カカイルワンライ「5秒」

 アカデミーでの仕事を終えて商店街で買い物をして家路へ向かう。定時で帰れる事はあまりないし、一日忙しかったとは言え、問題なく終われた事にすがすがしい気持ちにもなれる。
「先生さよなら!」
 ついさっき買い物を頼まれたと商店街で会った生徒に声をかけられ、イルカは生徒がいる方向へ顔を向けた。
 気をつけて帰れよ、と言えば、先生もね、と直ぐに返され。笑うイルカに手を振って家に向かって駆け出す。その後ろ姿を見送ると、イルカも歩き出した。
 今日は帰ったら溜まったゴミを片づけて風呂を早めに沸かして。ビールを飲みながらゆっくりテレビを見よう。早く帰れた時にこそ料理も作りたいと思っていたが、ろくにテレビさえ見る暇もなかったのだから、適当に作ってだらだらと過ごしたい。
 だから恋人が出来ないんだと自分でも分かっているが。こういう時間も大切だ。
 適当とは言え、何を作ろうか。考えながらふと感じる気配に、イルカはため息を吐き出した。ここ数日、イルカはこの気配に悩まされている。最初はただの偶然かと思った。後ろにいるのも、こっちを見ているのも。でも、いい加減、何日も偶然なんて続くわけがない。
 そして、気配を消していないのはきっとわざとだ。
 相手が相手なだけに、無視をしようと決めたが、こうも続くとは思っていなくて。
 どうすっかなあ。
 歩きながらそう思ってみても、正直相手が何をしたいのか読めないのだから仕方がない。
 心決めるとイルカはふう、と息を吐き足を止め、くるりと後ろを振り向く。
「何かご用ですか」
 誰もいない道へイルカが声を投げかけた後、電柱の脇から姿を現したのは、はたけカカシだった。
「気がついてたんだ」
「・・・・・・気がつかないはずがないでしょう」
 忍びであれば嫌でも分かる。それを分かって言ってるのが気にくわない。不機嫌に返せば、カカシはそれに何も答えず、イルカを見つめた。
 何の用かと聞いたが。十中八九中忍試験の事なのは間違いがない。というかカカシとはそれしか接点がない。
 あの言い争いの後、上司に呼び出され余計な事を言うなと釘を差され、同期には中忍の立場を脅かすなと言われ、自分としては散々だったが。どういう性格なのか把握もしてないが、食ってかかってきた張本人である自分の後をつけるということは、言いたいことがあるからだろう。
 相手が悪かったと言うのも分かっている。謝れというのならば、間違っていないと思っていても、相手は上忍。しかもあの写輪眼のカカシだ。だから自分の心情を滅して、受付でクレームを受けているのと同じように頭を下げればいいだけのこと。運が悪ければ殴られたり蹴られたりもするだろう。
 ただ、自分からは謝らない。そりゃあの状況で中忍にあんな言い方をされたら腹も立つだろうが。
 じっと見据えるイルカに、カカシはゆっくりと歩み寄った。距離で言えば足でも手でも届く範囲で、ポケットに手を入れたままのカカシは足を止める。眠そうな目をしているが、その思考が読めない表情は怒っているようにも感じる。
 ポケットから手を出していないから、足を使うんだろうか。カカシほどの忍びから蹴られたら、自分と言えど吹き飛ぶのが目に浮かぶ。そしたら今持っている買い物袋も飛ぶんだろうから。野菜はまだいいが、豆腐や卵はもったいないな。それとも、その冷えた視線を向けたまま、ここで土下座しろと言うのか。季節的に今は地面はきんきんに冷えているんだが。
 自分がカカシに口出ししたことは後悔していないが、自分で振り返ったくせに、面倒くさいことしちまったなあ、とそこは内心後悔した時、あのさあ、と不意にカカシが片手を動かしたから。反射的に身構えようとしたイルカに、カカシはその手を出して銀色の髪を無造作に掻く。
「何でか教えて」
 想像していた事とは違う台詞に、心の中で言われた言葉を繰り返すイルカに、カカシはまた口を開く。
「別に俺は間違ってるとは思ってないのよ。でもあんたもそれは同じでしょ?」
 お前にあんた呼ばわりされるつもりはない、とそっちが先に浮かぶが。カカシが口にした言葉が意外で。頷けば、
「だから何でなのか教えてよ」
 再び問われる。
 それを聞いてどうするつもりなんだとも思うが。取りあえず殴られることはないって事は分かったから。イルカは買い物袋を持ち替え腕にかけながら、そうですね、と呟いた。もちろん、自分が火影や他の上忍がいる前でカカシに食ってかかったのには理由がある。あるが、今更この人に言ったところでどうなるというのか。
 ちらとカカシへ視線を向ければ、じっとこちらを見ているだけで、やはり何を考えているのか分からない。基本受付へ苦情に来る人間には目的があり受付を訪れる。話を聞いてもらいたい者、謝罪が欲しい者、ただ、相手を罵倒したい者。カカシがどれに当てはまるのか、ここまでの言動だけ見ても、カカシが何を求めているのかは見えてこない。
 あの場でカカシが自分をバッサリと言い捨て、意見をはねのけている時点で、ここで何を言っても無意味だと思うのに。
「理由がないってこと?」
「ありますよ」
 無言になっていればそう言われ、イルカは思わず言い返した。そう、あると言ってしまった手前、黙っているわけにもいかなくて。イルカは仕方ないと口を開く。
「俺には責任があるんです」
 その言葉にカカシは僅かに首を傾げた。責任?と聞かれ、イルカはため息混じりに、頷く。
