手を繋ごう⑧

火影から釘を刺されたが、イルカの中ではまだ納得できずにシコリのように固まったままだった。
闇との接触は禁ず。
闇、ーーすなわち暗部。
カカシが暗部にいる限り、1人の人間として向き合う事すら許されないのだろうか。
どうしても納得が出来ない。火影を無視した行動だと判っているが、カカシの接触を拒否する事は出来なかった。

カカシが現れない時は1人であの川で鍛錬に励んだ。父や母のように上忍になりたいが、今自分がすべき事は中忍に合格する事。目の前にある目標を成し遂げる。
手裏剣の上達は自分でも嬉しかった。努力が報われている。少しの成長も、きっと自分の力になっていくはずだから。独りで生きて行くには何よりもそれは欲していたもの。
里の為に、と自分に言い聞かせていたが、結局それは建前であり、孤独と向き合う為には我武者羅になる必要があった。




「今日は終わりっ」
1人で息を吐きながら川辺に座り込み水を飲む。
カカシは今日も来なかった。
ん〜、と伸びをして。目の先にある森を見る。
あいつ、また怪我なんてしてないといいけど。
腹に出来た傷も、結局病院に行かずとも治してしまっていた。
回復力も強さと比例してると感じざるを得なかった。あんなにバッサリ切られてたのに。
傷を思い出してイルカは顔を顰めた。
あれ以来あの洞窟には行っていない。カカシから強く忠告されていた。暗部の通り道にあるからだ。
俺以外にやすやすと踏み込む馬鹿はいないと、言われたっけ。
それはまた自分が怪我をしているのを見せたくないからなのかもしれないけど。
丸で野生の獣。
そうだよ、馴れ馴れしい割にはどこか冷めていて、会うたびにヤラシイ事しようとして。
盛ったネコ?いや、キツネ…いや、犬。それか狼。
うん、狼だ。
腕を組んで1人頷いた。

頭の上で輝く星を眺める。
黒い夜空。暗部が闇だと言うなら、俺たちは一体何なんだろうか。青空は、見れば見る程更に広がるその先が見える気がする。
だが闇はーー包み込むように何も見えなくなる。その中にいたら、闇に呑まれて周りが見えなくなるんじゃないだろうか。ただひたすらに見えない先を目指して。
手を差し出したら、あいつは手を掴んでくれるのだろうか。

ーー分からない。

イルカは立ち上がり知らずあの洞窟へと足を向けた。
このルートも慣れてしまった。身軽に跳躍させながら移動を止め、木の幹から洞窟を見下ろした。風がない今日は風鳴りが聞こえる事もない。ただ、感じるのは生温い風。明日辺り雨が降るのかもしれない。空を仰ぎ、頭上の風から感じ取る。
どうしてこんなにも気になるのか。
もやもやと胸の中を疑問がまわり、例えようのない鬱憤が溜まる。いつも、会えばからかいや皮肉を込めた口調は外さない。肌を求める行動とは裏腹に何処かいつも線を引いている。
すんなりとそこまでだと理解すればいいのに。何かが心の内で引き留めていた。

