真夜中のポルカ⑤

イルカは道を歩いていた。周りは霧で何も見えない。道を歩いていたはずなのに。足下に目を向けたらシーツの上にいた。真っ白いシーツの上をゆっくり歩く。ふわふわしていて気持ちが良い。
これは夢だ。
それでもイルカは足を進める。
チリン、鈴の音が聞こえた。辺りを見渡すが、一面の霧で何も見えない。鈴の音はだんだんとイルカに向かって近づいてくる。
チリチリと小刻みに揺れているような音だ。
不意に足下に何かが触れた。下を向くと、銀色の毛並みの猫が身体をすり寄せている。長い尻尾をぴんと立て、何度も顔をイルカの足に擦り寄せ、その度に首に付けられている鈴が鳴る。
イルカはしゃがみ込んだ。柔らかい毛並みを撫でるとイルカの手に顔を擦り寄せた。催促されるがままに喉元を指で撫でると、気持ちよさそうに目を細め、上機嫌に喉をゴロゴロと鳴らした。
その細められた目は、右目は銀色に輝き、左目は赤い光を放っている。その猫は尚もイルカに甘えようと擦り寄る。イルカは抱き上げて自分の膝に座らせた。
人懐こいし首には鈴がある。飼い猫だろう。
「お前、どっから来たんだ?家は?」
額辺りを指で撫でながら伺うと、既に猫は静かに寝息を立てている。
「猫が喋るわけないか」
にしても、暖かい。膝からぽかぽかと、その猫の温もりが暖かく気持ちがいい。夢の中で寝るなんて変だと思いつつも、睡魔に誘われるままに瞼を閉じた。
不意に聞こえる歌声。
(あぁ、またあの歌だ)
頭に残っていた歌声。聞いたことがないはずなのに、知ってる。
(ーーそうか)
カカシが、歌っている。これはあのカカシの歌声。
囁くような消えそうな声。
あまりに悲しそうに聞こえて胸が苦しくなった。
空から降ってくる歌声を聞きながらイルカは意識が薄らいでいった。

イルカの意識がゆっくり戻ってくる。頬に感じる布の感触が気持ちよくて、ぼんやりとした頭で目を閉じたまま。薄い眠気がイルカを包む。
夢を見ていた気がする。
むくりと顔を上げると、カカシの寝顔が視界に入る。カカシの寝ているベットの横で、いつの間にか寝てしまっていたのか。
目をこすり窓を見れば、少し空いたカーテンから空が白み始めているのが分かる。
再びカカシの寝顔に視線を戻した。
銀色の髪は薄暗い部屋の中でも不思議と輝いて見える。彼の髪を見ただけでムカつきを覚えていたはずなのに、今はそんな気持ちにはなれなかった。その寝顔は無防備で、安らかで。里一の忍びであるカカシに思うのは変だとは思うが、まるで子供のようだ。
銀色の睫が微かに動くと同時に薄っすらとカカシが目を開いた。淡い青色の目はすぐにイルカを捉える。
数秒交わった視線から、イルカは自分から逸らさないカカシの視線に耐えられなくなり、口を開いた。
「気分は、どうですか?」
半分寝ぼけている頭を回転させながら。
カカシは漸く目を伏せた。
「もう、いいから」
そう言うとカカシはゴロリと身体の向きを変え背を向けてしまった。
素っ気なさから機嫌の悪さが伺える。ただ、それは昨日ここに来てからずっとだ。自分が勝手に部屋に押し入ったのだから仕方がないが。
「帰って」
そう言われたら帰るしかない。
今まで自分にされた事を考えたら、文句の一つや二つは言ってもバチはあたらないだろう。
だが、あのカカシで上忍と言えど病み上がりなのだ。そんな相手に流石に言う事は出来ない。
そう、カカシはもう熱は下がった。
軽く息を吐き出すとイルカは黙って立ち上がった。寝室から出て玄関へ向かう。振り返るがカカシの姿はここからは見えない。
何か言おうか考えて、やめた。
下足を履いて立ち上がる。
「嫌いなやつに優しくなんかしないでよ」
扉に手をかけた時に 背中に届いた声。
一瞬思いとどまったが、イルカはそのまま外に出た。

夜が明けた里は朝靄に包まれていた。寝起きの身体をヒヤリとさせる。ゆっくり歩きながら、まだ寝静まっている住宅の脇道を歩く。
(何を勝手な)
消えないカカシの言葉に顔を顰めた。
なのに。
胸が痛くなった。
きっとカカシは悲しそうな顔をしていた、そんな声の調子だったから。
彼はそれに気が付いているのだろうか。
イルカはキュっと眉を顰めた。
確かにカカシを嫌いだと言ったのは自分だ。それは今もそうだ。嫌いだ。大嫌いだ。
悔しくて。許すつもりなんてない。

その頭に、ふわりと何かが蘇った。反射的に足を止めていた。
それは夢で聞いた歌。ハッキリと、蘇る。カカシの歌声と共に蘇るその歌詞に、小さく息を呑んでいた。
(これって、もしかして)
唐突な思いつきだが、確実に。
それは、自分の事を歌っていた。
悲しそうに。
霧が晴れたかのように正解を見いだしたのに、どうしようもない動揺がイルカを襲う。
(ーーー莫迦な人だ)
間違いだらけの歪んだ感情。
そう分かったら、体中の力が抜けた。
同時に泣きたくなった。
力ずくでねじ伏せていたカカシを許す気なんてなかった。
なのに、弱ったカカシを見たらいてもたってもいられなくて。それが、どういう意味なのか。分かっていた。
分かっていたが、認めたくなかった。
このまま帰ればいい。そしたらもう何もかも終わりだ。そう、あの忌まわしい関係が、終わる。
キツく目を閉じる。
イルカはクルリと向きを変えると、カカシの家に向かって走り出した。



