クリスマス 前夜

吐き出す息が白い。寒気が降りてきてから一気に気温が下がり、冷たい空気に木の葉の里が覆われている。雪がちらちらと舞い出すのも直ぐかもしれない。
イルカは職員室の窓から景色を見つめながらそう思った。
そのどんよりとした灰色の雲を眺めながら、採点を止めたまま椅子に座ったイルカは持っていた赤ペンを指で揺らす。
その後ろを後輩である女性職員が2人通り過ぎた。
ホワイトクリスマスになったらいいのにね。嬉しそうに口にした会話が耳に入り、それはイルカの気持ちを憂鬱にさせた。
冬はもともと好きじゃない。どちらかと言えば動きやすい開放的な夏が好きだ。照らされる太陽に、子供たちの虫を捕まえたり川で遊ぶ嬉しそうな声。それに西瓜や夏祭りやかき氷。そして風鈴。それらを連想しただけでふと気持ちが楽しくなる。が、今は冬。冬至も迎え、本格的に寒さも強くなり始めている。
その現実を思い出しイルカは小さく嘆息した。強い北風が窓に吹き付け、がたがたと窓枠が寒そうな音を立てのが聞こえ、それだけで室内にいる自分も寒く感じた。
ちょっと休憩。
イルカはペンを置くと、席から立ち上がり飲みかけのマグカップを手に取る。商店街で買い物をした時にくじを引き当てたのは確かアカデミーに入ったばかりの頃だった。もともと物を大切にする性分からか、古かろうが気にせず使っていたが。商店街のマークが入った古いマグカップ。こんなものを大切に使ってたりするから恋人が出来ないのかもしれない。
(でも捨てられないんだよなあ)
そんな事を思い苦笑いを浮かべながらイルカは給湯室へ向かった。
さきほど後ろを通った女性職員が使っていたのだろう。給湯室には甘い匂いが微かに残っていた。それとあと香るのは。以前その女性から煎れてもらったフレーバーティの香りだろうか。不味くはなかったのだが、自分では進んで飲むことのない紅茶だった事を思い出す。
残業する時はコーヒーに限る。
イルカは棚からインスタントのコーヒーの粉を取るべく手を伸ばし、
「あ、先生ここにいたの」
その声に、少し驚いた。コーヒーの粉の入った瓶を落とす事はなかったが、瓶を掴んで振り返ると、カカシが給湯室のドア枠に寄りかかるようにして立っていた。
「カカシ先生」
「あれ、びっくりさせちゃった?ごめんね」
眉を下げるカカシの言い方は優しい。その言葉だけで、さっきまで塞ぎかけていた気持ちが緩んだのが分かった。
「いえ、ちょっと驚いただけですから」
イルカが微笑むとカカシもにこと微笑む。
「今日はもう任務は、」
「うん、終わってさっき報告してきたところ」
カカシはもたれていた背中を離すと、給湯室に入る。
「今日上手くいった事を自慢したかったのか、あいつら、特にナルトがイルカ先生がいないって、ぴーぴー騒いでましたよ」
「ああ、すみません」
「いや、先生が謝る事じゃないでしょ。あいつ等がまだまだ子供だって話」
「はは、そうですね」
その光景を思い浮かべ同調するように笑えば、カカシもまた微笑む。
「・・・・・・えーっと、それで。イルカ先生は今日は残業?」
持ったままのコーヒーの瓶をカカシが指をさした。
「あ、いや、今日中にやらなきゃってやつじゃないんですけど、」
そこから口ごもると、青い目がイルカを見つめた。
「そっか。よかったらさ、今日一緒に夕飯どうかな、って思ったんだけど」
「あ、嬉しいです」
直ぐに反応を見せると、カカシは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあこの前の店でもいい?」
「勿論です。あそこ美味かったですよね」
「ね。じゃあ決まり。外で待ってるね」
手を上げるカカシにイルカは軽く頭を下げる。
