口笛⑩

早く、春になればいいのに。
そしたら、寒くなくなって。人肌寂しさを覚える事は、なくなるんだろうから。
仕事が忙しくなって。仕事に没頭できるから。


アスマにカカシの事を訊かされた少し後、アオシから手紙が届いた。

それは。
一方的で主観だらけで。
ずっと優等生を演じてきた、とか。
カカシと関係を持った経緯を簡潔に書いていた。
当時つき合っていた恋人が、同じ暗部の部隊だったとか。
その恋人が、自分のミスで命を落としたとか。
そこから自暴自棄になり、鬱屈して、どうでもよくなって、仲間を瀕死に晒したとか。
その命を落とした恋人はーーあの、アカデミーで一つ上の女の子だったとか。
あの戦場で、カカシの天才的な才能に惹かれていたとか。
イルカといると、自分らしさが取り戻せたとか。
もう会えないのかとか。
イルカと再開して、カカシとつき合っている事を知った時の驚きとか。
みんながうまくいけばいいと思ったとか。

彼なりに苦しんでいた事は、分かった。



「で?」
立て肘ついて、煙草を吹かしながら。アスマは機嫌が悪そうな声を出した。居酒屋の個室で二人。向かい合って座っている。
「何処に遠征されてるのか、教えて欲しいんです」
アスマは頭が痛いと、額に手を当てた。
「分かってんだろ。場所は一つじゃねえ」
「じゃあ、知ってる場所を」
唸るような息を吐き、アスマは黙った。
「.......あのな、....」
真面目な表情に、アスマは呆気にとられる表情を浮かべて、嘆息した。
最初にきっかけを作った、自分にも責任がある事は分かっている。
だから、ここはイルカを説得するべきだと分かってるが。
「ソーセージもつけます」
そんな台詞を凄みのある声で言われて、頭を抱えたくなった。
そんなんでしゃべるとでも思ってる訳じゃないだろうに。
何とも必死なイルカの目に、アスマは煙草を深く吸い、息を吐き出した。
「....一番近い場所なら、教える。だが、それだけだ」
「それで、いいです」
それはきっとイルカの本心なのだろう。ただ、気が済む事をやりたいだけなのだ。闇雲に、何かをしなければ気が済まないのかもしれないが。
アスマはただ。イルカの酒を呑む姿を静かに見つめた。

「俺の事、....馬鹿だと思いますよね」
居酒屋からの帰り道。二人で並んで歩きながら、イルカがぽつりと呟いた。
アスマは暫く黙った後、んー、と曖昧に返事をする。
「今更って思ってますよね」
イルカのそれには答えずに、煙草をポケットから取り出した。火をつける。
「....ってゆーかな。やべーよ、お前」
そこでまたアスマは煙草を深く吸った。
「イルカ。お前だけ止まってるよ、時間」
横を向けば、気難しそうな顔をしているアスマと目が合った。
「だろ?...もうな、カカシも、アオシも、みんな別々に歩き出してんだよ。だから、」
お前も前見なきゃ、悲しいだろ。
冷えた身体に、その言葉はしっかりと染み渡った。それが正論だって、嫌と言うほど分かっている。それは、イルカにも十分分かっていた。
あの時から、自分だけ立ち止まり、季節だけ変わるのを待っていたって、仕方ないと。
それでも、思い出すのは。カカシの事ばかりで。
思い出す事すら、してはいけないのだろうか。





教えてもらった場所は、小さな里だった。
自分の足で移動しても3日はかかる場所だったから。1週間だけ、休みをもらった。
だから、ここにいれても1日。
緑が多い綺麗な里は、海に繋がっている湖が近い事から、昔から湖で取れる魚や貝を特産物にして里を潤わせているらしい。
だからか、ここは、山も近いのに、潮の香りもして木の葉とはまた違う匂いがした。
イルカは書き留めた紙を見ながら、町並みをぼんやりと眺めた。
カカシさんは、ーーここにいるのか。訪れた後なのか。
特殊な部隊だから、いても姿は見せないのかも知れない。いや、きっとそうなんだろう。
イルカは手にした地図で移動しながら行ける範囲まで動いてみた。山の中や、湖の周り。一日で動ける範囲は限られているから、それだけであっという間に時間が過ぎる。
動き回ったせいか、足が痛い。そうだろう。この里に早く来る為にも飛ばしてきたのだ。そのままずっと動きづめでチャクラも少ない。
日が暮れた森の中で、ため息をつく。
宿さえとっていない。取りあえず街に戻らなければ。
ふらと、立ち上がるとイルカはゆっくりと歩き出した。
「すみません、もう今日はいっぱいで」
宿屋の女中に頭を下げられ、イルカも頭を下げた。
「いえ、こっちも急だったので」
周れそうな宿はもう空いていない。あとは訊かなくても分かる値段が高そうな旅館ぐらいで、空いていても泊まれる訳がない。
「.....野宿かなぁ」
夜空を見上げて呟いた。

