+α

月明かりの下、夜が更けた職員室の建物の前に、カカシが音もなく降り立つ。
蛍光灯が灯る職員室の窓へ顔を向けると、イルカが一人、机に向かっていた。左手で団扇を仰ぎながら、何やら難しそうな顔で書面に目を落としている。カカシは目を細めイルカを見つめた。
開け放たれた窓の手すりに手を置き、そこから顔を覗かせる。
「イルカ先生」
イルカが弾かれたように顔を上げ、カカシの顔を確認すると、嬉しそうに目を緩ませた。
立ち上がろうとするイルカに、いいからと手で制したカカシは窓から入り込むとイルカの机まで歩み寄る。
「残業だってね」
「ええ、カカシさんは今帰ってきたんですか?」
「うん」
「お疲れ様です。今日は早く帰るつもりだったんですけど、」
イルカが申し訳なさそうにするのは、任務の帰還する日に家でカカシを迎え入れる予定だったという事だろうが。カカシは軽く首を振った。
「いいよ、別に。俺も思った以上に遅くなったし、先生が気にする事はないよ」
そう言いながら机の上にある書類に目を向ける。
「で、だってね、と言うのは、」
その問いにイルカに視線を戻し、また書類に戻した。
「さっき執務室で聞いたから。ま、お互い上には苦労するよね」
共通の上司、もとい綱手に向けた皮肉に、イルカは苦笑いを浮かべた。
皮肉を言いたくなる理由はただ単に人使いが荒いからではない。イルカに伝えた通り、まだここで残業しているのを聞いたのは綱手からだった。
「イルカならまだアカデミーだよ」
任務報告を終え、さっさと執務室から出ようと背を向けたカカシにかけられた言葉。
イルカの事など綱手に一言も聞いてもないし、ましてや付き合っている事も(一応)大っぴらにしていない。知ってはいるだろうと思ってはいたが、敢えて触れてくる綱手の嫌味に内心ムッとした。
綱手が、イルカの事をお気に入りで可愛い部下と断言していた手前、こちらも多少の後ろめたさもあり、何か言い返したかったが、口を開いても部が悪くなる事は分かっていた。
だから、意味深な視線を向ける綱手から目を逸らし、カカシは黙って扉を閉めた。
まあ、嫌味を直球で投げてくるよりマシか。
イルカを見つめながら思う。
なんせベタ惚れしてるのはイルカの方なのだ。まあ、自分も過去付き合ってきた女とは全く違い、イルカには甘いと自分でも思っているが。
書類の束へ目を向け、イルカに戻す。
「あとどの位かかりそうなの?」
あー、とイルカは言い澱みながら手元に視線を向けた。書類を確認する。
「あと……30分くらいあれば一区切りはつけそうです」
「じゃあ待ってる」
「……え?」
「一緒に帰ろ?」
驚き目に丸くしながら、イルカの頬が赤く染まった。
「は、はいっ」
分かりやいくらいに嬉しそうに頷かれ、うっかりこっちまで恥ずかしくなる。
イルカの恋をする表情にまだ慣れない。誤魔化すようにカカシはポケットから煙草を取り出した。
「ここって禁煙?」
「あ、いえ」
イルカの返答に頷き、カカシは窓際に足を向けた。煙草に火をつけると腰の高さにある窓枠に行儀悪く腰掛ける。
少し離れた場所でイルカの姿をぼんやりと見つめた。
風が時折開け放たれた窓から吹くものの、生暖かい空気には湿度が多く含み、暑いのには変わらない。
だが、うっすらと額に汗が滲む程度。それに反してイルカは。ここから見ても分かる程に汗が浮かんでいる。
設置している扇風機は、時間外だからとイルカがそう決めて使っていないのだろうが、パタパタと片手で団扇を仰ぎ仕事をするのは、暑さを凌いではいるものの、仕事をする中で効率がいいとは思えない。
っとに、イルカ先生も人がいいんだよね。
一生懸命に仕事をする姿は愛おしさを感じるが、構ってもらえないのは正直寂しい。それを勝手に、綱手にまた意味なく物申したくなるのを抑え、イルカを見つめながら煙草の煙に目を細めた。
イルカの額に浮かんだ汗がつつ、とこめかみから顎横に流れ、それをイルカが手の甲で拭う。無意識で目で追っていた。
ベストは既に脱いではいるが、身に纏っているアンダーウェアは汗で張り付き暑そうだ。
イルカが汗っかきなのは最近知った。それでも夏は好きだとイルカは言う。健康的な小麦色の肌は、既に日焼けしつつある。
視線をずらすと、うなじ辺りにも汗を掻いていた。その汗がまた流れ、イルカの首元からアンダーウェアへ消える。
瞬間、ぞくりとした。
男らしい筋張った首筋。なのに、それがイルカだと言うだけでこうも色が含まれるのか。
しばらくイルカの頸をじっと見つめる。その頸も首元も、そう言う目でしか見れない。
自分ってこんな性欲あったっけ。
内心苦笑いした。
書類に落とされた目は伏せられ、黒い睫毛が瞬きの度に動く。
僅かに開いた唇をじっと見つめ。
カカシは煙草を消すと、窓枠から床に足を着く。
イルカに向かって歩き出した。


