カカイルワンライ「言葉」
昼飯を済ませたその足でイルカはアカデミーに戻り、廊下を歩く。
どこかの店で定食を食べてもよかったがそんな気分になれなくて、コンビニで買ったおにぎりとからあげを外で食べたのは、そもそもお財布の中も寂しかったからだ。
だったら弁当を作ってくる手もあったはずだが、朝に時間の余裕がない時点でそれはない。
両親を亡くしてしばらくは里の施設で暮らしていたのは一時期で。まあ、要は一人暮らしは長い方なのにも関わらず、生活能力はそんなに向上していない。だらしないなあ、と我ながら思うが一人暮らしである以上、誰にも文句は言われないから、それが気楽で変わることがない。
そこまで思って、いや、違うか、とイルカは心の中で否定の言葉を浮かべたのは、最近自分の中で変わる事がなかった環境が少し変わったからだ。
廊下ですれ違う生徒達に、走るなよ、と声をかけながら、自分は職員室に入ることはなく、その前を通り過ぎ、奥にある階段をさらに上る。取りあえずとばかりに張られた立ち入り禁止の張り紙を無視して、イルカは目の前の扉を開けた。
昨日までの雨が嘘のように広がった青空に目を眇めながら、イルカは屋上に足を踏み入れる。柵に両腕をかけながらもう既に散ってしまった桜の木を上から眺め、そしてポケットを探った。煙草を一本取り出すとマッチで火をつけ、そこから肺から煙を吐き出すと、それは吹く風に直ぐに運ばれていく。
アカデミーの建物の裏にも喫煙所はあるが、そこで吸わないのは見ての通り、一人で吸いたいからだ。普段から滅多に吸うこともないが、残業が続いた時や気分が滅入った時、思い出したように吸う。だから吸っても半年に数本吸うか吸わないか。その程度で本当にごくたまにくらいしか吸わないのに。それに気が付いたのは同僚でも上司でも、はたまた生徒でもなんでもない、上忍のはたけカカシだった。
「先生って煙草吸うんだね」
外で通りすがりに不意にカカシに言われ、ドキッとしたのを思い出す。
吸った直後でもないし、歯も磨いていたし。そんな匂ったか?と思わず自分の服の匂いを嗅いでいた。
とぼければ良かったものの、あれは失態だったなあ、と今思い出しても思う。忍びが煙草を吸うこと事態そこまで珍しくはない。カカシと仲がいい上忍師も吸っているのをよく見かける。それなのに、そんな事をわざわざ言ってきたのは、素直に意外だったからなのか。それともカカシが変わっているからなのか。
「そうなんだよなあ」
とイルカはため息混じりに一人ゴチながら頭を掻いた。
あろうことか、俺を好きだとか。
自分からしたら訳が分からなかった。
あの日だけではない、カカシがやたら自分に話しかけてくるとは思っていたが。先月、いつものように買った弁当を外でぼんやりと食べていたらそこにカカシがきて、隣に座ったかと思ったら告白された。冗談かと思ったら、それを読まれたのか、冗談じゃないからね、と念を押すように言われて。
この世界では同性同士もよくある話だったが、自分に関しては、万に一つもないと思っていた事だったのに。
それに頷いたのは、自分に誰かが興味を持ってくれるということが嬉しかったからなのかもしれない。自分でもだらしない男だと思うのに。どこに牽かれたのかは分からないが、誰かに好かれるというのは悪い気分ではないと思った。
ただ、そのカカシが、最近態度が素っ気ない。気がする。
何かカカシに言われた訳じゃないし、そんな気がするだけで。違うのかもしれない。
だったらそんなこと、本人に聞けばいいだけの話だが。
聞けないのは、それがなんでなのか分かっているからだ。
この前、一緒に外を歩いていた時、不意にカカシが自分の手に触れて、それに驚き反射的に手を振り払っていた。
「こういうのはちょっと、困ります」
そう口にしたのは、本当にそう思ったからだ。