場所は違えど、見上げる夜空は木の葉と変わらない。
明日も天気がいいのだろう。星が綺麗に瞬いている。
視界に入る月に、イルカは顔を顰めた。満月だった月が、欠け始めている。それがおぼろに月の色を薄めて、思い出す髪色に眉を寄せた。
それは思ったより柔らかくて。少しだけ猫毛で。寝癖のように頭はぼさぼさなのに、気にする事もしなくて。
溢れそうな涙以上に一気に蘇るカカシの記憶に、必死で歯を食いしばった。
ドン、と何かにぶつかり身体が揺れた。拍子に持っていた鞄が落ちる。
「...ってえな」
身体の大きな男に睨まれる。酒臭い男に、イルカは頭を下げた。
「すみません」
語尾を言う前に男はふらふら歩きながらも立ち去る。
イルカは落ちた鞄を拾い上げた。
(.....何やってんだろ、俺)

もうカカシはこの街にいないって分かってるのに。

小さな笑いがイルカの口から漏れた。

もうカカシは俺の事なんて考えてないのかもしれない。
もう俺の事は忘れて、任務に没頭して
好きな人も出来たかもしれない

鞄を肩にかけ直して、明かりが灯る町並みを眺めた。
「本当、何やってんだ俺は...」
こんな知らない街まで来て
思い出すだけで会えなくて
やっぱり独りだって、確かめて

「.....イルカ...?」

その声に思考が途切れる。
力なく声の方を向けば、緑色の目を丸くした男が立っていた。見慣れた木の葉の支給服に、イルカと同じように鞄を肩にかけて。
アオシがこっちを見ていた。
なんで。
そう思いかけて、イルカは眉根を寄せた。
アオシに会いたくなかった訳じゃない。
ただ、今は。
今は、俺が探してるのはカカシさんなのに。
黙って立ち尽くすイルカにアオシが駆け寄り、顔を覗き込んだ。
「こんな所で...何してるんだ?」
「..........」
無言でいるイルカに、きっと何かに気が付いているかのかもしれない。
アオシはイルカの身体を上から下まで眺める。少し汚れた服に、疲れた顔色のイルカに、心配そうな眼差しをじっと向けていた。アオシは口を開く。
「俺、ここの街に派遣されて。教師をしてて」
派遣された事は訊いてはいたが。
「ここに、来てたのか」
「ああ」
「....そうか」
これ以上何を話したらいいのか、再び黙ったイルカの腕を、アオシが両手で掴んだ。
「もし!もし...泊まるとこないなら....俺の家、来ないか?」
掴む腕の力は強いのに、話す言葉は弱々しくて。イルカは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。
「うん」
「....良かった」
アオシがホッとして微笑んだ。その顔は、ーー久しぶりに見たアオシの笑顔だった。

アオシは二階建ての綺麗なアパートに住んでいた。
家で最初に風呂を用意され、風呂に入った。風呂から上がると料理がテーブルに並べられていた。野菜中心だが、フライパン料理メインなのは自分と一緒だ。
それでも、どの料理もすごく美味しくて。でも、美味しいと言えずに、イルカは黙って食べた。
その間、アオシはここの街の事や、学校の事を口にし、木の葉にいた事は話す事はなかった。それは自分も同じで。口にしては、いけないような気がした。

夜が明ける前に目が覚めた。黙って出て行くことは忍びないが、起こす事もしたくない。静かに着替えて支度を済ませ玄関に向かおうとした背中に、声がかかった。
「行くのか」
振り返ると、アオシが寝ていたソファから起きあがった。
自分より優れた忍びが、気がつかないはずはない。
イルカは微笑んでアオシを見つめた。
「悪かったな」
そのイルカの微笑みに、少しだけ目を丸くして、でもすぐにアオシも微笑んだ。
「なんのなんの」
それは小さい頃からアオシの口癖だった。急にその台詞が懐かしくて。イルカは微かに俯いた。
俯いたまま口を開く。
「....別れたのは、アオシ。お前のせいなんかじゃない。俺が...愚かにもカカシさんを信じることが出来なかったから。だから、」
そこで顔を上げて、アオシの目に浮かぶ涙に言葉を止めた。
アオシは。微笑んでいた。涙に揺れる緑色の瞳は綺麗な色をしている。
目を細めてアオシを見つめた。
「カカシさんに愛されてるのは俺だって。...それだけで十分だったのにな」
ごめんな。

俺は不器用だ。
それでも、アオシは分かってくれたのか、深く、一回頷いた。

街の外れまでアオシは見送ってくれた。
まだ薄暗い中、二人で歩きながら。
手紙で書かれていた、戦時中になくなったアオシの恋人の話をした。
「....慰霊碑には名前は?」
「うん。ある」
「...じゃあ、今度お前がこっちに帰ってきた時、一緒に花を手向けても、」
「そんなのいいに決まってるだろ」
アオシが笑った。イルカが驚いて顔を見ると、方眉を上げた。
「喜ぶよ、きっと。アイツも」
「じゃあ、木の葉で待ってるから」
「うん」
約束だな。

