犬とベイビー①

初冬の小春日和は暖かで、風がない分、春を心待ちにさせる気持ち良さを感じさせる。
イルカは課外授業を終えて教員室へ向かっていた。
帰って教材を片付けて、テストの採点をする。順調に進めば19時にはアカデミーを出れるだろう。
頭の中で時間配分を組み立て夕飯の献立も考える。昨日の鍋の残りと作り置きの肉じゃが。
それだけで十分だがあと食べるとすれば、ーー
「イルカ、今いい?」
呼び止められて思考を遮られ、イルカは振り向いた。
八班の上忍師をしている紅が柔かな笑みで立っていた。
上忍のくノ一の中でも艶やかで、実際にイルカに妖艶な目線が向いていた。
しかしながら性格はサバサバとし男っぽく実に付き合い易い。言わば姉御肌と言ったところか。
「来月の任務、忘れてないわよね?」
「あ、はい。勿論です」
隣接する国との国境付近への偵察。定期的に行われているのだが、危険を伴わないレベルの任務にあたる為、実戦経験を兼ねてランダムに部隊を編成し行っていた。
来月は紅を隊長としイルカを含めたスリーマンセルの隊の派遣が予定されている。
イルカの返答に紅はにこりと笑った。
「でね、フォーマンセルに成りそうだから、その報告」
人を増やすことに異論はない。が、
「四人じゃなくて、三人と一匹ね」
と、紅が続け、意味を問う前に理解することになった。
ぴょこん、と紅の頭の上に現れたのだ。
アレが。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁーー!!!」
迂闊だった。
意表をつかれたイルカは動きは上忍並みのスピードで、しかし忍びらしからぬ動きで近くにある木にしがみついていた。
気が付いた時にはもう遅い。
「ーーーーえ?」
紅がポカンと口を開けてイルカを見ていた。
ああ、やばい。
この状況をどう脱するか頭をフル回転させるべきなのに。
高鳴る心臓と未だ紅の頭上にいる生き物によって、イルカの身体は木に縛り付けられていた。
「おい」
紅の頭の上でその生き物が口を開いた。
「ひぁ、」
いつも通りに、いつも通りにしなければ。
突然現れた時のパターンも頭に叩き込んであったし、今までその通りに行動してきた。誰にも気付かれる事もなく。
だけど、まさか、紅の頭の上から出るなんて誰が予想するか。
「おい、コイツやばい動きしてるぞ」
パックンは紅を見下ろし呆れ声を出した。
「……イルカ、あんたまさか…」
目が点になりながら紅は口にする。
その先の台詞を死の宣告のように、イルカは木にしがみついたまま聞くしかなかった。

「犬が苦手、とか言わないわよね」

言われてしまった。
遂にバレてしまった。

イルカは犬が苦手だった。
それは誰にも知られる事もなく今まで暮らしてきた。
子どもの頃から動物はどれも好きだったが犬だけはどうしても苦手だった。嫌いなわけじゃない。
只々、苦手なのだ。忍びである以上、忍犬との関わりは切れない。
だからこそ今まで誰にも知られぬようひた隠しにしてきた。
なのに。
黙ったままのイルカは取り敢えず木から降り、紅の前まで来て。
青い顔で、額から冷や汗を流し、頭上に未だいるパックンをチラと見た。
途端に身体から吹き出す汗。
「すみませんっ、内密にお願いします!」
頭を下げるイルカを見て紅が嘆息した。
「…内密って…よく今まで秘密にしてこれたわね」
「それは日々努力によるものです」
紅は納得いかない顔をしている。
そう、はたから見ればわからない。紅もイルカが犬を可愛がり戯れる姿を何度か見かけた事があった。
だからこそ信じられない気持ちが先に出てしまっていた。
「…本当に?」
「はい」
はあ、と再び長い嘆息をして紅が額に手を当てた。
「だって…だってよ、忍犬を取り扱う授業もあるわよね」
紅はイルカが持つ教材を奪い取ると、ペラペラと頁をめくる。
そこには、犬の写真に付箋と言う付箋が犬を隠すように貼られていた。
「…欺瞞だわ」
「っ、仕方ないじゃないですか」
イルカは気まずそうな顔をした。
俺だって、好きになるよう努力した。
それでも無理なものは無理だ。
そんなイルカを紅は困った様に見た。
「任務、どうするの?今回はパックンをカカシから借りて連れてく事になってるのよ」
「…問題ありませんっ」
額に汗かきながら言い切ると、紅の目が鋭くなった。
ジッと見つめられ、意図が分からず幻術にかけられるかと思えば、短く息を吐き出した。
「パックン、イルカに飛びついて」
「承知」
「えっ!あっ、ちょっまっ、ぎゃあっ!!」
避ける方向を読まれて顔にパックンがへばり付き、イルカは身体が硬直した後、へなへなと地面に崩れた。
「…今回はイルカ、あなたは外れなさい」
「えっ、そんな」
「足手纏いはごめんこうむりたいのよ、今回忍犬は外せない。分かるわね?」
「時間をください!」
「…今迄克服出来なくて無理に決まってるじゃない」
「慣れてみせます!」
パックンを顔から外し言い切った。
「…俺はどっちでもいいんだがな」
呆れた声でパックンが呟いた。
言い切った手前どう慣れればいいのか、皆目見当も付かないが、忍びとしては克服すべき事なのは分かっている。
分かっているが。
両手に抱かれたパックンがイルカに振り向き、それだけで声を上げそうになる。
「…いいわ、こうしましょう」
紅は妖艶な笑みを浮かべニッコリと微笑んだ。


***



イルカは愕然としていた。
慣れない視界にオロオロと動いて回る。直に足に触れる土や石の感触も慣れない。
「可愛いじゃない」
紅は満足そうに微笑んだ。
しゃがみ込み頭を撫でられ、不安げに紅を見上げた。

イルカは紅に寄って犬に変化されていた。
一回イルカを10歳くらいの子供に変化させそのから仔犬に変化させる、と言う手の込んだ術を使い、イルカは見た目丸々とした可愛い焦げ茶色の柴犬の様になっていた。
自分ではどの様な犬になったのかはよくわからない。片足をぷらぷらさせ、肉球を眺める。獣の手脚だと実感し、嘆息した。
「1日これでいなさい。犬になって生活すれば、気持ちも分かって慣れるんじゃない?」
イルカにしては不本意だった。
どうすべきか分からない。今実際に犬になったが身の毛がよだつ気分だ。だが、自分も慣れて見せると紅に宣言した手前断ろうにも断れなかった。
これ、…大丈夫なのか?
喋ろうとすれば、キャン、と口から鳴き声が発せられ、自分が出した声に驚き飛び上がった。
「当たり前よ、犬なんだから。…とにかく、明日の朝、ここに来て。そしたら変化を解くから。…いい?」
素直に頷けば、今から任務だから、と紅はパックンと共に姿を消した。

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