雨玉(あめだま)①

6月。イルカは鼻歌交じりに鉢植を一つ抱えて歩いていた。鉢には30センチ程の青々としたトマトの苗が植わっている。
イルカが歩くたびにゆらゆらと苗も揺れ、トマト独特の青い匂いが広がった。
既に青い実も何個か出来ている。じきに赤くなり食べれるようになるだろう。
「絶対美味いよな」
成長を示す、はち切れんばかりの実に表れた筋を見て呟いた。
イルカが住む裏手は畑が続いている。のどかな風景に季節を感じて、必ず畑の前の道を通るようにしていた。
季節で時間は変わるが、朝夕と野良作業をするお爺さんと顔を合わせる度に挨拶をしていたが、人当たりの良い性分もあってか顔なじみにになり立ち止まり話すようになっていた。
昨日もアカデミーから帰ってきたイルカに声がかかった。
「イルカさん」
作業の手を休めて近寄る老人に笑顔を見せた。
「こんにちは。陽が長くなりましたね」
時間はもう18時を過ぎている。空はまだ明るく涼しい季節に、夕方作業をしているらしい。
「ね、イルカさんはトマト好きかい?」
「ええ、勿論です」
答えたがトマトの収穫時期はまだ先だ。どうしたのだろうと思うと、老人が奥を指差した。
「苗、いらんかな。少しばかり育ちすぎて抜いてみたんだがね、捨てるにも勿体なくて」
成る程納得してイルカは頷いた。
捨てるなんてとんでもない。まだこれから実がなる苗なのだ。
「勿論いただきます」
「あんたなら立派にトマトを育ててくれそうだからね」
老人も嬉しそうに笑った。
日焼けした顔に深い皺がなんとも愛嬌がある。愛情を込めて野菜を作っているのは、毎日通るからこそ知っていた。
ありがたくいただこう。
苗と肥料を貰い帰途に着いた。
家に着き袋を開けると3つ苗が入っていた。
3つか。一人暮らしで働いているとなると食べられる量は限られてくる。トマトは好きだが3つの苗からいくつトマトが出来るのか。
腕を組んで苗を眺めて、思いつく。
一人暮らしをして野菜を食べない、金髪の元教え子にはちょうど良いのではないか。
野菜嫌いとは言え育ててみると愛着が湧いてくる。すぐに食べれる食料にもなる訳だし、一石二鳥となるに違いない。
早速使っていない鉢植に苗を植え肥料を混ぜる。明日園芸センターで支柱を買えば上出来だ。苗を見て満足し微笑んだ。