握手を交わしたアオシの手は、暖かかった。
アオシは学校があるからと、街へ帰って行った。

イルカはしばらくその場で立っていたが。どうしよかと、深呼吸し、道の端に座り込んだ。
ここは湖が観光地としても有名なのだろう。朝早いと言うのに、ちらほらと旅客や商人が街に入っていく。その行き交う人を眺めながら、イルカはアオシに渡されたおにぎりを頬張った。
塩が利いて旨い。中には、焼き鮭が入っていた。
焼き鮭はカカシさんが好きな具の一つだっけ。
食べながらぼんやり思い出し、イルカは微笑んでいた。
ーー思い出しても、胸が痛くない。
忍びも勿論いるんだろうが。自分の前を歩いていく色々な人を眺めて。何でだろう。カカシさんに似てる人もいるんだ、と思ったり。それは横顔でも、髪型でも、体格でも。
それが可笑しい。
雑踏を聞きながら、イルカは目を閉じた。

こんなにも、あの人に似てる人が、いっぱい、いる。

イルカは目を開けた、

帰ろう。

帰って、今年アカデミーに入る新入生の準備をしなくては。
あと、進級する生徒の引継資料をまとめて。
入学式の準備も。

だから、帰ろう。

朝の空気が肺に入り気持ちがいい。
イルカは立ち上がり、背伸びをする。多くの人が通る中、銀色の髪が目に入った。
髪色が似ている人もいるんだ。
目で追っているとその頭がひょこと、動いた。人影に隠れてよく見えないが顔立ちもよく似ている。
ああ、本当にいちだんとよく似た人だ。世界は狭いって事か。
そんな事を思いながら眺めていると、男は人の流れを避けながらこっちに向かって真っ直ぐ進んでくる。
見たことのない、漆黒のコートに身を包んで。
気が付けば、目の前にカカシが、立っていた。それがカカシだと信じられなくて。その姿を只々見つめた。
カカシもまた、同じように呆けた顔をしてイルカを見ている。
「なに....してんの?」
カカシの声に、イルカの身体がぴくと反応した。カカシに見つめられる中、口を開いた。
「何って...。さがしてて....ずっと、カカシさんを...さがして」
「探して?...俺を?」
カカシが不思議そうに自分自身を指さす。イルカはこくんと頷いた。
「イルカ....アカデミーは?」
「今週は休んでて、」
「いつから、いつからここにいるの?」
「....昨日から...」
「時期的に、忙しいんじゃないの?」
「忙しいですよ。仕事が詰まってて、たぶん帰ったらずっと残業です」
「そう....俺はね、昨日任務が終わったからここの里に入って、ま、内容は言えないんだけど、」
そこで会話が途切れる。
目の前にカカシがいる。
カカシがいて、話をしている。
それが、まだ信じられないのに。訊かれると言葉がすらすら出てくる。
久しぶりに見るカカシの顔を、目を、髪を、顔立ちを、じっと見つめた。
カカシは首を傾げた。
「探してるって....ね...俺たち、別れたんだよね?」
その言葉に目の前がぼやけた。身体が、心が、震える。
そうだ。
知ってる。
別れたって。
でも、どうしても。
さっきまで、思い出しても何ともなかったはずの身体が、胸が苦しくて。喉が震える。イルカの顔がくしゃと歪んだ。
「あいっ、…会いたかった」
イルカから出た言葉にカカシは微かに目を開いた。
カカシの名前を呼んだら、イルカの中で何かが切れた。涙が零れ、幾筋も頬を伝う。
「...カカシさんに会いたかったんです...!」
泣きながらカカシを求め両手を広げるイルカに、カカシは息を呑んだ。
もう、自分に振り向くことがないと思っていた。そのイルカが。自分の名前を呼んているイルカが、目の前にいて。
その胸には、忘れるわけがない、自分が渡した木の葉病院のマスコット。ーーキツネの根付けが、揺れていた。

会いたかった

抱き留めて欲しいと、腕を広げるイルカを見つめる。

カカシさんに会いたかったんです

「...勝手だって分かってるけど...っ、どうしても...会いたくて...!」
腕を伸ばしたイルカを浚うように抱き締めた。
「うん」
小さく囁き、優しく、でも力強くイルカを腕の内に入れ、首もとに顔を埋める。
イルカの、温もり、匂い。
それがどうしても信じられなくて、カカシは抱き締める腕に力を入れた。
「馬鹿だね、イルカは」
小さく笑って、イルカの髪に唇を落とした。


ねえ、カカシさん

なに?

怒ってますか?

何で?

今更って思ってます?

...俺はね、イルカの事なんて忘れてたから

じゃあ、好きな人、出来ました?

.........

元気でしたか?

…あのね、忘れるわけがないの、知ってるでしょ?好きな人も出来るわけない。だからね、

だから?

俺、ここの街の旅館泊まってるの。そこに、行こ?そこでいっぱい話聞かせて?


囁く会話が雑踏の中、続けられる。
抱き合ったまま、2人は風のように消えた。



<終>


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その後の2人をかけたらいいなあと思っています。

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