カカイルワンライ「一周年」

「あれ、もしかしてイルカ先生かい?」
 肉屋で買い物をして釣り銭をもらった直後、去り際に店主にそう言われ、イルカは今日何度目かになる苦笑いを浮かべた。
 当たり前だろうとも、もしかしなくても、とは言い難く、イルカは、ええ、まあ、と曖昧な返事をすると、店主はさっき接客していた時とは違う、いつもの砕けた表情を見せた。
「なんだ先生ならさっさとそう言ってくれりゃあいいのに」
 人が悪いなあ、先生も。
 気が付かなかった事のバツの悪さがあるからなのか、笑いながら言われた台詞にどう答えたらいいのか分からず、すみません、とイルカもまた笑いながら謝るしかなかった。
 笑いながら後頭部に手を当てる、そこには普段あるはずの高く括った髪はない。バッサリと切られ襟足は刈り上げられている。子供の頃から多少短くしようとも、ここまで髪を短くした事がなかったから。鼻頭に傷があっても、傷がある忍びはいくらでもいるから、と言うこともあり、肉屋の店主の言動は頷けない事もない。それに加え、自分もこの髪型に慣れていないから気恥ずかしくて名乗る事もできなくて、気が付かなかった申し訳なさを言われると逆にこっちが申し訳なくなくてさっきのような会話になってしまう。
 この普段の会話らしからぬ対応は肉屋だけではなくて。さっき足を運んだ八百屋でも同じ様なことになったのは言うまでもなく。参ったなあ、とイルカは内心そう呟きながらため息を吐き出した。
 髪を短くしたのは、自分の気分転換でもはたまた失恋とかそんな事ではなく、自分でもこんな髪型にするつもりなんて毛頭なかったし、もっと言えば、こんな髪型になるなんて二日前までは夢にも思っていなかった。
 不本意だからこそ、自分も慣れなくて気分が落ち込むがどうにもならない。
 ただ、子供は受け入れが早い。最初短い髪の自分を見た時は驚き中には警戒するような顔をする子もいたが、翌日からは普段通りに戻っていた。女の子の中にはこの短い髪のほうが格好良い、なんて事を言ってくれる生徒もいたが、友人や同僚には見慣れなさ過ぎるのか、不評で早く髪を伸ばせと言われる始末。自分だってそうしたいのは山々だが都合良く髪が伸びる事はない。
 髪を括っていたのだから、髪が短かろうと同じはずなのに、うなじがスースーして首もとが寒く感じるのは何故なのか。あるはずのものがないという気持ちからくる寂しいと言える感覚に、少し冷え込んできただけなのにいつもより寒く感じて、イルカは一人歩きながら僅かに身を固めた。
 日が落ちてきた道を、買い物袋を手にイルカは歩く。いつもの道を歩きながら塀にいる三毛猫に気がつき、イルカは目を向けた。
「ミケ」
 首輪を付けていないが、見かけた頃から健康的な体型で毛艶もいい。きっとどこかの家で飼われていて名前もありそれはミケではないのかもしれないが。勝手につけた名前を呼べば、塀の上に座っていたミケがこっちを向いた。塀の高さで同じくらいの目線のミケは、いつもだったらイルカの顔を見れば、にゃおんと鳴き寄ってくるはずなのに。ミケは動かずその場でイルカの顔をじっと見つめた。観察するようにしばらく眺め、そしてやがてふいと顔を背けるから、イルカはがっくりと肩を落とした。
「ミケ、お前もかよ」
 思わずそんな言葉が自分の口から零れる。
 肉屋の店主におわびだともらったコロッケをあげようと思ったのに、とそのつれない態度にため息を漏らした時、
「イルカ先生」
 名前を呼ばれ、イルカは振り返った。
 薄暗いが、少し先の電柱の近くに、カカシが立っている。二日前に短期任務で里を出ていたからだろう、背中にはリュックを背負っていた。
 上忍の中で自分を先生付けで呼ぶのはカカシだけだ。里を誇る忍びだと言うのに、カカシは驕る事もしなければ上忍だからと横柄な態度をとることもない。中忍の自分に対しても敬語で話しかけ、最初こそ戸惑ったが今はそれも慣れ、お疲れさまです、と返事をすればカカシが歩み寄ってくる。
「髪切ったんだね」
 その台詞はもう既に慣れっこで。イルカは苦笑して頷いた。
「授業でちょっとミスっちまいまして」
