カカイルワンライ「まいった」

 売り言葉に買い言葉とは言ったもので。いや、自分みたいな性格では縁がない言葉とは思っていたが。

 そんな場面に遭遇したのは数日前、居酒屋に一人足を向けた時。夜半近くで客もまばらで。暖簾を潜っていつものようにカウンターに向かえばそこにはすでに先客がいた。顔も名前も見知った中忍のうみのイルカだった。
 カカシを見て少し驚いた顔を見せるが、忍びは縦社会だ。直ぐにぺこりと頭を下げられる。あからさまではないにしろ、嬉しいとは思っていない顔だが、元々カウンターに座るつもりだったし変えるつもりもない。カカシは、どーも、と返事をしながら一つ空けた席へ腰を下ろした。
 カウンター越しに店主に注文して、その注文したビールを一人ぼんやり待ちながら、タイミング悪かったなと思うのは。見知った相手だがちょっと面倒くさい相手だと思っていたから。きっかけは中忍選抜試験だったか、ナルトの上忍師として顔を合わせた時だったか。記憶にないが、お世辞でも向こうが印象が良いと思っているとは言えないだろう。まあ、相手が中忍とか関係なく、元々自分は神経が伸びているし、そこまで大して気にもならないし、顔にも出るわけがないが。向こうはさっき顔に出したとおり、同じようにタイミング悪いとでも思っているんだろう。
 そんな事を思っている間に頼んだビールが置かれ、カカシはそれをぐいと喉に流し込んだ。
「任務ですか」
 冷えたビールを飲みながら、冷や奴を箸で摘んでいれば、不意に隣から声がかかる。声のトーンは決して高くもない。イルカでなくとも、基本中忍連中からは声をかけられることもそうない。そもそも声をかけやすい相手ではないんだろう。だったら別に声なんてかけてこなきゃいいだけの話だと思いながらも、カカシは隣へ顔を向ける。黒い目が真っ直ぐこっちを見ていた。
「まあね」
 短い返事に、イルカは視線を前へ戻すと、ビールがグラスを傾ける。そうですか、と同じ様な口調で答えた。
 任務かと聞かれたら、そこはイエスかノーで答える事が出来るが。その内容は火影直轄の任務であれば相手が誰であろうと明かすことは出来ない。よって、それ以上話を広げることも出来るわけがない。再び沈黙が広がる中、カカシもまたビールを飲んだ。
 元々コミュニケーションは苦手だ。誰かに気を使ったり、その場の空気を読んだり。必要な事なのかもしれないが、正直、任務意外では不必要だ。アスマや他の上忍仲間ならともかく、繋がりがなければ話題なんかない。
 少しは上忍師らしく、なんて鬱陶しいとも思えるそんな言葉を、口煩いとは言わないが、そのアスマから何回か言われていたのは忘れてないわけじゃない。どうしような悩むものの。ため息を吐き出すと、カカシは口を開いた。
「そっちは残業?」
 そう聞けばこっちにイルカが視線を向けているのを感じるが、カカシは視線を前に向けたまま。答えを待てば、そうです、とさっきと変わらない短い答えが返ってきた。そこから、でも、とイルカはため息混じりに続ける。
「自炊すればいいんでしょうが、そんなつもりにもなれなくて。彼女とかいれば違うんですかねえ」
 自嘲気味に口にする。最後の言葉を聞いた瞬間、ビールを飲みながらつい短い笑いを零していた。自分相手に珍しく喋ると思いきや、そんな事を言うとか。というか、聞いてもいないし。そんな事まで話さなくたっていいだろうに。
 そこまで悪気はなかったが、嘲笑を含んでいたのは確かで。だからといって向こうかどう出るかまでは考えていなかったが、イルカはこっちへ顔を向ける。
「カカシさんは噂通りおモテになるんんでしょうから、こんな話題は馬鹿げてましたね、すみません」
 緩く笑いながら、イルカはそう口にした。
 聞き間違えかと思ったが、そんな酒も入っていないし、この距離で聞き間違えるはずもない。
 笑った自分も自分だが。顔に出やすいタイプだとは知っていたが、こんな分かりやすい皮肉を口にするとは思っていなくて。ただ、前述の通り、別に彼女がいない事を馬鹿にしたつもりはない。どうしようかなんて、答えは出ていたのに、さっき嘲笑したのと同じように、考えるよりも先に、再びカカシはその台詞に小さく笑う。何言ってんの、と口を開いていた。縦肘をついたままイルカへ顔を向ける。
「俺別にあなたを馬鹿にしたつもりもないし、そもそもそこまでモテないから」
