宣戦布告

「おい、見ろよ」
 休憩時間に受付の建物の外にある喫煙所で煙草を吸っていたら、同じようにそこで休憩していた同期に声をかけられ、んー?と返事をしながらイルカは顔を上げる。
 言われた先に目を向けると、そこにいたのはシズネとマントに身を包んだ火影だった。五代目の頃から言われるままに事務仕事やら所用をしていたからか、一緒に歩いているのは砂隠れの里の使いの者だと直ぐに分かる。他国も然り、大戦後からの交流は良好だ。それは綱手はもちろん、火影であるカカシの尽力に他ならない。
 和やかに会話をしながら復興を終えた里の中をカカシ達は歩いている。その様子をイルカか煙草を咥えながら眺めた。


 忙しいなら無理に来なくたっていいんですよ。
 昨夜、ベットの上でそう口にしたのは自分で、当たり前だがカカシを労う為に言った。
 ナルトたちがまだ下忍になったばかりの、上忍師の時代から既に忙しい人だったのは知っている。それは、カカシが誰よりもその能力を買われ、里に必要とされていたのだから当たり前だ。
 彼がいなければサスケも然り今のナルトはいなかっただろうし、この里の平和はなかった。もちろんカカシ一人だけの貢献でこうなったわけではないが、カカシがいるいないではこの光景もかなり変わっていたんではないかと思う。
 まあ要は、火影になった今もカカシは忙しい。それなのに、勤しんでと言ったら語弊があるかもしれないが、頻繁に顔を出さなくても、と流石に思うのは当たり前だろう。
 そして、寝しなに起こされるのは今日始まった事ではないが。寝てても良かったのに、と言われても、同じ布団に潜り込まれて元々それだけの関係でそれ目的でこの部屋に足を運んできたくせに。何言ってんだとカカシの台詞に呆れながらもカカシの首に腕を回した。眠たかったが、多少疲れていようが出すものを出すとスッキリするから、そこに異論はない。ないけど。
 別にそこまでじゃないよ。
 何でもないような口調で返されたから、イルカは思わず笑った。カカシの仕事に直接携わってるわけでもない自分さえ分かる忙しさなのに忙しくないわけがない。
 でもそれを敢えて口にするのは馬鹿らしく感じて口を閉じると、そうですか、と呟いてイルカはゴロリと身体を動かして向きを変え起き上がる。
「まあ、俺は別にいいんですけどね」
 言いながら、イルカはガラリと窓を開けた。
 汗をかく事をしながらも窓を開ける事が出来なかったのだから仕方がないが、実際、終わったのにも関わらず部屋の中は蒸し暑くて汗がひくどころかじわじわとまた汗をかき始めている。すっかり秋らしくなり気温が下がった夜風に肌を冷ましながら煙草に火をつければ、冷たいなあ、なんて背中にカカシの声がかかるから、何言ってんですか、とイルカは軽く笑った。
 冷たいもなにも、ちゃんと相手しましたし、なんなら満足もしたんじゃないんですか?
 ついさっきまでの激しい運動が、充実してなかったなんて言わせない、とそんな顔を向けるとカカシは多少不満そうな顔はするものの、ベットに寝転びながら、まあねえ、と認める言葉を口にする。そんなカカシを横目で見ながら、イルカは視線を窓の外に戻した。
「先生は満足した?」
 聞かれてイルカは暗闇に視線を漂わせる。漂わせながら、しましたよ、と短く答えた時、腕を掴まれる。顔を向けるとカカシと視線がぶつかった。
「ホントに?」
 ついさっきの間延びした返事をした時とは違う少しだけ真剣にも見える表情に、真っ直ぐ見つめ返した後、イルカは口元に笑みを浮かべる。
「本当ですよ」
 だからさっさと寝ますか。
 にこりと笑って煙草を消すと、カカシの横に寝転んだ。


