向日葵と。⑦

繁華街を抜け、しばらく歩いて。町外れにある神社の前でカカシは手を離した。街灯もまばらで薄暗い。
手を離したカカシは振り返って、イルカの目を見つめた。カカシの口が開いて、何か言われるのが無性に怖くなり、気がつけばイルカが先に口を開いていた。
「向日葵は。今日は向日葵とは会ってないんですね」
自分の声が緊張しているのが分かった。それが嫌で身体に力を入れる。
「…今日は昼しか会ってないですよ。今は家にいるはずです」
カカシは間を置いて、イルカを見つめたままそう答えた。
「酒、飲んでますね」
「…飲みたい時もあります」
「でも、向日葵ちゃんがいるでしょ?」
「向日葵は、あなたと一緒にいて、今日も遅いと思いましたから」
それを聞くとカカシは頭を掻いて、溜息をこぼした。
「アスマと、何話したの」
「…え?」
顔を顰めて、カカシはイルカを見た。
「報告終わって、あっちに向かったらたまたま見かけたんです。アスマ、今日俺と任務だったけどあなたに会うなんて言わなかった」
アスマにしたら面倒臭いからと言わなかったんだろう。今日のアスマの顔を思い出す。それでも、カカシには関係がないはずだ。だってカカシは向日葵と。
「別にいいじゃないですか。アスマさんと飲みたかったんです」
「何で?それって、…」
「ただ、飲みたかっただけです」
詰め寄ってきたカカシに、ただ、と言う言葉を強調して答えた。アスマとの間に何かあると思われたくもない。そんな事を口にされたら、自分は怒りをカカシにぶつけてしまう。それが分かって、否定するようにはっきりと口にした。
間近に来たカカシは、眉をひそめてイルカの顔を見た。少し困ったような顔をしている。
「だって、カカシさん向日葵と、付き合うんでしょう」
「向日葵ちゃんと…?まあ、イルカ先生が言った通りに、」
「そうじゃないです」
否定するイルカにカカシは首を傾げた。
「向日葵に言ったそうじゃないですか。一緒に暮らそうって」
カカシの目が開いたのが分かった。が、すぐに眉を寄せた。
何を驚く事があるのだろう。カカシの些細な表情に怒りを感じる。丸で俺が何も知らないとでも思ってるのか。
「…他に」
「え?」
聞き返すと、カカシはイルカを見つめていた。
「他に向日葵ちゃんは何て言ったの?」
イルカは唇を噛んだ。自分に言わせて何が楽しいのか。言いたくもないのに、イルカは顔を強張らせて、カカシを睨むように見た。
「……キスをしたって……」
見たなんて言えなかった。
「……あ~……」
漏らすような声を出し、イルカから視線を外し。いや逸らした。その仕草に、不思議とショックを受ける。
カカシは外した視線を地面に落として頭を掻いていた。
自分が何処まで知っているのかと、それを踏まえてカカシは何を言うのだろう。
嫌な予感で心臓の鼓動が早くなる。手先が冷たく、浅い息を繰り返しながらカカシを見つめた。
向日葵がたぶん初めて好きになった相手がたまたま自分の恋人だっただけだ。向日葵が幸せで、カカシもそれを望んでいるのなら、どうしようもない事だ。
カカシが自分以外を好きになるのは仕方がない。恋なんてそんなものなんだ。自分には経験がなく、こんな時にどうすればいいのか。ただ、自分のせいで向日葵やカカシが困る顔は見たくない。自分が別れるのが嫌だと言って、気持ちの挟み撃ちにするのも嫌だ。だから。
深く息を吐き出して、未だ下を向いているカカシを見た。
本当は嫌で仕方がない言葉を口にした。
「…俺は、構わないです」
「は?」
「いや、俺、カカシさんが別れたいならそれで……構わないですから」
胸の上で痛いほど拳を握り、それを隠すようにもう片方の掌で覆った。
笑顔は残念ながら作れなかった。引きつる頬に眉をよせて。イルカはそれだけを言い切った。
カカシは呆けたようにイルカを見つめる。
どのくらい経っただろう。何分か黙ってイルカを見つめていたカカシは、やがて長い嘆息を漏らした。
「参ったね……。ね、良かったねって言えば良いの?」
地面に向けたカカシの顔はよく見えない。ただ、カカシの言った台詞は、どう言う意味なのか。イルカは考えて、分からないままカカシを見た。カカシはまだ自分を見ない。

