苦い⑤
まだ下忍になったばかりの部下の任務のランクは基本一番下。それはどの班であっても同じで内容に大差はない。
そこに部下のやる気や能力が上乗せされる事により、予定終了時刻にも差が生じるが。
今回はそう大差がなかったようだ。
部下を解散させ受付まで向かう途中、見知った背中を見つけて、何故かカカシは舌打ちをしたくなった。
自分より大きな背中が角を曲がり受け付けがある部屋に消えていく。カカシもゆっくりと歩き、受付の部屋へ足を踏み入れる。
イルカがアスマの報告書を受け付けていた。その報告書を受理したイルカは、他に渡したい書類があると立ち上がり、いて、と声を出した。
イルカが庇うようにもう片方の腕で二の腕に触れる。
書類を持って戻ってきたイルカにアスマが笑った。
「何だイルカ。怪我ってわけじゃないよな」
冗談めかした科白にイルカも眉を下げて笑う。
「いえ、ちょっと体術の授業で」
「へえ、お前にしちゃ珍しいな」
ええ、まあ。とまたイルカが笑った。
昨日は実戦を想定しクナイと手裏剣を使った。あくまで今度の任務に支障が出ない程度に。普段イルカが授業でも使わない投げ方は、当たり前だが二の腕に多少痛みが残る事も想定はしていた。
事実とは違うイルカの言い訳を聞きながら、カカシは別の列に並びながら頭を掻く。
はっきり言えばいいのに。何で?と率直な疑問が沸き上がる。
けど、イルカの照れ隠しのような表情を見つめていると。なんとなく分かる。
恋愛とか。あんまりそっち系の感情には興味ないけど。
(・・・・・・隠すからかげれんって言うんだったっけ)
自分に納得させるように心の中で小さく呟いた。
そんな場面を見たからだろうか。
心の中で引っかかっている光景だと認めたくなかった。
どうせイルカの鍛錬が終わったら、元の感じに戻るんだろうし。特に会話なんてしないだろうし。
自分には関係ない。
だから。そのくらい聞いたっていい。
短絡的な言い訳を心の中で並べ口を開いた。
色々頑張ってるのってアスマの為?
なのに。口から出した時、思った以上に自分の声がいつもと違い緊張しているのが否応なしに気がつかされた。
普段飲まない炭酸なんて飲んだせいなのかもしれない。
はいそうです。ああやっぱりね。
自分の中で勝手に思い描いていた会話。自分の中の当たり前だったのに。
間近で見せた黒い目は、驚きに丸くなっていた。
だから、驚く事も、このタイミングでイルカの手に持っていたペットボトルの蓋が地面に落ちて、イルカと肩が触合う事も。
あまりに予想外で。
気がつけば衝動的にイルカの肩を掴んで口を塞いでいた。
その場から逃げ出したカカシは、歩きながら眉根を寄せた。外の夜風はひんやりとしているのに。珍しく、身体が熱い。戻した口布の上から手で唇を押さえた。
(これは・・・・・・まずい、よね)
だって。それは。
イルカの汗を掻きながら鍛錬したあの情景が浮かぶ。
そう、答えこそ聞き損ねたけど。すべてあのアスマの為で。
(なのに。俺・・・・・・なにやってんの)
「・・・・・・最悪」
苦しそうな表情を浮かべて呟くと、カカシは下唇を噛んだ。
自分の中であの中忍の男の存在が大きくなっている。
それに気がつかないほど愚鈍でもなく。
気がつかないふりをしてみるけど、それは無理だった。
あの後冷静になって考えて見れば。
相手は男だ。なんでこうなったのか。思い返してみても自分の感情を探る事よりもイルカといた時の事を思い出してしまう。
自分はどこかおかしいのかもしれない。
最後に見た、イルカの驚きにぽかんとした表情を鮮明に思い出す度に、カカシは頭を抱えたくなった。
「だからー、今日こそイルカ先生にラーメンおごってもらうんだってば」
ナルトの声にカカシは怠そうに落としていた視線を上げた。背中を夕焼け色に染めたナルトは嬉しそうな顔を浮かべている。
単独任務が続いた中での久しぶりの七班の任務。
無邪気に笑うその笑顔が疎ましく感じて、カカシは小さく息を吐き出した。
もともと下忍の上忍師になる事は決まっていたけど。ナルトの担当にならなかったら、こんな事にならなかったのかもしれない。
イルカとの接点もなく、衝動的だったとは言えあんな事を同性相手にすることだってなかったはずだ。