「アカデミーは下忍になるまでの基礎を教える場所にしか過ぎませんが、彼らが任務を全うする忍びに育てる責任が俺にはある」
 言えば、ああ、とカカシは軽く頷いた。
 ああ、って何だ?
 聞いたから答えたまでなのに。
 丸で期待外れと言わんばかりの反応に、言わなきゃ良かったと後悔するが、カカシは怠そうに頭を掻く。
「それだけ?」
 言葉が出なかった。呆れて言葉がでない。だって、それだけって。呆然とした直後、頭にかあっと血が上る。
 言い返すべきじゃない。
 怒りのままに言葉が出そうになる。それを抑えようとイルカはぐっと拳を握った。手に血管が浮き上がる。上司や同期に咎められたのを忘れたわけじゃない。自分でも分かっている。自分の中忍としての立場なんて、ずっと前から分かってる。
 ただ、もしかしたら分かってくれるのかもしれない。
 期待した自分が馬鹿だった。それだけだ。
 我慢すべきだと、堪えようとすればするほどに、やり場のない苛立ちに頭の芯がちりちりと音を立てる。
 歯を食いしばって黙ってしまったイルカを一瞥したカカシは、背を向けた。その背中が見えなくなるまで。それまでの辛抱だ。
 我慢しろ。
 そう思ったのに。
 気がついたら、イルカは手を振り上げていた。手に持っていた買い物袋をカカシに目がけて投げる。
 それは、勢いよくぐしゃりと音を立ててカカシの背中に当たった。
「ふざけるな!」
 怒鳴るイルカの声が道に響き渡る。カカシはゆっくりと振り返った。明らかにむっとした顔をしているがそんなのは構わなかった。
 振り向くカカシをイルカは睨み、息を吸い込む。口を開けた。
「確かに俺は前線にも滅多に行かないし内勤ばかりだ。でもな、いつもアカデミーの入学の時に、生徒の親から頭を下げられるんだ。ちゃんとした忍びにして欲しいって。俺ら教師にそこまで望んでないだろうけど、生徒の後ろにはそう願う親がいるんだ。ナルトやサスケみたいに親がいない子供だっている。でも願わない親なんていない。だから、せめて親よりも長生きするように、そう思うのが俺ら教師なんだよ!」
 そこで言葉を切り、少しだけ驚いたような顔をしているカカシにイルカは再び口を開く。
「あんたら上忍に分かってもらおうなんて思ってない。でも、あんたが言う『それだけの為』に俺は毎日生徒と向き合ってるんだ!」
 俺より先に死ぬな。
 父親の最後の言葉が頭から離れない。九尾に里を襲われ、自分もなんとかしたくて。一緒に行くと言った自分に父親が口にした。何であんな事を言ったのか、言われた時は分からなかった。残るのは後悔ばかりで。でも、分かったのは何年も経ち自分が教師になった後だった。
 カカシのような忍びにとったら、どれだけくだらない事を口にしているのか分かっている。立場や場にそぐわない言葉だということも。
 だけど、それをわざわざ蒸し返すような事をしてくるカカシがあまりにも無神経で。
 言い終わった後、イルカはそのまま背を向けると、ずかずかと歩き出した。
 もしかしたら、いや、きっと追いかけてきて胸ぐら掴まれるか殴られるかすると思ったが。カカシは追いかけてこなかった。面倒くさい中忍は放っておくのが一番だと思ったんだろう。こっちは言いたい事を言えてスッキリしたんだ。これでいい。構うもんか。
 もうこれでカカシとは会うことも話すこともない。
 そう思ったのに。
 翌日、カカシはイルカの前に現れた。
 突然現れたかと思ったら、カカシに袋を差し出される。今度は何なのか。無視したかったがその手を一向に戻そうともしないカカシに、怪訝そうにしながらもイルカはペンをしぶしぶ置くと、袋を受け取る。中を見たら昨日自分が買ったはずの食材が入っていた。だが昨日カカシの背中に思い切り投げたのだから、音からして確実に卵や豆腐は大破したはずなのに。買ったばかりの形を保っていて、しかも卵も豆腐も普段買うものとは違うメーカーのもので。
「昨日のは俺が持って帰って使ったから」
 驚きに、え?と顔を上げれば、カカシと目が合う。
「ねえイルカ先生、一緒に飲みに行かない?」
 お礼を言うべきかどうか迷っていれば言われ、思わず上忍相手に、は?と聞き返していた。
 冗談じゃない。昨日の今日でなに言ってんだ。あの状況からなんで一緒に酒を飲みたいとか思うんだ。思うわけねえだろ。やっぱり上忍ってどっかいかれてんのか。
「結構です」
 ハッキリと断ったのに。カカシはその翌日も、そのまた翌日もイルカの前に現れた。

 ねえいいじゃない。
 俺奢るから。
 あんた今日は残業ないでしょ?

 ちょっと待て、これは一体なんなんだ。
 新たな嫌がらせなのか。
 そのしつこさは流石上忍というべきなのか。
 カカシが顔を見せる度に同期は緊張し始めるし女性職員は皆そわそわとするし。こっちは真剣に仕事に取り組んでいるのにそんな空気じゃなくなる事が気に入らない。
 何でこうなってしまったのか。
 困り果てながらもふと思い浮かぶのは。
 怒鳴りつけたあの時、カカシは驚いた顔を見せながら、こっちを今まで見ていたその冷めた目が、生気を帯びたような眼差しに変わったような気がした。
 そう、考えたくもないが、あの五秒の間にカカシの中で何かが変わったのだ。


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