カカイルワンライ「花瓶」

 受領した報告書をファイルし終えたイルカは目線上げる。そこからまたファイル出来ていない報告書の束へ手を伸ばしながら視線を戻した時、
「なんかあるの?」
 隣から声をかけられた。報告者が少ない時間帯に黙々と雑務をしているだけで、それは声をかけてきた同期も同じだ。だから、何のことかと思えば、
「さっきから時計見てるよな」
 そう言いながら壁にかけられた時計を指され、内心ドキリとした。自分自身そこまで時間を気にしているつもりはなかったが、無意識に、いや、無意識じゃねえな、とそこで内心否定する。イルカは思わず視線を落とした。時間を気にしていたのは、事実だった。そう、時間が気になって仕方がない。でも気にしないようにすればするほど逆に気になって。でもそれを認めてもいいものかのか。だからと言って同期にどう答えたらいいのか分からず、苦笑いを浮かべながら、何でもない、と返すしか出来なかった。
 二日前、外を歩いていたらカカシに声をかけられた。
 上忍仲間と立ち話をしていたカカシの前を会釈しながら通り過ぎ、角を曲がったところで名前を呼ばれた。普段から顔を合わせば挨拶なり業務に関わる事だったり、それなりに会話をする事もあるから、別に珍しいことではない。今日は朝に渡した任務予定表の事だろうと思い、立ち止まり返事をしたイルカに、カカシは、あのさ、と銀色の髪を掻いた。
 普段からカカシは間延びした口調だったりもするが、歯切れの悪いカカシを見るのは始めてで。ナルト達の身に何かあったのだろうかと、不安が心を過ぎる。それが顔に出そうになった時、
「良かったら、今度一緒に夕飯でもどう?」
 カカシから出た言葉に、直ぐに反応出来なかった。そこから間を置き理解して、ああ、とイルカは相づちを打つように声を出した。勝手な勘違いで緊張していた心を解すように頬を緩めながらも、聞き間違えではないと分かっていても、確認するように、飯ですか、と聞けば、カカシは、うん、と頷く。上忍から時々声をかけてもらったりするが、カカシからは初めてだった。そして断る理由もない。
「ありがとございます」
 イルカは笑顔で頷いた。

 あと数時間もすればカカシから伝えられた時間になる。
 そう思ったら、気にしないようにしていても、何回も時計に目を向けてしまっていた。残業があって約束の時間に間に合わないわけでもなく、まだ時間もあるというのに、なんでこうも気になるのか。しかもそれを同期に指摘される始末。浮き足立ってるようで恥ずかしいし情けない。イルカは息を吐き出す。
 カカシと初めて会った時、口数が少ない人だとは思っていた。ナルトの事で心配だからと話しかけても必要な事以外は話さないし、世間話を好んでするタイプでもない。ただ、色んなタイプの上忍がいる中で、常識的は人だと思ったのは最近だ。任務の調整で急な変更をしても、嫌な顔一つしないし、この短期間でナルトやサスケ、そしてサクラの事に対する認識も的確で、理解している。ナルトはその性格から愚痴を含めてカカシの事を色々口にするが、それは相手を理解しているからこそのカカシの指摘で。
 そして、名声はもとより、その見た目や愛想のなさから怖い人だとカカシと距離を置く中忍も多いが、接すれば接するほど自分はそうは思えなかった。
 ただ、不意に見せる笑顔や、時々ふとした時に目が合うのは、何でなのか、とか。
 別に意識しているつもりはなかった。でも誘われるとは思いもしなくて。
 そんな事を思えば、余計に胸がざわめく。それを否定したくて、仕事に集中しようと、イルカはペンを持ち書類に目を落とした。
 