予定通りに支柱を買い鉢植をもって元教え子の家に向かっていた。
夏はまだだと言うのに日差しは暑い。
額に汗を滲ませながら軽く息を吐いた。角を曲がり道なりから奥に入る。
古いアパートの二階にある部屋まであと少し。苗を落としては元も子もない。足元を見ながら階段を登り、数段上がった時気配を感じた。苗から横に顔を出せば、階段上から見下ろしている男がいた。顔に認識はあったが、予想外の遭遇にイルカの反応を鈍らせた。
「えー、……イルカ先生?」
一応、といった感じで名前を呼ばれてハッとする。苗から顔を少しだけ出したまま、頭を下げた。
「あ、はい。こ、こんにちは」
「先生も、アイツに会いに?」
「ええ、まぁ…そうです」
階段を上りきり、身体を半歩避けた男の横に
立った。
「…カカシさんもナルトに?」
未だカカシがここにいる事に驚いていた。フォーマンセルを組んでいる部下の家に来るのは何も不思議な事ではないのだが。実際に光景を自分の目で見てしまうと、カカシが新しい上忍師であると、改めて手を離れたと実感をし寂しさも感じてしまう。
「ええ、でもアイツ留守みたいですねぇ」
既に部屋の前にいたカカシは、当の住人はいないと分かっているらしい。
手を顎に当てているもう片方の手にイルカは目を落とした。
目線に気がついたのか眉を下げて、手に持つ袋を軽くあげた。
「買い物ついでに土産を、ね」
苗越しのイルカを見て小さく笑った。
「で、イルカ先生は何持ってるの?」
カカシは青々とした苗を眺めて実を見つけると、あぁ、と声を出した。
「トマト、ですね」
「はい、アイツにと思いまして」
「はは、すごい。イルカ先生家から持ってきたの?」
「あ、ええまぁ…」
「へぇ、先生らしい」
先生らしいとはどう言う意味なのか。トマトと自分の関連性をどう解釈しているんだ。
吹き出して笑われ、どう受け取ったらいいのか眉を寄せた。
「あ、違いますよ。鉢のままだと俗に言う”夏休みの宿題”、みたいでなんだか面白くて」
「それって朝顔じゃないですか?」
「まぁそうですがね」
未だ頬を緩めてトマトの鉢を眺めていた。
「でも、オレも先生もこのまま帰る訳には行かないですね」
じゃぁ、と背を向け玄関のドアノブ当たりでガチャガチャと音を立てたかと思えば、ドアが開いた。
余りにも一瞬の事に目を奪われていたが、開けたドアを開いてどうぞ、と促された。
ドアに鍵がかかっていなかったのか。そうとも取れないが、違うような。
まさかな、とは思うが聞かずにはいられない。
「…鍵はかかってたんですよね?」
「ええ、でも拉致あかないから開けました」
やはり。
忍として様々な力や能力を持つが、それを仕事以外に使うのはよろしくない。良識であり常識であり、暗黙の了解であるだろう。部下とは言え他人の家の鍵を開けるとは。
しかも異様に早く施錠を外した。コンマ数秒の世界だ。
訝しむイルカの顔を見て頭を掻いた。
「やだな。そんな顔で見ないでくださいよ。ほら、火影様からもよろしく頼むって言われてますから。オレ達の正当な理由もある訳だし、問題ないですって」
「はぁ……」
そこは俺を入れるんかい。
内心ツッコミを入れて、後について部屋に入った。
相変わらずの散らかった部屋にため息をついた。男であればこその散らかりっぷりである。
洗われていない食器も流しだけでなくテーブルにまで置かれていた。何もかも途中、と言った感じだ。
「あ〜あ。ま、こんな感じだよね」
カカシも同じ気持ちを抱いたのか、溜息と共にボヤいでキッチンへと足を向けた。
「買ってきたの無駄にしたくないしね」
言いながらガサガサと袋から取り出した物を冷蔵庫に入れ始める。
そうか、冷蔵品だったのかと納得する。
「それって、何を…」
「これ?牛乳です。あとね、チーズと豆腐…まーた無駄にしてるな、アイツ…」
冷蔵庫の中を眺め、困った奴だと言うカカシの背中を見つめた。
そうか。そうなんだ。
部下だと言いながらも心配してくれてる。任務以外の時も、こうしてわざわざ家にまで。
じんわりと暖かいものが胸に広がる。
俺がわざわざ心配する事はもうないのか。
新しい師として、この人は見てくれているのだから。
イルカの視線にふと顔を向け立ち上がると
「たまーに来るんですよ。腹壊して任務に支障が出るの嫌ですからね」
笑って頭を掻く。
「今のところは、ね」
繋げた言葉に首を傾げた。
「え?」
「もうそんな歳じゃないし、甘やかしてもね」
違う、と言い出しそうなり口を閉じた。
甘やかしとは違う。これは優しさだ。
カカシは、彼をきちんと愛してくれている。伝わる想いに何と返せばいいのか分からなかった。
「イルカ先生いつまで持ってるの。貸して?…朝顔」
鉢を持ったままのイルカに苦笑して手を差し出された。
「トマトです」
その返答にうん、と満足げに言って鉢を持つと、適当な受け皿を置きその上に鉢を置いた。
「わ、見て。パンパン」
「……何がですか?」
鉢の前にしゃがみこむカカシの横に座ると、青いトマトを指差していた。
「いつ頃食べられるのかな」
「どうですかね、1週間くらいかな…。詳しくないんですみません。また調べてみますね」
「オレもですよ。…アイツちゃんと世話するかな〜」
「水はそこまであげなくても大丈夫みたいですよ」
「ホント」
低い声がいつも以上に近い場所で聞こえて、そっと横目でカカシを伺った。
眠そうな目がトマトの実をジッと見ていた。
近くて遠い。
不思議な人。
いつも変な本を持ち歩いて、待ち合わせにも遅刻するみたいだし(ナルト談)それでも彼は里を誇る高名な忍であって。
聞けば聞くほど惹きつけられる。会えば会うほど不透明な存在に感じてしまう。
階級が違うのだからそこまで意識するべきではないと思っているのに。
「可愛いね」
間近で目が合った。
言われた意味を考える前にカカシは続けた。
「トマト。成熟するまで楽しみですね」
トマトだと分かっても身体は熱を持ち頬が熱くなった。
「ですね。きっと美味しいですよ」
誤魔化す訳ではないが、そう答えるとニコリと笑った。
「そうだね」