 悪ふざけで火遁を使った生徒に髪を焦がされてしまい、毛先が少し焦げただけだったはずなのに、床屋で切ってもらったら想像以上にバッサリ切られてしまった。そんな間抜けな話まではする気にはなれず端的に言えば、カカシはそれ以上の追求はせず、そっか、と相づちを打ってくれる。
「でも短いのも似合うね」
 カカシに言われて顔を向ければにこりと微笑まれ、イルカは気恥ずかしさに鼻頭を掻いた。同僚にさんざん揶揄されてきたからなのか、お世辞だと分かっていても、カカシの言葉が嬉しくて。
 そんな事言ってくれるのは女子生徒かカカシさんくらいですよ。そう言いながら、普段通りにカカシから声をかけてきた事にイルカは気が付く。
 毎日顔を合わせてきた生徒も、昔からの友人も、同期でも一目見て直ぐに自分だと気が付く者はいなかった。
 しかもこんな薄暗い道で正面からともかく後ろ姿の自分にカカシは迷いもなく、名前をハッキリと呼んだ。黒髪なんて木の葉にはいくらでもいるし、こんな後ろ姿、写真で見たら自分でさえ自分だって絶対に分からない。
 戸惑いながらもイルカはカカシへ再び顔を向ける。
「よく俺だって分かりましたね」
 言えば、疑問に思って当然なのに、カカシは不思議そうな顔をした。
「短いから驚きはしたけど、先生だって分からないわけないじゃない」
 当然だと言い切るカカシにイルカは僅かに目を丸くする。
 誰もが直ぐに自分だと気が付かなくて。そんな訳ないんだと言いたいのに。嬉しそうな顔で言うから、言えなくなってイルカは俯いた。
「そう・・・・・・ですかね」
 その言葉にも直ぐに、そうだよ、とカカシの声が返る。
 カカシと知り合って一年。
 変な人だな。
 そう思ったのは出会って直ぐ。飄々として口数も少なくて。何を考えているのか分からなかった。そこから徐々に会話をするようになって、そんな風に思う事もなくなっていたのに。やっぱり時々こうしてカカシが変わっているんだと思えて仕方ない時がある。
 でも、今は強いて言えば変な人と言うよりは不思議な人だと表現した方がしっくりくる。だって、そんな嬉しそうに言うことじゃないだろう。
 時々カカシの言動がこうして自分を困らせる事がある。不思議な人なんだと済ませてしまえばそれまでだが。
 見つめる先で、カカシはそんなイルカを余所に吹いた風にぶるりと体を震わせると、寒いねえ、と言いながらポケットに手を入れた。
 寒いから言っているはずなのに、その言葉もカカシが言えば、どこか暢気そうにも感じる。
「ねえ、また今度酒でも飲みにいこうよ。屋台のおでんとか。」
 カカシの目がイルカへ向いた。 
 飲みにいくのだって上忍仲間を誘えばいいのに。それにカカシに誘われたら喜ばない女性なんていないだろうに。カカシは中忍の自分を誘う。仕事終わりに一人買い物袋を下げて帰るような男を。
 ただ、どうしようかと迷うものの屋台のおでんは魅力的で。
「はい、是非」
 頷けば、青みがかった目が嬉しそうに緩んだ。
「約束ね」
 その笑顔にイルカの心臓がドキンと鳴る。
 にゃおん
 直ぐ近くで声がして。振り向けば壁の上でミケがイルカを見ていた。ついさっきつれない態度をとったくせに、今頃知っている人間だと気が付いたのか。
 ただ、何もやましい事なんてしてないのに、何故かその澄んだ目でじっと見つめられたら、丸で心を見透かされているようで。焦りに似た気持ちがわき上がった時、
「聞かれちゃったね」
「え、」
「って思ったでしょ」
 驚いて反応すれば、そんな言葉を追加されイルカは困った。意味深だと思うがカカシの事だ、何も考えていおらずただ茶化す為に言っただけなのかもしれないが。困りながらも、別に約束したくらいでそんな事思っていないから。
「別に、そんなこと、」
 否定するが、裏腹に顔が勝手に熱くなる。
 困った顔で頬を赤くさせるイルカを見つめながら、そうだね、と眉を下げたカカシは可笑しそうに笑った。







 
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