 否定するところはきっちり否定したい。そう思っただけなのに。イルカは、そうなんですか、と笑顔で笑いながら、尚も挑戦的に片眉を上げる。
「にしては見かける度に相手が違いますよね」
 へえ。
 カカシは内心目を見張る。
 というのは、一部の相手を除いては、大体はその場凌ぎの上辺だけの言葉だったりゴマをするような相手ばかりで。それに比べたら、皮肉とはいえ、その好戦的な態度は意外だった。それがカカシの心の奥を擽る。
「そんな欲しいなら俺がなってやろうか」
 話の流れで、というよりも。どんな反応をするのか見てみたかった、というのが正しかった。向こうはいつも飄々としている自分が戸惑うところを見たいんだろうが。悪いがこんな内容はどうってことないし、返り討ちにする気は満々だ。自分ってこんな性格悪かったっけ、と思いながらも、涼しげな笑みで言えば、イルカは一瞬きょとんとして、何がですか、と真顔で聞くから。だから、とカカシは口を開いた。
「恋人、今いないんでしょ」
 ああ、それか男なんて問題外だった?
 自分が続けたかった言葉がそれだった。
 なのに。その台詞を口にする前に、イルカが理解したように、ああ、と相づちを打つ。
「じゃあ、お願いします」
 にこりと浮かべる笑みは一体なんなのか。
 今度はカカシが目を丸くする番だった。


 夕方の込み合っている報告所で、カカシは列に並びなら机に向かっている相手を見つめていた。
 面白くないなあ、と思うのは。視線の先のイルカは普段と変わらない、黙々と事務作業をこなしているから。
 ナルトの話によれば、完成度の高くもないお色気の術で鼻血を出したくらいなのだから、そっちには疎いとまではいかないが、免疫のない、そんなイメージだったはずなのに。そもそもあんな誘いは冗談で笑い飛ばせばいいだけのはずだ。引き下がる事をしたくなかったのかは知らないが。これじゃ丸で自分が墓穴を掘ったみたいで。昨夜のことを思い出しながら、カカシが髪をがしがしと掻いた。
 昨日のあれは、ただの酒の勢いとか、酔っていたからとか。引っ込みがつかなかったんです、とでも言ってくれさえすればこの話はなかったことで終わるのに。
 そう思っている間にもカカシの順番がくる。イルカはこっちを一目しただけで、いつもと同じ様に受理した報告書を脇に置きながら、次の方、と呼びかけるから、カカシは黙って自分の報告書をイルカへ差し出す。
 ありがとうございます、と言いながらもイルカの目線は直ぐに渡した報告書に落とされる。それは今日だけではない。いつものことだ。それに、自分の後ろにも既に数人並んでおり、込み合っていることには変わりはないが。
 一環して特に変わらないイルカの態度は、もしかして昨夜の件は昨日の会話の中で既に終わってしまっていると、そういう事なんだろうか。そう思えても仕方のないイルカを見つめていれば、伏せられた目がこっちへ向く。
「特に問題ありません」
 にこりと笑みを浮かべた。
 もしこう言われたら、こう返そうとか、そんな事を思っていたのに。お疲れさまでした、と続けられたら、それに相づちを打つくらいしか出来ない。カカシが返答をしてそのまま背中を向けたとき、ああ、そうだ、とイルカが再び口を開く。続けて、カカシさん、と名前を呼ぶその変わらないテンションから、書類の不備かと思い振り返れば、
「今週、予定なかったら飲みに行きましょう」
 今までなかった事に思わず、何で、と返答していた。だって、その台詞は予想していなかった。
 イルカは、カカシの言葉に、何でって、と少しだけ驚く顔を見せるが、言葉を探すように外した目線を直ぐにこっちを向ける。
「そういう仲、だからですかね」
 そういう仲。
 人前にも関わらずはっきりと言われ、カカシはまた内心面食らうしかなかった。


 翌週、カカシは居酒屋にいた。誘われるままにこうしてイルカと酒を飲むのは三回目。何なの、とは思うが向こうはそう思っていないのだからどうにもならない。自分が蒔いた種とはいえ、売り言葉についのってしまうとか。慣れない事はするもんじゃないと後悔しても既に遅い。
 目の前のイルカはそれを知ってか知らずか。今日のアカデミーでの出来事をビールを飲みながら楽しそうに話している。そんなイルカをカカシもグラスを傾けながら、その話題を聞いていた。
 特に盛り上がる事はないが、そこまで話が合わないこともなく、イルカも話し上手なのか、聞いているだけで飽きる事もない。こんな調子で三回目も誘われるままにこうして酒を飲んでいる。
