カカイルワンライ「そんな言葉聞きたくない」

 朝、カカシは待機所にいた。
 外は快晴で窓の外からは鳥の囀りが聞こえ、窓から入り込む空気は心地がいい、はずなのに。
 落とした視線の先にはいつもの読み慣れた小冊子の文字が映っているのに、全く内容が頭に入ってこない。それでも集中しようとカカシは小冊子を読み続ける。そんな中、待機所に上忍仲間が数人扉を開けて入ってきた。
 多少部屋が騒がしくなるがそれはいつもの事だった。カカシは黙ってじっと読んでいたが、いくら集中しようとしても目が滑ってしまっているのは事実で。カカシは諦めて小冊子を閉じるとソファに背をもたれる。どこを見るわけでもなくぼんやりとしていれば、それに気がついたアスマがこっちを見た。
「どうかしたか?」
 聞かれてカカシはいつもの眠そうな眼差しをアスマに向けるが、すぐに外す。
「いや」
 否定をしながらもその言葉には溜め息が混じり、僅かに訝しむような顔を見せたが、カカシはそこから何も言葉を発しない。ぼんやりとした視線を床に落とすカカシから、アスマは再び他の上忍との会話に戻る。
 カカシは床を見つめたまま、また静かに嘆息した。
 自分は元々何かあったとしても誰かに相談するような性格ではないし、今まで問題があろうともそれなりに対処してきた。
 でも。
 なんでこんな事になったのか。
 思わず頭を抱えたくなるが、代わりにカカシは僅かに眉根を寄せる。
 昨夜、イルカ先生を抱いた。 
 その事実はどう足掻こうとも打ち消す事も、ましてや無かったことにする事も出来るはずがなくて。
 自制心は強い方だったはずなのに。
 ついとかうっかりとか。
 そんなものは無縁だったはずなのに。
 そう、だって抱くつもりなんて微塵もなかった。 

 元々関わりさえなかったイルカと距離が縮まったのは中忍選抜試験の後だった。
 任務帰りにイルカに声をかけられ、頭を下げられた。突き放した言い方もしたが、それは自分の立場上言ったまでで、イルカもまた同じだったはずで。だから、あなたが謝ることじゃないと言えば、イルカは少し驚いた顔をした後、そうですね、と笑った。
 そこからイルカに声をかけられるようになり、ある日、会話の延長から夕飯に誘われた。
 今まで周りには名が知れ渡った自分に近づきたくて媚びたり近寄ってくる奴はいくらでもいたから、警戒しないと言ったら嘘だった。でもイルカにはそれがなかった。程よい距離感でイルカの話す話題は、他愛のない話でも、ただ聞いているだけで楽しかった。砕けた話し方も笑い顔も愛嬌があってついこっちまで笑顔になる。だから自然とイルカと飲みに行く回数も増える。
 直情系の人間とは合わないとばかり思っていたから、意外と言えば意外で。こんな人間関係もいいなあ、と珍しく思っていた矢先、聞いた噂はカカシをがっかりさせた。
 イルカが自分に好意を抱いている。
 それを耳にした時、ただの噂であって欲しいと思った。
 自分の中で、イルカとの友情は順調だと思っていた。そう、今この関係を自分は気に入っているから尚更で。
 だから、自分はそれを無視した。
 この関係は続けたいから、聞かなかった事にして、いつものようにイルカに誘われるままに一緒に居酒屋で夕飯を食べる。
 イルカがアカデミーであった事を話し、自分は今日あった七班の任務の事を話す。
 食の好みも似ているから、互いに頼んだ好きなつまみを食べながら、酒で顔を赤くさせたイルカが笑った顔を見て、自分も笑う。
 こういうのが一番いいと思っていたのに。
「そう言えば、聞きました?」
 不意に口を開いたイルカに、なにが?とのんびり聞き返しながら、顔を見れば。飲みかけのビールが入ったグラスを持つイルカの表情は僅かながらにも緊張しているのが分かって、嫌な予感がした。
「俺がカカシさんを、」
「そーいうのやめようよ」
 思わずイルカの言葉を遮っていた。
 え?と戸惑い聞き返すイルカにカカシはニッコリと微笑むと瓶ビールを持ちイルカに向ける。
 はい、飲んで?と催促すれば、イルカは言われるままにグラスをこっちに向ける。
 注がれるビールを見つめながら、でも、とイルカが口を再び開くから。だからさ、とカカシがまたそれを遮った。
「聞きたくないって言ってるの、分からない?」
 視線を向ければ今までにない、緊張したイルカの黒い瞳と視線がぶつかる。
「楽しく飲もうよ」
 ね?
 カカシは緊迫した空気を和ませるように青みがかった目を緩ませると、イルカに優しく微笑んだ。

