それは、きっと。

茜色に染まった空を背中に、カカシはアパートにたどり着く。部屋の前まで来て、やはりまだ帰ってきてはいない事に、小さく息を吐き出した。部屋の住人であるイルカは、珍しく任務で里外に出ていた。今日約束をしている訳でもない。だからそのまま自分の家に帰れば良かったのだけれど。こっそり任務表を見て帰ってくれるとすればこの時間だと読んでいた。
見慣れた木の葉の夕焼けを、階段を上った手すりからぼんやりと眺め、カカシは薄っすら目を眇めた。


「どうだ最近は」
いつもの口調で。いつもの問いかけにカカシは隣に並んで歩く老人へ目を向けた。里の長の前だろうと特に変わらずポケットに手を入れたまま歩くカカシは、はあ、と相槌を打つ。
「まあ、ぼちぼちです」
そんな事訊くためにわざわざ声をかけた訳じゃないだろうが。火影の歩調に合わせながら、次の言葉を待った。
ゆっくりと歩いていたがやがて脚を止める。カカシもそれに従った。
咥えていたキセルを口から離すと、視線を上に上げる。またカカシもそれに従い。見えるのは建物の隙間から見える青空とそれを遮るように架かる電線。その電線には目白が二羽、並んでいた。
「ここだ」
「.....?」
火影の言葉に疑問を投げかけようかと思ったが。すぐに歩き出したのでその後に付いて行く。古ぼけたアパートの階段を上っていく。恋人であるイルカのアパートもなかなか年期が入ってはいるが。ここもすごい。錆の為に塗装が剥げ落ちている手すりを眺めながらカカシも上る。一つの部屋で火影は立ち止まった。
その部屋の中には気配はない。火影もそれは分かっている筈だ。火影は躊躇無くその部屋の扉に手をかけて。それは難なく開く。
(鍵、かかってないのね)
不用心だと思うが、まだよく分からないカカシはその部屋に入って行く火影の後について入った。
「三代目、これ誰の部屋です?」
物に溢れ散らかった部屋は正直足の踏み場もない。だらしないにも程があると顰める顔を隠さずに火影を見れば、キセルをふかしながら、静かに見渡していたその目をカカシに向けた。
「お前の新しい部下の部屋だ」
「は?」
少しだけ目を開いて、部下になると言われた住人の部屋を見渡す。テーブルには飲みかけのコップに牛乳が入ったままで、その横にはパックのまま置かれた牛乳。見れば疾うに賞味期限は過ぎている。目に入る物から推測するに、ーーまだ子供。
「今年アカデミーを卒業する生徒をお前に預けたい」
予想出来た答えだが、火影が口に出した言葉はカカシの胸を熱くさせた。それを表に出さないよう努めるのは得意だ。床に散乱している漫画を拾い上げてテーブルに置いた。誰とも訊かなくとも予想が付いて、カカシは微かに眉を寄せた。
「うずまきナルトだ」
「...そーですか」
ここが、ナルトの家だったか。とぼんやり部屋を見渡した。
 どうもアイツが心配で、
心配そうにしながらも嬉しそうに話す、イルカの顔が頭に過ぎる。あまり仕事の話は持ち込まないが、(自分は気にもしていないが、イルカの中では信念として持っているようだった)酒が入った時に時折零すイルカの話にはあの金髪の生徒の事が多かった。
あのナルトをアカデミーで卒業するまで成長させたのは誰でもない、あのイルカだ。たぶん、イルカでなければ成し得なかった事なのだと、カカシは思っていた。勿論イルカには口にも出さなかったが。
「よろしく頼むぞ」
言われ、カカシはにっこりと笑った。
「勿論です」



「あら」
その声にカカシは我に返る。手すりの下に見える大家に会釈した。
「イルカ先生を待ってるの?」
「ええ」
眉を下げて微笑むカカシに大家は嬉しそうに小さく笑った。彼女の中ではしっかり恋人同士だと認識があるみたいだ。敢えて訊いてこないが顔を見れば分かる。イルカがそれに気が付いているかいないかは分からないが。たぶん、間違いなく後者だろうが。
大家はじゃあね、と嬉しそうな顔を崩さないまま自分の部屋に戻っていく。カカシはそれを見届けるとまた目を空に戻した。夕陽はもう沈みかけ色彩では表現できないグラデーションを見せている。ふとイルカの気配に気が付きカカシは視線をを下にずらした。しばらくするとアパートから続く道に、イルカがリュックを背負って歩く姿が確認出来た。ゆっくり砂利を踏みしめて、歩いている。心音が心地よく鳴り、頬が緩み始める。ふとイルカが顔を上げた。自分に気が付いたのだろう。一瞬の驚きの後に微笑むのが見えた。恥ずかしそうに。
その笑顔を見た時。視界がぼやけた。それが涙だと思えなくて。でも確かにそれは涙で、驚きながらもカカシはこみ上げるものをこらえた。
運命だって言ったら。イルカは笑うだろうか。
出逢ったのも。イルカの育てた芽を受け継いだのも運命だと。
イルカの笑顔を見つめながら、目を細めた。
でも、その運命を初めて感じたのは紛れもなくーー。