もやもやと晴れる事のない気持ちの自分とは裏腹に、嬉しそうにイルカの名前を連呼しているナルトを見ていたら意味のない責任転嫁をしたくなる。
再びため息を吐き出した時。
ナルトがイルカの名前を呼んだ。
やば。
浮かんだのはそんな言葉だった。勿論それを裏付ける事をしているのだから、それで合っているはずなのだが。妙にそう思っただけで気持ちに焦りが生じた。
顔を向けると案の定、距離を置きイルカが目の前に立っている。腰にまとわりつくナルトの頭を撫でながら、イルカは真っ直ぐカカシを見つめていた。黒い双眸が、自分を映している。
それだけで心音が一気に高鳴り始めた。
悪いことをした生徒のようにカカシはイルカから視線を外すと、出来るだけ早くイルカの視界から自分を消したくて、別の道へ向かって足を進めた。
追ってはこない。
そう勝手に思いこんでいたから、イルカの気配がどんどん近づいてきたのが分かったとき、何で、という疑問と共に苛立ちが沸き上がった。
もともとどうしようとも思っていなかったのだから、自分にはあり得ない無計画な行動だった。
だから、名前を呼ばれた時は諦めてイルカに向き直り、そこから思いだしても恥ずかしいくらいの言葉を吐いていた。
その科白の合間に言った、アスマの為ではないというイルカの言葉。
次の科白はもっと耳を疑った。
はたけ上忍がいてくれたから
少し顔を赤くしながら恥ずかしそうに。
それは、アスマに向けられているのかとばかり思っていた。
今まで感じたことのない喜びが、カカシの胸の奥が熱くなった。
ナルト達の気配に、カカシは驚くイルカに構わず、民家の陰に引っ張りこんだ。
手の中にあるイルカの指が、手が、熱い。
イルカの困惑しながらも自分を見つめ返す、その黒い目を見つめただけで、またカカシの身体の芯が熱くなった。
キスがしたい。
またその強い欲求が沸き上がる。
こんな感情今までない。
柔らかいイルカの唇を堪能するように、イルカの熱を感じたくて前よりもっと深く口づけた。
風が強く吹き2人の頭上の緑が音を立てて揺れた。その音とと共に聞こえるナルトの声。
でもさあ、イルカ先生とカカシ先生って変な組み合わせじゃねえ
その科白にカカシは秘かに笑う。
(・・・・・・問題ないね)
今までの不安を払拭するように、イルカに口付けながら心の中でナルトに答えるように呟いた。
そう思っていたのは勘違いだったのか。
雨の中、自分の欲求のままにキスをして思い切りキスしたら。
ーー怒られた。
カカシはイルカが走り去った道を、傘を差したまま見つめる。さっきまで感じなかったのに、イルカがいなくなっただけで寒さを濡れた右肩に感じた。
こんな時は、どうしたらいいのか。
カカシは濡れた右手を上げ頭を掻いた。自分の思ったままに行動してこんな結果になっているのを考えると、そのまま追いかけるのはまずいのかもしれない。
頬を赤らめながらも、困惑したイルカの顔を思いだした。今日執務室前の廊下ですれ違った時は、こんな感じでもなく。どちらかと言えば、上手くいってるとばかり思っていた。
それに。
(・・・・・・もうしない、なんて)
そんな方向に持って行くつもりじゃなかった。
その言葉に結構傷ついている自分が、なんかおかしくも感じる。丸で自分が自分でないような。
他人に振り回された事がなかったからか。もともと無神経で何を人に言われようが気にした事は一度もなかったのに。
イルカに受け入れられていなかった。その事実はしっかりと自分を落ち込ませるには十分で。
カカシはため息を吐き出しながら、雨が濡らしている砂利道をただ見つめた。
「お前今日あっちの任務じゃなかったのか」
上忍待機室で深く座り足を組んでいたカカシは顔を上げた。アスマの顔を見てすぐ手元の冊子に視線を戻す。
「・・・・・・・・・・・・別に」
自分でも不機嫌な口調だと思った。アスマも素直にそれに反応して片眉を上げるも、何も言わずに斜め前にどかりと腰を下ろした。
アスマの吐き出す煙草の煙だけが静かに空気中を彷徨う。
開けた窓から聞こえた子供たちの声にカカシは顔を上げた。演習場にでも移動しているのか。楽しそうにはしゃぐ声に、早くしないと始まっちゃうでしょ、と誰かを非難するような女の子の声。
