Take me higher②
翌日の夕方、カカシはイルカの家にきた。いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべていた。
「先生、これお土産」
渡されたビニール袋にはキュウリや茄子、ピーマンといった夏野菜が詰め込まれていた。
「今日の任務のお礼で、農家の方からいただいたんです」
「すごいですね、…ありがとうございます」
いつもならもっと喜べるはずなのに。そこまではしゃげなく、ただまだみずみずしさが残る野菜を眺めた。
その幾分低いテンションに気がついたのか、大丈夫ですよ、アイツらにもちゃんと野菜は分配して持って帰らせましたから。と付け加えられた台詞にイルカは少し、頬を緩ませた。
「イルカ先生…?」
反応の薄さにカカシが気がつき顔を覗き込まれた。その視線を受けながらも、イルカはぼんやりと野菜を眺めて。
「……俺とカカシ先生って…付き合ってるんですよね……?」
ゆっくりとした口調で。視点は野菜に向けたまま口にしていた。
「うん。付き合ってるじゃない。……なに、どうしたの?何でそんな事聞くの?」
その声にハッと顔を上げれば、カカシが胡乱な眼差しでジッと自分を伺っていた。
「あ、いえ。何となく」
笑い後頭部に手を当てる。
「すみません。何でもないですから」
「……なんか今日のイルカ先生変ですよ」
その目は心配そうな眼差しに変わっていた。
「何かあった?」
すぐに過る昨日の出来事をカカシに悟られなくて笑顔を作っていた。
「別に何も。これ、早速使って夕飯にしますね」
ビニール袋を軽くあげて台所へ向かう。
そうだよな。付き合ってるんだよな。
カカシは本当に心配をしている眼差しだった。変な質問をしたと後悔する。軽く首を振って料理に取り掛かった。
ピーマンはオーブントースターで焦げ目が付くまで焼いた後に白だしの中に漬けておく。漬けておく間に、キュウリは叩いて切った後、豆板醤で炒め豆臭さを消した後に砂糖、酢、醤油、おろしニンニクと和えてピリ辛漬けにする。
茄子は油揚げと味噌汁に。後は焼魚を焼いて出来上がり。
手際よく仕上げれば30分足らずとかからない。テーブルに並べていると、カカシが他にもある?と運ぶものを手伝い始めた。
「茄子の味噌汁、いいね」
椀を両手で運びながら嬉しそうな顔を見せた。それは昔カカシに初めて作った料理の一つで、(材料がなくそれ以外には目玉焼きしかなかったが)自分の中でも思い出深く、それ以来イルカも好きになった料理だった。
「ピーマンも、これ焦げ目がついて味が染み込んで美味しいですよね」
胡座をかいて座ったカカシがピーマンを指差した。
「明日になれば味が更に染み込んで美味いですから。お弁当にはおかかをまぶして入れる予定です」
「じゃあ俺にも作って?」
「え?」
初めて言われた言葉に驚きを隠せずカカシの顔を見た。弁当を持って任務に行く忍びなんて聞いた事がない。
「だってカカシ先生任務が」
「大丈夫、明日は七班の任務で演習を兼ねての野猫狩りです。簡単のでいいから。お昼に先生の作ったのが食べたい。…駄目?」
首を傾げられ、ふるふると首を振った。
「駄目じゃないです。作ります」
「やった」
子供のような笑顔を見せられ。それだけの事で簡単に嬉しさが自分を包んだ。最近はずっとこうだ。付き合い初めはそこまで意識していなかったのに。自分の気持ちがまだ幼少期からのままだったからかもしれない。
少年だったカカシは確かに浮きだつ存在感を持っていたと思う。そして成人し、はたけカカシという忍びはより人目を惹く存在になっていた。カカシの存在に惹きつけられている。同性も。そして異性も。
それは恋人と言うフィルター越しに見てしまっているからなのか。
付き合い始めて、改めてカカシを好意を持つ相手として意識してしまう自分がいた。まさか自分が同性相手にここまでときめきを感じるなんて。そんな日が来るとは思いもよらなかった。カカシの仕草一つ一つに心奪われているなんて。
死んでも言えない。
赤くなる顔を抑えられずに微笑むとカカシが目を細めた。
「おにぎりは梅干し?」
「はい、夏場は傷みやすいですから」
「楽しみです」
嬉しそうに。そう言って味噌汁をすすった。
「イルカ先生の味噌汁、やっぱり美味しい」
目を合わせて微笑む。
ほわと胸が暖まると同時に靄が少し晴れる。こんな事で気持ちは和らぐ。
深く考える必要はないんだ。
美味しそうにご飯を食べるカカシを見ながら、自責の念を抱いた。人が人と付き合うにあたって気になる事が一つや二つ出てきて当たり前だ。他人同士なのだから。価値観も違えば考え方だって違う。お互いに信じればそれでいい。
数日後の夕方、カカシが七班任務の報告に現れた。定時間際、この時間はいつも混み合っている。他の列に並ぶ事なく、カカシはいつものようにイルカの列に並び、報告を提出した。
「お疲れ様です」
「うん」
カカシは愛想よくニコニコと返事をした。
「今日は失くした指輪の捜索ーーでしたか」
ナルトはまた任務内容にぶつくさと文句を言ったのだろうが。そこはあくまで自分の領分でない為言う必要もなく、イルカは勝手微笑みながら報告書に目を通した。
「無事見つかって何よりです。依頼人の夫人。その指輪にとても思い入れがあったみたいですよ。見つかって良かったですねーー」
笑顔で顔を上げれば、カカシは視線を逸らす。あぁ、そうですよねと答えるが、何か上の空のようなカカシに、よく分からずカカシが向けた視線の先を見る。横の出口に向けられていると思うが、自分の座った高さからは何も伺えるものはなかった。
「カカシ先生?」
そう呼びかければ。カカシが取り繕うように笑みを作った。
「あ、うん。じゃ、オレはこれで」
「はい……」
カカシはそのまま出口から出て行く。一瞬不可解な行動に感じたが、気のせいか。考える間も無く、次の報告書を受け取る。混雑した室内の雑踏にその考えもすぐに消えた。
直ぐに定時を迎え、交代をして、イルカは席を立った。夏の夕暮れはまだ日が長い。夕陽も出ない、日が照らす受付の廊下にカカシを見かけた。もうアカデミーから出たと思ってたのに。