「あの、カカシさん……?」
戸惑った声が届くが、カカシは無視した。
汗が流れた頸に唇を押し付け、息を吸い込む。いつもより強く感じるイルカの匂い。唇を薄く開き甘く噛んで舌の先で舐めた。
汗のせいでしっとりとした肌は少ししょっぱい。それだけで興奮する。
「あ、の、カカシさん。汗で汚いですから、」
「いいじゃん、好きでやってんだから」
イルカの言葉を押しのけ、ちゅっ、ちゅっ、と音を立てながら唇で何度も吸う。
「でも、ここじゃ、それに俺まだ仕事が、」
そんな事は重々わかっている。勝手だと思うが止めるつもりもなかった。
何度も頸に愛撫し、満足したカカシは唇を離す。ホッとするイルカの腕を掴み、椅子から立たせた。
「え、カカシさん、ちょっと」
ぐいぐい引っ張り壁側にイルカを連れて行く。イルカは、分かっているようでカカシの行動を理解していない。カカシは壁にある電気のスイッチを消した。当たり前に部屋は暗くなり、
「え、」
またしても驚くイルカに構わず唇を塞いだ。口を開けさせ舌を割り込ませる。
戸惑いながらもカカシの口づけに必死で応えようとするイルカは可愛い。
思う存分イルカの口内を堪能した後、絡ませていた舌を抜くと、透明な糸が引いた。
膝から崩れ落ちそうになったイルカが、カカシの腕を掴み寸前で堪える。顔を上げる、イルカの黒い瞳が潤んでいる。
「……カカシさん……」
熱っぽい眼差しと声にカカシは薄く微笑みで応えると、静かに、とイルカに囁いた。
膝がまだ震えるイルカを立たせたまま跪くと、え、とイルカが驚きに声を漏らした。
イルカのズボンを寛げ始めるカカシにイルカの手が伸びる。
「ちょ、待ってくださいカカシさん」
「いーから」
「いや、ちが、待って」
「待たない」
片手でイルカの拒もうとする手を易々と封じ込める。もう片方の手でイルカのズボンと下着を膝まで引き下ろした。
下半身が一気に外気に晒され、イルカが息を呑む。布地の上から感じていたように、既にそこは固く勃ち上がっていた。思わずカカシは唾を呑み込み、上唇を舌で舐めた。
イルカへ視線を上げると、何をされるか分かっているイルカは、暗い中でも分かるくらいに顔を真っ赤にさせたまま、顔を横に向けていた。
「何で……」
泣きそうな位に小さな声で呟いた。
「そんなの決まってるでしょ」
カカシの声に、イルカの目がカカシへゆっくり動く。
「俺が先生に気持ちいい事してあげたいから」
視線が交わったまま言うと、イルカの目が揺れた。それは恥ずかしさ故か、期待からか。たぶん、どっちもだ。
暗闇に慣れた視界には、イルカの微かな表情の変化も読み取れる。それはイルカもそうだろう。
抵抗を手放しているイルカの手を離し、透明の液が溢れる先を舌で舐める。慣れない味だが、気持ち悪いとは思えなかった。口の中にゆっくりと入れる。
「駄目……」
未だ拒む言葉を口にするイルカの陰茎を口に含みながら、上下に動かす。
唾液でじゅるじゅると音が部屋に響いた。イルカの口から甘い声が漏れる。
必死に抑えようと手の甲で口を押さえているが、声は止まらない。
聞き慣れない水音と、イルカの声と匂いに侵される感覚にカカシの下半身が甘く疼く。熱い肉棒を口で扱きながら、イルカの顔が見たくて目線を上げる。
「あっ、」
一際大きく、そして少しだけ驚いたような、声。
イルカを見上げながらカカシも僅かに目を見開いた。
イルカの手に着いた血痕ーー鼻血だった。
思わず動きを止め、ぬるりと口内から陰茎を出す。
「……先生、大丈夫?」
イルカが自分の手に着いた鼻血を確認しながら顔を顰める。
「すみません……だって、これはちょっと、視覚的に、刺激が、」
そう口にして跪くカカシを見下ろす。
顔を真っ赤にして続けたイルカの言葉が余りにも真剣で、予想外で。何言ってるの、と、小さく吹き出した。
「笑わなくたって、」
「だって、恋人なのに?」
眉を寄せたイルカにカカシは口の端を上げる。
「先生の顔だって、十分エロいよ」
意地の悪い笑みに、イルカはぐっと眉根に皺を寄せた。
「そんな事言わんでください」
震える声を出すイルカは耳まで真っ赤に染めている。
「恋人だって分かってますけど、何て言うか……夢、みたいで」
泣きそうになりながら、恥ずかしそうに、優しく、微笑む顔に。
その表情が胸に迫り、カカシは食い入るようにイルカを見つめた。
こんな時に。
柄にもなく思い切りイルカにときめいている事実。
「本当に、あんたはいちいち、」
「え?」
「……何でもない」
カカシは恥ずかしさを隠すように、手の内で脈打っているイルカの陰茎を口に含んだ。

