傷⑤

意識が回復し、耳に定期的な機械音が聞こえた。
明るい部屋にいるのだと、瞼から光を感じて顔をしかめ、ゆっくり目を開けた。
身体がダルい、と言うか痛い。
何故だかわからず、目に映る真っ白い天井を眺めた。先ほどまで鼻について離れなかったお香の甘い香りはなく、ヒンヤリとした空気の中に含まれるのは薄い消毒液の匂い。
(....なんだろ、ここ)
カカシに名前を呼ばれていた事までは覚えている。それでも視界から頭からぐらぐらと歪んで目も開ける事が出来なくて。返事すら出来なかった。うつらうつらしながらも、回復する意識の中ため息のような息が漏れた音が聞こえた。
その音を探るようにぼんやりとしながら部屋を見渡して。
カカシがいることに驚き目を見開いた。
カカシは腕を前で組み、壁で背中を支えるように立っている。その顔は陰気で酷く疲れているような。そんなカカシの視線がふと外された。外された事によりぼんやりとしていた頭のままカカシを見つめ続けていて、
(.....違う)
先ほどまで一緒にいたカカシではないと。その影が差すカカシの顔を見て感じた。
じゃあ、このカカシさんは。
「.....っ」
起き上がろうと身体に力を入れ、激痛が走り思わず顔を顰めた。身体はそのまま布団に沈む。よくよく見て、自分の腕に巻かれた包帯に目を疑った。それ以外に繋がれた線を目で辿り、意識が回復してから聞こえ続けている定期的な機械音は、自分に繋がれた心電図の音だと気がついた。
それにさえ困惑し眉を寄せれば。
「アンタね、何考えてるの」
ウンザリとした声色で発せられたカカシの言葉。心電図から視線をカカシに向ければ、吐き出すような溜息を零してイルカを睨んだ。
「----死にたいの?」
「...え?」
(死にたい...?)
それはこの自分の状態の事を言っているのだろう。触れた頭にも包帯が巻かれている。なんとなく理解したつもりだが、今どうしてこんな場所で寝ていて、こんな怪我をしているのか記憶がない。さっきまでは自分は確かにカカシとベットにいたはずなのだから。
恨みがかるような表情のカカシに聞くのは気がひけるが、聞くしかないのか。
ためらいがちにイルカは口を開いた。
「...何で俺、病室に...」
ぐっとカカシの眉間に皺がよる。その冷たい目はずっと自分を捉えていた。
「----覚えてないの。.....空井戸に落ちたんですよ」
カカシは低い声で呟く。
空井戸。
言われてすぐに、フラッシュバックのように、窓から空井戸に落ちる瞬間がイルカの脳裏に蘇った。
固まったイルカを見ながら、カカシは長いため息を零すと、組んでいた腕を解く。近くにあるパイプイスにどかりと腰を下ろした。
じゃあ、ここは...元の自分の世界?
未だ実感が湧かず、混乱にそうになる頭を冷静に保とうと、ただ、窓から見える景色を見て、病室を見渡した。見間違えようがない、木の葉の病院の病室。ただ、ここは個室。見舞いでしか来た事がない。
じゃあ、空井戸に落ちて、ここにーーー?
合点するがすぐに把握出来ない、一人考え込む顔のイルカにカカシが口を開いた。
「....二階の自室から落ちたみたいですね。空井戸の深さを足すと結構な高さです。だけど、アンタ忍でしょ?受け身も回避も出来るよね?チャクラも使える。下忍のガキでも出来ますよ」
笑い捨てるように言うと、言葉を切った。
よく分かってない、そんな顔のままのイルカを見て、カカシは怒りに満ちた顔つきのまま、不意に眉を寄せた。しばらくの沈黙の後、カカシが再び口を開く。
「....任務先の穂の国で、たまたま人伝てにアンタの事故の事を聞いたんです。...それが嘘か、ホントの事なのか...木の葉から距離ありますから、誰に聞いても分からないんですよ。あのじじ、...火影様に聞いても話そうとしないしね」
項垂れてカカシの顔が見えない。呟く低い声がとても小さくて、イルカは痛む身体に顔を顰めながらもゆっくり起こしカカシを見つめた。
よく見ればカカシの忍服が汚れている。泥や血がところどこに固まっていた。
「----目が覚めて、安心しましたよ。...勝手に任務切り上げてきたから、面倒にならないうちに行きます」
(え?任務?)
カカシは頭を掻いて立ち上がると背を向けた。もうその表情は見えない。急速に焦りがイルカに広がった。
「カカシさん、待ってください!」
その声を聞く耳などないと、扉に向かって歩き出す。出て行こうとしている。分かっただけで身体が震えた。
「ま、...待ってくださ!....っ」
引き止める術は、声しかなかった。声を上げるがそれだけでカカシは止めれない。身体を動かそうにも痛みの為か、すぐに固まった筋肉が動かないもどかしさに、それでも身体を無理に動かした。ドサリと身体が布団ごと床に落ちる。腕が痛さで痺れたが、構わず立ち上がろうと力を込めた。
何故だろう、このままカカシがこの場からいなくなる事が怖かった。