だって、まだ外は明るかったし。商店街が近い道で、誰が通るか分からない。もし生徒やその保護者に見られたら。よくある事だと流してくれるような保護者だけではない。
カカシはいいのかもしれないが、俺は困る。
その気持ちを分かってくれるとばかり思っていたのに。
そう思ったら寂しい気持ちが胸いっぱいに広がって、イルカは心地良い春風が吹く中、誤魔化すように煙草を咥えたまま、その煙を深く吸い込んだ。
翌日、カカシは待機所にいた。
扉を開けて入ってきたイルカを前にして、カカシは小冊子から顔を上げると、ああ、先生、と眠そうな目でこっちを見て、変わらない反応を見せる。そこからカカシは視線を外した。
見た感じいつもと変わらない態度で、気のせいだと思いたくもなるが。その態度に傷ついている自分がいた。
いや、そうじゃないんだよな。
イルカはそんな自分に言い聞かせるように心で呟く。
そう、そうじゃない。
だって、気まずく感じてるのは、カカシではなく自分だ。
自分がそうさせた。
謝るのが一番いいのか。そうじゃないと弁明するべきなのか。
色々な言葉や言い訳が頭にぐるぐると浮かぶ。
都合がいいことに、待機所にはカカシ以外誰もいない。だから何か言わなきゃ。
任務予定表を握りしめたまま渡すことなくカカシの前に立つが。正直、こんな緊張した事はないというくらい緊張していた。
緊張と、不安と寂しいような悲しいような、口では到底言い表せないような感情に混乱しそうになる。だって、ろくに恋愛なんてしてこなかった。それがこの結果だ。カカシに歩み寄ったものの、立ち尽くしている。そんなイルカを不思議そうに見つめるカカシの前で、感じたのは他の気配だった。きっとその気配は上忍で、この待機所に直に入ってくる。そう思ったらイルカは焦った。そして口を開く。
「あのっ、もう、触ってくれないんですか?」
整理出来てないまま口に出た言葉に、カカシは眠そうな目を僅かに見開いた。
必死だった。
焦っていたのもある。
カカシの驚いた顔を見て、だって、とイルカは心の中で呟いた。
だって、そうじゃないか。
あれ以来、手を繋ごうとしなくなったじゃないか。
暗い夜道でも。こんな風に二人きりになったりしても。
自分は確かにああは言ったけど。
口に出した言葉は順番を間違えているとは思うが間違ったことは言ってない。
心の奥にあった気持ちが溢れそうになった時、カカシが笑いだした。
当たり前だが笑わせたくて言ったつもりはない。今の流れだったらどう見たってそうだろう。だけど、
「ホント、あんたには参る」
一頻り笑った後に、呆れたような困ったような感じでそう言われ、それをどう受け止めたらいいのか分からなくて戸惑うイルカに、カカシはこっちを見た。
「今更でしょ」
ソファに座ったまま、カカシは可笑しそうに言う。
その台詞にイルカはむっとした。だって、急に素っ気なくしてきたのはそっちじゃないか。
だから自分なりに色々考えたのに。
馬鹿らしくなってきた時、でもさ、とカカシは再び口を開く。
「ちゃんと俺の事好きなんじゃない」
嬉しそうな顔で言われ、その顔を見ながら気が付く。
カカシに好きだと言われ、戸惑いながらも受け入れた、つもりだった。それに対して興味を持ってくれているのが嬉しいとか、誰かに好かれるは悪い気分ではないとか、そういう言葉で自分の中で片づけようとしていたけど。
自分がどれだけ言葉足らずだったのか。
あれだけ生徒には相手ときちんと向き合えと言っているくせに。
カカシの嬉しそうな顔を見ながら、誰かを好きなると言うのはこういう事なんだと。
改めてカカシを見つめたら、その顔を見ただけでドキリとした。柔らかく優しげな眼差しでこっちを見上げている。
好き、という二文字に含まれた言葉の中にある単純なようで単純ではない、生々しい自分の感情に触れ、じわりと頬が熱くなった時、
「だからってそーいう顔がやめてよ」
カカシが恥ずかしそうに、困ったように笑った。