その後、イルカを激しく攻め立て、一回で終われなかったのは、自分の抑えが効かなかったから。
イルカの仕事が途中になったままになった事は素直に申し訳なく思うが。
止められなかった。
アスマ曰く、イルカは俺を溺愛してると言うが、逆になる日も近いんじゃないかと感じ、その確かな予感にカカシは廊下を歩きながら、苦笑いを浮かべた。
それと。硬い床の上で無理させるのも止めようと、反省する。
カカシは執務室の扉の前で足を止めた。ノックをすると綱手の声が返る。扉に手をかけた。

「私からは伝える事は以上だ。お前は?」
請け負わせる任務の説明を終えた綱手は、問う眼差しをカカシに向ける。
「いえ、何も」
そうか、と答えた綱手にカカシは背を向けた足を止めた。振り返る。
「ありました。一つ」
「何だ」
促されたカカシはもう一度向き直り綱手の前に立つ。
「俺、イルカ先生と付き合ってるんで」
さらりと口にしたカカシに、綱手は間を開けた後、ため息を吐き出しながら頬杖をついた。
「やっと言う気になったのか」
予想していたのとは違う反応に、カカシは内心拍子抜けすると、それすら分かっていたのか、綱手は意味深な笑みを浮かべた。
「お前の事だから、言わずに済ますだろうとばかり思ってたよ」
カカシは銀色の頭を掻いた。
「反対しないんですね」
「して欲しいのか?」
カカシは肩を竦めた。
「まさか」
「だろうな」
頬杖を解いた綱手は、カカシへ視線を向けた。そのまま緩く首を傾げ、微笑む。
「本気だと分かっただけで十分だ。上には適当に説明しておくよ」
予想はしていた。
脳裏に深々と自分の父親の名前が浮かぶ。その才能を受け継ぎ過ぎた自分に、種を残せと意向を向けられているのは知っている。
それを含んでいるからこそ、綱手はイルカに関わるなと牽制しているとばかり思っていたのに。
「効率性の追求ばかりじゃ里が繁栄する訳がない」
あっさりと言う。
「それじゃあ貴方が、」
言いかけるカカシに綱手は片方の眉を上げた。
「昔から良い行いは罰せられるものなんだよ。違うかい?」
カカシの本当の心配を払拭するかのように、大切なのはいつだって愛なんだよ、愛。と綱手は笑った。

<終>
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