「カカシ先生っ…」
その後ろ姿に頬が緩むのを抑えながら、声をかけようとして、丁度廊下の曲がり角にいる誰かと話しているのに気がついた。
気がついた時には足が止まった。イルカの視界にはカカシの背中越しに見える綺麗な栗色の髪。また綺麗な顔立ちの女性だった。2人で何か話している。カカシの顔が窺い知れないが、話が盛り上がってる、という感じでもない。
だから、ただの立ち話だと、そう思いたい。それに、立ち聞きなんて趣味じゃない。かと言って自分がこのタイミングでカカシに話しかけるわけにもいかない。
少し2人から離れて、考え、イルカは別から帰ろうと背を向け歩き出した。
さっき、報告所でカカシが出口を向いていたのは、あの女性がいたからだろうか。
あんな場所で話していたんだから、たぶんそうだろう。彼女を見つけて、カカシが話しかけて。
胸を押し付けられたような。ズシンと重いものを感じる。無意識に噛んでいた下唇の痺れに、思わず口を薄く開いた。
これってーーもしかして、いやもしかしなくても。
嫉妬。
そう、嫉妬だ。
「イルカ先生」
アカデミーを出た所で、聞こえたカカシの声にギクリとした。そのまま振り向こうとして、一瞬それを思いとどまらせた。
変な顔してないよな。普通にしなければ。そう、普通に。深呼吸をし振り向く。
「一緒に帰りましょう」
にこやかな顔に、カカシの申し出はいつもと変わらない。あまりにも普通過ぎるカカシに、自分が意識しすぎていると思えた。
「おい、カカシ」
カカシの背後にアスマが立っていた。
「今日行くよな」
「さっきも聞かれたけどね、俺は今日は行かないの」
カカシがうんざりとした顔を見せた。
「俺は聞いてねーよ」
「あ、そ。じゃあ今回はパス。よろしくね」
アスマはふーんと火のついていない煙草を口の端で挟みながら2人を眺めた。
「イルカと約束か」
「そ」
短い返答に少し片眉を吊り上げた。
カカシの答えの早さが、自分を庇っているようにも感じた。もしかして、さっきの女性にも飲み会か何かに誘われていたのだろうか。女性が含む飲み会には行ってほしくないと素直に感じるが。アスマがいるとなると、上忍同士の飲み会か何かだったんだろうか。
「あの、カカシさん。俺は構いませんから」
言えばカカシの目が少し開いた。
「何言ってるの先生」
「だって、付き合いは大切ですし。俺はいつでも構わないですから」
加えると、カカシは益々驚いた表情を見せ何か言いた気に口を開こうとした。
「あーなんか面倒くせえな。だったらイルカも来ればいいじゃねえか」
「はあ?髭、何言ってるの?」
髭と呼ばれたアスマが顔を顰めてカカシを見た。
「どーせ飲み行くか何かだったんだろ。だったらいいじゃねえか。なあ?」
「あ、…いや、」
自分に投げられた台詞に、イルカはどう言えばいいのか。言葉を詰まらせた。
「顔出せば周りも納得するし、イルカはタダ飯で酒も飲めるし、で、適当に帰ればいいんだから。だろ?」
「……はい」
下手に断れなくなってきた空気に、イルカは仕方なしに頷いていた。カカシはポケットに手を入れて、小さく息を吐き出した。
「…じゃ、行きますか」
納得してないとカカシの顔には出ていたのだが、アスマは気にする風でもなく煙草に火を付け、背を向けられたアスマについていく形になった。
居酒屋の奥にある個室に通され、入った時には何人も座っていた。知っている上忍がちらほらいるが、さすがに中忍らしき顔は見えない。意味なくイルカはゴクリと唾を飲んだ。既に酒がまわされそれぞれに飲んでいた。
「ああ、イルカじゃない」
紅がグラスを傾けながらイルカを見た。
「お疲れ様です」
頭を下げれば、掌を見せて席を示された。
「ここ、座ったら?」
「はい」
素直に頷いて隣に座る。カカシはテーブルを挟んだアスマの横に座った。
「カカシと約束してたらしいげど、面倒くせえからまとめて連れてきた」
アスマの言葉に紅が呆れた顔をした。
「何それ。イルカ、断ればよかったのよ。カカシもよ」
紅は責めるような目をアスマに向け、カカシにも向けるが、アスマは軽く笑って目の前にある枝豆を口にした。カカシは軽く肩をすくめただけだった。機嫌が悪いのか。自分を見ようともしない。
断らなかったのを怒っているのだろうか。自分の性格からも、あの状況からも、断りにくくなっていたのはわかってるだろうに。気分が落ち込む。俯くと、目の前にグラスが差し出された。
「でも、私は嬉しいけどね。はい」
と、グラスを渡され、紅が飲んでたと思われる瓶ビールを注がれた。
「ありがとうございます」
口にすればまだ冷えていて旨い。さほど大きくないグラスを飲み干せば、紅は満足そうな笑みを浮かべた。
「イルカ酒は飲めるものね」
お兄さん、追加ね。と顔を出していた店員に声をかける。
元々受付をしてる事もあってか、酒が入っているのもあってか。周りの上忍も自分に対して、和やかな雰囲気で話しかけてくれる。連れて来られたとは言え、遠慮が働いていたのだが。その空気に胸をなで下ろしていた。
「ごめーん、遅くなって」
襖が開けられ顔を上げた時、栗色の髪が目に入った。隣にいる綺麗な黒髪にも。
あの彼女が、そこにはいた。
その大きな目と目が合った時、思わずイルカは視線をテーブルに落としていた。
「ツバキも参加したいって言うから」
「俺もイルカを連れてきたから似たようなもんだな」
アスマが笑った。
栗色の女性が腕を組みながら座敷に上がり、アスマが手招きをして席をずらす。カカシの横にツバキが座り、栗色の髪の女性がアスマの横に座った。
テーブルから顔を上げれない。紅の話を聞きながらも中々頭に入ってこない。
やはり断れば良かった。
今更ながらに後悔しても遅いと、分かっているが。カカシをチラと見れば、ツバキと話していた。
それだけで酷く落ち込む。
いや、落ち込む必要はない。だって、俺はカカシと付き合ってて。
この前カカシも自分と付き合ってるって言った。
だから、気にする必要はない。問題ない。
そう、何の問題もない。
必死に頭の中で言い聞かせる。
分かっているのに、それなのに何でこんなに気持ちが悪い?