 仕事熱心なのは知ってはいたが。本人からこうして話を聞きながら、子供好きだけでは到底務まらないだろうと思う事を、淡々と、そして楽しそうに話すから、そこは内心感心する。何も知らないまっさらは状態の子供たちに、一から教える事はもちろん、そもそも教え方も分からない。それよりも、何で分からないかが先に疑問にきてしまうのだから、きっと、自分ではとても務まらない。
 明日は別のやり方で教えようと思ってるんですけどね。
 そう口にしてイルカはジョッキに入っている最後のビールを飲み干すのを見ながら、
「そうやって教えるのって、すごいね」
 素直にそう言えば、イルカはカカシの前で恥ずかしそうにしながらも、酔った頬を緩ませる。鼻頭を掻きながら嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 
「これからどうする?」
 支払いを済ませ、店を出て。なま暖かい空気に当たりながら夜道を歩き出して直ぐ。カカシが口にした言葉に、イルカが視線をこっちへ向けた。既にイルカを見ていたから、黒い目と視線がぶつかる。
「先生の家、行ってもいいよね」
 イルカの返事を待つ間もなくそう言えば、少しだけその黒い目が丸くなった。
 いつものパターンなら、ここでお疲れ様でしたとイルカは帰る事を選ぶんだろうが。ここにきて、ようやく少しだけ戸惑うような表情を見せたイルカに、カカシはようやく想定内の態度を見れて内心ほくそ笑む。
 こうして楽しい酒を一緒に飲んでいるからって、良いお友達同士って訳じゃないくらい、イルカは知っているはずだ。
 どうするのか。黙って答えを待てば、イルカは少しの間の後、その口を開く。
「じゃあ、行きますか」
 イルカはにこりと微笑んだ。

「ちょっと散らかってるんですけど、」
 そう言いながら先に部屋に上がったイルカは、床に置かれていた雑誌を数冊拾うと隅に積まれている場所へ置く。玄関のドアは施錠してあったものの、窓のドアが開いているのを見るのはナルト以来で。いや、この師にしてこの生徒あり、の方が正しいのか。ただ、町中でもなく、繁華街から離れた場所にあるアパートに住んでいるのは、なんともこの人らしい。
 そう思いながらカカシは、どうぞ、と言われるのを待つまでもなく、図々しくイルカに続き部屋に上がる。
 その部屋は、そこまで広くもないが、一人暮らしには十分で、ゴミ袋が隅に置かれていたり乱雑に雑誌や衣類が置かれているのは男所帯にうじがわく、とまではいかないが。生活感もありそれなにり確かに散らかってはいる。部屋を眺めていれば、イルカは窓を閉めながら、窓に取り付けられている縦長のエアコンに電源を入れた。
「冬はこたつもあるし、エアコンは使わないんで、これは冷房専用なんですよ」
 とは言ってもあまり使わないですが。
 カカシは言われるままにそのエアコンに目を向ける。縦長で窓に取り付けられているエアコンは昔どこかで目にしたものの、今はそう見ない。
 相づちを打つわけでもなく、そのエアコンが動き出すのを見ながら、こたつって?と聞けば、
「カカシさん、もしかしてこたつ知らないんですか?」
 大げさでもない、驚いた顔でそう言われて、目をイルカに向けた。そんなに驚くことなのか分からないが、まあね、と返事をする。
 イルカはそこから、へえ、と感心深げに相づちを打ちながらも、じゃあ、しますか。
 そう言われて、急に切り替えたような言葉に。カカシはイルカを見つめ返していた。
 こっちから家に行くと言い出したものの。顔には出さないようにしていたが、今回は出てしまったのかもしれない。いや、イルカの言う、しますか、は自分が捉えた、しますか、とは違うのかもしれなくて、とぐるぐる頭が回るカカシに、イルカはカカシの手を取った。
 連れていかれた奥の部屋にはベッドがあった。男の寝ているベッドなんて何の魅力もないはずなのに。ベッドが目に入った瞬間、何故かドキリとした。そのベッドに促されるままにカカシは腰を下ろすと、スプリングが、ギシ、と音を立てる。
 イルカが言ったように、寄ってくるから女には困った事もない。それなのに。イルカの匂いがする寝室のベッドで、今からするんだと思っただけで緊張と言えばいいのか、期待を含んだような、妙なそわそわした感じは、何なのか。それに、この展開からして、もしかして、俺って下なわけ?