風が動いた。視覚より嗅覚が先に感じていた。黒い影が幾つも視界に捉える事が出来ない速さで流れていく。
ドン、と衝撃は頭上から降りてきた。見上げれば身体の大きな暗部が見下ろしていた。故に、それは衝撃を与える程の姿を現し方。態と、自分に投げつけていると悟る。
「ガキか」
低い声だった。見ていいものか、躊躇しながらも相手を見上げた。カカシ以外の暗部を目の当たりにしたのは初めてだった。
「此処で何をしてる」
動かないイルカに相手は苛立たしげに指先を動かしていた。
ーーどうすべきか。
イルカの頭は冷静だった。相手を刺激したくはない。同じ木の葉と言うだけで警戒する理由は削がれるはずだが、カカシの忠告から下手に近ずいてはいけないと感じていた。
「…家に…帰る途中です」
聞かれた質問だけは答えねばなるまい。イルカは静かに答えた。
「ならば帰れ」
言われ、軽く頷く。
後ろの幹に飛び移り、移動をした。
良かった。
胸をなでおろし、ふと上げた視線の先。目の前に立ちはだかる仮面に驚き木から落ちないように手で枝を掴み脚を止めた。
さっきの暗部だと確認する。
今度は全く音も気配も無かった。
帰れと言った暗部が目の前に現れ、イルカは顔を顰めた。
「…何か」
「嘘はつくな」
どういう意味だろう。変に鼓動が波打っている。
「嘘なんかついて、」
「お前みたいなガキがこの道を何故知っている」
冷静だった頭はもうイルカにはなかった。この状況をどう回避すればいいのか。間違ってもカカシの名前は出せない。いや、出さない。
「猿みたいにウロチョロしてるガキってのはお前か」
言葉が出てこない。何が一番正解に導かれるのか。
目の前が真っ暗になった。それは相手が目の前に瞬間で現れたから。伸びた手が肩を掴み、宙を浮いたイルカの身体と共に地面へ降りた。イルカは背中から地面に落ちそうになるが、なんとか両脚で着地した。
とても大きい身体とは思えない速さだった。直ぐに肘がイルカの腹に重い痛みを与え、耐えられず土に跪いていた。
相手がーー近い。
「もうここに来たくないと、身体に覚えさせてやるよ」
再び伸びた手に身構えるように身体が強張った。殴ると思っていた手は脇腹辺りを触る。視線はその手に釘ずけになっていた。
まさか。
いや、そんな事はない。
嫌な汗が滲み出る。
イルカの考えを否定するかのように、上衣の中に入った。
「………っ……」
声が出ない。
喉が圧迫されて息をするのがやっとだった。引き攣る筋肉の上を這う手に吐き気を覚える。詰まっていた息が次第に空気を求めるように息継ぎを始め、ひっひっと声を漏らしていた。
「変な声を出すな。これからだろ」
「…っし…か…かっ……っ」
声が出せたのが分かった途端叫んでいた。
「カシっ…カカシ!カカシ!カカシ!」

「先輩」

自分が叫んだと同時だった。
ヒヤリとした澄んだ声が聞こえたのは。
ズルリと手が上衣から抜かれて、初めて身体を動かせた。両手をついて地面を這う。少しでも男から離れたかった。
「ねえ先輩。それ俺の」
男は少し先にいるカカシを見て立ち上がった。カカシが確かにいるはずなのだが。男には見えているだろうが、イルカからは木の陰に隠れて姿すら見えない。
「先輩か…ふざけた呼び方しやがって」
「いいじゃない、先輩」
皮肉のこもった言い方に男は舌打ちをした。
「…噂は本当か」
「俺の女。何が問題なの」
ただ感じるのは身体を縛る程の殺気。空気が凍りついてもおかしくないと錯覚する程。
瞬きすら出来なかった。
沈黙の中に対峙していたが。やがて再び舌打ちをして、男が消えた。
どっと緩む空気に肩で息をした。
「カカシ…?」
立て膝を支えにして立ち上がる。カカシがいる方へ歩き出して。
「ねえ、カカ、」
目の前の光景に目を疑った。いや、理解出来ていなかった。
白地の仮面はほぼ赤く染まっていた。血の匂いが、今更ながらに鼻に付く。
見て分かる限りに白く浮かび上がる肌にも血が飛沫している。
足が動かなくなった。
「怖い?」
こわい?
凍りついた頭は繰り返すだけで精一杯だ。
「今ね、沢山殺してきたから」

沢山ーーコロス

カカシは掌を広げて見詰めた。
「汚れてる。抱き締めたいのになー」
「抱き締めて欲しくなんか…っ」
反射的にいつもの返しが口からついて出た。
「身体震えてるじゃん。…ホント、危なかっしい。…俺あれだけ言ったのに」
はあ、と息をついてカカシはスタスタとイルカの前まで来た。
あっという間に間を詰められて、手を伸ばされ、仰け反ると、ピタと手が止まった。
カカシが笑いを零した。仮面を取ってイルカと視線を合わせた。
「やっぱツバつけとけば良かった」
「…は?」
聞き返せば、もう仮面をつけられていた