「どうなの?…出できたら?向日葵ちゃん」

向日葵…?
カカシは何を言っているのか。何で向日葵の名前を呼ぶのか。
訝しんでカカシを見ていると、顔を上げカカシの向いた方向、神社から向日葵が姿を現して、驚きに目を見開いた。
「向日葵!?」
向日葵は気まずそうに顔を顰めて。イルカの顔をチラと伺い、すぐに唇を噛んで俯いた。
「向日葵、何でこんな場所にいるんだ」
こんな遅い時間に1人で暗い場所で、と別の考えに及ぶが、今はそうじゃない、と。
イルカは向日葵の立っている場所まで歩いて肩を掴む。未だ硬い表情のまま、何も答えようとしない。
そんな顔を見てイルカが困り果てていると、カカシが口を開いた。
「ね、向日葵ちゃん。イルカ先生の言葉聞いたよね。あれで満足した?」
満足?
余計に混乱して、カカシと向日葵を互いに見る。カカシは静かな表情で向日葵を見つめていた。
「向日葵ちゃんが望んだ事だもんね」
望んだ事?
「カカシさん、…何言ってるんですか」
「こんな手の込んだ事、する必要があったかな…ま、イルカ先生は向日葵ちゃんの望み通りの結論を出したけど。でもね、俺は別れる気はないよ」
静かな口調でカカシは淡々と話している。
別れる気はない。
それだけはイルカに理解出来た。別れる気がないなら、何で向日葵と。
まだ、状況が掴めていない。そんなイルカをカカシは見て、向日葵に視線を戻した。
「自分の口から、ちゃんと気持ち伝えたら?」
向日葵の顔を覗くと、黒い瞳に涙が浮かんでいて驚いた。
「向日葵?」
問いかければ、際に溜まった涙が零れ、その涙の意味が分からなく、それでも向日葵の涙はイルカを心配させた。
「向日葵。言わなきゃ分からない。一体、何があったんだ」
動揺しながら向日葵の肩を撫でる。赤い唇が震えながら薄く開いた。
「ごめんなさい」
「…え?…何がだ?」
「私、嘘ついてた」
瞬きをすれば、ハタハタと涙が零れ落ちる。
嘘とはどう言う意味なのだろう。
「どう言う事だ」
「カカシさんを好きだって、…嘘ついてた」
それはイルカを大いに驚かせた。
「…うそ…?」
好きだったのが、嘘?
涙を流す向日葵を凝視しながら呆然とした。
向日葵の嬉しそうな顔しか浮かんでこず、それが全て嘘だったとは、言われた今も到底思えない。
いや、でも、と言い淀みながら、イルカは必死に向日葵の言った言葉を飲み込もうとした。

「私…イルカにいが好きなの」

濡れた瞳がイルカを見た。
またイルカの頭に衝撃が走る。
好き?俺を?
あれ、向日葵はカカシさんが好きだったのに、それが嘘で、

俺を、好き?

口を半分開けたまま驚いた顔で固まるイルカに、向日葵はキュッと唇を噤んだ。
「小さい頃からずっとずっと好きだった。夏休み利用して、気持ち伝えたくて。でも、イルカにいの横にはいつもカカシさんがいたから」
言葉を切って鼻を啜る。
「だから、カカシさんとイルカにいが別れたら、…嫌いになったら、…って思った」
途切れ途切れに向日葵が言う。
だから、…わざとイルカにいと行った場所に連れて行ってもらったり、服を強請ったり、昼間も夜も。イルカにいに会わせないようにした。
「キスも…ワザと、自分から…したの」
ごめんなさい。
目を擦る向日葵を見つめて、イルカはそっと頭に手を置いた。ビクと身体を揺らして向日葵は顔を上げる。
自分と同じ黒い瞳。幼い頃から変わらない、可愛い向日葵の目を見て、イルカは優しく微笑んだ。
「ありがとうな」
濡れた向日葵の頬をイルカは指で拭う。
「でもごめん。俺はカカシさんが好きだ」
言えば向日葵は泣きそうな顔で笑った。
「知ってるよ。そんなの」
だからごめん、イルカにい。
イルカの胸に頭を付けて、向日葵は呟くように言った。
細い身体を優しく抱き締める。向日葵からは変わらない、太陽の匂いがした。