「・・・・・・お前さあ」
窓へ目を向けていたカカシに声がかかる。
返事もせず視線をこっちに向けないカカシに再びアスマが口を開いた。
「イルカと最近仲いいよな」
カカシはゆっくりと眠そうな目をアスマへ向けると、煙草を咥えたままのアスマと目が合った。
何を言い出すのかと、カカシは無意識に抗議の眼差しをアスマに向けていた。それに、何かを探るような目が気に入らない。
それを抑えているカカシをアスマは静かに見つめ、また口を開く。
「ああ、違うか。仲良かったのはちょっと前か。最近はあんまり、」
「そーお?そう見えた?でも別に関係ないでしょ」
アスマが最後まで言い終わらないうちに遮るようにそう言い、カカシはそのままそっぽを向くようにアスマからまた視線を外した。
「・・・・・・ま、ないけどな」
アスマが小さく呟く。
「まあ、俺は昔っからあいつの事は知ってるからよ」
アスマが言い終わるのと同時に上忍待機室の扉が開き、話をしながら数人の上忍が部屋に入ってきた。
カカシがアスマに顔を向けたまま、微かに眉を寄せた。が、人が入ってきたからか。今度はアスマが素知らぬ顔で一人煙草をふかしている。
カカシは手に持っていた冊子を閉じるとポーチに仕舞い立ち上がった。七班の任務時間はもう少し先だが、正直ここには居たくない気持ちの方が強かった。
待機室を出てカカシはポケットに手を入れて歩き出す。
(・・・・・・昔から知ってるって・・・・・・なにそれ)
建物の外に出て、アスマの科白を思いだしただけで、またカカシは強い苛立ちを感じた。
昔からイルカと知り合いだったのはカカシも聞いたことがあった。気に入らないのは、アスマのあの言い方。
丸で自分は何も知らないだろうと、言われているようで。
胸くそ悪い気持ちが広がり、カカシは下唇を噛んだ。
「カカシ」
集合場所までもう少しと言う距離で名前を呼ばれる。顔を向けると、同じ上忍のくノ一が片手を上げた。
「なあに、その怖い顔」
隣に来るなり小さく笑いをこぼされる。セミロングの黒い髪が揺れ、カカシはその色を追うように、視線をくノ一に向けていた。
当たり前に思い出すのはイルカで。
短い間に色々な表情を見てきたのに。今思い出すのは、最後に見せた顔だった。
責めるような、揺れる黒い眼差し。感じた事のない痛みが、胸を刺激する。
カカシはぼんやりと視線を宙に浮かばせた。隣でくノ一が何か言っているが、カカシの耳には届かない。
イルカの表情は。怒っているようで。でも少しだけーー泣きだしそうだった。
カカシは落としかけていた視線を上げた。
「カカシ?聞いてるの?」
名前を呼ばれるが、無視してカカシはくるりと向きを変え、受付に向かって歩き出した。
カカシが受付へ入った時、受付にいた中忍が少し驚いた顔を見せた。自分が今日この時間は七班の任務だと知っているからだろう。
でもそんな事はどうでもよかった。
「ね、イルカ先生は?」
いつもより少し早い口調で聞かれ、相手はまた少し驚きながら、言われた事を頭に入れるように、ああ、と言いながら頷いた。
「イルカは任務予定表を渡しに、上忍待機室へ、」
「そ、ありがと」
最後まで聞かずにカカシは直ぐにまた部屋を出た。
上忍待機室。
さっきの今であの顔を見るのは気分が悪いとそんな考えが微かに浮かぶが、それも正直どうでもいい。
足を早めて上忍待機室へ向かう。受付からは直ぐだった。
待機室に繋がる廊下を歩き、角を曲がり。扉が目に入る。
カカシは手を伸ばし扉を開けた。
***
アスマの手がイルカの肩にかかり、優しく慰めるように撫でられる。
泣きたい気持ちにイルカが視線を下げた時、扉が開いた。
その扉の開ける音が余りにも大きくて。だから、その扉を開けたのがそこに立っているカカシだと思えなくて。
それに、なんで今ここにカカシがいるのか。目を丸くしてカカシに顔を向けていると、カカシもまた目を見開いてこっちを見ていた。
瞬間、勢いよくこっちに向かって歩き出す。
はたけ上忍、と名前と呼ぶ前に、カカシは目の前まで来ると、にゅっと手を伸ばした。その手は真っ直ぐイルカの肩にかかっていたアスマの手に伸び、
「この手、どかして」
言うと同時にアスマの手を払い落とした。
(え・・・・・・?)