 その後は順調だった。一緒に飲んでいてもくだらない事は言わなくなった。時折一緒にいる時に言いたそうな顔をしていたが、気が付かないフリをした。
 それがいけなかったのか。
 あれだけ警戒していたのに。相手がイルカだからか、気を許してしまったからなのか。
 ナルト達と鍋をやるんで家に来ませんか?
 そうイルカに誘われ、その場にいたナルトやサクラにせがまれるままに頷いた。
 初めて上がったイルカの部屋は想像すらしていなかったが、物が多い割には綺麗に片付いていた。生活感が溢れる部屋にナルトはよく出入りしているのか、トイレの場所はもちろん、皿やグラスがある場所まで知っていて。楽しそうにイルカやサクラと一緒に素直に鍋を作り、サスケも嫌な顔をしながらも、なんだかんだで一緒に手伝いをしていた。
 鍋なんて一人暮らしの自分は食べる事はほぼなかったが、不恰好なつくねも、大きめに切られた白菜も、どれも美味しくていつも以上に箸が進んだ。コタツに入るのも初めてで、ダイニングテーブルでもない、こんなところで食べ物を食べていいのかと思ったりもしたが。コタツに入って温まりながらみんなで囲んで食べ物を食べるのもいいもんだと感じる。
 鍋だけで野菜もたくさん摂れるし、手軽でいいね、と言えばイルカは嬉しそうに微笑んだ。
 鍋の残りで作った雑炊もまた美味かった。ご飯を入れ卵とネギだけを加えたに過ぎないが、いつも以上に食べてしまっていた。
 雑炊を食べ終わった頃にはすっかり外も暗くなっていたから、ナルト達を帰らせ自分も帰ろうと思ったのに。
「残りを燗につけるので待っていてください」
 言われてどうしようか迷ったが、ご馳走になった手前無碍に断れない。カカシは再びコタツの前に腰を下ろした。
 熱燗と一緒に出されたのはガスコンロで軽く炙ったスルメだった。
「一味を混ぜたマヨネーズを付けて食べても美味いんですよ」
 言われてカカシは、そんなの?と笑った。
 意外な気もするし食べた事はないが、イルカが美味いと言うのならきっとそうなんだろう。
 ナルト達がいなくなっただけで部屋がやけに静かになった気がした。普段二人で飲んでいるのだからこれ自体は苦ではないが、イルカがテレビを付ける。食事をする時はテレビをつけるな、とついさっきナルト達に叱っていたのはイルカなのに。のんびりとした表情でテレビを眺めているイルカを見たら、そんな事さえどうでも良くなり、つけられた日本酒をちびちびとカカシは飲んだ。

