カカイルワンライ「動悸」続き②

 一面に畑が広がる景色を眺め歩きながらイルカは額に滲む汗を手の甲で拭った。梅雨の合間の晴天は気持ちがいいが、湿度も気温も上がり蒸し暑い。拭いてもすぐにまた汗が滲む。でもまあ、じっと机に向かって仕事をしているよりはずっといい。気持ちのいい青空を仰ぎながらイルカは足を進めた。
 大きな農家の家まで来たイルカはいつものように玄関の戸を叩くでもなくそのままガラリと開け、こんにちは、と声をかけた。ここだけではない、近隣の農家もしかり、日中鍵がかかっていないのはいつものことだ。声をかけてしばらくして奥からここの農家のおばさんが顔を出す。
「あらイルカ先生」
 イルカの顔を見て笑顔を見せるおばさんにイルカも笑顔を浮かべぺこりと頭を下げた。
「これ、よかったらどうぞ。葛まんじゅうです」
 手に提げていた紙袋を差し出すと、おばさんは、あらまあ、と声を出しながらも受け取る。
「いつも悪いわねえ」
 言われてイルカは首を横に振った。ここ一帯の地主でアカデミーの子供達の為に近くの山や広い土地を貸してくれたり、下忍になったばかりの子供達のために一年を通して農作業など色々な任務依頼を提供してくれる。それは里にとっても、イルカにとっても有り難いことだった。受付業務の一環に過ぎないが、挨拶周りは欠かせない。
「せっかくだからお茶でも飲んでって」
 これもいつもの流れだ。断っても、いいからいいから、と勧められるから。ありがとうございます、とイルカは礼を口にしながら頷いた。
 通されるままにイルカは家の中には入らずそのまま玄関を出て庭の縁側に向かう。手入れの行き届いた庭を横目に縁側へ視線を向け、そこにいる人影にイルカは思わず足を止めた。
 カカシがその庭の縁側の隅に立っていた。
 ぎょっとした。同時に、え、なんで。の言葉が頭に浮かぶ。過去どこかの農家でカカシを見かけたことなんか一度もない。
 それが顔に出たかどうかは分からないが、こっちを見たカカシは別に驚くわけでもなく、どーも、と口にしたから、イルカも慌てて会釈をする。
 その時、部屋の奥から麦茶を入れたグラスをお盆に乗せたおばさんが顔を見せた。
「今ちょうどこのはたけ先生が子供達を連れてきているのよ」
 何のことはないとおばさんは説明する。それを早く行ってくれよと思うものの、説明されたところでここでお茶を飲むことには変わりないのだから意味がない。しかし、ああ、そうか。とイルカは改めて理解する。七班も一番ランクの低い任務にあたっているのだから、ここの任務を引き受けていてもおかしくはない。
「はい、どうぞ」
 麦茶が入ったグラスを縁側に置かれ、イルカは礼を口にして縁側に座ったが、カカシは、どうも、と小さく返事をするだけでその場から動かなかった。
 それを見て、はたけ先生はさっきもそうだったんだけどねえ、とおばさんはため息混じりに口を開く。
「この炎天下の中じっと動かず子供達を見てるからびっくりしちゃってね。ほら、子供達の作業しているところは大きな木があったりするから木陰になるからいいんだけど。だからこっちで休んだらって声かけても、大丈夫です、って動かなくて」
 おばさんはそこで言葉を切って軽く肩を竦める。
「まあ忍者だからきっとそういうのは大丈夫なんだろうけど、倒れるんじゃないかって見てるこっちは心配になるじゃない」
 困った顔をするおばさんにイルカは聞きながら、はあ、と頷くもそれがカカシのやり方だと言われたらそれまでだった。ただ、ナルトからは、やたら遅刻をするだのエロい本をずっと読んでるだの、そんな話ばかりを聞いていたから内心驚く。元々カカシは周りと比べたらきっと口数は少ない方で、そこまで表情も顔には出さない。自分のように素直にお茶を飲んで世間話までしていく人間と比べたら、おばさんとしたら気にもなるだろう。
 まあ色々よねえ、と言いながらおばさんは立ち上がり奥の部屋に戻っていく。イルカはグラスを傾けながらカカシへ視線を戻せば、同じ場所で立ったままナルト達がいるだろう場所をじっと見ていた。
「今日はナルト達は農作業だったんですね」
 声をかければ視線は遠くへむけたまま。ええ、とカカシから短い言葉がだけが返ってくる。カカシを里のどこかでちらほらと見かけることがあったが、こんな風に顔を合わせるのはたぶんあの定食屋で相席した以来だ。そこで会話は終わりだろうと勝手に思っていれば、ふとカカシの目がイルカへ向いた。
「先生は?」
 確かに勤務時間に任務でもない用事でこんなところに顔を出すのはカカシにとったら不思議なのだろう。受付業務の挨拶周りです、と返せば、へえ、とカカシは少し関心を示したような感じで頷いた。大変だね、とまた短い言葉がカカシから返される。その大変という言葉にどんな意味が含まれているのかはカカシの表情からは読みとれないが。ええ、まあ、と返してイルカは麦茶の入ったグラスを傾けた。