「もう会わない」

「え?」
「里を出る」
「出るって…」
「……命令。任務」
ドキとした。
命令。
すなわちそれは、火影の勅令。
「それでまた沢山殺すのか…?」
カカシは少しの間を置いて人差し指で頭を掻いた。
「綺麗事なんてタブーでしょ」
血塗られた面に先の見えない恐怖が襲う。
「やだ」
思わず手をカカシの手を掴んでいた。
「はあ?あのね、イルカ、」
「やだやだやだ!」
首を強く横に振った。
「暗部なんてやめて、俺と里で強くなればいい」
盛大に溜息をついた。
「がっかりさせないでよ。そんなイルカ好きじゃない」
苛立ちを含んだ声を出し、指先で軽くイルカの胸を押した。それだけで、手はスルリと抜けて一歩後ろへ下がる。
カカシが空を見上げた。欠け始めた月がカカシを、辺りを照らしている。気味が悪いくらいに浮きだって見えた。
「カカシ」
「イルカ」
同時に名前を呼んでいた。先を続けたのはカカシだった。
「見てて、俺は強くなる」
「強さなんて…っ」
「必要ないって言える?」
「っ………」
言葉を詰まらせて胸の前で拳を作った。

カカシは消えてしまう。

イルカはそう思った。

俺たちはまだ無力だ。忍びとして生まれ落ちて。生きていかなければならない。
そこがどんな道でも。
分かってる。そんなのは分かってる。だから、苦しいんじゃないか。

「イルカは?」
「…は?」
「イルカは何言おうとしたの」
視線は宙を浮かび、地面に落ちた。再びカカシを見る。
「お前なんて…嫌いだ」
「…イルカ?」
両手に拳を作り力を入れた。
「大っ嫌いだ!!暗部でも何でもどっか行けばいい!」
カカシから背を向けていた。
勢いよく飛び上がると木々を駆け抜ける。
生温い風。
嫌な空気だ。
ぽつ ぽつ ぽつ
森に湿っていた雲から雨が落ちてくる。イルカの頬を濡らす雨は、そこに落ちる涙を流していった。







怒りと不安と焦燥。
それをカカシからも感じたのはいつだったろう。
力も名声もある少年。太陽に光り輝く銀色の髪は闇夜では鈍い光を放つ。
目を閉じても浮かび上がる。

あの時、本当は言いたかった。
必ず生きて帰ってきて
その言葉が浮かんだ瞬間、頭がおかしくなりそうだった。いつから自分はそんなに弱い人間になったんだ。
「…っクソっ!」
毛布の中で蹲り、何度も布団を叩く。
  見てて、俺は強くなる。
見たくない。
あいつが闇に消えるのなんか。
生きる意味ってなんだろう。
強さってなんだ。
何で俺はここにいるのか。
「クソ!クソ!クソ!」
涙がムカつく。
何で涙がでるのか分からない。
名前のつけれない怒りは、イルカを一晩中涙を誘った。




「おはよ」
「おはよー。あれイルカ、目が変だぞ?」
フォーマンセルの相方がイルカの目に気がつき覗き込んだ。
「別に」
俯いて。ふいとそっぽを向く。
一晩中泣いていたなんて言える訳がない。
「今日の任務。祭りの警備の手伝いだってよ!いつもよりは格好いい任務だけどよ、どうせなら祭りに行きたかったよなー」
イルカに興味が失せたのか、相方は与えられた任務に不平を零した。
言われて思い出した。
今日は里の夏祭りだ。屋台も数多く並び、祭囃子が心を躍らせた。
去年も友達と浴衣を着て参加していた。つい最近の事なのに、酷く他人事のように思い出すのは、何故だろうか。

上に就く上忍から説明を受ける。
雑用の様な任務から変わり、下忍までが警備を補助するのは、人が足りなくなっているからだった。
一部上忍と中忍が里を離れる。詳しくは言わないが紛争が起きていると、告げられ、すぐに思い当たった。
カカシもそれに参加するのだ。
話し口調から緊迫した内容だと感じ取る。微かに聞こえる祭囃子は、同じ里であるのに丸でそれを盛り上げているようで。ヒンヤリと頭に入った。
「俺ら下忍にやれる事あるのかね。な、イルカ。終わったら祭の屋台行こうぜ」
「行かない」
「なんだよ、今日はなんか変だぞ?」
「…………」
イルカは押し黙り顔を顰めた。