どこかの店で定食を食べてもよかったがそんな気分になれなくて、コンビニで買ったおにぎりとからあげを外で食べたのは、そもそもお財布の中も寂しかったからだ。
だったら弁当を作ってくる手もあったはずだが、朝に時間の余裕がない時点でそれはない。
両親を亡くしてしばらくは里の施設で暮らしていたのは一時期で。まあ、要は一人暮らしは長い方なのにも関わらず、生活能力はそんなに向上していない。だらしないなあ、と我ながら思うが一人暮らしである以上、誰にも文句は言われないから、それが気楽で変わることがない。
そこまで思って、いや、違うか、とイルカは心の中で否定の言葉を浮かべたのは、最近自分の中で変わる事がなかった環境が少し変わったからだ。
廊下ですれ違う生徒達に、走るなよ、と声をかけながら、自分は職員室に入ることはなく、その前を通り過ぎ、奥にある階段をさらに上る。取りあえずとばかりに張られた立ち入り禁止の張り紙を無視して、イルカは目の前の扉を開けた。
昨日までの雨が嘘のように広がった青空に目を眇めながら、イルカは屋上に足を踏み入れる。柵に両腕をかけながらもう既に散ってしまった桜の木を上から眺め、そしてポケットを探った。煙草を一本取り出すとマッチで火をつけ、そこから肺から煙を吐き出すと、それは吹く風に直ぐに運ばれていく。
アカデミーの建物の裏にも喫煙所はあるが、そこで吸わないのは見ての通り、一人で吸いたいからだ。普段から滅多に吸うこともないが、残業が続いた時や気分が滅入った時、思い出したように吸う。だから吸っても半年に数本吸うか吸わないか。その程度で本当にごくたまにくらいしか吸わないのに。それに気が付いたのは同僚でも上司でも、はたまた生徒でもなんでもない、上忍のはたけカカシだった。
「先生って煙草吸うんだね」
外で通りすがりに不意にカカシに言われ、ドキッとしたのを思い出す。
吸った直後でもないし、歯も磨いていたし。そんな匂ったか?と思わず自分の服の匂いを嗅いでいた。
とぼければ良かったものの、あれは失態だったなあ、と今思い出しても思う。忍びが煙草を吸うこと事態そこまで珍しくはない。カカシと仲がいい上忍師も吸っているのをよく見かける。それなのに、そんな事をわざわざ言ってきたのは、素直に意外だったからなのか。それともカカシが変わっているからなのか。
「そうなんだよなあ」
とイルカはため息混じりに一人ゴチながら頭を掻いた。
あろうことか、俺を好きだとか。
自分からしたら訳が分からなかった。
あの日だけではない、カカシがやたら自分に話しかけてくるとは思っていたが。先月、いつものように買った弁当を外でぼんやりと食べていたらそこにカカシがきて、隣に座ったかと思ったら告白された。冗談かと思ったら、それを読まれたのか、冗談じゃないからね、と念を押すように言われて。
この世界では同性同士もよくある話だったが、自分に関しては、万に一つもないと思っていた事だったのに。
それに頷いたのは、自分に誰かが興味を持ってくれるということが嬉しかったからなのかもしれない。自分でもだらしない男だと思うのに。どこに牽かれたのかは分からないが、誰かに好かれるというのは悪い気分ではないと思った。
ただ、そのカカシが、最近態度が素っ気ない。気がする。
何かカカシに言われた訳じゃないし、そんな気がするだけで。違うのかもしれない。
だったらそんなこと、本人に聞けばいいだけの話だが。
聞けないのは、それがなんでなのか分かっているからだ。
この前、一緒に外を歩いていた時、不意にカカシが自分の手に触れて、それに驚き反射的に手を振り払っていた。
「こういうのはちょっと、困ります」
そう口にしたのは、本当にそう思ったからだ。
だって、まだ外は明るかったし。商店街が近い道で、誰が通るか分からない。もし生徒やその保護者に見られたら。よくある事だと流してくれるような保護者だけではない。
