら一緒にどうですか?」
 目の前のくの一がそう続け、苦笑いを浮かべながら金色の頭を掻いた。親しみを込めて接してくれて、嬉しい事に変わりないが。さっきの先輩と呼ばれる以上にそこは慣れない。返答に期待された眼差しを向けられながら、ナルトは、わりい、と口を開く。
「行くところあるから、また今度な」
 そう声をかけると、ナルトは残念がるくの一に背を向けて、そのまま駆けだした。

「イルカ先生」
 見失ったかと思ったが。さっきの会話で空腹を刺激されこっちの方へ足を向けたのが正解だった。
 暖簾越しに見えた後ろ姿に店内に入って声をかければ、イルカがカウンターから振り返る。横に座るナルトに、表情を緩めた。
「ナルトも今から昼飯か」
 笑顔で聞かれ、そんな予定があったわけではないが、空腹なのは事実で。そこは素直に、うん、とイルカに頷く。
「チャーシューメン、大盛りで」
 注文を頼めば、あいよ!と威勢のいい返事と共に、店主がカウンターにイルカの注文していたラーメンを置く。それを見てナルトは、あれ、と思わず声を出していた。
「先生チャーシューメンじゃねえの?」
 その問いに、イルカは割り箸を持ったその手を止める。あのなあ、と口を開いた。
「俺はもうそんなにがつがつ食べるほどそこまで若くないんだよ」
 割り箸を割りながら呆れ混じりに言われるが、ピンとこない。
「先生まだ若いじゃん」
 当然だと言えば、ナルトの言葉に分かってないと、そんな感じでイルカは乾いた笑いを零した。
「若いってのはお前達の事を言うんだよ」
 だから今は俺はこのラーメンで十分だし、これで十分幸せって事だ。
 美味そうにラーメンを啜るイルカをナルトは見つめる。
 そう言われても。当たり前だが忍びとしてはまだ現役でついこの間だって変わらずやんちゃな生徒を追いかけている姿だって見かけた。
 でも、自分がここまで成長したって事は、イルカもまた同じように歳を重ねたって事で。縦肘をつきながら、昔と変わらない、美味そうにラーメンを食べるイルカの横顔を見つめる。
「幸せって言えばさあ」
 ぽつりとナルトが零した言葉に、イルカはラーメンを食べながら、んー?と聞き返す。
「先生この前恋人いるって言ったけどさ、」
 そこまで言ったところで、イルカがこっちを向いた。そして片眉を上げながら、なんだ突然、と短く笑う。
 少し前、日が落ちた時間、任務帰りにコンビニに立ち寄った時、イルカと顔を合わせた。イルカの買い物カゴを覗きながら、今日こんなビール飲むの?と聞くナルトに、そこでイルカは一瞬躊躇った後、今日は恋人がいるからな。と微笑んで。それに直ぐ反応出来なかったのは事実だった。
 アカデミーにいた頃から、恋人がいない事をからかえば、俺の恋人は仕事なんだよ、とげんこつと共にそんな言葉を返してきたのに。すんなり言うイルカに、少しの間の後、そっか、と返す事しか出来なかった。
 昔だったら、もっと自分が幼かったなら、どんな人なのか、歳とか、美人なのかとか、ずばずば聞けただろう。今もそう聞いたっていいはずなのに。一瞬反応に遅れたばっかりに、そこを上手く返せなかくて。
 イルカと別れてから、帰り道、確かに先生そんな歳だもんな、と一人納得するかのように呟いた。
 そんな事をぼんやり思いだしながら、ナルトは縦肘をついたまま、
「先生ってさ、もうキスとかしたの?」
 見た目とか歳とかそんな事をすっ飛ばして聞いた内容に、イルカは食べかけたラーメンを飲み込む前に咽せた。
「・・・・・・、おまっ、なに、」
 そんなに驚かすつもりはなかったが。ごほごほせき込むイルカに、いや、だってさ、とナルトは口を開く
「その、タイミングとか?どんな感じで、とかさ。そーいうの聞きたくて、」
 縦肘を解き、頬を掻きながら言えば、コップの水を喉に流しながら、ああ、と相づちを打つが、イルカの顔はせき込んだからか、まだ赤い。
 そこから、なるほどなあ、とため息混じりにイルカがこっちを見た。
「お前ももうそーいう歳だったな」
 感慨深げに言われ、それにむず痒さを覚えながら、うん、とも言えずにそこは黙れば、そこで自分の頼んでいた大盛りのチャーシューメンがカウンターに置かれる。割り箸を手に取った。