その状況がよく分からなくて瞬きをしていると、今度は直ぐにイルカの手を掴んだ。
え、と思う間もなく強い力でその掴んだ手を引っ張られた。上忍待機室をそのまま出る。
「え・・・・・・、え!?ちょっと、」
そこでようやく声を出すが、カカシはイルカに振り返らない。
前を向いているから、カカシの顔を見れない。
ただ、歩調を変えることなくずんずんと歩き、手はカカシが掴んだまま。
表情を見れないから何を考えているのか分からない。手が繋がっている事は嬉しいのに。それが不安に繋がった。
アスマに言われた言葉がまだ胸に突き刺さったまま。引っ張られながら大きなカカシの背中を見つめた。
気がつけばアカデミーの裏山まで来ていた。
「・・・・・・カカシさん、手が痛いです」
瞬間、カカシがぱっと手を離した。足が止まる。
「ごめんね」
優しい声。
それはじわりと胸に広がり、途端イルカは泣きたくなった。
背を向けたままのカカシを見つめたまま、眉を寄せた。
カカシに言われたその意味が分かっても。
でも、自分の悩みとはまた別過ぎて、胸がまた苦しくなる。自分から離れたカカシの手に触れたくなり、手を伸ばすが。止めてそのまま拳を作った。唇を噛んでイルカは俯く。
(そうじゃない・・・・・・そうじゃないんだ)
そう思っても。それを口に出してカカシに言えない。
自分のこの思いは。カカシには伝えてはいけない。
また安易に勘違いをさせてしまう。
「サイダー」
「え?」
ぽつりと呟いたカカシの言葉。何を言い出したのかと聞き返せば、カカシがくるりと振り返った。にこりと微笑む。
「サイダー、あれ別に嫌いじゃないんだけど。今度はそれじゃなくてビールがいいな」
言っている意味が分かるけど、それが今の状況と噛み合ってない気がするが。
でも、それがカカシの誤魔化し方なのかもしれない。カカシ言うように、ビールを奢って、時々飲みに行くような。友人とまではいかないかもしれないが。そんな関係が、一番いいのかもしれない。
イルカは意味を理解するように微笑んで頷いた。
「ええ、いいですよ」
そう、距離を置いた「普通」の関係にーー。
「でさ、イルカ先生」
「はい」
割り切ったように笑顔を向けると、さっきまであった笑顔がカカシにはない。少し緊張した表情に、あれ、と内心首を傾げた。
「カカシさん?」
カカシは少し躊躇いがちに視線を一瞬下げたが、直ぐにイルカを見る。
「俺はあなたが、・・・・・・イルカ先生が好き。だから、・・・・・・真剣に、俺とつきあってください」
イルカは目を丸くしたまま、カカシを見つめた。
(・・・・・・真剣にって)
男同士でつき合うってどういう事なのかお前は分かってるんだろうけどよ
アスマの科白が警鐘ののように頭で何度も浮かぶ。
その意味が俺は分かってる。でも。
(・・・・・・カカシさんは・・・・・・)
思った時、カカシが一歩イルカに近づいた。
「ねえ、何で黙ってるの?駄目なの?」
焦ったような勢いに驚き、カカシの顔を見て、気がつく。
ほとんど隠れて見えないが、頬は赤く。今まで見た事がないようなひどく緊張した顔だという事。付け加えると、少し困り果てたようなそれでいて真剣な顔。
それも、見たことがなく。
それに、自分を見つめるカカシの目が。
不安で揺れていた。
(・・・・・・そっか。そうなんだ)
イルカを包んでいた悩みが、カカシの顔を見ていたら嘘のように消えていく。
そんな不安を抱えていた事が馬鹿らしく思えるように。
事実、一番言って欲しかった事をカカシが言ってくれた。それがすごく嬉しくて嬉しくて仕方がない。
そう、俺もカカシが好きだ。だから、受け入れたい。
イルカは笑顔を浮かべると、応えるべくゆっくりとカカシへ手を伸ばした。
<終>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
海外のカカイラー様、JjannunaさんよりSSで連載している「苦い」のイメージイラストをいただきましたので、こちらに載せたいと思います。
イラストはこちらです。
Jjannunaさん、ありがとうございました!