カカシはいいのかもしれないが、俺は困る。
その気持ちを分かってくれるとばかり思っていたのに。
そう思ったら寂しい気持ちが胸いっぱいに広がって、イルカは心地良い春風が吹く中、誤魔化すように煙草を咥えたまま、その煙を深く吸い込んだ。
翌日、カカシは待機所にいた。
扉を開けて入ってきたイルカを前にして、カカシは小冊子から顔を上げると、ああ、先生、と眠そうな目でこっちを見て、変わらない反応を見せる。そこからカカシは視線を外した。
見た感じいつもと変わらない態度で、気のせいだと思いたくもなるが。その態度に傷ついている自分がいた。
いや、そうじゃないんだよな。
イルカはそんな自分に言い聞かせるように心で呟く。
そう、そうじゃない。
だって、気まずく感じてるのは、カカシではなく自分だ。
自分がそうさせた。
謝るのが一番いいのか。そうじゃないと弁明するべきなのか。
色々な言葉や言い訳が頭にぐるぐると浮かぶ。
都合がいいことに、待機所にはカカシ以外誰もいない。だから何か言わなきゃ。
任務予定表を握りしめたまま渡すことなくカカシの前に立つが。正直、こんな緊張した事はないというくらい緊張していた。
緊張と、不安と寂しいような悲しいような、口では到底言い表せないような感情に混乱しそうになる。だって、ろくに恋愛なんてしてこなかった。それがこの結果だ。カカシに歩み寄ったものの、立ち尽くしている。そんなイルカを不思議そうに見つめるカカシの前で、感じたのは他の気配だった。きっとその気配は上忍で、この待機所に直に入ってくる。そう思ったらイルカは焦った。そして口を開く。
「あのっ、もう、触ってくれないんですか?」
整理出来てないまま口に出た言葉に、カカシは眠そうな目を僅かに見開いた。
必死だった。
焦っていたのもある。
カカシの驚いた顔を見て、だって、とイルカは心の中で呟いた。
だって、そうじゃないか。
あれ以来、手を繋ごうとしなくなったじゃないか。
暗い夜道でも。こんな風に二人きりになったりしても。
自分は確かにああは言ったけど。
口に出した言葉は順番を間違えているとは思うが間違ったことは言ってない。
心の奥にあった気持ちが溢れそうになった時、カカシが笑いだした。
当たり前だが笑わせたくて言ったつもりはない。今の流れだったらどう見たってそうだろう。だけど、
「ホント、あんたには参る」
一頻り笑った後に、呆れたような困ったような感じでそう言われ、それをどう受け止めたらいいのか分からなくて戸惑うイルカに、カカシはこっちを見た。
「今更でしょ」
ソファに座ったまま、カカシは可笑しそうに言う。
その台詞にイルカはむっとした。だって、急に素っ気なくしてきたのはそっちじゃないか。
だから自分なりに色々考えたのに。
馬鹿らしくなってきた時、でもさ、とカカシは再び口を開く。
「ちゃんと俺の事好きなんじゃない」
嬉しそうな顔で言われ、その顔を見ながら気が付く。
カカシに好きだと言われ、戸惑いながらも受け入れた、つもりだった。それに対して興味を持ってくれているのが嬉しいとか、誰かに好かれるは悪い気分ではないとか、そういう言葉で自分の中で片づけようとしていたけど。
自分がどれだけ言葉足らずだったのか。
あれだけ生徒には相手ときちんと向き合えと言っているくせに。
カカシの嬉しそうな顔を見ながら、誰かを好きなると言うのはこういう事なんだと。
改めてカカシを見つめたら、その顔を見ただけでドキリとした。柔らかく優しげな眼差しでこっちを見上げている。
好き、という二文字に含まれた言葉の中にある単純なようで単純ではない、生々しい自分の感情に触れ、じわりと頬が熱くなった時、
「だからってそーいう顔がやめてよ」
カカシが恥ずかしそうに、困ったように笑った。
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