一つだけの⑧

殴られた痕を指で擦りながら。
カカシはまだ資料室で一人立っていた。イルカに殴られた事によって赤くなった頬は既に痛みさえないが。力は押さえていたとは思うが、ある程度本気で殴られた。それが分かっただけで、高揚する。それは自分でも驚くくらいにはっきりとした。
悪くない。
いや、悪くないどころじゃない。
すごくいい。
自分で自覚してしまった感情にまた胸の内が熱くなる。
足下に無惨に散っていた花を拾い上げた。


翌日は朝から待機所へ向かった。アンコがいる。少し離れた場所にアスマが座り煙草を吹かしている。チラとこっちを見たがすぐその視線は外れる。カカシはアスマの向かい側の椅子に腰を下ろした。
そしていつもの様に本を取りだし、途中だった場所から目を通し始める。
扉が開いて風が吹き込み、テーブルにある灰皿がカタカタ音を鳴らした。
「お疲れ様です」
扉を閉め、イルカが一礼をした。見れば背筋を綺麗に伸ばしたイルカと視線がぶつかる。それも一瞬、イルカは黒い目を伏せるようにすると、手に持つ任務表を広げた。
「アスマさん」
カカシには目もくれずアスマに任務表を渡し、説明を始める。
少し大きい声で、アスマの質問にハキハキと受け答えをしている。時折笑いを零した。
丸で何もなかったかのように。
それは自分が酷く滑稽に思えた。同時に苛立った。いくら仲がいいからって媚び売ってるみたいに。あんな表情する必要ないんじゃないと思い、そんな事で苛立つ自分がまた滑稽で。
「あれえ?」
本を途中に口布を下げ、煙草を取り出したところでアンコが声を上げる。無視して煙草に火を付けた。
「カカシー、どしたの?それ」
目だけを上げるとアンコが口角を指さしていた。まだ微かに残る殴られた痕。物珍し気の目をするアンコを一瞥した。
「見りゃ分かるでしょ」
「殴られたの?」
「そ」
イルカの声が話途中で止まったのが分かった。
「また女にでも殴られたんでしょー」
アンコが面白そうに笑い出す。
目を向けると、イルカと目が合った。不安に揺れる。その黒い目を捉えたまま口を開く。
「無理矢理ヤろうとしたらね、殴られた。イルカ先生に」
イルカの目が見開いたのが見えた。が、すぐその背後にいたアスマがその身体の大きさを物とも言わない早さで動き、すごい力で胸ぐらを捕まれる。
「カカシ、今何て言った」
「や、アスマさんっ、やめてください!」
イルカの制する腕をアスマは無視し、冷めた目をしたカカシを睨んだまま。くわえた煙草をギリと噛んだ。
「....くだらねぇ嘘つくんじゃねぇぞ」
服を掴んでいる手に更に力が入ったのが分かった。
「なんだ、アンタらもしかして付き合ってた?」
口元を緩ませた瞬間、視界がブレた。
「ーー...っ」
強い衝撃をまともに受け、勢いで身体が吹っ飛び壁にぶつかる。そのまま壁に背を預けながら床まで落ちた。あまりにも目にしない光景ーー。
避けようとも、受け身をとろうともしないカカシにまたアスマが怒りに顔を歪ませた。
また構わず、一歩カカシ向けて近づくアスマにイルカが慌てて塞ぐように前に立った。
「違うんです」
「違う?」
こみ上げた笑いを抑えるように。カカシが小さく息を吐いた。切れて血が滲む口角を親指で拭い、笑いを零す。
「違わくないでしょ。イルカ先生。俺アンタとヤろうとしたんだよ?何が違うの?」
イルカを見れば、眉を寄せ、何かに耐えるように目を見張った。
「ひどいね、アンタは。あんな事されたのに、なかった事にするんだ」
「なかった事になんて...っ」
「してるじゃない」
「じゃあ...っ、カカシ先生は、何であんな事...っ」
怒りを露わに拳を震わせる。
「無理矢理...っ」
ああ、やっとこっちを見た。
悔しそうに。でも、その顔が見たかった。
イルカの顔を見上げて。
「しょうがないじゃん」
呟く。
「好きなんだもん」
茶化しのない、でも丸で子供の様な台詞を零したカカシに、イルカは言葉を詰まらせた。
真っ直ぐに。訴えるようにイルカを見る。
「何言って...」
「俺はアンタがいい。アンタじゃなきゃヤダ」
馬鹿馬鹿しい。
イルカはそう言って俯いた。
躊躇って。戸惑って。
人にあんな事しておいて、あげくに上忍仲間の前でこんな醜態をさらして。
それなのに。
「俺は...あなたなんか嫌いです」
アスマの拳をそのまま受け止めたカカシの口元を見つめた。
しゃがみ込みカカシの目を真っ直ぐ見る。手を振り上げて、
「あ、おい」
アスマの声が出ると同時にイルカはカカシの頬を叩いた。容赦のない音にアンコとアスマは顔を顰める。
「...いったー」
カカシは叩かれた傷口に手を当てる。これが答えか、と口元を歪ませた。
「今のでチャラです」
そう言うと、カカシに肩を貸して立ち上がらせた。
「なに、センせ?」
「いいから」
強気を崩さないイルカはそのままカカシを待機所から連れ出す。外に出て、隣の建物に入る。
アカデミーは授業中なのか、誰もいなく静まりかえった廊下を二人の足音だけが響く。
「...どこ行くの?」
不安そうに、覗き込むカカシには目もくれない。
「保健室です」
「え?」
イルカは立ち止まってカカシを見た。
「消毒、してもらいましょう。それに...、あの保険医の方にはきちんと断ってください」
「...え?」
間の抜けたカカシの声にイルカは背を向け歩き出す。
「そこからです」
数秒、ぽかんと口を開けたままイルカの背中を見て。カカシは急いでイルカの元へ駆け寄った。
「それってどう言うこと?ねえ?先生?」
まとわりつくカカシを、顔を赤らめながらイルカは歩く。
それ以上怒ったような顔して何も言ってくれない。

耳まで赤い。真っ赤な顔はまるで花のつぼみだ。
やっと見つけた自分の花。
一つだけ。
一つだけの花を、カカシは愛おしそうに見ながら、早足で歩くイルカの背中を追った。


<終>


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