そこに部下のやる気や能力が上乗せされる事により、予定終了時刻にも差が生じるが。
今回はそう大差がなかったようだ。
部下を解散させ受付まで向かう途中、見知った背中を見つけて、何故かカカシは舌打ちをしたくなった。
自分より大きな背中が角を曲がり受け付けがある部屋に消えていく。カカシもゆっくりと歩き、受付の部屋へ足を踏み入れる。
イルカがアスマの報告書を受け付けていた。その報告書を受理したイルカは、他に渡したい書類があると立ち上がり、いて、と声を出した。
イルカが庇うようにもう片方の腕で二の腕に触れる。
書類を持って戻ってきたイルカにアスマが笑った。
「何だイルカ。怪我ってわけじゃないよな」
冗談めかした科白にイルカも眉を下げて笑う。
「いえ、ちょっと体術の授業で」
「へえ、お前にしちゃ珍しいな」
ええ、まあ。とまたイルカが笑った。
昨日は実戦を想定しクナイと手裏剣を使った。あくまで今度の任務に支障が出ない程度に。普段イルカが授業でも使わない投げ方は、当たり前だが二の腕に多少痛みが残る事も想定はしていた。
事実とは違うイルカの言い訳を聞きながら、カカシは別の列に並びながら頭を掻く。
はっきり言えばいいのに。何で?と率直な疑問が沸き上がる。
けど、イルカの照れ隠しのような表情を見つめていると。なんとなく分かる。
恋愛とか。あんまりそっち系の感情には興味ないけど。
(・・・・・・隠すからかげれんって言うんだったっけ)
自分に納得させるように心の中で小さく呟いた。
そんな場面を見たからだろうか。
心の中で引っかかっている光景だと認めたくなかった。
どうせイルカの鍛錬が終わったら、元の感じに戻るんだろうし。特に会話なんてしないだろうし。
自分には関係ない。
だから。そのくらい聞いたっていい。
短絡的な言い訳を心の中で並べ口を開いた。
色々頑張ってるのってアスマの為?
なのに。口から出した時、思った以上に自分の声がいつもと違い緊張しているのが否応なしに気がつかされた。
普段飲まない炭酸なんて飲んだせいなのかもしれない。
はいそうです。ああやっぱりね。
自分の中で勝手に思い描いていた会話。自分の中の当たり前だったのに。
間近で見せた黒い目は、驚きに丸くなっていた。
だから、驚く事も、このタイミングでイルカの手に持っていたペットボトルの蓋が地面に落ちて、イルカと肩が触合う事も。
あまりに予想外で。
気がつけば衝動的にイルカの肩を掴んで口を塞いでいた。
その場から逃げ出したカカシは、歩きながら眉根を寄せた。外の夜風はひんやりとしているのに。珍しく、身体が熱い。戻した口布の上から手で唇を押さえた。
(これは・・・・・・まずい、よね)
だって。それは。
イルカの汗を掻きながら鍛錬したあの情景が浮かぶ。
そう、答えこそ聞き損ねたけど。すべてあのアスマの為で。
(なのに。俺・・・・・・なにやってんの)
「・・・・・・最悪」
苦しそうな表情を浮かべて呟くと、カカシは下唇を噛んだ。
自分の中であの中忍の男の存在が大きくなっている。
それに気がつかないほど愚鈍でもなく。
気がつかないふりをしてみるけど、それは無理だった。
あの後冷静になって考えて見れば。
相手は男だ。なんでこうなったのか。思い返してみても自分の感情を探る事よりもイルカといた時の事を思い出してしまう。
自分はどこかおかしいのかもしれない。
最後に見た、イルカの驚きにぽかんとした表情を鮮明に思い出す度に、カカシは頭を抱えたくなった。
「だからー、今日こそイルカ先生にラーメンおごってもらうんだってば」
ナルトの声にカカシは怠そうに落としていた視線を上げた。背中を夕焼け色に染めたナルトは嬉しそうな顔を浮かべている。
単独任務が続いた中での久しぶりの七班の任務。
無邪気に笑うその笑顔が疎ましく感じて、カカシは小さく息を吐き出した。
もともと下忍の上忍師になる事は決まっていたけど。ナルトの担当にならなかったら、こんな事にならなかったのかもしれない。
イルカとの接点もなく、衝動的だったとは言えあんな事を同性相手にすることだってなかったはずだ。
もやもやと晴れる事のない気持ちの自分とは裏腹に、嬉しそうにイルカの名前を連呼しているナルトを見ていたら意味のない責任転嫁をしたくなる。