「なにしてるんだってばよ」

家の主の声にイルカはびくりとした。
金髪の少年が両腕を腰に当てて立っている。
慌てて立ち上がってナルトを見た。
「お前、何処行ってたんだ?」
「修行。…俺ってば、鍵閉めてなかったっけ?」
「そうだよ、ナルト。修行ってなによ?どっかほっつき歩いてたんじゃないでしょ?」
施錠の事を上手く濁して話を変えるカカシを見た。呆れるが上手い答え方だ。素直に話しそうになっていた自分とは違う。いや、正しい正しくないは別として。
カカシの問いに口を尖らせるとプイと顔を横にした。
「…秘密。修行だから」
態度と言い台詞と言い、まだ子供だ。思わず頬を緩めた。その子供っぽさの残る頭にカカシはポンと手を置いた。
「まぁ、いいよ。成果が出るといいね」
その目には優しさが灯っている。
無性に寂しさがイルカの身体を包んだ。
「じゃ、オレらは用事済んだから」
イルカ先生、と振り向かれ意図が分かり軽く頷く。
「じゃあな。トマト、置いとくから枯らすなよ」
「え〜トマト!?俺嫌いだってばよ!」
ブスくれる顔に破顔してカカシに続いて頭に手を置いた。
「ブツクサ言うな。忍たるもの身体が資本だからな。たま〜に見にくるぞ」
「分かってらい!」
舌を出す顔に呆れ顔で笑う。
きっと枯らすことなく食べてくれるだろう。
成長とはそう言うものだ。
部屋を後にしてしばらく歩き、途中カカシが立ち止まった。
じゃあここで、と言われ、ここからは違う道かと思えば、振り返るカカシは何か困ったような顔をしている。
初めて見る表情にイルカは思わずその顔を見つめた。カカシが困る理由は見つからない。疑念を抱くイルカに何か言いたげに口を開いてはまた閉じる。何回か繰り返して
「イルカ先生」
名前を呼ばれた。
「はい」
「……いや、何でもないです。じゃ」
気落ちした表情で片手を上げて背を向け歩き出すカカシを見つめた。
今のは何だったんだ?
解消されない疑問が残った。彼はいつも表情をあまり崩さない。多少の変化はあったが、会話をする上での付け足し程度だ。
いつも表情が乏しい為になにを考えているかは深く読み取れないが、今回は表情があっても読み取れなかった。代わりに言葉がなかったせいもあるが。
結局のところ、やはり不透明な人だ。
そこに求める事はないけれど、言葉があったらよかったな。
考えていても仕方がない。イルカも自分の家へと足を進めた。

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