「タイミングなあ」
 聞かれた事にイルカはラーメンを啜り、食べながらも、うーん、と唸る。
「そういうのはその場の空気ってのがあるからなあ、」
「だからそれが分かんねーんだってば」
 自分が聞きたくて聞いているはずなのに、イルカはそれに応えようとしてくれているだけなのに、その思考を巡らすその表情に、気持ちが何故かもやもやとする。実際大戦を終えてから、気になる相手が出来たのは事実だけど。もやもやした気持ちを押しのけるように、じゃあさ、とナルトはまた口にした。
「その先とか、どーすんの?」
 また咽せるかと思ったが。イルカはなんとか堪えたのか、少しの間の後、一回咳払いをする。
「その先かあ、」
 参ったと言わんばかりに、イルカは苦笑いを浮かべた。ラーメンを食べているからなのか、ナルトが見つめるその視線の先には、健康的なイルカの小麦色の肌はいつもより赤く、そして額には汗が薄く滲んでいて。そんなイルカを横目で見ながら、ナルトはラーメンを食べ進める。
「そーいうのはまだ早い、いや、でもなあ、」
 ナルトの年齢を思い出しているのか、ぶつぶつと独り言のように言うイルカに、
「そっちのいろはって大事なんだろ?」
 仲間内でも時々話題になる事を口にすれば、イルカは、まあなあ、とまた困った顔を浮かべて笑った。実際自分、と言うよりも近くでそんな話題を話していたのを聞いた程度だが。誤魔化す事は出来るだろうが、真面目なイルカがそこを誤魔化してもいいものか、迷うのは分かっていた。促すナルトにイルカが箸を止めた時、
「味噌ラーメン、あ、チャーシューも入れてね」
 暖簾を潜って姿を見せたカカシが、注文を言い終えるとナルトの隣に座る。
 よ、と短い挨拶を口にされ、ナルトは、口をもぐもぐさせながら、カカシの顔を見た。
「あれ、カカシさんもう昼休みですか」
 ナルト越しに聞くイルカに、いや、そーでもないのよ、とカカシは口を開く。
「遅めの昼だもん」
 空腹なのか、カカシはそこからため息を吐き出す。そんなカカシに、イルカは店内の壁に目を向ける。あ、と声を出した。
「もうこんな時間か、わりい、ナルト。もう行くな」
 えー、と渋るナルトを余所に、イルカは最後の麺を食べ終わると立ち上がる。ポケットから財布を探り料金を店員に渡した。ごちそうさまです、と元気な声を店主や店員にかけると、こっちに、じゃあ、と言ってイルカは忙しそうにそのまま店を出て行く。
 ここはラーメン屋でそれなりに熱気がある場所だが、イルカ一人がいなくなっただけなのに、その熱気も収まった気がする。忙しいなら仕方ないか、と軽く肩を竦めながら、カカシ先生はチャーシュー食うんだ、と声をかけようとしたのに、
「今はまだだめだよ」
 ラーメンを待つかのように縦肘とつきながらも前を向いたカカシにそう言われる、思わず、え、と声が出ていた。
 ついさっきの、イルカとの会話を聞かれていたかと思うが、今の自分に、年齢で相応しくない内容でもないし、肝を冷やす事でもない。でも何故か、カカシのその言い方に、反射的に警戒心に似た気持ちが薄っすらと沸き上がる。
 イルカとの会話が聞こえていたとしても、何故、ダメなのか。それに、今は、と言われる理由さえ分からない。そもそもイルカに聞いたのであって、なんでカカシがそんな事を言うのか。ナルトは口を尖らせた。
「何でだってば、」
「分かるでしょ」
 食べるのを忘れて思わずカカシへ顔を向ければ、
「先生に聞くのはそこまでにしといた方がいいって事」
 先生に聞くのは
 意味深な言い方に、浮かぶ必要がないのに、思い当たる理由が頭に浮かんだ。
「それとも俺が教えてやろうか?」
 直後に前を向いていたカカシがこっちへ顔を向き、青みがかった目と視線が合う。カカシの目がそう口にした台詞の理由を、浮かんだ理由を物語っている様で、ナルトは思わず視線を外した。前を向く。
 イルカとビールを飲む相手が誰であっても気にするはずがないのに。イルカに無意識に抱いて感情が自分を打ちのめす。
 丼に残ったラーメンを見つめながら、淡い恋心が消えていくのを、ナルトは感じた。
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