「イルカ、すっごい顔。何?飲み過ぎたって事はないわよね?」
いい加減顔色の悪いイルカに気がつき、紅が顔を覗き込んだ。とっさに笑って誤魔化した。
「いや、別に……大丈夫です」
持っていた焼酎の水割りを一気に飲み干す。それを見ながら、紅は心配そうな眼差しをイルカに向けた。
再び店員が襖を開け、注文した品々を並べていく。カカシの前には揚げたての天ぷらが並べられた。
「私取ってあげようか?」
ツバキの声が耳に入る。嫌でもそっちを見てしまいそうになり、必死に耐える。
「別に、自分で取るからいらない」
カカシは箸を持つツバキに素っ気なく答えた。
「ああ、そうよね。前から揚げ物苦手だったもんね。天ぷらなんか特に」
(……え)
イルカは顔を上げていた。
天ぷらが嫌いなんて、知らない。
だって、カカシはいつも美味しいって食べてくれていた。
揚げ物をすれば、その油が酸化しない内にと、揚げ物が何日か続いていて。それでもカカシは食べてくれていた。
「お前さ、うるさいよ」
カカシがその言葉を咎めるように言えば、ツバキは不思議そうな顔をして、すぐイルカの顔を見た。少しでない、顔が青いイルカの表情に、少し片眉を上げたように見えた。綺麗な唇の端が上がる。
「あと、甘い物も嫌いだものね、カカシは」
明らかに自分に向けてツバキは口を開いていた。
「ツバキ」
カカシの苛立った声。それをぼんやりと聞いていた。
知らない。
甘いものだって、俺が時々買って帰って。一緒に食べてた。カカシは嬉しそうに食べてくれた。
そうか。
簡単なことだ。あの靄のわけ。
カカシが必死に嫌いなのを隠してた。
自分は何も気がつかず、体調が悪いだけだと、思ってた。
無理してたカカシの気持ちを知るわけもせずに。
カカシの台詞にツバキは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「だって仕様がないでじゃない。付き合ってたんだから。付き合うってそう言う事でしょ。お互いの事を分かってて当然だもの。恋人同士なら当たり前の事よ」
お互いの事を分かってて当然。
それは胸に重くのしかかった。
「お前ね、」
カカシが言うのと同時に、イルカは立ち上がっていた。
「…イルカ、どうしたの?」
紅がイルカを見上げている。カカシの方を向く事なんか出来なかった。
「ちょっと、…やっぱり悪酔いしたみたいで。すみません」
鞄を持つとイルカはその場から走るように部屋を出た。視界の隅にカカシが立ち上がったのが見えたが、ツバキの手がカカシの腕にかかっているのが見えた。
きつく眉根を寄せながら靴を履き店を足早に出る。繁華街の人混みから抜け出したく、しばらく走り人影がいない住宅街の路地で立ち止まった。雑踏の音が消え、夜風がひやりとして、それが妙に気持ちがホッとさせる。息を整えるように鞄を肩にかけ直してゆっくり歩き始めた。
月がイルカの背中を照らして、影が目の前に落ちていた。気落ちしているからか、自分の肩が下がっているようにも見える。それにしても、影で見ても、なんて冴えない姿だろうか。中肉中背、鍛錬しているとは言え普通の骨格で、どこにでもいるような見た目普通の男だ。身体にも傷が沢山あって、髪も硬くボサボサになりがちだから後ろで括って、鼻には傷まである。
誰がどう見ても綺麗とは言えない。
あんな綺麗な女性と付き合っていたのに。今だって周りには綺麗な人がたくさんいるはずだ。
なのに、カカシはこんな自分を好きと言う。一体何処を?
伸びる影を見つめて息を吐き出した。
自分はカカシを何も知らなかった。
あのツバキと言う彼女の言う通りだ。
付き合ってればお互いを想い、知る。
俺はこの3ヶ月カカシの何を見てきたんだろう。
目の前ある小さな公園で立ち止まった。カカシと花見とは言えない花見で酒を飲んだ事を思い出した。その公園に足を踏み入れ、ブランコに座る。
家に帰る気になれなかった。
足で少し動かせば、キイ、と鎖の繋ぎ目から音がなる。何回か音を鳴らしながら、ぼんやりと月を見上げた。
「…嫌いなら嫌いだって、言ってくれれば良かったんだ」
言葉が出ていた。
言ってくれれば、分かったのに。
無理して食べずに済んだのに。
嬉しそうなカカシの顔だけが思い浮かぶ。
それだけで泣きそうになった。
あんな飲み会に行かなければ良かった。
「イルカ先生」
顔を上げれば、少し先にカカシが立っていた。眉間に皺を寄せて。
「探しましたよ」
息を吐いて、カカシはブランコに座るイルカの目の前まで来た。
探すって、何でだろう。飲み会はまだ続いてるはずなのに。
やはりカカシは不機嫌な顔をしているように見えた。それか呆れているか。勝手に飲み会の席から帰ってしまったんだ。嫌な雰囲気にさせてしまったのだろう。
「…勝手に出てきてしまって、すみませんでした」
言うと、カカシは眉を寄せた。
「そんなのはどうだっていいんです」
溜息をついて。カカシは苛立たしげに頭を掻いた。そんなカカシを見たくなくて視線を横に流す。
そんな事、とカカシが言った。
「だったら、あんな飲み会行かなきゃ良かったでしょ」
言われて、ぐっと唇を噛んだ。
「……そうですね。そしたらあなたが何を嫌いかなんてずっと知らずに済んだんですから」
皮肉を込めてしまった言葉に、ごめんなさいとすぐにイルカは謝った。
「そうじゃないですよね。俺が気がつかなきゃいけなかったですよね。…恋人同士なら、気がついて当たり前…だから」
カカシの盛大な溜息に言葉は遮られた。
「先生、聞いて」
言われて、頭を上げれなくなる。
何を言うのだろうか。
カカシからまた小さな息を吐くのが聞こえた。
呆れている。こんな自分は嫌だと、思っているに違いない。情けなくて何を言ったらいいのか。聞きたくないと、思う自分が嫌になる。
あのね、とカカシが口を開いた。
「俺の好きな人はね、いつも一生懸命で、真っ直ぐで、早とちりで、でもね、俺をいつも大切に思ってくれてる証拠で。だから俺はその人の笑顔が大好きなの」
だからね、と繋げる。
「大好きな笑顔が見たくて、言えなかった。一緒にいて一緒に笑って。それが俺の一番の幸せだから」
顔を上げると、カカシが眉を下げて微笑んだ。
「ごめんね。イルカ先生に隠すつもりはなかった」
鼻がツンとする。ぐんぐん下がっていく眉に、泣きそうな顔を見られたくなくて俯くと、カカシがしゃがみ込んで目線を合わせた。
「ねえ先生。何を不安になってるか分からないけどね、俺はアンタが思う以上に好きなの」
じっと青い目がイルカを見つめた。
「大好きで大好きで、惚れ込んでるの」
泣きそうでそんな事言われて。どんな顔をしたらいいのか分からない。
顔を顰めたまま、目に涙を浮かべていると、ふっとカカシが笑った。
