カカイルワンライ「試用期間」

 なんで。
 なんでこんな事になったのか。
 混乱している頭で考えても頭はますます真っ白になるばかりで。イルカは完全に狼狽していた。
 魔が差した。それが一番表現としては合っていた。
 仕事が早く終わったのは久しぶりだった。
 明るいうちに帰れるって素晴らしい。なんて清々しい気持ちで家に帰り風呂に入って夕飯を食べながら酒を飲んで。だらだらと居間でテレビを見ていた時にどうてもいい恋愛ドラマが始まる。それを見ていたら、思い出したのはカカシだった。 
 恋愛ドラマのようなロマンティックな状況でもなんでもない、恋人にフラれ居酒屋で酒が入り過ぎてトイレで吐いている時にたまたまそこに居合わせたカカシが背中をさすりながら、俺にすればいいじゃない、と口にした。
 こんな時に言うなんて質の悪い冗談としか思えなかったが、まあ上忍なんてそんなものかと割り切って介抱してくれた事に礼を言い、言われた言葉は流したが。カカシは流すことはなかった。
 その後もどういうつもりなのか分からないがしつこいくらいにカカシのアピールが続いて、そもそも時々酒を一緒に飲む程度には仲が良かったのもあったしカカシの本心が定かじゃないが上忍にそこまで言われて相手にしないわけにもいかなくて。友達からなら、と湾曲的な表現ではあったがカカシの気持ちを受け入れた。
 そう、受け入れただけでそこから何も始まっていない。 
 なのに、テレビを見ながら不意に思い出したのはカカシで。そこからこんな気分になったのは久しぶりだった。
 普段だったら、こんな場所ではしない。
 電気も消さずにそのまま下着の中に手を入れた。昔友達に貸してもらったアダルトビデオではよくこんな事もしたが。今この状況で浮かんだのはあろうことかカカシの顔だった。
 だってあの木の葉を誇る写輪眼のカカシが自分の恋人とか。ちょっと今考えただけでも信じられない。あの女たらしと紅が言うくらいのモテ男がなんで俺なんかを好きなのか。
 まあどうせその時の気分とかそんなものなんだろうが。
 明日には帰ってくるんで。
 自分を呼び止めてカカシがそう口にした。
 内勤の自分とは違い、下忍の部下を持っていてもカカシは戦忍だ。任務の要請があればそれに従う。
 プライベートの関係を除けばカカシと自分は上官と部下だ。高ランクの任務で里を出るカカシに、分かりました、と表情固く頷くイルカに、カカシは顔を近づけたと思ったら口布を下げる。自分と唇を重ねた。
 元々カカシの素顔は一緒に飲むようになってからは知っていた。でも、その薄い形の良い唇が自分の唇に触れたのは初めてだった。
 経験がないわけじゃないのに、あのカカシの唇の柔らかい感触が忘れられない。
 直で感じたカカシの息づかいや、間近で見たカカシの顔が閉じた瞼の裏に鮮明に浮かぶ。
 あんな風にさらりとキスするとか、それだけで同じ男としてすげえと思わざるを得ないのに。もっと深く口づけたら、どうなるんだろうか、とか。
 上下に扱くと手のひらで包みこんでいるそれはどんどんと充血して固くなる。頬が熱くなった時、
「わ、すっごい」
 真後ろで聞こえた声にイルカの体がビクリと大きく揺れた。
 心臓が止まるかと思った。
 だってそうだろう。
 ここはどこでもない、自分の部屋だ。玄関は鍵がかかっていて、この部屋の窓だって締めてありカーテンも引いてある。そこまで思って寝室の窓は締めてなかった事を思い出した。
 失態だ。
 いやいや違うだろ。全ての自分の行動を肯定して、非難すべき相手へ顔を向けながらも反射的に前を隠そうとしたその手をカカシは掴んだ。
「なんでやめるの?」
 耳元で囁くカカシの声に動揺が広がる。必死でカカシの腕を解こうとしたが、それ以上の力で封じ込まれた。
「なんで、って、」
 当たり前だろう。何言ってんだ。
 抵抗したくて出た声が引き攣る。
 こんなところ、見られたくない。羞恥にどうにかなってしまいそうだ。
 それなのに、カカシはイルカを後ろから抱き込んだ。
「こんな楽しそうなところ見せておいて、最後までしないなんて言わないでよね」
 耳に息を吹き込まれたからなのか、その台詞のせいなのか。面白そうな口調で言われているのに、背中がぞくぞくと甘い痺れが走った。
 でも、何を言われても出来るわけない。
「ほら、手伝ってあげるから」
 カカシの手が自分の止まってしまった手に重なる。上下に動かされ、ひっ、と思わず息を呑んだ。駄目だと抵抗したくても、ゆるゆると動かすその手は止まらない。自分のものではない手に触れられるのは初めてでそのなんとも言えない感覚に勝手に息が上がる。
 最悪だ。
 最悪だ。
 最悪だ。
 逃げ出したいのにそれさえ許されなくて。
 ふっ、ふっ、と息を漏らしながら目の前に広がる光景を追い出したくて目を閉じても、この現実からは逃れられない。それを示すかのように閉じようとする脚を自分ではない、カカシの手が塞いだ。すごい、とカカシが熱っぽく囁く。
「・・・・・・ホントは最後までしちゃいたいけど、俺たちまだ試用期間だもんね」
 その言葉は、血が上りながらもぼんやりとし始めたイルカの頭にしっかりと届く。
 友達からだからと、お試し期間を設けたのは自分だ。
 どうせきっと遊び半分だから。
 すぐに飽きるだろうと。そう高を括っていたのに。
 まだそこまで一緒に過ごしていないのに。
 気がつけば、自分の心の中はカカシに染まっていた。
 触れたくて。
 触れて欲しくて。
 最悪なのは、こうされてる事じゃなくて。
 このもどかしい気持ちだ。
 自分の気持ちを素直に認めた途端、欲望が溶けだしたように体の奥がかあ、と熱くなる。
 カカシさん。
 震える口を開き、名前を呼ぼうとした時、後ろから抱き込んでいたカカシの腕に力が入る。
「好きだよ、先生」
 耳の奥に熱い息を吹き込まれイルカの背中が小さく震える。その瞬間、カカシの手のひらの中に熱いものをイルカは放った。


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