 不意にコタツから腰を上げたイルカはきっとトイレに行くんだと思っていたから。
 近づいたイルカの手が胡座をかいていたカカシの太腿に伸びた時、ギョッとした。
 どうしたの、と聞いたカカシの目に映るイルカは明らかにさっきとは違っていて、その表情に思わず目を見張る。
 自分への感情は忠告した通り捨て去ってくれたとばかり思っていた。というか、その感情を捨てきれなかったとしても、イルカの性格から行動に出るとは思っていなくて。
 コタツの布団が汚れていたとか別の理由があるに違いないと思いたいのに。
「一回だけでいいですから」
 そう口にされ、カカシは参った。
 前述の通りイルカは直情系だが頭の回転も早く利口な方だ。こんな事をしたら自分がどう思うかや、結果なんて見えているのに。
 懇願されても、答えは同じだ。カカシは隠そうともせずため息を吐き出した。
 あのね、先生、と言いながら脚に置かれたイルカの手を退けようとしたら、その手が動き、股間に触れる。思わず反射的にイルカの手を掴んでいた。
「駄目だよ先生」
 そうハッキリ言ったのに。
 掴まれたままでイルカは無視して手を動かし、股間を撫でる。男に触られるなんて気持ちが悪いとしか思えないのに。
 ぎこちなく動かすイルカの手は嫌悪感はなかった。ここのところ花街に通ってもなくこんな事すらご無沙汰だからだからなのか。
 でも嫌悪感がなくとも相手が男には変わらない。萎えるだけで反応すらしないだろうから、きっとイルカもガッカリして諦めるだろうと思ったのに。
 見つめる先で触れていたかと思うとイルカはカカシのズボンを寛げまだ柔らかい陰茎を下着から出す。ここまで許したのは無理なものは無理なんだと実感して欲しかったから。
 女の柔らかい身体ならまだしも同じものしか付いてないし男の股間なんか見て何が楽しいのか。
 でも。
 イルカが屈んで迷わず自分の陰茎を口に含む。
 こんな状況おかしいし、気持ちいいはずがない。不快でしかない。
 そう思ったのに。
 辿々しくも一生懸命に舐め口に含むイルカを見ていたら、気がついたら自分の陰茎が固くなっていた。舐められ唾液でべたべたに濡れる。勃ち上がった陰茎を拙い動きでイルカは舌を這わした。
 ハッキリ言って決して上手くない。どちらかと言えば下手でしかないのに。
 鈴口から溢れ出したのは透明な液体で、それをイルカに舐められ、カカシは思わず息を詰めた。
 大きくなったのは生理現象で別にそういうわけじゃない。そう、絶対に違う。否定する言葉が頭にぐるぐると回りながらも舐めるイルカから目が離せなくなっていて。

 結果的にはイルカとしてしまった事実。
 勢いのままコタツで情事に及んだ挙句、それだけでは収まらなくて、その後もベッドでイルカを押し倒した。
 出るのはため息しかない。
 何やってんの、俺
 カカシは重苦しい気持ちに銀色の髪をがしがしと掻く。
 らしくない。らしくないがどうにも収まらなかった。
 酒が入っていたとはいえ誘われるままセックスするなんて、どう考えても単純過ぎる。
 だが、どんなに後悔が渦巻いても、遅い。
 ただ、自分はあのままの関係でいたかったのに。否定しておきながらやっちゃうとか、今更どんな顔して合えばいいのか。
 嘆息しながら、カカシは暗い気持ちで窓から見える青空を見つめた。
 