「ぞっこんなんですよ。あなたに。分かった?」
こくこく頷くとカカシが柔らかい笑みを浮かべて、抱き込まれた。
暖かいカカシの腕の中で。瞬きすれば一粒だけカカシの肩に落ち、服に染み込む。
分ったならそれで良いです、と言われて頭を撫でられる。またイルカは頷いた。
ふいにカカシが身体を離して。立ち上がるカカシに、イルカもブランコから立ち上がった。
何だろうと思えば、少し難しい顔をしながらポケットを探っている。
不思議そうに眺めていると、カカシがポケットから出した手をイルカの前で開いた。
淡い赤い色の。プラスチックの指輪。
息を呑んでただ、カカシの掌にあるそれを見つめた。
「……イルカ先生は持ってる?」
イルカは黙ってベストのジッパーを下ろす。広げて内ポケットから御守りを取り出した。その袋の紐を寛げて、青いプラスチックの指輪を取り出す。少し擦れてしまっているが、あの時のまま。そのオモチャの指輪はイルカの掌に転がった。
イルカは恥ずかしさに顔を顰めながらもカカシを見た。それを見てカカシが目を細め、微笑んだ。
自分があの時渡した指輪。今こうして2人の手の上にあるのが何とも嬉しいが、やはり恥ずかしい。
月に照らされた指輪を眺めて、カカシは深い深呼吸をした。
「先生、あのね」
妙にもじもじとしながらカカシがもう片方の手でポケットを探る。
「これ」
カカシの手が動き、イルカの掌にあるオモチャの指輪の横に指が触れた。
その指が離れる。
そこに、銀色に輝く指輪が置かれていた。
シンプルだが、プラスチックよりは重く、内側に緑色の石がはめ込まれている。
「………これ……」
その指輪を眺めて、カカシを見れば頬を赤らめて視線を泳がせ、親指で頭を掻いた。
「うん、指輪」
それは分かるけど。
「何で指輪なんて…俺に?」
言えば眉根を寄せて。
「あなたと付き合う時さ、俺格好悪かったでしょ?だから改めて言いたくて」
そんな事。
イルカは驚いてカカシを見つめた。
格好悪いなんて思ってないのに。
でも何で指輪なんて。
指輪を持ち眺めて見る。質感からきっとプラチナだろう。シンプルながらも高級感が伝わってきた。しかも裏にはめ込んであるのはきっと宝石。
こんな高いもの、受け取っていいのか。
指輪を持つ手をガバと捕まれ、イルカは驚いた。指輪を落としそうになったが、カカシの手に包み込まれ何とか手の内に握る事が出来た。
「イルカ先生」
「……はい」
「俺と結婚を前提に付き合って」
「…は?」
何を言って、と続けるつもりが、真剣なカカシの眼差しに言葉が止まる。
「駄目?」
言われてカカシを困惑したまま見つめた。
結婚って、それって。だって俺は男だし。同性で結婚なんて。
握られる手に力を込められる。カカシが困窮した色の目で、眉を寄せた。
「駄目…ですか…」
酷く落ち込んだ声にハッとした。
「あ、いや、そうじゃなくて。…だって…俺たち男同士だし、」
「関係ないですよ。表沙汰になってないだけで、同性の婚姻者なんて忍びの世界にはごまんといます」
「そうなんですか?…でも、なんか…急過ぎて…」
「何で?だってイルカ先生俺に指輪くれたじゃない。俺はそう言うつもりであの時受け取ったんですよ?」
「そう言うつもりって、」
「家族になろうって意味です」
「え!?えええぇぇぇ!!」
公園にイルカの声が響き渡る。
「そ、そんな意味なんかじゃ、」
慌てるイルカを前にカカシは至って真剣な顔をしている。
「俺はそれを信じてこの世界を生き抜いてきたんです」
言われて閉口した。
俺は、カカシに自分を見失って欲しくなくて。また自分を忘れて欲しくなくて。
帰ってきて欲しいと願ったけど、でも、家族なんて。そんなつもりで渡したんじゃなかった。
「ね、先生。今は?今はそう思わないんですか?」
目を白黒させているイルカの手を再び掴んだ。
「俺はあなたと家族になりたい」
それじゃ駄目なんですか?
カカシは見た事がないくらい真剣な顔をしていた。
参った。
あのカカシが。写輪眼として名を轟かせている、誰もが恐れる忍びが。好き合って付き合って、そこまでは自分の中で受け止める事が出来たが。まさか自分にプロポーズをするなんて。
誰が予想できようか。
本当に、参った。
でも、答えなんて決まってるじゃないか。
「カカシ先生」
「はい」
「……よろしくお願いします」
おずおずと口にし頭を下げれば、カカシの顔が綻んで、またきつく抱き締められた。
先生、イルカ先生とカカシはただ、名前を呼びながら抱きしめ続ける。
あなたを幸せにします。
言われて今更ながらに顔が熱くなってきた。
恥ずかしくて堪らない。こんなもさい男の自分に。全力でプロポーズして。
何でカカシは恥ずかしくないんだろう。
でも、きっと嬉しくて死にそうなのは一緒だ。
イルカは指輪を手の内で大切に握り締めながら、腕をカカシの背中にまわせば、カカシが口を開いた。
「良かった。俺今日言うって決めてたんです」
「…今日、ですか?」
不思議そうにカカシの顔を覗き込む。
「今日で付き合って3カ月でしょ?その日に指輪を渡すって決めてたから」
そしたらそんな日に任務が指輪探しで。でもゲン担ぎにして頑張りましたよ。とカカシは続け、
「だから報告所で先生に会ったらなんか恥ずかしくなっちゃって」
笑って。少しだけ眉を下げてホッとした顔を見せる。
ああ、そうか。
だから報告所であんな不審な言動をしていたのか。納得しながらも心が綻んだ。
「今度こそ帰りましょ?」
言うカカシにイルカははい、と頷いた。
そう言えば。
ベットの中で思い出した疑問にカカシをふと見れば、そのイルカの視線にどうしたの?と優しく聞いた。
イルカは戸惑ったが、迷いはなかった。
「カカシ先生は高ランクの任務の後、俺に会いに来ませんよね。あれって、…何で、ですか」
そう聞けばカカシは、ああ、と言って少し困った顔をした。
「前ね、血だらけの俺を見て、俺が触ろうとしたらイルカ先生戸惑ったの覚えてます?」
覚えている。
仮面から全身に血を浴びて、月に照らされたカカシは今でも鮮明に思い出す。闇に生きるカカシの姿。
「覚えてます」
呟けば、隣にいるカカシはイルカから触れていた手を離しゴロと天井を見上げた。
「イルカ先生がね、酷く怯えていた、そう思ったから。あんな顔をさせたくないから。でも高ランク任務で身体が汚れるのは防げないわけだから、大人しく家でシャワー浴びてました」
ははと笑うカカシの横顔を見て、胸をなで下ろしていた。
「なに、それも不安だった一つですか?」
言われて、カカシに身体を寄せて額を押し付けた。
「俺怖くなんてないです。汚れても構わない。真っ直ぐ俺のところに帰ってきてください」
会えないほうがよっぽど嫌です。