再びため息を吐き出した時。
ナルトがイルカの名前を呼んだ。
やば。
浮かんだのはそんな言葉だった。勿論それを裏付ける事をしているのだから、それで合っているはずなのだが。妙にそう思っただけで気持ちに焦りが生じた。
顔を向けると案の定、距離を置きイルカが目の前に立っている。腰にまとわりつくナルトの頭を撫でながら、イルカは真っ直ぐカカシを見つめていた。黒い双眸が、自分を映している。
それだけで心音が一気に高鳴り始めた。
悪いことをした生徒のようにカカシはイルカから視線を外すと、出来るだけ早くイルカの視界から自分を消したくて、別の道へ向かって足を進めた。
追ってはこない。
そう勝手に思いこんでいたから、イルカの気配がどんどん近づいてきたのが分かったとき、何で、という疑問と共に苛立ちが沸き上がった。
もともとどうしようとも思っていなかったのだから、自分にはあり得ない無計画な行動だった。
だから、名前を呼ばれた時は諦めてイルカに向き直り、そこから思いだしても恥ずかしいくらいの言葉を吐いていた。
その科白の合間に言った、アスマの為ではないというイルカの言葉。
次の科白はもっと耳を疑った。
はたけ上忍がいてくれたから
少し顔を赤くしながら恥ずかしそうに。
それは、アスマに向けられているのかとばかり思っていた。
今まで感じたことのない喜びが、カカシの胸の奥が熱くなった。
ナルト達の気配に、カカシは驚くイルカに構わず、民家の陰に引っ張りこんだ。
手の中にあるイルカの指が、手が、熱い。
イルカの困惑しながらも自分を見つめ返す、その黒い目を見つめただけで、またカカシの身体の芯が熱くなった。
キスがしたい。
またその強い欲求が沸き上がる。
こんな感情今までない。
柔らかいイルカの唇を堪能するように、イルカの熱を感じたくて前よりもっと深く口づけた。
風が強く吹き2人の頭上の緑が音を立てて揺れた。その音とと共に聞こえるナルトの声。
でもさあ、イルカ先生とカカシ先生って変な組み合わせじゃねえ
その科白にカカシは秘かに笑う。
(・・・・・・問題ないね)
今までの不安を払拭するように、イルカに口付けながら心の中でナルトに答えるように呟いた。
そう思っていたのは勘違いだったのか。
雨の中、自分の欲求のままにキスをして思い切りキスしたら。
ーー怒られた。
カカシはイルカが走り去った道を、傘を差したまま見つめる。さっきまで感じなかったのに、イルカがいなくなっただけで寒さを濡れた右肩に感じた。
こんな時は、どうしたらいいのか。
カカシは濡れた右手を上げ頭を掻いた。自分の思ったままに行動してこんな結果になっているのを考えると、そのまま追いかけるのはまずいのかもしれない。
頬を赤らめながらも、困惑したイルカの顔を思いだした。今日執務室前の廊下ですれ違った時は、こんな感じでもなく。どちらかと言えば、上手くいってるとばかり思っていた。
それに。
(・・・・・・もうしない、なんて)
そんな方向に持って行くつもりじゃなかった。
その言葉に結構傷ついている自分が、なんかおかしくも感じる。丸で自分が自分でないような。
他人に振り回された事がなかったからか。もともと無神経で何を人に言われようが気にした事は一度もなかったのに。
イルカに受け入れられていなかった。その事実はしっかりと自分を落ち込ませるには十分で。
カカシはため息を吐き出しながら、雨が濡らしている砂利道をただ見つめた。
「お前今日あっちの任務じゃなかったのか」
上忍待機室で深く座り足を組んでいたカカシは顔を上げた。アスマの顔を見てすぐ手元の冊子に視線を戻す。
「・・・・・・・・・・・・別に」
自分でも不機嫌な口調だと思った。アスマも素直にそれに反応して片眉を上げるも、何も言わずに斜め前にどかりと腰を下ろした。
アスマの吐き出す煙草の煙だけが静かに空気中を彷徨う。
開けた窓から聞こえた子供たちの声にカカシは顔を上げた。演習場にでも移動しているのか。楽しそうにはしゃぐ声に、早くしないと始まっちゃうでしょ、と誰かを非難するような女の子の声。
「・・・・・・お前さあ」