ここからいなくなったら、きっとカカシは戻ってこない。
それが何よりも怖い。
顔を向ければカカシは背を向けたまま動かない。
腕の筋肉が痙攣を起こしそうに震えた。
「お願いっ、...待って...!」
布団をグッと握りしめる。
「俺はっ...!里を出て行くあなたに伝えたい事がたくさんありました。....でもっ、怖くて言えなかった.....」
吐き出すように言い、そのまま息を吸い込み、
「あなたの気持ちを、俺は分かってあげれなかった.....勝手な事を言ってるのは分かります。でもっ、...カカシさんは...っ、...もう、俺は...必要ないですか?」
吐き出しされた言葉は確かにカカシに聞こえたはずだが、カカシは背を向けたまま動かない。
「あなたと離れるのがこんなに辛いなんて、...別れてから気づくなんて...最低だと思うけど...っ、俺は、」
「やめて」
カカシの声に言葉を遮られた。
「...え?」
「もういいです」
背中を見せたまま、カカシが呟くように言った。
「そんな事、アンタの顔見ればわかりますよ。知ってます。でも、...だから何?」
「...何って...」
うかがい知れないカカシの顔。それがもどかしくて仕方がない。その後ろ姿をジッと見つめた。
「もう、俺たちは...終わった。そう、終わったんです」
その告げるカカシが、会話の終わりを告げるかのようにふうと息を吐いたのが分かった。そしてドアノブにカカシの手がかかる。
嫌だ。
「待って...!待ってくださいっ...!」
引き留めなければ。
イルカは懇親の力を込めて立ち上がる。よろめきながらも縋るようにカカシの腕を掴んだ。カカシからは砂埃と血が混ざる匂いがする。その汚れた服を掴み、腕を離すまいと破れんばかりにギュッと力を入れた。
離したら、この腕を離したらこの人は本当に自分の前から姿を消してしまう。
「離してください」
冷やかに発言葉をし、カカシはイルカの腕を、もう片方の手で引き離そうとした。イルカは反射的にぐっと力を入れる。
「出てってくれと言ったのは俺です。...でも、嫌だ!嫌なんだ!!」
今のイルカの力では到底適うはずがなく、ものすごい力に腕が離れていく。イルカは痛む身体に震えるほど力を入れた。
「お願いだ、聞いてください!俺は...っ、俺は...っ」
呼吸さえ荒くなる。それでもなりふり構えない。イルカは声にも懇親の力を入れていた。
そこからはもう必死だった。
「俺は...っ、あなたが好きです!好きなんだ!」
そのまま息を吸い込む。
「カカシさんが好きだ...離れたくないっ...れたくない...!」
カカシを掴んだまま頑なに力をいれたままギュッと目を閉じた。
かかっていたカカシの手から、引き離そうと入っていた力が消えたのが分かった。目を開けると少し斜めから硬い表情のままのカカシが見えた。銀色の睫毛が微かに震えているようにも見える。何かに耐えるように、強張っているかのように。
イルカはまた引きはがされるのが怖くて、ギュッとまた手に力を入れた。
何も発さない。そのままカカシは沈黙を保ち、やがて小さな息を漏らした。
「...本当に?」
小さな声だった。か細く耳に入った言葉。それは震えているようにも感じた。
「本当に...俺の事...好き...?」
少ししかうかがい知れないカカシの表情を見つめてイルカはゆっくりと口を開いた。
「好きです。カカシさんが...好きです」
イルカの言葉にカカシが触れる手に力を入れた。少し冷たいカカシの指先。その指の腹でイルカの手の甲を撫でた。
再び聞こえるカカシの吐息。それさえ震えていると感じた。
「...あなたは...俺の事好きなんかじゃないと思ってた。...だって、一回だって言ってくれなかったから。俺だけが好きなんだって...ずっと、そう思ってた。...浮気したって言った日も。あなたはすぐに別れを切り出した。やっぱりって思った。やっぱり、あなたは俺の事が好きじゃなったんだって」
「そんな事ないです」
強く否定するように言えば、カカシはイルカの手を解き、振り向いた。
とても辛そうな顔をしたまま、視線をゆっくりと合わせた。露わな青い瞳が揺れている。
「...カカシさん」
目の前のカカシが愛おしくて仕方がない。両手でカカシの顔を包むように触れた。自分が怪我をしたと聞いて、遠い任務先から来てくれた。それが酷く疲れたカカシの表情から伝わってくる。
胸が痛んだ。
好きだと、それを言われないだけで、カカシはずっと不安だった。自分が気持ちを伝えなかった事がどれだけカカシを追い詰めていたのか。今後悔しても仕方がない事かもしれないが、それはカカシの悲痛であり、叫び。それをこんな形で知ることになるなんて。本当に自分が腹立たしい。
「好きだ。あなたが好きだ」
その言葉を繰り返して。
浮気の疑惑が晴れたからとかじゃない。
ただ、カカシが好きなのだ。
その言葉がカカシにどのくらい伝わるのか分からないけど。