里から村に帰る向日葵は来た時と同じ様に、笑顔で、白い歯を見せて見えなくなるまで手を振っていた。
「行っちゃいましたねー」
向日葵が見えなくなると、カカシはポツリと呟いた。

イルカにいを泣かせたら許さないから

向日葵の言った言葉を思い出してイルカは含む様に笑うと、カカシが何ですか、とイルカを覗き見た。
結局、向日葵に騙されていたんだと、最後まで気が付けなかった。
「全部、…向日葵の為だったんですね」
言えば、カカシが苦笑いして、困ったように目を伏せた。
「まあね。イルカ先生の可愛い可愛い親戚の子ですから。必死なんですもん。だけどなーんかその様がイルカ先生に似てて、途中どうしようか困りましたよ。…でもまあ、イルカ先生はあんなに積極的じゃないから残念です」
「当たり前です」
口を尖らせて頬を赤らめる。
「ね、先生」
気がつくと、カカシは真剣な顔を見せていた。
「あなたがどんなに子供が好きで、生徒想いで、向日葵ちゃんが可愛くてもあんな事言わないで」
青い瞳は見惚れるくらいにイルカをマジマジと見つめていた。
が、言葉以上に真剣味を帯びた眼差しに、イルカも真顔でカカシを見返す。
「俺まで簡単に手離さないで。どこまで自分を犠牲にすればいいと思ってるの」
言われて、何処かで聞いた言葉だと、直ぐに思い出す。
『全部彼奴らを思ってんだと分かってるけどな、何でも自分で背負おうとするのはお前の悪い癖だ』
アスマが言った言葉。

「もっと俺を信じて」

あなたはもっと幸せになっていいんだから。
そうだ。最初から自分がカカシを信じていなかった。信じて、そして向日葵にもキチンと話すべきだったのかもしれない。自分のあやふやな態度が2人を傷つけていた。
「すみませんでした」
鼻の奥がツンとする。泣いてはいけない。
歯を食いしばる。
「言ったけど、あなたが手離すなんて言っても俺は別れないからね」
覚悟してください。
ふわと柔らかい笑みを浮かべられ、我慢していたのに、にゅにゅと眉が下がっていく。
そんな顔を見せたくなくて俯くと、カカシはイルカを抱き寄せて背中を撫でた。
「泣いたっていいんですよ」
「泣きません」
「嘘おっしゃい」
カカシは笑いを零して、ポンポンと背中を優しく叩く。
向日葵ちゃんには内緒にしとかないとね。
その言葉にイルカは白い歯を見せて笑った。











「詰まらないね」
受付所。綱手が不機嫌そうに背後で呟き、振り返れば、その通り不機嫌な顔の綱手がいた。片肘付いてむくれているようにも見える。
「…何が、ですか?」
「あの小娘が勝つと思ったんだよ。なんせイルカの女版だったからな」
「…はい?」
聞き直すと、周りにいた中忍仲間が慌てるように綱手を引き留める仕草をしていた。
「まあいいさ。敗けは敗けだ。皆んな、今日は昼奢るよ」
鰻でも寿司でもね。
諦め声で綱手は言うと、引き留めていた周りの人間は一気に色めき立つ。
イルカの顔が引きつった。
五代目は一体何を賭けていたのか。博打好きらしい台詞に、聞き捨てならない言葉の数々。
綱手の性格は重々承知しているから、嫌な予感がイルカの中で渦巻く。
知っている。綱手も周りも、カカシとの仲を、知っている。
震えるイルカに綱手は肩を叩いた。
「良かったじゃないか。アレはお前に惚れ込んでるって事だろ。何を落ち込んでるんだい」
青くなっていたイルカの顔が見る見る熟れたトマトの様に赤くなる。
泣きそうな顔のイルカを見て綱手は豪快に笑った。
「青いねえ。イルカ、お前も好きなの頼みな」
綱手の声は頭を抱えるイルカには届いていなかった。

<終>



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