窓へ目を向けていたカカシに声がかかる。
返事もせず視線をこっちに向けないカカシに再びアスマが口を開いた。
「イルカと最近仲いいよな」
カカシはゆっくりと眠そうな目をアスマへ向けると、煙草を咥えたままのアスマと目が合った。
何を言い出すのかと、カカシは無意識に抗議の眼差しをアスマに向けていた。それに、何かを探るような目が気に入らない。
それを抑えているカカシをアスマは静かに見つめ、また口を開く。
「ああ、違うか。仲良かったのはちょっと前か。最近はあんまり、」
「そーお?そう見えた?でも別に関係ないでしょ」
アスマが最後まで言い終わらないうちに遮るようにそう言い、カカシはそのままそっぽを向くようにアスマからまた視線を外した。
「・・・・・・ま、ないけどな」
アスマが小さく呟く。
「まあ、俺は昔っからあいつの事は知ってるからよ」
アスマが言い終わるのと同時に上忍待機室の扉が開き、話をしながら数人の上忍が部屋に入ってきた。
カカシがアスマに顔を向けたまま、微かに眉を寄せた。が、人が入ってきたからか。今度はアスマが素知らぬ顔で一人煙草をふかしている。
カカシは手に持っていた冊子を閉じるとポーチに仕舞い立ち上がった。七班の任務時間はもう少し先だが、正直ここには居たくない気持ちの方が強かった。
待機室を出てカカシはポケットに手を入れて歩き出す。
(・・・・・・昔から知ってるって・・・・・・なにそれ)
建物の外に出て、アスマの科白を思いだしただけで、またカカシは強い苛立ちを感じた。
昔からイルカと知り合いだったのはカカシも聞いたことがあった。気に入らないのは、アスマのあの言い方。
丸で自分は何も知らないだろうと、言われているようで。
胸くそ悪い気持ちが広がり、カカシは下唇を噛んだ。
「カカシ」
集合場所までもう少しと言う距離で名前を呼ばれる。顔を向けると、同じ上忍のくノ一が片手を上げた。
「なあに、その怖い顔」
隣に来るなり小さく笑いをこぼされる。セミロングの黒い髪が揺れ、カカシはその色を追うように、視線をくノ一に向けていた。
当たり前に思い出すのはイルカで。
短い間に色々な表情を見てきたのに。今思い出すのは、最後に見せた顔だった。
責めるような、揺れる黒い眼差し。感じた事のない痛みが、胸を刺激する。
カカシはぼんやりと視線を宙に浮かばせた。隣でくノ一が何か言っているが、カカシの耳には届かない。
イルカの表情は。怒っているようで。でも少しだけーー泣きだしそうだった。
カカシは落としかけていた視線を上げた。
「カカシ?聞いてるの?」
名前を呼ばれるが、無視してカカシはくるりと向きを変え、受付に向かって歩き出した。
カカシが受付へ入った時、受付にいた中忍が少し驚いた顔を見せた。自分が今日この時間は七班の任務だと知っているからだろう。
でもそんな事はどうでもよかった。
「ね、イルカ先生は?」
いつもより少し早い口調で聞かれ、相手はまた少し驚きながら、言われた事を頭に入れるように、ああ、と言いながら頷いた。
「イルカは任務予定表を渡しに、上忍待機室へ、」
「そ、ありがと」
最後まで聞かずにカカシは直ぐにまた部屋を出た。
上忍待機室。
さっきの今であの顔を見るのは気分が悪いとそんな考えが微かに浮かぶが、それも正直どうでもいい。
足を早めて上忍待機室へ向かう。受付からは直ぐだった。
待機室に繋がる廊下を歩き、角を曲がり。扉が目に入る。
カカシは手を伸ばし扉を開けた。
***
アスマの手がイルカの肩にかかり、優しく慰めるように撫でられる。
泣きたい気持ちにイルカが視線を下げた時、扉が開いた。
その扉の開ける音が余りにも大きくて。だから、その扉を開けたのがそこに立っているカカシだと思えなくて。
それに、なんで今ここにカカシがいるのか。目を丸くしてカカシに顔を向けていると、カカシもまた目を見開いてこっちを見ていた。
瞬間、勢いよくこっちに向かって歩き出す。
はたけ上忍、と名前と呼ぶ前に、カカシは目の前まで来ると、にゅっと手を伸ばした。その手は真っ直ぐイルカの肩にかかっていたアスマの手に伸び、
「この手、どかして」
言うと同時にアスマの手を払い落とした。
(え・・・・・・?)