コーヒーの瓶を持ったまま、イルカは心の中が暖まる気持ちに頬もつい緩み、誰かに見られているわけでもないのに、綻ぶ顔を隠すように唇をきゅっと結んだ。そこからイルカはコーヒーの瓶を棚に戻すと、自分のマグカップを洗い、給湯室を出た。
カカシに残業かと聞かれてそこまでじゃないと答えつつ口ごもったのは、カカシが誘ってくれると思ったから。カカシとは知り合ってすぐに飲みに行くような間柄になり、カカシの優しい性格を知り、知った上で、そう科白を返してくるだろうと分かるようになってしまったから。机の上を片づけながら、そんな自分の気持ちが浅ましく思えた。
恋愛経験もなく、どんな風に恋が発展していくのかさえ分からないくせに。こんな行動を取ってしまう自分が可笑しくなる。
それに、恋愛とか、恋とか、そんな言葉が出た自分にまた虚しさが募る。不意に曇る表情を切り替えようと息を吐き出し、鞄を肩にかけると、イルカはカカシの待つ裏門へ向かった。

「お疲れー」
「お疲れ様です」
ビールが運ばれ、向かい合ったカカシと乾杯をする。小さな居酒屋で座る場所も狭いが、食べ物も飲み物も美味い。最近2人でこの店を見つけた。ビールを飲み、焼きたての焼き鳥を口にする。炭火で焼いたつくねは香ばしくて美味い。
カカシは椎茸を口にしていた。口布を下ろしたその端正な顔を横目で見ながら、イルカはまたビールを飲んだ。いつもは顔の殆が隠されているが、こうして口布を下ろすと、表情がよく見える。それがイルカは嬉しかった。思ったよりも子供っぽい顔をすると、最近知った。
「そういえばさ」
カカシがお通しで置かれた枝豆に手を伸ばしながら口を開いた。
「サクラがね、クリスマスどうするんですか?って聞いてきて」
ホント、子供なのに女の子だから聞く事は一丁前なんだよね。
笑うカカシに、イルカも笑って頷いた。
「サクラっぽいと言えばサクラっぽいですね」
「でしょ?」
カカシはイルカに目を向けると、房から取り出した枝豆を口に入れる。
「でもアカデミーの生徒もそんな子ばかりですよ。行事になるとやたらそんな感じで俺にも聞いてきますしね。バレンタインとか、ホワイトデーとかどうするんですかーって」
カカシ声を立てて笑った。
「それも想像出来ちゃう。先生って大変だね」
そこでイルカはビールを一口飲む。
「まあ、慣れですよね。女の子は年々ませてきてるって感じですけど、それを思うと男子はあんまり変わらないなあ」
そこでまたカカシが笑いを零した。
「なるほどね。俺はあいつらが初めての部下だからさ、そーいうのわかんないんだけど、毎日相手してるとそんな事も分かるんだ」
そこでビールのグラスを傾ける。
「外は寒いけど、やっぱビールは美味いね」
素直に嬉しそうな顔を見せられ、イルカは微笑んで頷いた。
「週末は雪も降るかもしれないとか、天気予報でも言ってましたね」
「そうなんだ。じゃあホワイトクリスマスだ」
少し前に耳にした科白をカカシが口にする。
ビールを飲み干し、店員に追加注文をするカカシを見つめていれば、イルカに向き直ったカカシが口を開いた。
「イルカ先生はクリスマス何か予定あるの?」
「予定ですか?」
少し驚いたイルカにカカシは不思議そうに微笑む。
「ほら、ちょうど週末だから仕事は休みなんでしょ」
そう聞かれても。予定があるわけでもないイルカは苦笑いをこぼしながらこりこりと頬をかいた。
「実は土曜は出勤なんですよ。日曜は休みですが。なので特に何もある訳じゃないんです。仕事が恋人みたいなもんだですから」
「ああ、俺と一緒だ」
「・・・・・・え?」
嬉しそうに微笑まれ、思わず聞き返していた。
「俺も土曜は任務入ってるんだよね。でも、毎年この時期は里にいない事が殆どだから、珍しいといったら珍しいかも」
冬になる仕事が増えるのはどこも同じだとは知っていた。事務や雑務も増える一方で任務要請も何故か増える。
そっか、毎年里にいないのか。