小さく呟けば、カカシの手が腰にまわった。
「イルカ先生、そんな事言われたらまたしたくなっちゃいました」
ゆるゆると脇腹から尻を撫でられ、その手を抓った。
「いたた……駄目?」
「駄目です。言っときますが俺は浮気なんてもっての他ですよ?……ましてや前付き合ってた彼女とかと飲みに行ったりなんて。絶対に嫌ですから」
強めた語尾に、カカシは一瞬の間を置いて、吐息のような笑いと共にはいと答えた。
「行きませんし、会いませんよ。言ったでしょ?俺イルカ先生一筋なんだから」
だからいい?とまた腰にあてられる手をイルカは払いのけた。
「明日は天ぷら作りましょう。ピーマンがまだあるんです。夏野菜の天ぷら」
その台詞にカカシがええーと声を上げた。
「嫌です。俺天ぷら嫌いなんです」
「初めて聞きましたよ、そんなの」
クスクス笑えば、カカシが身体を動かしてイルカの額に唇を押し当てた。
「甘いものも嫌いなんです。でもあの和菓子は好きですよ」
「俺もです」
顔を上げれば唇を合わせられる。
心地いい口づけに、イルカは口を開いて舌を招いた。
カカシの首に腕を回す。
そのイルカの左の薬指には光る銀色の指輪。月の光を浴びて、イルカの指で光り輝いた。
<終>
長々とシリーズで話を書いてきましたが、これで最後となります。最後までお付き合いいただき、読んでくださった皆様、ありがとうございました。
NOVEL TOPへ
「先生、これお土産」
渡されたビニール袋にはキュウリや茄子、ピーマンといった夏野菜が詰め込まれていた。
「今日の任務のお礼で、農家の方からいただいたんです」
「すごいですね、…ありがとうございます」
いつもならもっと喜べるはずなのに。そこまではしゃげなく、ただまだみずみずしさが残る野菜を眺めた。
その幾分低いテンションに気がついたのか、大丈夫ですよ、アイツらにもちゃんと野菜は分配して持って帰らせましたから。と付け加えられた台詞にイルカは少し、頬を緩ませた。
「イルカ先生…?」
反応の薄さにカカシが気がつき顔を覗き込まれた。その視線を受けながらも、イルカはぼんやりと野菜を眺めて。
「……俺とカカシ先生って…付き合ってるんですよね……?」
ゆっくりとした口調で。視点は野菜に向けたまま口にしていた。
「うん。付き合ってるじゃない。……なに、どうしたの?何でそんな事聞くの?」
その声にハッと顔を上げれば、カカシが胡乱な眼差しでジッと自分を伺っていた。
「あ、いえ。何となく」
笑い後頭部に手を当てる。
「すみません。何でもないですから」
「……なんか今日のイルカ先生変ですよ」
その目は心配そうな眼差しに変わっていた。
「何かあった?」
すぐに過る昨日の出来事をカカシに悟られなくて笑顔を作っていた。
「別に何も。これ、早速使って夕飯にしますね」
ビニール袋を軽くあげて台所へ向かう。
そうだよな。付き合ってるんだよな。
カカシは本当に心配をしている眼差しだった。変な質問をしたと後悔する。軽く首を振って料理に取り掛かった。
ピーマンはオーブントースターで焦げ目が付くまで焼いた後に白だしの中に漬けておく。漬けておく間に、キュウリは叩いて切った後、豆板醤で炒め豆臭さを消した後に砂糖、酢、醤油、おろしニンニクと和えてピリ辛漬けにする。
茄子は油揚げと味噌汁に。後は焼魚を焼いて出来上がり。
手際よく仕上げれば30分足らずとかからない。テーブルに並べていると、カカシが他にもある?と運ぶものを手伝い始めた。
「茄子の味噌汁、いいね」
椀を両手で運びながら嬉しそうな顔を見せた。それは昔カカシに初めて作った料理の一つで、(材料がなくそれ以外には目玉焼きしかなかったが)自分の中でも思い出深く、それ以来イルカも好きになった料理だった。
「ピーマンも、これ焦げ目がついて味が染み込んで美味しいですよね」
胡座をかいて座ったカカシがピーマンを指差した。
「明日になれば味が更に染み込んで美味いですから。お弁当にはおかかをまぶして入れる予定です」
「じゃあ俺にも作って?」
「え?」
初めて言われた言葉に驚きを隠せずカカシの顔を見た。弁当を持って任務に行く忍びなんて聞いた事がない。
「だってカカシ先生任務が」
「大丈夫、明日は七班の任務で演習を兼ねての野猫狩りです。簡単のでいいから。お昼に先生の作ったのが食べたい。…駄目?」
首を傾げられ、ふるふると首を振った。
「駄目じゃないです。作ります」
「やった」
子供のような笑顔を見せられ。それだけの事で簡単に嬉しさが自分を包んだ。最近はずっとこうだ。付き合い初めはそこまで意識していなかったのに。自分の気持ちがまだ幼少期からのままだったからかもしれない。
少年だったカカシは確かに浮きだつ存在感を持っていたと思う。そして成人し、はたけカカシという忍びはより人目を惹く存在になっていた。カカシの存在に惹きつけられている。同性も。そして異性も。
それは恋人と言うフィルター越しに見てしまっているからなのか。
付き合い始めて、改めてカカシを好意を持つ相手として意識してしまう自分がいた。まさか自分が同性相手にここまでときめきを感じるなんて。そんな日が来るとは思いもよらなかった。カカシの仕草一つ一つに心奪われているなんて。
死んでも言えない。
赤くなる顔を抑えられずに微笑むとカカシが目を細めた。
「おにぎりは梅干し?」
「はい、夏場は傷みやすいですから」
「楽しみです」
嬉しそうに。そう言って味噌汁をすすった。
「イルカ先生の味噌汁、やっぱり美味しい」
目を合わせて微笑む。
ほわと胸が暖まると同時に靄が少し晴れる。こんな事で気持ちは和らぐ。
深く考える必要はないんだ。
美味しそうにご飯を食べるカカシを見ながら、自責の念を抱いた。人が人と付き合うにあたって気になる事が一つや二つ出てきて当たり前だ。他人同士なのだから。価値観も違えば考え方だって違う。お互いに信じればそれでいい。
数日後の夕方、カカシが七班任務の報告に現れた。定時間際、この時間はいつも混み合っている。他の列に並ぶ事なく、カカシはいつものようにイルカの列に並び、報告を提出した。
「お疲れ様です」
「うん」
カカシは愛想よくニコニコと返事をした。
「今日は失くした指輪の捜索ーーでしたか」
ナルトはまた任務内容にぶつくさと文句を言ったのだろうが。そこはあくまで自分の領分でない為言う必要もなく、イルカは勝手微笑みながら報告書に目を通した。
「無事見つかって何よりです。依頼人の夫人。その指輪にとても思い入れがあったみたいですよ。見つかって良かったですねーー」
笑顔で顔を上げれば、カカシは視線を逸らす。あぁ、そうですよねと答えるが、何か上の空のようなカカシに、よく分からずカカシが向けた視線の先を見る。横の出口に向けられていると思うが、自分の座った高さからは何も伺えるものはなかった。
