カカイルワンライ「指先にくちづけ」

「ただいまー」
 鍵を開け部屋に入り、誰もいない暗い部屋でそう口にするのは自分の口癖だ。
 電気を付け、カーテンを閉めたイルカは鞄を置くとベストを脱ぐ。夕飯の準備に台所へ向かった。
 適当に夕飯を済ませたイルカは風呂に入る前に持ち帰った仕事をこたつのテーブルに広げた。夕飯の時に缶ビール一本開けたが、それだけで、煎れたお茶を飲みながら、仕事を進める。
 冬休み前に終わったテストの点数と今学期の成績を確認しながら、正月明けに行う授業の内容を何となくでも頭に入れておかねばならない。
 鉛筆を持ちながら紙面に向かう。ストーブに乗せたやかんの蒸気の吹き出す音が耳に聞こえる。黙々と手を動かすイルカの耳に聞こえたのは、玄関のドアノブを回す音だった。その音に反応して手を止め顔を上げると、扉が開き、ひょこりと顔を出したのはカカシで。イルカは驚きペンを机に置いた。
「良かった、まだ起きてた」
 イルカの顔を見てほっとしたように嬉しそうに微笑むカカシに、イルカは立ち上がる。
「カカシさん、任務だったんじゃ、」
 任務は明日までだと聞いていたから。そう言いかければ、うん、とカカシは素直に頷いた。
「早く終われたから寄ってみたんだけど、駄目だった?」
 テーブルに広げてある仕事へ視線を向けられ、聞かれてイルカは慌てて首を横に振る。
「いや、大丈夫ですよ。カカシさんこそお疲れでは?」
 イルカが聞き返すと、カカシは眉を下げた。
「大丈夫」
 高ランクの短期任務で里に帰ったその足でここに来てくれたのだ。疲れていない訳ないだろうに。カカシの気遣いに胸がそれだけで熱くなる。
「どうぞ、入ってください」
 言えば、カカシは嬉しそうに微笑んだ。

 俺とおつき合いするとか、どうでしょうか。
 一緒に酒を飲んだ帰り、何となくそんな会話の流れになって、そこから冗談ぽく、しかし冗談ではない内容を口にしたのは自分だった。
 里の誉れで、顔を隠していようがその顔立ちの良さは男の自分から見ても十分良く、どこをどう見ても申し分ない男、はたけカカシは、イルカの申し出に、少し驚いた後、恥ずかしそうに小さく笑った後、頷いた。
 女性の話題になっても、俺はずっと仕事ばっかりだから、と答えるカカシは、その通りで、自分が知る限りでは周りの女性に秋波を寄せられてもそれに応える事はなく、だから自分の告白に頷いてくれた事はすごく驚いたし、嬉しくもあった。
 カカシくらいの忍びであったら、寄ってくる女性はいくらでもいるはずで、遊んでもバチは当たらないんじゃないかとも思うのに、印象とは違う、真面目な人なんだと思った。
 ーーそう、印象とだいぶ違う。
 こんな風に、疲れていても顔を見せてくれるなんて。
 お茶を煎れながら、そんな事を考える。
 恋人が長い間いなかったのは自分もそうで。カカシとつき合う事になって、恋人同士ではどんな風にすればいいんだろうか、と思ったのは確かだった。ただ、互いに忙しいのには変わりはないから、こうして合う時間に顔を見せたり、会ったりするのは、一緒に飲んでいた頃と変わりはないけど。
 基本ずぼらでだらしない自分と違って、こうしてまめに会いにきてくれるカカシの方に甘えてしまっているのは確かだ。
 恋人が来てくれたのに、部屋着に半纏を羽織った格好は何ともだらしないとは思うが、そもそもちゃんとした服を持っていない。
 そんな事は気にしないのか、カカシは嬉しそうにイルカが煎れたお茶を啜る。そのお茶を飲む、何気ないカカシの横顔に見とれれば、その視線にカカシが気が付き不思議そうにこっちを見るから、イルカは慌てて視線を外した。その時、ふとカカシの横に置かれた袋が視界に入る。話を逸らすように口を開いた。
「それは何ですか?」
 聞けば、そうだ、とカカシは思い出したように湯飲みをこたつのテーブルに置き、袋へ手を伸ばした。
「ケーキ買ってきたんです」
 その言葉に少し驚いた。
 甘いものは好きではないと知っている。だから、え?と当たり前に聞き返すと、その意図に気が付いたのか、カカシは、ああ、と笑った。
「ほら、この前クリスマスだったけど、俺任務で会えなかったでしょ?」
 それは確かにそうだったが、自分も仕事で、そこまで気にしていなかった。不思議に思うイルカにカカシは続ける。
「どこで買ったらいいか分からなくて結局コンビニになっちゃったんだけど」
 ごそごそと開けるカカシは見つめるイルカの前で箱を開けた。
 そこには一つのショートケーキが入っていた。
「はい、先生にあげる」
 嬉しそうに差し出され、納得する。
 そして、それは俺の為に。
 クリスマスが過ぎてようが、カカシのその気持ちが嬉しくて。胸がじんわりと暖かくなった。
 苺が乗ったショートケーキを見つめる。
「・・・・・・俺、何も用意してなくて」
 申し訳なく言うと、カカシは小さく笑った。首を横に振る。
「いーんだって。俺も何かを誰かにあげるって初めてなんだから」
 それでも申し訳ないのには変わらない、だから、せめて、とイルカはカカシへ顔を上げた。
「カカシさんも一緒に食べましょう」
 付いていたフォークでケーキを差し、一口分をカカシに差し出す。
 いや、と素直に戸惑うカカシにイルカが、クリスマスケーキって一緒に食べるものじゃないですか、と腕を伸ばせば、そうなの?と驚くカカシに、それがカカシらしくて、イルカは笑った。
「そーいうもんです」
 僅かに開いたカカシの口にフォークに差したケーキを押し込む。イルカもまた自分の分を掬って一口自分の口に頬張った。
 久しぶりに食べた、生クリームとスポンジの甘さと苺の甘酸っぱさが口の中に広がる。
「あまっ」
 カカシの台詞に顔を向ければ、苦手だと言っていた通りの顔をしていて、自分の口に付いた生クリームを拭う、そのカカシの指をイルカは思わず掴み、軽く舐めた。
 こんな格好で、自分はむさい男で、色気なんてある訳ないのに、カカシが惚けた顔でこっちを見るから、そういうつもりではなかったのに、そんな気持ちがむくりと頭を擡げる。
 顔が近づけるカカシに、イルカもまた今更ながら緊張しながら、ゆっくりと目を閉じた。

<終>
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