一体、どんな紛争なんだろうか。
また、戦争が起きるのか。

カカシ。

赤い面を月に向けていた。

カカシ。


火影の姿を目にした時、駆け出していた。
「おいっ、イルカ!?」
呼び止める声を無視して走る。
「火影様!」
人を掻き分け、神社の社に向かう火影に叫んだ。イルカの声に気がつき、眉間に皺を寄せた。
「どうした。警備の任務の筈だろう」
「…っ、カカシはっ」
肩で息をしながら口から出た名前に、少し目を開いた。
「カカシはっ、もう里にはいないですか?」
「……何故そのような事を、」
「お願いします!カカシに…っ伝えたい事がっ…」
鬼気迫るイルカの様子を見、しばらく口を開かなかったが、やがて溜息と共に開いた。
「……今ちょうど里を出る頃だ。……西の…森からな」
イルカは直ぐ横にある木に飛び移ろうとし、躊躇し身体を止めた。振り返る。
「火影様!ありがとう!」
苦笑いする火影に笑顔を見せると、屋台が並ぶ方へ飛び、イルカは姿を消した。
雑踏の中、火影はただイルカが消えた方角を眺め、共の物に促されるように社へ向かった。


西の森は任務でよく来ていた。
祭囃子も聞こえない。森のざわめきの中で、地面に降り立ち、上を眺めた。
心地よい夜の涼しさは、今は肌に冷たく感じる。
「カカシ!!」
名前を呼ぶ。静かな森に虚しく声がこだまする。
周りを見渡し、肩を落とした。
呼ぶのは一回だけと決めていた。
もう行ってしまった後かもしれない。
戦場に。
全身に力を入れた。
もう泣かない。
泣かないって決めたんだ。
指先が白くなる程力を込め耐える。

「イルカ」

振り向いたらカカシが立っていた。
仮面も手に持ち、昨夜とは違い血の匂いもしない。
普通に、立っていた。
「泣き虫」
笑われて目を勢いよく擦る。ブンブンと頭を振った。
「そんな事ない!」
「ふ〜ん」
面を弄ぶように片手で回して、首を傾げた。
「で、仲直りでもしにきたの?それとも別れのキス?」
グッと唇を噛んだ。イルカはカカシに詰め寄り、何も言わずに拳をカカシの胸に押し付けた。
きょとんとして、イルカをジッと見る。
「え〜と、…何か意味があるポーズ?」
イルカは無言で再び拳を押し付ける。
「あげる」
ゆる、と指先から拳を開いて。
掌に見た物にカカシは食い入るように見詰めた。そして、白い指で掌から取る。

プラスチックで出来た指輪。透明色に淡い赤い色が広がっている。

指先で持った指輪を目の前に上げて、まじまじと眺めていた。その綺麗な瞳をイルカに向ける。
「ごめん、急いでこれしか目に付かなかった」
イルカはポケットを探ってカカシに見せるように掌を広げる。
そこには同じプラスチックの青い指輪。この森に向かう前に屋台で目についた物を買っていた。カカシに渡せれるならなんでも良かった。
黙ったままの意味が分からないが、難癖をつけられる前にイルカは続けた。
「俺を忘れるな」
「忘れる訳ないじゃん」
あっさり言われてイルカはぎゅっと目を閉じ、違う!と、声を強めた。
「帰ってこい。絶対に。俺、待ってるから」
カカシが驚きに目を開いた。
「それ見て、俺を思い出せよ!いいな!」
一息ついて、イルカはカカシの目を見た。
「俺も強くなる。今年絶対に中忍になる。なって見せる!」
決意に指輪を再び手の内に入れ、強く握りしめた。
その様を見詰めて、カカシは頬を緩ませ瞼を伏せた。
「……うん」
下を向き、赤く透明な指輪を眺めて。微笑んだ。嬉しさを噛みしめるように見せ、頷いた。
あどけない笑顔を、浮かべた。
下を向いたままのカカシに手を差し出す。
それに戸惑いながら、仮面を地面に置いて、ゆっくりを手を差し出した。
握るカカシの手は暖かい。力を込めると同じように握り返される。

「待ってる」

もう一度告げる、その目にはもう涙はない。

俺たちが産まれた時、この里は戦争をしていた。
階級関係なく、忍びは命を懸け戦い、散っていった。
もう起こしたくないと、誓ってもまた、戦争は起きる。
それでも俺たちは戦わなくてはならない。
戦い、この里で生きるんだ。
そう、一緒に生きたい。カカシと共に。



<終>


エピローグ追記みたいの書きたいです。

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