「カカシ先生?」
そう呼びかければ。カカシが取り繕うように笑みを作った。
「あ、うん。じゃ、オレはこれで」
「はい……」
カカシはそのまま出口から出て行く。一瞬不可解な行動に感じたが、気のせいか。考える間も無く、次の報告書を受け取る。混雑した室内の雑踏にその考えもすぐに消えた。
直ぐに定時を迎え、交代をして、イルカは席を立った。夏の夕暮れはまだ日が長い。夕陽も出ない、日が照らす受付の廊下にカカシを見かけた。もうアカデミーから出たと思ってたのに。
「カカシ先生っ…」
その後ろ姿に頬が緩むのを抑えながら、声をかけようとして、丁度廊下の曲がり角にいる誰かと話しているのに気がついた。
気がついた時には足が止まった。イルカの視界にはカカシの背中越しに見える綺麗な栗色の髪。また綺麗な顔立ちの女性だった。2人で何か話している。カカシの顔が窺い知れないが、話が盛り上がってる、という感じでもない。
だから、ただの立ち話だと、そう思いたい。それに、立ち聞きなんて趣味じゃない。かと言って自分がこのタイミングでカカシに話しかけるわけにもいかない。
少し2人から離れて、考え、イルカは別から帰ろうと背を向け歩き出した。
さっき、報告所でカカシが出口を向いていたのは、あの女性がいたからだろうか。
あんな場所で話していたんだから、たぶんそうだろう。彼女を見つけて、カカシが話しかけて。
胸を押し付けられたような。ズシンと重いものを感じる。無意識に噛んでいた下唇の痺れに、思わず口を薄く開いた。
これってーーもしかして、いやもしかしなくても。
嫉妬。
そう、嫉妬だ。
「イルカ先生」
アカデミーを出た所で、聞こえたカカシの声にギクリとした。そのまま振り向こうとして、一瞬それを思いとどまらせた。
変な顔してないよな。普通にしなければ。そう、普通に。深呼吸をし振り向く。
「一緒に帰りましょう」
にこやかな顔に、カカシの申し出はいつもと変わらない。あまりにも普通過ぎるカカシに、自分が意識しすぎていると思えた。
「おい、カカシ」
カカシの背後にアスマが立っていた。
「今日行くよな」
「さっきも聞かれたけどね、俺は今日は行かないの」
カカシがうんざりとした顔を見せた。
「俺は聞いてねーよ」
「あ、そ。じゃあ今回はパス。よろしくね」
アスマはふーんと火のついていない煙草を口の端で挟みながら2人を眺めた。
「イルカと約束か」
「そ」
短い返答に少し片眉を吊り上げた。
カカシの答えの早さが、自分を庇っているようにも感じた。もしかして、さっきの女性にも飲み会か何かに誘われていたのだろうか。女性が含む飲み会には行ってほしくないと素直に感じるが。アスマがいるとなると、上忍同士の飲み会か何かだったんだろうか。
「あの、カカシさん。俺は構いませんから」
言えばカカシの目が少し開いた。
「何言ってるの先生」
「だって、付き合いは大切ですし。俺はいつでも構わないですから」
加えると、カカシは益々驚いた表情を見せ何か言いた気に口を開こうとした。
「あーなんか面倒くせえな。だったらイルカも来ればいいじゃねえか」
「はあ?髭、何言ってるの?」
髭と呼ばれたアスマが顔を顰めてカカシを見た。
「どーせ飲み行くか何かだったんだろ。だったらいいじゃねえか。なあ?」
「あ、…いや、」
自分に投げられた台詞に、イルカはどう言えばいいのか。言葉を詰まらせた。
「顔出せば周りも納得するし、イルカはタダ飯で酒も飲めるし、で、適当に帰ればいいんだから。だろ?」
「……はい」
下手に断れなくなってきた空気に、イルカは仕方なしに頷いていた。カカシはポケットに手を入れて、小さく息を吐き出した。
「…じゃ、行きますか」
納得してないとカカシの顔には出ていたのだが、アスマは気にする風でもなく煙草に火を付け、背を向けられたアスマについていく形になった。
居酒屋の奥にある個室に通され、入った時には何人も座っていた。知っている上忍がちらほらいるが、さすがに中忍らしき顔は見えない。意味なくイルカはゴクリと唾を飲んだ。既に酒がまわされそれぞれに飲んでいた。
「ああ、イルカじゃない」
紅がグラスを傾けながらイルカを見た。
「お疲れ様です」
頭を下げれば、掌を見せて席を示された。
「ここ、座ったら?」
「はい」
素直に頷いて隣に座る。カカシはテーブルを挟んだアスマの横に座った。
「カカシと約束してたらしいげど、面倒くせえからまとめて連れてきた」
アスマの言葉に紅が呆れた顔をした。
「何それ。イルカ、断ればよかったのよ。カカシもよ」
紅は責めるような目をアスマに向け、カカシにも向けるが、アスマは軽く笑って目の前にある枝豆を口にした。カカシは軽く肩をすくめただけだった。機嫌が悪いのか。自分を見ようともしない。
断らなかったのを怒っているのだろうか。自分の性格からも、あの状況からも、断りにくくなっていたのはわかってるだろうに。気分が落ち込む。俯くと、目の前にグラスが差し出された。
「でも、私は嬉しいけどね。はい」
と、グラスを渡され、紅が飲んでたと思われる瓶ビールを注がれた。
「ありがとうございます」
口にすればまだ冷えていて旨い。さほど大きくないグラスを飲み干せば、紅は満足そうな笑みを浮かべた。
「イルカ酒は飲めるものね」
お兄さん、追加ね。と顔を出していた店員に声をかける。
元々受付をしてる事もあってか、酒が入っているのもあってか。周りの上忍も自分に対して、和やかな雰囲気で話しかけてくれる。連れて来られたとは言え、遠慮が働いていたのだが。その空気に胸をなで下ろしていた。
「ごめーん、遅くなって」
襖が開けられ顔を上げた時、栗色の髪が目に入った。隣にいる綺麗な黒髪にも。
あの彼女が、そこにはいた。
その大きな目と目が合った時、思わずイルカは視線をテーブルに落としていた。
「ツバキも参加したいって言うから」
「俺もイルカを連れてきたから似たようなもんだな」
アスマが笑った。
栗色の女性が腕を組みながら座敷に上がり、アスマが手招きをして席をずらす。カカシの横にツバキが座り、栗色の髪の女性がアスマの横に座った。
テーブルから顔を上げれない。紅の話を聞きながらも中々頭に入ってこない。
やはり断れば良かった。
今更ながらに後悔しても遅いと、分かっているが。カカシをチラと見れば、ツバキと話していた。
それだけで酷く落ち込む。
いや、落ち込む必要はない。だって、俺はカカシと付き合ってて。
この前カカシも自分と付き合ってるって言った。
だから、気にする必要はない。問題ない。
そう、何の問題もない。
必死に頭の中で言い聞かせる。
分かっているのに、それなのに何でこんなに気持ちが悪い?