 午前中といえど気温が高いから日陰にいても肌で感じる風は熱風に近い。でも額に汗を浮かばせている自分とは違い、こんな暑さにも関わらず口布をしていようが、カカシは汗一つ掻いていないようにも見える。なんか暑くならないコツでもあるのだろうか。そう思いながら麦茶を口にして、さてもうおいとましようかと思った時、再び部屋の奥からおばさんが姿を見せた。
「ちょうど冷えたのがあったから食べて」
 皿に乗せられていたのは西瓜だった。流石にそこまでしてもらうのは申し訳ないと、いや、大丈夫ですので、と腰を浮かせるイルカにおばさんは、いいのよ、と盆ごと縁側に置く。
「それに、まだたくさんあって。困ってたくらいだから助けると思って食べてちょうだい」
 子供達の西瓜もちゃんと冷蔵庫にあるから。
 そう言われたら断れない。ありがとうございます、と礼を言えば、いいのよ、と嬉しそうな顔をしておばさんは再び奥の部屋へ戻っていく。
 当たり前だが縁側には皿が二つあり、そこに西瓜がそれぞれ置かれていた。言うまでもなく自分とカカシの分だ。カカシは出された麦茶にさえ手をつけていないが。西瓜もこのまま食べるつもりはないのだろうか。そう思ったら、イルカはカカシに声をかけていた。
「食べたらどうですか」
「いや、いい」
 なんとなく予想はしていたものの、イルカはカカシの素っ気ない返答に面食らう。どうしようかと思うが、そうですか、と放っておくわけにもいかない。困りながらもイルカは再びカカシへ顔を向けた。
「しかしこれは任務を依頼した方の好意なんですから。冷たいうちにいただきましょう」
 言えば、青みがかった目がこっちを向く。
「俺も食べますから」
 一押しには足りないが。そんな言葉を追加すれば、しばらくの間の後、カカシがようやくその場から動く。イルカと同じように縁側に腰掛けた。また素っ気なく断られるとばかり思っていたから。自分で促しておきながらも素直に座ったカカシに驚く。
 食べると言った手前、自分も食べないわけにはいかないから、イルカは大きくくし切りにされた西瓜を手に取った。おばさんが言った通り、西瓜は十分に冷たい。わくわくした気持ちになるのは、実は自分は西瓜が好きだからだ。どの果物も好きだが、夏の季節が好きなのもあるのだろうが、子供の頃から西瓜は特別なものを感じる。
 ただ、梅雨が明けていないこの時期はまだ八百屋に出回っておらず値段も高い。だから買うのはもっと安くなってきてからだ。
 こんな時期に食べれるなんて。
 嬉しい気持ちを抑えつつ、西瓜の真ん中を一口食べる。途端口の中に広がる甘みと西瓜特有の瑞々しさに思わず感動さえ覚える。その美味しさにイルカは内心唸った。
 幸せだ。
 そのまま何口か食べ進めながら、隣に座っているカカシへふと視線を向けると、カカシはちょうど西瓜を手にしたところだった。口布を人差し指でゆっくり下ろすと、同じ様にちょうど真ん中辺りをぱくりと食べた。きっと甘みが口一杯広がっているだろう。そう思っている間にも、カカシはまた口を開け再び食べる。以前食堂でも見たその形のいい薄い唇を開けば少しだけ白い歯が見え、赤い西瓜にかぶりつく。食べる度にしゃくしゃくと音が聞こえた。そして瑞々しい西瓜に濡れた唇を、舌で軽く舐める。
 気がついたら目が釘付けになっていた。ただ、西瓜を食べているだけなのに。
 こっちから見るカカシは横顔で、少しだけ俯き伏せた銀色の睫毛が見える。ゆっくりと口を開き、食べるその口は自分と同じなのに、目が離せない。
 気のせいだと思いたかった。この前食堂でカレーを食べているのを見た時も、ただカカシが食べる姿が珍しいからだと、そう思っていたのに。
 心音が早くなり、暑いからではない、カカシの食べる姿を見ているだけで別の暑さで身体が熱くなるが分かる。
「どうかした?」
 気がつけばカカシがこっちを見ていた。濡れた口元を軽く指で拭う。その仕草さえ見つめていれば、カカシは不思議そうに首を傾げた。
「食べないの?西瓜」
 そこで我に返る。カカシのいつもの眠たそうな目がじっとイルカを見つめていて。それにまたドキッと心臓が鳴る。
「た、食べますっ、もちろん食べますっ」
 大きな声が思わず自分から出ていた。なにやってんだ、と自分に突っ込みながら、イルカはかぶかぶと西瓜を食べ始める。あんなに美味しかった、いや、今も美味しいとは思うがそれどころじゃなくて。
 いや、違う違う違う。何でもないこれは何でもない。
 そう。何でもないと思っていた。いや、思いたかった。でも汗のように滲み始める感情はもはや誤魔化しきれない。でもそれを抑え込みたくてただ食べ続けるしかない。
「あら、先生。いい食べっぷりだねえ」
 奥からおばさんが顔を見せる。
 必死に食べるイルカを見て、嬉しそうに笑った。
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