「あれ、すげー美人」
 同期の声にイルカは我に返る。
 シズネ達が案内している砂隠れの里の数人の一番後ろを指差している。カカシと並んで歩いていた。
 向こうの上忍だろうか。遠目じゃ分からないがくノ一なのには間違いがない。
「見合い話も相当あるって言うし。よりどりみどりで羨ましいよな」
 うちの火影様は
 付け足した言葉は皮肉も含んでいるんだろうが。実際、同期の言葉は嘘じゃなかった。里の長であればこそ必要とされ望まれる事が増えるだろう。
 くノ一に柔らかな笑みを向けるカカシを見つめながら、だよなあ、とイルカは独り言のように呟く。そこから煙草を灰皿に揉み消すとイルカは仕事に戻るために建物の中に戻った。


 仕事を黙々とこなして溜まった報告書をまとめて束にする。低ランクの報告書とはいえ火影が目を通さない報告書はない。綺麗に纏めた束を奥の棚に締まい、残りの書類を持ってイルカは席を立った。
 ついでにと同期から渡された書類も受け取って、部屋を出たイルカは書庫室に向かう為廊下を歩く。反対側から歩いてきた人影に顔を上げれば、ついさっき見た顔が目に入った。シズネが先頭に立ち、説明をしながら歩いてきている。きっとこの先にある受付へ向かうのだろう。イルカは邪魔にならないよう足を止めて、頭を下げた。歩いてきた人達が通り過ぎ、さっき見たくノ一も、カカシも通り過ぎる。
 歩き出そうとしたところで、先生、と声がかかり呼び止められ、イルカは足を止めた。
 顔を向けるとカカシがこっちを見ていた。
「今から受付に行くんだけど、先生はすぐ戻って来れそう?」
 カカシに聞かれて、ああ、と口を開く。
「生憎書庫室以外にも立ち寄るところがありまして。用があるんでしたら受付に他の者もおりますので」
 その通り、書類を別の部署にも提出しなければならないから。説明すれば、カカシは銀色の頭を掻いた。そう、と相槌を打つ。
「先生が良かったんだけどな」
 残念そうな口調に、イルカは視線を下にずらした。
 まあ、同期よりも受付の仕事を長くやっているのは確かだが。説明をする分には何の問題もない。それは、それなりに受付に顔を出しているカカシが一番良く分かってるはずだ。
 イルカは視線をカカシに戻す。
「ご期待に添えず申し訳ありません」
 にこりと微笑むとイルカは会釈をして背中を向けた。
 さて、受付が混み出す前に戻らなきゃいけない。これをファイルして後は管理部に書類を回して最後にアカデミーに寄って明日に必要な資料を確認して、
 頭の中で整理しながら歩き始めた時、腕を掴まれ段取りを浮かばせていた思考が止められる。振り返れば、ついさっき通り過ぎたはずのカカシが目の前にいたから、驚いた。
 驚くのは当たり前だ。だって、カカシは今一人ではない。廊下の向こうへ目をやれば、シズネを始め、視察している砂隠れの里の使いも近くにいて。そんな中、自分をわざわざ呼び止める用事があったのか。直ぐには思い浮かばないが、自分が失念していただけなのか。
「なにか、」
 そう言いかけるイルカの前で、カカシは腕を掴んでいた手を離すと、その手で今度は肩を押した。強く押されて歩み寄られ、困惑する間も無くカカシは支給服の上に羽織っていた火影のマントを片腕で広げる。自分とイルカを隠すようにしたまま、壁まで詰め寄った。
 困惑していた。
 逃げようにも、背中は壁で周りはカカシに寄ってマントで囲われていて。
 何だ、これ。
 理解できなかった。
 目の前にカカシがいる事も。
 マントで隠された状況も。
 いや、できるわけない。
 だって。いきなり。
 なんで、こんな、
「何で怒ってるの?」
 耳に入ったのは紛れもない、カカシから出た言葉で。耳を疑った。
 唖然としながら、カカシの台詞を頭の中で繰り返す。