「イルカ、すっごい顔。何?飲み過ぎたって事はないわよね?」
いい加減顔色の悪いイルカに気がつき、紅が顔を覗き込んだ。とっさに笑って誤魔化した。
「いや、別に……大丈夫です」
持っていた焼酎の水割りを一気に飲み干す。それを見ながら、紅は心配そうな眼差しをイルカに向けた。
再び店員が襖を開け、注文した品々を並べていく。カカシの前には揚げたての天ぷらが並べられた。
「私取ってあげようか?」
ツバキの声が耳に入る。嫌でもそっちを見てしまいそうになり、必死に耐える。
「別に、自分で取るからいらない」
カカシは箸を持つツバキに素っ気なく答えた。
「ああ、そうよね。前から揚げ物苦手だったもんね。天ぷらなんか特に」
(……え)
イルカは顔を上げていた。
天ぷらが嫌いなんて、知らない。
だって、カカシはいつも美味しいって食べてくれていた。
揚げ物をすれば、その油が酸化しない内にと、揚げ物が何日か続いていて。それでもカカシは食べてくれていた。
「お前さ、うるさいよ」
カカシがその言葉を咎めるように言えば、ツバキは不思議そうな顔をして、すぐイルカの顔を見た。少しでない、顔が青いイルカの表情に、少し片眉を上げたように見えた。綺麗な唇の端が上がる。
「あと、甘い物も嫌いだものね、カカシは」
明らかに自分に向けてツバキは口を開いていた。
「ツバキ」
カカシの苛立った声。それをぼんやりと聞いていた。
知らない。
甘いものだって、俺が時々買って帰って。一緒に食べてた。カカシは嬉しそうに食べてくれた。
そうか。
簡単なことだ。あの靄のわけ。
カカシが必死に嫌いなのを隠してた。
自分は何も気がつかず、体調が悪いだけだと、思ってた。
無理してたカカシの気持ちを知るわけもせずに。
カカシの台詞にツバキは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「だって仕様がないでじゃない。付き合ってたんだから。付き合うってそう言う事でしょ。お互いの事を分かってて当然だもの。恋人同士なら当たり前の事よ」
お互いの事を分かってて当然。
それは胸に重くのしかかった。
「お前ね、」
カカシが言うのと同時に、イルカは立ち上がっていた。
「…イルカ、どうしたの?」
紅がイルカを見上げている。カカシの方を向く事なんか出来なかった。
「ちょっと、…やっぱり悪酔いしたみたいで。すみません」
鞄を持つとイルカはその場から走るように部屋を出た。視界の隅にカカシが立ち上がったのが見えたが、ツバキの手がカカシの腕にかかっているのが見えた。
きつく眉根を寄せながら靴を履き店を足早に出る。繁華街の人混みから抜け出したく、しばらく走り人影がいない住宅街の路地で立ち止まった。雑踏の音が消え、夜風がひやりとして、それが妙に気持ちがホッとさせる。息を整えるように鞄を肩にかけ直してゆっくり歩き始めた。
月がイルカの背中を照らして、影が目の前に落ちていた。気落ちしているからか、自分の肩が下がっているようにも見える。それにしても、影で見ても、なんて冴えない姿だろうか。中肉中背、鍛錬しているとは言え普通の骨格で、どこにでもいるような見た目普通の男だ。身体にも傷が沢山あって、髪も硬くボサボサになりがちだから後ろで括って、鼻には傷まである。
誰がどう見ても綺麗とは言えない。
あんな綺麗な女性と付き合っていたのに。今だって周りには綺麗な人がたくさんいるはずだ。
なのに、カカシはこんな自分を好きと言う。一体何処を?
伸びる影を見つめて息を吐き出した。
自分はカカシを何も知らなかった。
あのツバキと言う彼女の言う通りだ。
付き合ってればお互いを想い、知る。
俺はこの3ヶ月カカシの何を見てきたんだろう。
目の前ある小さな公園で立ち止まった。カカシと花見とは言えない花見で酒を飲んだ事を思い出した。その公園に足を踏み入れ、ブランコに座る。
家に帰る気になれなかった。
足で少し動かせば、キイ、と鎖の繋ぎ目から音がなる。何回か音を鳴らしながら、ぼんやりと月を見上げた。
「…嫌いなら嫌いだって、言ってくれれば良かったんだ」
言葉が出ていた。
言ってくれれば、分かったのに。
無理して食べずに済んだのに。
嬉しそうなカカシの顔だけが思い浮かぶ。
それだけで泣きそうになった。
あんな飲み会に行かなければ良かった。
「イルカ先生」
顔を上げれば、少し先にカカシが立っていた。眉間に皺を寄せて。
「探しましたよ」
息を吐いて、カカシはブランコに座るイルカの目の前まで来た。
探すって、何でだろう。飲み会はまだ続いてるはずなのに。
やはりカカシは不機嫌な顔をしているように見えた。それか呆れているか。勝手に飲み会の席から帰ってしまったんだ。嫌な雰囲気にさせてしまったのだろう。
「…勝手に出てきてしまって、すみませんでした」
言うと、カカシは眉を寄せた。
「そんなのはどうだっていいんです」
溜息をついて。カカシは苛立たしげに頭を掻いた。そんなカカシを見たくなくて視線を横に流す。
そんな事、とカカシが言った。
「だったら、あんな飲み会行かなきゃ良かったでしょ」
言われて、ぐっと唇を噛んだ。
「……そうですね。そしたらあなたが何を嫌いかなんてずっと知らずに済んだんですから」
皮肉を込めてしまった言葉に、ごめんなさいとすぐにイルカは謝った。
「そうじゃないですよね。俺が気がつかなきゃいけなかったですよね。…恋人同士なら、気がついて当たり前…だから」
カカシの盛大な溜息に言葉は遮られた。
「先生、聞いて」
言われて、頭を上げれなくなる。
何を言うのだろうか。
カカシからまた小さな息を吐くのが聞こえた。
呆れている。こんな自分は嫌だと、思っているに違いない。情けなくて何を言ったらいいのか。聞きたくないと、思う自分が嫌になる。
あのね、とカカシが口を開いた。
「俺の好きな人はね、いつも一生懸命で、真っ直ぐで、早とちりで、でもね、俺をいつも大切に思ってくれてる証拠で。だから俺はその人の笑顔が大好きなの」
だからね、と繋げる。
「大好きな笑顔が見たくて、言えなかった。一緒にいて一緒に笑って。それが俺の一番の幸せだから」
顔を上げると、カカシが眉を下げて微笑んだ。
「ごめんね。イルカ先生に隠すつもりはなかった」
鼻がツンとする。ぐんぐん下がっていく眉に、泣きそうな顔を見られたくなくて俯くと、カカシがしゃがみ込んで目線を合わせた。
「ねえ先生。何を不安になってるか分からないけどね、俺はアンタが思う以上に好きなの」
じっと青い目がイルカを見つめた。
「大好きで大好きで、惚れ込んでるの」
泣きそうでそんな事言われて。どんな顔をしたらいいのか分からない。
顔を顰めたまま、目に涙を浮かべていると、ふっとカカシが笑った。
「ぞっこんなんですよ。あなたに。分かった?」
こくこく頷くとカカシが柔らかい笑みを浮かべて、抱き込まれた。
暖かいカカシの腕の中で。瞬きすれば一粒だけカカシの肩に落ち、服に染み込む。
分ったならそれで良いです、と言われて頭を撫でられる。またイルカは頷いた。
ふいにカカシが身体を離して。立ち上がるカカシに、イルカもブランコから立ち上がった。
何だろうと思えば、少し難しい顔をしながらポケットを探っている。
不思議そうに眺めていると、カカシがポケットから出した手をイルカの前で開いた。
淡い赤い色の。プラスチックの指輪。
息を呑んでただ、カカシの掌にあるそれを見つめた。
「……イルカ先生は持ってる?」
