カカイルワンライ「ラッキースケベ」

 日が落ちる時間が早くなってきているからか、里に着いた頃にはそこまで遅い時間ではないのにすっかり辺りが暗くなっていた。
 仲間と別れしばらく飛躍を繰り返していたカカシは、やがて地面に降り立つと手をポケットに入れそのままヒタヒタと歩き出す。
 道の脇に設置されている街灯は街灯とも呼べないくらいに心もとない薄暗い光を放っている。その下を歩きながら気配を感じ顔を上げれば、向こうから姿を見せたのは、うみのイルカだった。
 猫背気味な自分とは違い、彼の性格そのものを表しているように、背筋を真っ直ぐと伸ばし歩いている。そのイルカがカカシに遅れてこっちの存在に気がつき、僅かながらに表情が固くなった。
 なんのことはない、その理由は中忍選抜試験の件があったからだと分かるが、もっと言えばそれだけで、自分はどうとも思っていない。
 いつも通り、会釈するイルカの横を黙って素通りする。
「あの、」
 その直後に声をかけられて、カカシは足を止めた。さっきの表情然り、よっぽどのことがなければ声なんかかけてこないはずのイルカに振り返る。
「何?」
 短く聞くと、真っ直ぐこっちを見ていたイルカの目が下へ向いた。
「その足、怪我をされているみたいですが」
 言われてその通りだからカカシは、まあね、と頷く。任務で怪我はよくある事だ。
「だから何?」
 それも短く返すカカシに、少しだけ眉根を寄せながら、イルカは視線を血が滲んでいる箇所から上げる。
「失礼ですが、病院は行かれましたか?」
 面倒くさくなってきたとカカシはため息混じりに銀色の髪を掻いた。ゆっくりイルカの顔を見る。
「行ってないよ。この程度だったら必要ないから」
 怠そうに返すカカシに、不快な顔を隠さずイルカは一回口を結んだ。そしてまた、開く。
「行くつもりは?」
「ないに決まってるでしょ」
 突き放す口調は、わざとだ。こうでも言えば上忍であっても大抵の相手はそれ以上の詮索はしない、はずなのに。では、と口をひらいたイルカはカカシに一歩近づく。
「こちらに来ていただけますか」
 腕を取られ、カカシはぎょっとした。
「え、なに」
 思わず出た言葉にイルカは構わず歩き出すから、カカシは掴んできた手を振り払った。ますます面倒くさい。
「病院は行かないよ」
「知ってます」
 言い返されてカカシはムッとした。じゃあ何なんだと顔に出せば、イルカは腕を上げ指をさす。その先へ顔を向ければ、そこには街灯の下にベンチがあった。
「あそこで、手当てさせてください」
「何で、」
「同胞が怪我をしているのを見て見ぬ振りなんて俺は出来ない」
「だから、」
「病院に行かないなら尚更です」
 きっぱりと言い切るイルカに、カカシは反論の言葉を失う。
 手当ては自分の家に帰ってだって出来るし、まあ、病院のような面倒くさい治療方法がしないが。イルカは反論しない事を承諾したと受け取ったのか、カカシの腕を再び取るとベンチに向かって歩き出した。

 自分の怪我を手当てするイルカを見つめながら、妙な事になったな、とカカシは思った。
 そう思うがイルカは折れそうにないから仕方がない。
 携帯している治療キットで適切に処置を行う。それはアカデミーの教師で子供を相手にしているからのか何なのかは知らないが。そこまできちんとした手当てが出来るとは思っていなかったから。カカシは内心関心しながらイルカに視線を向けた。
 特に話す事もないから、黙っているカカシに、イルカもまた小言を言うのかと思ったがそれもなく、黙々と手先を器用に動かし処置を終えた箇所を綺麗な包帯で巻いていく。その俯いた顔を見つめた。
 俯いたその顔から見える、少しだけ伏せられた黒い睫毛と、真剣な眼差しに。浮かんだのはこの場に相応しくない感情だった。
 この自分に反発し真っ直ぐに感情をぶつけてきたあのイルカが、目の前で膝をつき、自分の脚の怪我を手当てする姿は、想像すらしていなかった光景だからか、はたまた妙な背徳感と錯覚してしまっているのか。
 男には興味がない。
 だからイルカをそんな目で一度も見た事なんてなかったのに。
 いい眺めだと思ってしまったのは事実で。
(・・・・・・へえ)
 感心深げに呟きながら、カカシは口を開く。
「ねえ先生」
 その言葉に、イルカが顔を上げた。しゃがみ込んだイルカがこっちを見上げる。その黒い瞳を見つめ返した。
「今日飲みに行かない?」
 俺んちでもいいけど、と追加すれば、イルカは瞬きをした。
 後付けした台詞にどんな意味を含んでいるのか、それを察したのか。じっと答えを待てば少しの間の後、イルカは笑った。
「何を言うかと思ったら」
 呆れた声を出す。
 基本女は放っておいても近寄ってくるから自分から誘う事なんて滅多にないが。
「駄目?」
 尚も言えば、イルカは苦笑混じりにため息を吐き出した。包帯を巻き終わった箇所をぺしんと叩く。
「痛いなあ」
 大して痛くもないのに言えば、イルカは笑って立ち上がった。
「怪我人が言う言葉じゃないですよ」
 無茶な事を言っていると自分でも百も承知だが、誘いたくなった事は事実で、そして笑うイルカは呆れてはいるが、その顔に嫌悪感は見えない。
「痛みがひどくなるようなら病院へ行ってくださいね」
 話題を変え言い終えると、そのままイルカは背を向け歩き出す。
 あっけなくフられたが。
(・・・・・・ま、いいか)
 だってまだ機会はある。きっと。
 イルカのいなくなった薄暗い道を見つめながら、カカシは息を吐くように小さく笑いを零した。
 
  
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