カカイルワンライ「倦怠期」

「悪いねサクラ」
 手際よく書類を纏めていれば声がかかり、サクラはその手を止めることなく微笑んだ。
「いいえ、全然。ここんところ病院に詰めてばっかりなので、気分転換になります」
 でも私じゃ大したとこ出来ないですが。
 そこまで言って顔を上げると、机の前に座っているカカシが苦笑いを浮かべた。
「いや、そんな事ないよ」
 火影であるカカシがそうは言ってくれても、実際医療忍者としての自分がここでやれる事なんて限られている。シズネを借りたいと綱手が言った時に他に手が空いている者が直ぐに見つからなかったのだから、仕方がない。たまたま自分のスケジュールが空いていたというのもあるが。だからと言って誰でも構わず執務室で作業をする事など出来ない。快く承諾してくれたのは、カカシが自分を信頼してくれてるからだ。
 カカシの笑みを受けて、サクラは再び視線を手元に戻した。
 でもまあ、事務作業なんててんで向いてないが。
 サクラは慣れないながらも、シズネに言われたままに積まれた書類を手際よく仕分けていく。管理部から回ってきたものだけなら仕分けるのも楽だが、一部は管理部を通していないものもある。アカデミーや病院など、個々に独立しているのは機能しやすいからだ。以前は独立している部署はなかった。それを変えたのはカカシだ。不都合さよりも風通しの良さを取った事でアカデミーも病院も、働きやすくなったのは言うまでもない。書類を仕分けるのが大変なだけで。
 サクラは書類の束からアカデミーの書類を手に取る。最終的な承認印を捺すのはもちろんカカシだが。右下に捺されたアカデミーの確認印が並ぶ中、そこにイルカの名前を見つけた。
 イルカが主任になったと聞いたのは本人からではなく、ナルトからだった。じゃあ悪戯した生徒を追いかけ回す姿を見られなくなるのかと寂しく思えば、主任になったからと言っても変わらず担任を持つ事を聞き安心して。そこで自分がイルカに対してどんなイメージを持っていたかを知る。自分も成長し、イルカよりも上の階級に就いていようが自分の元恩師である事に変わりない。ナルトだけではない、イルカの教えが自分たちの基盤になっている。何かする度、何かにぶつかる度に思い出すのはイルカの顔や言葉だ。
 すごいなサクラは。
 課外授業で一人で薬草を摘んでいる時、やっと見つけた薬草をイルカに見せに行ったら、笑って頭を撫でられた。
 イルカにとっては何でもない一言だったかもしれないけど。あのくしゃりと笑った顔と大きな手のひらとはサクラの記憶に今でも鮮明に残っている。
 生徒だった頃は元気でいっつも生徒を追いかけ回している先生のイメージが強かったが。卒業して成長した今だから分かる。キザったらしい言葉を言われるより、いつか向けられたあの笑顔と共に褒められたら、嬉しくない女性はいない。優しくておおらかでいつも笑顔で子供達に囲まれている。まあ、たぶん。モテるんだろうなあと、そう思うのに。
 イルカが選んだのはカカシだった。
 本人達から聞いたわけではないが、女の勘と言うよりは見ていれば分かる。それはきっと、周囲も同じだろう。
 それを裏付けるように、幾度となく二人の仲睦まじい姿を目にしてきた。それはつい最近ではく、自分がカカシの部下だった頃から。
 視線を上げカカシを見れば、山のように積まれた書類に囲まれながら机に縦肘をつき、静かに書面に目を落としていた。飄々としていて何考えてるのか分からない。最初上忍師となったカカシと顔を会わせた時からそうだった。イルカとは何もかもが違う。そんな二人がつき合っているとはとても思えなかったんだけど、カカシがイルカにふとした時に見せる眼差しが、他の人に向ける眼差しと違うことに自分でさえ分かった。
 どんな女性でも落とせそうな色男のくせに。
 もちろんカカシも自分の恩師だが。恩師のイルカを取られてしまったような感覚はなんとも言えない。
 昔はよく二人が並んで歩いているのを見かけたが、カカシが火影になってから見かける事はほとんどなくなった。いつからなんて知らないが、きっと長い付き合いなんだろう。
 カカシの涼しげな目元を見ながら、カカシ先生、と昔と変わらない呼び方をすれば、ん?と返事をしながら縦肘を解き、その色違いでない双眸をこっちに向けた。
「倦怠期だったりします?」
 過去その話題に触れた事もないくせにそんな言葉をカカシに投げかけると、眠そうな目を僅かに見開くが、直ぐにその目を和らげる。
「どうだろうね」
 曖昧な返事なのに。今度はサクラが逆に目を丸くしていた。細められた目とその表情は全てを物語っていて、勘がいいばかりにどんな風なのかなんて嫌でも分かるから。自ずと白い頬が桜色に染まる。
 自業自得だが、まんまと当てられた。
「休憩してきます」
 聞いたこっちが馬鹿だったと立ち上がり部屋を出ようとした瞬間、ノックと共に扉が勢いよく開く。
「お、サクラか」
 顔を出したイルカがサクラを見てにこやかに笑顔を浮かべた。
 元気そうだな。
 イルカはどこで会ってもこの笑顔を見せてくれる。それが嬉しいのに。さっきの今で、タイミングが悪いと言えばいいのか。イルカの顔をじっと見つめるその表情に気がついたのか。いつもと反応が違うサクラに不思議そうな顔をするイルカに、
「ごちそうさまです」
 イルカに向けてそう口にして。サクラはさっさと執務室を出る。
 扉を閉めた数秒後に、
「は?・・・・・・えっ・・・・・・え!?」
 動揺したイルカの声が扉越しに聞こえた。あの口調からすると、イルカの顔はきっと真っ赤だ。
 矛先はカカシに向けられるんだろうなあと思いながらも、思わず零れたのは幸せな笑いだった。
「さ、休憩休憩」
 呟きながらくるりと向きを変えたサクラは背伸びをすると、ゆっくりと廊下を歩き出した。
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