 そう疑問に思う間にも、イルカはベッドに腰掛けたカカシの前にしゃがみ込んだ。おもむろに、イルカの手がズボンに伸びるから、え、と思わずそんな声がカカシから出る。
 ちょっと待ってよ、とは到底言えない空気になっていた。でも、それはどうでもよかった。そうじゃなくて。そんなんじゃなくて。こんなの、イルカのイメージではない。ナルトやサクラ、あのサスケにさえ懐かれていて。見かける度に子供に囲まれ、笑ったり怒ったり時にはきっと子供の前でさえ、泣いたりするんだろう。毎日子どもたちを前で教鞭を執る。そんなイメージしかないイルカが、こんな事、やれとも言っていないのに。
 目を見張るカカシに、イルカは手を止めない。カカシのズボンの前を寛げると、下着の中から固くもなっていない、それを躊躇いもなく触れ、取り出す。薄暗い部屋で、ちらりと見えた赤い舌がゆっくりと根本から舐め上げ、咥えるから、カカシは思わず息を詰めた。急速に心音が早くなり、下半身に血液が巡りそこが充血し固くなる。それはきっと全部イルカは分かってる。それが何故かひどく恥ずかしい気もするし、でもやめて欲しいとも思えない。根本を片手で支えながら、イルカはまた屹立し始めた陰茎をゆっくりと舐めながら、ふとこっちを見上げる。
「こういうこと、俺はしないとでも思ってました?」
 スバリ、思っていた事を口にされ、うん、とも言えず、いや、と誤魔化すように口ごもると、イルカはふっと笑いを零す。
「カカシさんも知ってるかと思いますが、中忍ではこういうのは必須なんですよ」
 長期任務の夜伽とか。そういうのは基本中忍の仕事ですから。
 何でもないかのように、イルカは言う。聞いてもいないのに。
 自分も中忍の上官である上忍で。言われなくとも頭では分かっていたはずなのに。イルカの口からその言葉を聞いた途端、下半身はまだ熱いままなのに、すっと体の血液が冷める感覚が自分を襲う。
 それにイルカは反応を示した。黒い目でカカシを見上げる。
「・・・・・・嫉妬ですか」
 イルカがそう口にする言葉に、耳を疑った。
 それでも。
 ついさっき、無意識にぶわりと沸き上がったのは言葉に出来ない感情で。それは、言うなれば、イルカの言う、それで。
 誰にでもない、向ける相手もいないのに。殺気を含んだ空気を放ったのは間違いようがなく。イルカの言葉で自分の感情が理解出来ても、上手く言葉に出来ない。だって、そもそも何で嫉妬とか。
 イルカによって引き起こされる快感と逆なでされたような感覚は、カカシを困惑させるのに十分だった。見下ろしたまま、ぐっと唇を結ぶべば、でも、とイルカは呟くように言う。
「こうしたいと思ったのはあなたが初めてなんで」
 言われた言葉を理解する間もなく、イルカは再びカカシの陰茎を舐め、口に含んだ。上下させながら、じゅ、じゅ、と水音を立て吸い上げられ、その気持ちよさにカカシは眉根を寄せる。
 どこからがイルカの本心だったのか、今それすら分からないけど。
 ────そのイルカの一言が嬉しいとか。
 それに、イルカによって与えられる快感と、見え隠れする自分の本心にどう追いついたらいいのか、整理しようもなくて。
 ・・・・・・参ったね、これは
 そう。ホント、参った。
 認めるほかなく、カカシはイルカを見つめながら、苦笑いを浮かべる。
 ゆっくりとその黒い髪に手を伸ばした。
 


 
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