 眉を顰めていた。
 怒る?
 俺が?
 自分は仕事をしているだけで、書類を仕舞い、届けなければいけないのも確かだ。
 怒っているからでもなんでもない。
 カカシにこんな風に聞かれるような、怒るような仕草はもちろん、表情をした覚えもない。
 何を根拠に言い出すのか。
 分からなくて、イルカは小さく笑い、カカシを見つめ返す。
「俺は別に、」
「怒ってるじゃない」
 ずっと。
 真っ直ぐ目を見つめ、カカシが言う。
 茶化しているわけでもない、被せたカカシの言葉を聞いた途端、ぞわりと鳥肌が立つような感覚に襲われ、イルカはカカシを見つめ返しながら口を結んだ。返す言葉が出てこない。
 凪いだ海のように静まり返っていた心が、逆撫でされ始める心地に視線を落とす。
 ───そうだ。
 俺は。
 ずっと怒っていた。
 ずっと、ずっと。
 カカシに怒っていた。
 この関係を。
 ナルト達を理由にし、傷の舐め合いから始まったことも。
 断れば良かったのに。
 それを受け入れた自分にも。
 形のない呼び方もない関係を。
 何もかもに怒っていた。
 湧き上がる怒りを心の隅に押しやって、蝕む心は気のせいだと思い込むようにして。
 何でもないように振る舞っていた。
 心の内は、しんと静まり返っていたはずなのに、カカシに突きつけられた事実に、じわじわと波立ちそうになり、それが許せなくてイルカはぐっと奥歯に力を入れる。拳を握った。ゆっくりと視線を上げ、小さく笑いをこぼす。
「……だったらなんだって言うんですか」
 カカシを見つめる。
「別にいいでしょう?あなただって俺と同じように、」
 言いかけた言葉を止めたのは、カカシが目の前で自分の指を口布にかけたからだった。
 目を見張るイルカの前で、カカシは口布を下ろす。
 ギクリとした。
 心臓が変な音を立てた後、徐々に心拍が速くなる。
 動揺を必死に抑えながら素顔を晒したカカシをじっと見つめる。
 カカシがマントで覆っているのだから、カカシの素顔も、自分も周りの視界から遮られてはいる。
 でも。
 側から見たらどんな風に映っているのか、いやでも想像出来る。
 馬鹿らしい。
 とんだ茶番だ。
 茶番に決まってる。
 なのに。
 動揺が止まらない。
 だって。
 言ったはずだ。
 この関係を始める時に。
 キスだけは、絶対に、
 ゆっくりと近づくカカシの顔にイルカは咄嗟に口を開く。
「しないって、」
「俺はしたい」
 触れる直前にカカシはハッキリとそう口にした。
 イルカの唇を塞ぐ。
 今まで、あんなに体を繋いできたのに。
 一度も唇を重ねたことはなかった。
 過去、幾度となく肌に押しつけられてきたカカシの暖かくて湿った唇が、今は、唇に触れていて。それがイルカの唇からゆっくりと離れる。
 薄く開いたままの口を、イルカは僅かに震わせた。
 絶対に有り得ない。
 俺たちは今まで通りに、これからも。
 何でもない関係を続けるんだって。
 いや、そんなのはどうでもいい。
 ただ、言えるのは。

 やっちまった。

 野次馬どころじゃない。
 火影がマントの中に人を入れて。
 見えなくても誰だって想像する。
 一体あの二人は、何をしているのか。
 顔が熱い。
「やっぱり、……アンタ馬鹿だろう」
 恥ずかしさに耐えられなくなって苦し紛れに火影相手にカカシを睨んで言えば、なんのことはないと、表情を崩す。
「うん」
 眉を下げて笑った。
 初めてカカシが見せた、子供のような笑顔を見て、分かったのは。
 ただ一つ。
 これはカカシの宣戦布告で、してやられたのは自分だという事だった。
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