 
 イルカと顔を合わせたのは昼過ぎだった。
 
 思い悩んでいた自分とは全く違う。道の反対側から歩いてくるイルカは同期となにやら話しながら歩いていて、その顔には笑顔が見えた。
 イルカ一人ではないから話しかけることも出来ず、ただ、それならそれでいいと思い通り過ぎたが。カカシは足を止めて振り返る。
「ねえ」
 声をかければ、イルカと一緒にいた中忍が気がつきこっちを見た。
 ポケットに手を入れたまま眠そうな目を向けるカカシに、イルカの隣にいる中忍が緊張した顔を見せるが。カカシはその視線を真っ直ぐにイルカに向けた。
「ちょっといい?」
 言えば、イルカは、はい、と素直に返事をする。同期を先に行かせた後、カカシに向き直った。
 自分から声をかけたが、昨日の今日で気不味い。ポケットから出した手を後頭部にやり、頭を掻く。
「あのさ、」
「昨日はすみませんでした」
 何て言えば良いのか悩みながら口を開けば先にそう切り出され、そして謝られ、頭を下げるイルカにカカシは少しだけ驚くも、うん、と取り敢えず頷いた。ただ、きっかけを作ったのはイルカとはいえ全てイルカが悪いのではないと分かっている。
 分かっているからこそ、カカシは再び髪を掻いた。
「俺もさ、」
「カカシさんは謝らないでください」
 またしても遮られ、キッパリと言われ、でもさ、とカカシは眉を下げた。相手が男とはいえそういうわけにはいかないだろうと思っているのに。イルカは大真面目な顔でこっちを見る。やがて、
「俺、墓まで持っていくつもりだったんです」
 困った顔をするカカシを前に、イルカがポツリと口を開いた。
「俺も馬鹿じゃない、こんな想い、実らないって分かってました。でも、カカシさんと飲みに行くようになったら、知っての通りの噂が立ってしまった」
 あれは聞きたくない噂だったと思ったのは事実で。肯定するように黙っていればイルカは続ける。
「カカシさんが知ってしまい、そして気持ちは届かないと悟ったからこそ、こんな関係をずっと続けるならいっそのこと一夜限りでもいいと思ったんです」
 イルカはそこで表情を緩める。
「だから、本当にすみませんでした」
 その顔はやけにスッキリしたような顔で。ペコリと頭を下げ、背を向けるから。カカシは慌てた。
「ちょっと待ってよ」
 言えばイルカは振り返るが、呼び止められ不思議そうな顔をする。
「何か」
 そう問われてカカシは、何かって、と苛立ち気味にイルカを見た。
「俺だって悪かったって思ってて、」
 カカシの言葉を聞いたイルカは、優しく微笑む。
「だから言ったじゃないですか。カカシさんが謝る事は一つもないんですよ」
「でもあんなに何回も、」
「望んでないのに無理強いしたのは俺なんです」
「でも、」
「カカシさんは優しいから」
 なんだそれ。
 思ったのはそれだった。気がついたら自分の右手が去ろうとするイルカの腕を掴んでいた。
「アンタもしかしてこのまま終わらせるつもり?」
 何を言ってるんだと自分でも思った。でも咄嗟に出たのはこれで。なのに、呼び止めた質問にイルカは笑顔を浮かべる。はい、とハッキリ言われたら普段沸かない血が頭に上るのを感じた。
「俺が優しさで男を抱くわけないでしょ」
 取り繕いたくて言ったわけでもないのに、イルカは困った様な顔を浮かべた。それが更に苛立ちを煽る。
 そう、最初っから身体を繋げる関係にはイルカとはなりたくなかった。
 昔からどの女も身体を繋げるといつも面倒くさい事ばかりで。だからそういう相手は行為自体だけ簡潔に済ませられる商売女で十分だった。
 だから、イルカとはずっと側にいてくれる関係でいたかった。
 でも、身体を繋いだら、今まで感じたことがないくらい昂って。今まではただ吐き出すまでの行為だったのに、一回吐き出した後も夢中になってイルカを抱いた。
 後悔しているといいながら思い出すのは、イルカの吸い付くような肌と潤んだ黒い目。汗を含んだイルカの匂いとそして暖かい温もり。
 思い出すだけで勃ちそうになる。
 それより何より。身体を繋げた後も、居酒屋で笑い合ったり、イルカの部屋でまた鍋や手料理が食べいと思ってしまっている。
 なのに。
 スッキリしたような顔をしているイルカが信じられない。
 勝手に始めて勝手に終わらせるなんて。
「酷いよ先生」
 思わず情けない声が出る。それを聞いてイルカは不思議そうに片眉を上げた。
「聞きたくないって言ったのはカカシさん、あなたじゃないですか」
 自分が発した言葉がブーメランのように返ってきて突き刺さる。
 そうだけど。
 そうだけども。
「取り敢えずは家に持ち帰って冷静に考えてください」
 イルカは優しく微笑むと再び背中を向け歩き出すが、そんな宿題をもらっても、既に答えが出てしまっているからどうにもならなくて。
 カカシは初めて感じる歯痒さに、イルカの背中をもどかしそうに見つめるしかなかった。

 



 
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