イルカは黙ってベストのジッパーを下ろす。広げて内ポケットから御守りを取り出した。その袋の紐を寛げて、青いプラスチックの指輪を取り出す。少し擦れてしまっているが、あの時のまま。そのオモチャの指輪はイルカの掌に転がった。
イルカは恥ずかしさに顔を顰めながらもカカシを見た。それを見てカカシが目を細め、微笑んだ。
自分があの時渡した指輪。今こうして2人の手の上にあるのが何とも嬉しいが、やはり恥ずかしい。
月に照らされた指輪を眺めて、カカシは深い深呼吸をした。
「先生、あのね」
妙にもじもじとしながらカカシがもう片方の手でポケットを探る。
「これ」
カカシの手が動き、イルカの掌にあるオモチャの指輪の横に指が触れた。
その指が離れる。
そこに、銀色に輝く指輪が置かれていた。
シンプルだが、プラスチックよりは重く、内側に緑色の石がはめ込まれている。
「………これ……」
その指輪を眺めて、カカシを見れば頬を赤らめて視線を泳がせ、親指で頭を掻いた。
「うん、指輪」
それは分かるけど。
「何で指輪なんて…俺に?」
言えば眉根を寄せて。
「あなたと付き合う時さ、俺格好悪かったでしょ?だから改めて言いたくて」
そんな事。
イルカは驚いてカカシを見つめた。
格好悪いなんて思ってないのに。
でも何で指輪なんて。
指輪を持ち眺めて見る。質感からきっとプラチナだろう。シンプルながらも高級感が伝わってきた。しかも裏にはめ込んであるのはきっと宝石。
こんな高いもの、受け取っていいのか。
指輪を持つ手をガバと捕まれ、イルカは驚いた。指輪を落としそうになったが、カカシの手に包み込まれ何とか手の内に握る事が出来た。
「イルカ先生」
「……はい」
「俺と結婚を前提に付き合って」
「…は?」
何を言って、と続けるつもりが、真剣なカカシの眼差しに言葉が止まる。
「駄目?」
言われてカカシを困惑したまま見つめた。
結婚って、それって。だって俺は男だし。同性で結婚なんて。
握られる手に力を込められる。カカシが困窮した色の目で、眉を寄せた。
「駄目…ですか…」
酷く落ち込んだ声にハッとした。
「あ、いや、そうじゃなくて。…だって…俺たち男同士だし、」
「関係ないですよ。表沙汰になってないだけで、同性の婚姻者なんて忍びの世界にはごまんといます」
「そうなんですか?…でも、なんか…急過ぎて…」
「何で?だってイルカ先生俺に指輪くれたじゃない。俺はそう言うつもりであの時受け取ったんですよ?」
「そう言うつもりって、」
「家族になろうって意味です」
「え!?えええぇぇぇ!!」
公園にイルカの声が響き渡る。
「そ、そんな意味なんかじゃ、」
慌てるイルカを前にカカシは至って真剣な顔をしている。
「俺はそれを信じてこの世界を生き抜いてきたんです」
言われて閉口した。
俺は、カカシに自分を見失って欲しくなくて。また自分を忘れて欲しくなくて。
帰ってきて欲しいと願ったけど、でも、家族なんて。そんなつもりで渡したんじゃなかった。
「ね、先生。今は?今はそう思わないんですか?」
目を白黒させているイルカの手を再び掴んだ。
「俺はあなたと家族になりたい」
それじゃ駄目なんですか?
カカシは見た事がないくらい真剣な顔をしていた。
参った。
あのカカシが。写輪眼として名を轟かせている、誰もが恐れる忍びが。好き合って付き合って、そこまでは自分の中で受け止める事が出来たが。まさか自分にプロポーズをするなんて。
誰が予想できようか。
本当に、参った。
でも、答えなんて決まってるじゃないか。
「カカシ先生」
「はい」
「……よろしくお願いします」
おずおずと口にし頭を下げれば、カカシの顔が綻んで、またきつく抱き締められた。
先生、イルカ先生とカカシはただ、名前を呼びながら抱きしめ続ける。
あなたを幸せにします。
言われて今更ながらに顔が熱くなってきた。
恥ずかしくて堪らない。こんなもさい男の自分に。全力でプロポーズして。
何でカカシは恥ずかしくないんだろう。
でも、きっと嬉しくて死にそうなのは一緒だ。
イルカは指輪を手の内で大切に握り締めながら、腕をカカシの背中にまわせば、カカシが口を開いた。
「良かった。俺今日言うって決めてたんです」
「…今日、ですか?」
不思議そうにカカシの顔を覗き込む。
「今日で付き合って3カ月でしょ?その日に指輪を渡すって決めてたから」
そしたらそんな日に任務が指輪探しで。でもゲン担ぎにして頑張りましたよ。とカカシは続け、
「だから報告所で先生に会ったらなんか恥ずかしくなっちゃって」
笑って。少しだけ眉を下げてホッとした顔を見せる。
ああ、そうか。
だから報告所であんな不審な言動をしていたのか。納得しながらも心が綻んだ。
「今度こそ帰りましょ?」
言うカカシにイルカははい、と頷いた。
そう言えば。
ベットの中で思い出した疑問にカカシをふと見れば、そのイルカの視線にどうしたの?と優しく聞いた。
イルカは戸惑ったが、迷いはなかった。
「カカシ先生は高ランクの任務の後、俺に会いに来ませんよね。あれって、…何で、ですか」
そう聞けばカカシは、ああ、と言って少し困った顔をした。
「前ね、血だらけの俺を見て、俺が触ろうとしたらイルカ先生戸惑ったの覚えてます?」
覚えている。
仮面から全身に血を浴びて、月に照らされたカカシは今でも鮮明に思い出す。闇に生きるカカシの姿。
「覚えてます」
呟けば、隣にいるカカシはイルカから触れていた手を離しゴロと天井を見上げた。
「イルカ先生がね、酷く怯えていた、そう思ったから。あんな顔をさせたくないから。でも高ランク任務で身体が汚れるのは防げないわけだから、大人しく家でシャワー浴びてました」
ははと笑うカカシの横顔を見て、胸をなで下ろしていた。
「なに、それも不安だった一つですか?」
言われて、カカシに身体を寄せて額を押し付けた。
「俺怖くなんてないです。汚れても構わない。真っ直ぐ俺のところに帰ってきてください」
会えないほうがよっぽど嫌です。
小さく呟けば、カカシの手が腰にまわった。
「イルカ先生、そんな事言われたらまたしたくなっちゃいました」
ゆるゆると脇腹から尻を撫でられ、その手を抓った。
「いたた……駄目?」
「駄目です。言っときますが俺は浮気なんてもっての他ですよ?……ましてや前付き合ってた彼女とかと飲みに行ったりなんて。絶対に嫌ですから」
強めた語尾に、カカシは一瞬の間を置いて、吐息のような笑いと共にはいと答えた。
「行きませんし、会いませんよ。言ったでしょ?俺イルカ先生一筋なんだから」
だからいい?とまた腰にあてられる手をイルカは払いのけた。
「明日は天ぷら作りましょう。ピーマンがまだあるんです。夏野菜の天ぷら」
その台詞にカカシがええーと声を上げた。
「嫌です。俺天ぷら嫌いなんです」
「初めて聞きましたよ、そんなの」
クスクス笑えば、カカシが身体を動かしてイルカの額に唇を押し当てた。
「甘いものも嫌いなんです。でもあの和菓子は好きですよ」
「俺もです」
顔を上げれば唇を合わせられる。
心地いい口づけに、イルカは口を開いて舌を招いた。
カカシの首に腕を回す。
そのイルカの左の薬指には光る銀色の指輪。月の光を浴びて、イルカの指で光り輝いた。
<終>
長々とシリーズで話を書いてきましたが、これで最後となります。最後までお付き合いいただき、読んでくださった皆様、ありがとうございました。
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