あなたが好きです。

真剣な眼差しのイルカを見て、カカシは泣きそうな顔のまま、ゆっくり瞼を伏せた。
返答なく手をイルカの脇にいれ身体を持ち上る。そのままベットに優しく寝かせた。
布団をかける手が震えていた。
「----オレの、側にいてくれるの?」
囁くような声。
小刻みに揺れる指を手に取ると、イルカの包帯で巻かれた手のひらをカカシが握る。
「ずっと、側にいます」
「オレ、また酷いことしたり、言ったりするかもしれないよ?」
「構いません」
「....浮気したらどうするの?」
「----たとえ相手が俺でも、しないでください」
え、と驚いて目を開くカカシの顔に自分の顔を寄せる。
「したら本当に追い出します。それだけは譲りません」
その言葉からカカシが何を知ったのか、分からない。
だが、イルカの目を見つめて、カカシは悪戯な笑みを浮かべて、分かってますと、密かに笑った。



頭と全身を強く打ち、打撲をしてした。
毎日トレーニングは欠かさなかった為か、思いのほか回復は早い。
頭に多少の損傷があり傷を縫っていたので、雑務や簡単な業務をする。
イルカが退院してすぐ、カカシは里に戻ってきた。イルカの退院後の介護をすると火影に直談判し、無理に任務離脱をしてきたのだ。
カカシの奇天烈な性悪は火影も認識しているからか、意外にも承諾された。

過去に自分が行った事は、意識を失って見た夢なのか、現実に起こった事なのか、今も分からない。カカシの浮気相手が自分だと思いたいあまりに見た妄想なのか。
ちゃぶ台にカカシと向かい合いながら、朝食を食べる。朝食はカカシが作った。家事も全てやると言って聞かないから、お願いした。
カカシは驚くほどイルカを甘やかした。まるで別人のようで、でも本当はこれがカカシの素なのだと、思えた。厭らしい魂胆が見え隠れするが、それでもいい。
納豆を食べているカカシを見て、可笑しくて吹き出した。
「なんで笑うんですか?」
「...だって、糸が、朝日に輝いてますよ」
ムッとして口を尖らせる。
「ほっといてください」
食べにくいから苦手だと言ってたのに、自分の為に納豆を毎朝出してくれる。
その優しさに、カカシを見ながら目の下に皺を作りイルカは微笑んだ。



窓辺に置かれた灰色かがった多肉植物。朝日にきらきらと輝いて。
二人を見ている気がした。

<終>


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