玄関の鍵は自分が出てったままだったのか、開いていた。帰ったはずのイルカを目にして、カカシは驚いた顔のまま、ベット脇に立っていた。ただ息を切らすイルカを呆然と眺めている。
イルカは自分の携帯ポーチから取り出した物をカカシに投げつけた。それはカカシの胸に辺り、床に落ちれば音を鳴らしながら転がった。
目で追ったカカシは、転がった鈴を白い指で摘む。
「俺は貴方なんて大嫌いだ!」
肩で息をして、怒鳴るイルカと手にした鈴を交互に見た。
「...どういう意味?」
訝しむ顔を見せるカカシを睨んだ。
「お返しします」
「返すって...これ返したらアンタ、」
「俺は貴方の猫じゃない!でも...っ、ろくに何も食べないで寝ないあんたを見るよりよっぽどマシだ!」





その言葉を聞いた時、カカシは頭が真っ白になった。
目の前に立っているイルカは、明らかに分かっている。
きっかけは何でも良かった。
無理矢理でも手に入れたかった。欲しい。それだけだった。はずなのに。
あの日、雨の中イルカから怒鳴りつけられた自分を嫌いだという言葉を聞いてから。驚くくらいに世界が灰色になった。
嫌いならそれでいいと、思えばいいのに。漸く自分の中にある気持ちに気が付いた。
ーーでももう遅い。

任務以外、何をやっても手に着かない。それならまだマシだった。気晴らしに遊郭へ行っても、女を抱けなかった。寝れなくて、ついに食欲もなくなった。
滅多にひかない風邪をひいても、どうしようとも思えなくて。青い顔をして歩いているカカシに昔の女が声をかけてきた。
鬱陶しい。カカシは無視した。
風邪の症状は酷くなる一方なのに、何も受け入れたくなくて。
いい加減任務に支障をきたしかねない、病院に行くべきなのかと、ぼんやりベットで考えていた時に、イルカの声がした。驚きに玄関を開けると、本当にイルカが立っていた。
自分を嫌いだと言ったイルカ。また言われるのが怖いと、思った。怖くて拒否したが、イルカを家に入れていた。
久しぶりに見たイルカはまた怒っているようだった。それなのに、親切心からなのか、何なのか。イルカに任せるようにしていたら、気が付けばずいぶん身体が楽になっていた。心も。
朝方、目を覚ますとイルカは自分のベットの脇で寝ていた。その顔を見ていたら、口ずさんでいた。
決して手に入らない黒猫の歌。
きっと歌うのはこれで最後だ。
なのに。
イルカは出て行ったはずなのに、戻ってきた。


カカシは手を伸ばしてイルカの腕を掴んだ。
「え...?」
ベットに押し倒し、布団の中に引っ張り込む。驚きに身を硬くして目を見開いているイルカを間近にのぞき込んだ。
イルカを腕の中に入れ、カカシは溶かされるような安堵感に胸がざわめく。
暖かい。イルカの匂いに胸が締め付けられる。
やっぱり、この人がいい。
この黒猫が、欲しい。
わき上がる気持ちのまま、カカシは抱きしめる腕に力を込めた。苦しそうに息を詰めるイルカの首元に顔を埋める。その首もとで囁いた。
「イルカ先生」
名前を呼べば、それだけじゃ足らなくなる。イルカの首に唇を押しつけた。
「好き」
一度口にすると、その気持ちがあふれ出す。溢れすぎて苦しくなって。
こみ上げるものが何なのか。
不意に涙が出そうになった。泣きたくなくて腕に力を入れる。誤魔化したくて口を開いた。
「好きっていいなよ。だってそうでしょ?アンタ俺が好きだから戻ってきてくれたんでしょう?ねえ」
イルカは黙ったままだ。暫くして、漸くイルカはやがて腕をカカシに回す。それがどういう意味なのか。
気持ちが押さえきれずカカシは耳たぶを甘噛みし、イルカの身体をまさぐる。イルカの唇を求めて腕を放すと、真っ赤になっているイルカがいた。
一瞬そのイルカに見とれていると、まさぐっていた手を思い切り抓られた。
「調子にのるな」
怒った口調で言う。
まだ許されるなんて思っていないけど。
怒った顔の黒い瞳の猫にカカシは魅了される。カカシはイルカに聞く。
「あの歌、歌っていい?」





確かに腕を回したのは同意を意味していたが。調子に乗るカカシに釘を差したく睨んだのに、カカシは微笑んだ。
言葉にも態度にも出来ないくせに、決して上手くもないそのカカシの歌声は。
静かにイルカの心に染み入る。
こんな不器用な男見たことない。
俺を猫に例えてるけど、俺から見たら貴方の方がよっぽど猫らしい。
掴めなくて、気まぐれで、自分勝手で。ーーー甘えん坊だ。
きっとこの猫は家に居着くだろう。それを自分は望んだのだ。
カカシの歌声を聞きながら、すり寄るカカシに身体を預けた。


<終>


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