その状況がよく分からなくて瞬きをしていると、今度は直ぐにイルカの手を掴んだ。
え、と思う間もなく強い力でその掴んだ手を引っ張られた。上忍待機室をそのまま出る。
「え・・・・・・、え!?ちょっと、」
そこでようやく声を出すが、カカシはイルカに振り返らない。
前を向いているから、カカシの顔を見れない。
ただ、歩調を変えることなくずんずんと歩き、手はカカシが掴んだまま。
表情を見れないから何を考えているのか分からない。手が繋がっている事は嬉しいのに。それが不安に繋がった。
アスマに言われた言葉がまだ胸に突き刺さったまま。引っ張られながら大きなカカシの背中を見つめた。
気がつけばアカデミーの裏山まで来ていた。
「・・・・・・カカシさん、手が痛いです」
瞬間、カカシがぱっと手を離した。足が止まる。
「ごめんね」
優しい声。
それはじわりと胸に広がり、途端イルカは泣きたくなった。
背を向けたままのカカシを見つめたまま、眉を寄せた。
カカシに言われたその意味が分かっても。
でも、自分の悩みとはまた別過ぎて、胸がまた苦しくなる。自分から離れたカカシの手に触れたくなり、手を伸ばすが。止めてそのまま拳を作った。唇を噛んでイルカは俯く。
(そうじゃない・・・・・・そうじゃないんだ)
そう思っても。それを口に出してカカシに言えない。
自分のこの思いは。カカシには伝えてはいけない。
また安易に勘違いをさせてしまう。
「サイダー」
「え?」
ぽつりと呟いたカカシの言葉。何を言い出したのかと聞き返せば、カカシがくるりと振り返った。にこりと微笑む。
「サイダー、あれ別に嫌いじゃないんだけど。今度はそれじゃなくてビールがいいな」
言っている意味が分かるけど、それが今の状況と噛み合ってない気がするが。
でも、それがカカシの誤魔化し方なのかもしれない。カカシ言うように、ビールを奢って、時々飲みに行くような。友人とまではいかないかもしれないが。そんな関係が、一番いいのかもしれない。
イルカは意味を理解するように微笑んで頷いた。
「ええ、いいですよ」
そう、距離を置いた「普通」の関係にーー。
「でさ、イルカ先生」
「はい」
割り切ったように笑顔を向けると、さっきまであった笑顔がカカシにはない。少し緊張した表情に、あれ、と内心首を傾げた。
「カカシさん?」
カカシは少し躊躇いがちに視線を一瞬下げたが、直ぐにイルカを見る。
「俺はあなたが、・・・・・・イルカ先生が好き。だから、・・・・・・真剣に、俺とつきあってください」
イルカは目を丸くしたまま、カカシを見つめた。
(・・・・・・真剣にって)
男同士でつき合うってどういう事なのかお前は分かってるんだろうけどよ
アスマの科白が警鐘ののように頭で何度も浮かぶ。
その意味が俺は分かってる。でも。
(・・・・・・カカシさんは・・・・・・)
思った時、カカシが一歩イルカに近づいた。
「ねえ、何で黙ってるの?駄目なの?」
焦ったような勢いに驚き、カカシの顔を見て、気がつく。
ほとんど隠れて見えないが、頬は赤く。今まで見た事がないようなひどく緊張した顔だという事。付け加えると、少し困り果てたようなそれでいて真剣な顔。
それも、見たことがなく。
それに、自分を見つめるカカシの目が。
不安で揺れていた。
(・・・・・・そっか。そうなんだ)
イルカを包んでいた悩みが、カカシの顔を見ていたら嘘のように消えていく。
そんな不安を抱えていた事が馬鹿らしく思えるように。
事実、一番言って欲しかった事をカカシが言ってくれた。それがすごく嬉しくて嬉しくて仕方がない。
そう、俺もカカシが好きだ。だから、受け入れたい。
イルカは笑顔を浮かべると、応えるべくゆっくりとカカシへ手を伸ばした。
<終>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
海外のカカイラー様、JjannunaさんよりSSで連載している「苦い」のイメージイラストをいただきましたので、こちらに載せたいと思います。
イラストはこちらです。
Jjannunaさん、ありがとうございました!
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