まだ雨が降っている。
荷解きの手を止めて窓へ目を向ける。木製の窓枠。カーテンもしていない窓からは雨が静かに落ちている。荷物はほとんど出し終わった。あとは部屋の外にある数個の荷物だけ。
カカシは立ち上がると並べたばかりの食器から紺色のマグカップを選び手に取る。インスタントの珈琲を入れ、静かに啜り口に広がる香りに息を吐き出した。
今日から住む事になる部屋をぼんやりと眺めた。
引っ越しは急だった。なんせ任務で暫く里を離れていたから。戻ってすぐアパートの建て替えを訊き、その間は中忍のアパートに部屋を割り振られると言う。面倒くさいな、と思った。上忍ならまだいいが、下になればなる程自分を写輪眼と言うフィルターで見られ接しられ。小さい頃から慣れてはいるが、やはり一言で言えば面倒くさい。出来ればその煩わしい関係の無い場所がいい。
中忍のアパートを断り自分で探したのだが。意外にも骨が折れた。忍びと言うだけで煙たがれる。直ぐに見つけられると思っていたのに。上忍仲間に愚痴れば、女の家に上がり込めばいいだろと言われる始末。確かに恋人はいるが正直上手くいっていないし、一緒に住む気には元々なれない相手だった。かと言って他の女じゃ面倒が起きる。
今日探して無理だったら、大人しく中忍のアパートにするしかないのか。
だから、簡単に承諾した時は驚いた。
「いいわね。忍びなの」
にこにこと人当たりのいい笑顔を大家は見せた。今まで忍びだと言うだけで嫌な顔をされ断られるのがオチだったのに。カカシの驚きを余所にその大家は嬉しそうに続けた。
「最近近所で泥棒があったのよ。だから心強いわ」
「はあ」
なんとも短絡的で楽観的な主観だ、と銀髪を掻いて相づちを打てば、そうそう、と大家は言った。
「ここはね、もう一人忍びの子が住んでるのよ。可愛い子なの」
仲良くしてあげてね。
それは無理な相談、と言いはしないが。
可愛い。それはくノ一になるんだろうが。それはそれで面倒くさい。
「貴方は美人ねぇ、羨ましいわ」
言われ、苦笑いをして適当に笑う。ま、嫌なイメージではないならそれでいい。
どんなアパートでも良かった。どうせマンションの建て替えが終わるまでの間なのだ。それに任務が入ればほとんど家にはいない。
直ぐに手続きをした。



にしても。雨は嫌いじゃないんだけど。よりによって引っ越しの日に雨だったとは。
「ま、いいんだけどねぇ」
一人呟き飲み終わったマグカップをテーブルに置く。
今日は外で蕎麦でも食うか。出来合いの総菜か弁当にするか。
ま、適当に。
ベストだけを脱いだ格好で。額当ても口布もしていないままだが。
やっぱ弁当かな。
玄関の扉に手をかけた。
外に出てすぐ捉えたのは人の気配。目を向けると隣の部屋から男が出てきていた。同じように外出するつもりだったのか。相手の表情に少し違和感を感じた。黒い髪は肩まで長い。スウェットを着ているが鼻の傷から忍びだろうと推測する。
「...どうも」
カカシは取り敢えずと挨拶を口にした。が、男は、ぼんやりと自分を見ている。
「......?」
心なしか目の焦点が合ってない気もする。
その黒い瞳に目を奪われたのは一瞬。赤い頬に厚みのある唇。その唇が開いた。
「はじめ...はじめ、まし...れ」
「え、ちょっ、」
まさか目の前で倒れるのは思っていなかった。傾く身体に、驚き思わず腕を伸ばしていた。
抱き留めるとその重さから意識を失っているのが分かる。男の身体は熱い。苦しそうに息をしている。閉じた瞼は開く様子はない。
可愛い子なの。
大家の言葉が不意に浮かぶ。
腕の中にいる男をマジマジと見つめる。
そして思う。

そうか。可愛いってこのヒトか。

運命の恋人になる男をカカシはジッと見つめた。


<終>







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