 
 仕事を終えたイルカは待ち合わせ場所でぼんやりと空を見上げた。少し早目に着いてしまったのは、自分の性格からだ。ただ、残業もそこまでなくて良かった。やむを得ない事情であるなら兎も角、上官に誘われて遅刻する事はあり得ない。いや、誰に対しても遅刻は禁物だ。
 もうすぐカカシが来る。それだけなのに、また緊張がわき上がり、なに緊張してんだ、と自分に突っ込むようにイルカは肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握った。
 そもそも、ただの夕飯の誘いに意識するのが可笑しい。向こうはきっと何も考えてない。そうだ、こんな自分に何を考える事があるのか。あるはずがない。きっと時分がやたらナルトの事で色々話しかけるから、カカシが気を使ってくれただけのかもしれない。
 きっとカカシは、自分だけではない、誰にでも笑顔を見せるだろうし、タイミングが合えば視線だって誰にでも合ったりする。それがたまたま自分だったってだけだ。
 カカシが他の中忍に声をかけてるのを見た事がないけど、それは俺が見ていないだけで、きっと知らないだけで。
 思考を整理しようと思っているのに、食事に誘ってきた時のカカシの表情や、それに頷いた時のカカシの嬉しそうな顔が脳裏に浮かぶ。頬が熱くなった。
 今日は暑いな、と別の方向へ意識を持って行こうとした時、
「先生」
 背中から声がかかり、それは直ぐにカカシの声だと分かる。それだけでドキッとした。
 感情を抑えるのは忍びであれば難しいことではない。意識するな、意識するな、と念じながらイルカは振り返り、固まったのは、カカシが両手に花を持っていたから。
 これは想像していなかった。だって、当たり前だ。カカシが両手に花を持って現れる姿なんて予想出来るわけがない。出来るはずがない。驚きにその光景に思考が停止して、ただ、カカシのその姿を見つめる。ぽかんとする、という表現がぴったりなのかもしれないが、それよりも、違和感はもちろんあるが、それ以上に色とりどりの綺麗な花に色白で銀色の髪のカカシにはそれが映えていて。イルカは瞬きをして見つめた。しかしよく見ればカカシは少しだけ困った顔をにも見える。どうしました、と言い掛ければ、あのね、とカカシが口を開いた。
「歩いていたら花を持って行商にきてたおばあさんが、売れ残ったからって何でなのか俺にくれて、」
 そこまで言ってカカシは言葉を切りこっちを見る。カカシが言うように木の葉訪れる行商人は珍しくはない。ここの地域では穫れない特産品などは重宝するし、有り難い。カカシが言う花の行商で来ている老人をイルカも時折見かけた事があった。それでも。
「俺いらないって言ったんだけど、どうせ捨てるだけなんだからって押しつけられちゃって」
 どう言うわけか、たまたまそこを歩いていて、カカシがどんな相手なのか知るわけがない、その年老いた行商人渡された花を抱えながら。困り果てた顔で、だからってこれを捨てるわけにもいかないし、とカカシが呟くように言う。
「あの、だから、そういうわけじゃないんだよ?」
 不意に言われ、イルカはきょとんとした。理由はもう聞いたのに。それでも、カカシの恥ずかしそうな表情で、何を言わんとしているか知り、イルカの頬が思わず緩んだ。
 そりゃそうだ。確かにこんな状況で花を渡されたら、勘違いしたって可笑しくはない。でも、相手は残念ながら俺だ。
 そう、今回は待ち合わせしている相手は俺なんだから、そんな必死にならなくたっていいのに。
「分かってますよ」
 微笑みながら大丈夫だと言えば、カカシはホっとした顔をするが、イルカを見つめる。
「でも、良かったら、これ」
 そんな説明をしながらも、恐る恐る花束を向けられ、堪えきれない気持ちが溢れ出す。イルカは息を吐くように笑っていた。
「俺にですか?」
 改めて苦笑しながら聞けば、カカシは銀色の髪をがしがしと掻いた。やっぱいらないよね、と眉を下げその手を引っ込めようとするから、迷うが、いただきます、とイルカは手を伸ばす。それを受け取った。
 受け取らず断ってもいいはずなのに。そして受け取ったとしても、必要ないと処分してしまう事だって出来ただろうに。でも、それをしなかったのは、要は、カカシは優しい人なのだ。
 おばあさんに花を渡されで困りながらも受け取る。その姿は想像出来て、途端暖かい気持ちが心に広がる。少しだけしおれている花に目を落とした。
 これをもらって、夕飯を食べ、家に帰ってからではきっとこの花は明日には同じ姿は保てないだろう。分かってる事なのに、それが何故か悲しく感じた。
 家には適当な花瓶はないが、幸い待ち合わせ場所からアカデミーから近い。
 イルカは顔を上げる。
「せっかくなんでアカデミーに立ち寄ってもいいですか?」
 水切りしたらきっとまだ大丈夫なはずです。
 そう口にすれば、カカシはまた安堵した顔で頷く。そこから二人並んでアカデミーへ向かった。
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