そんなカカシの情報に寂しいような嬉しいような、複雑な気持ちがふわりと沸き上がる。
注文したビールが店員から受け取ると、カカシはそれを口にした。
「よかったら、土曜日も一緒に飲んでくれる?」
自然な誘いだった。
「・・・・・・土曜日ですか」
「うん。クリスマスイブだけど」
あえてイブだと口にしなかったのに、カカシはまたさらりと口にする。自分もそこに固執している訳じゃないのに、口にだされると妙に意識してしまう。
「プレゼントなんて用意出来ないですけど」
そう返したら、一瞬目を丸くしたカカシはその冗談に可笑しそうに笑った。
「うん、いらない。先生と飲めるならそれで十分」
それで十分。
素のままで、普通に言う。
嬉しそうに。
(・・・・・・ずりーなあ)
イルカは合わせるように微笑みながら胸が苦しくなった。誤魔化すようにビールを飲む。
さっきの自分の計算したように口ごもった自分も、十分ずるいとは思うが。カカシの場合は計算なんかしているわけではない。
だから、たちが悪い。
そんな風に言われたら。
勘違いしてしまう。
隠していた想いを伝えたくなってしまう。
でもそれはありあえない。同性の男がまさか自分を好きだなんて知ったら。迷惑の何者でもない。
だから、バレンタインとかクリスマスとか。そんな季節が来る度に、自分も同僚や友人のように恋人と過ごしたい、なんて思ってしまうけど。
そんな幸せが一生くる事がないのは、十分分かっている。
こんな気持ちに気がつかなきゃよかった。
今更な感情がこみ上げそうになり、イルカはビールを飲み干すと手を上げ店員に追加の注文をした。
でもまあ、こうして一緒に座って飲めるだけで幸せだ。
「一緒にいれて幸せだよね」
「え?」
心がシンクロしたような台詞を口にされ、どきっとしたイルカは顔を上げた。
変わらない、優しそうなカカシの目がイルカを映している。
酔ったのか?と思うけど、そんな量は全く飲んでいない。
「そう思ったんじゃななくて?」
「あ・・・・・・いや、」
「俺は幸せだけど」
目を伏せたイルカに続ける言葉。
バカヤロウ。
久しぶりにその言葉が頭に浮かんだ。
そのフリにどう返せってんだ。
じわ、と額に浮かぶ汗に、イルカは膝の上に置いた手を拳に変え、ぎゅっと握った。
黙ったイルカに、カカシは少しの無言の後、あ、と声を出した。
気まずいままおずおずと顔を上げるイルカにカカシは店内の壁に書かれたメニューを指さした。
「ね、焼き牡蠣、美味しそうじゃない?食べようよ」
変わった話題にイルカは、そうですね、と頷けばカカシは安心したようにホッとした顔を見せた。
あのありますの〼って何であんな書き方なんだろうね。
そう続けるカカシは至って普通に戻っていた。



イルミネーションが輝く待中で待ち合わせ、カカシと一緒にいつもの居酒屋で酒を飲む。
恋人たちの為、と言ったら言い過ぎなのかもしれないが、どこの店もクリスマスの飾りやそんな雰囲気で店作りをしいるが、それとは違い、通常運転と変わらない居酒屋でカカシと酒を飲んだ。
任務が終わってそのまま待ち合わせにきたのだろう、制服は汚れてはいなかったが、手甲や手についた汚れを、手荒いで洗った後、カカシはおしぼりで綺麗に拭いていた。任務と言っても受付に降りてきていないランクのの任務。疲れているんじゃないかとカカシの様子を伺えば、疲れを見せない顔でにっこりと微笑まれた。
日本食が主な居酒屋でいつものようにビールや刺身、豆腐料理や煮物などを注文する。
会計でカカシが払うと言ってイルカは慌てた。
クリスマスイブとはかけ離れていたかったけど、一緒に過ごしている気持ちからか、いつも頼まない少し高めのメニューも頼んでいたからだ。
酒も少し多めに飲んでいる。
「俺が誘ったんだから」
そんな事を言われてイルカは首を振った。上忍、中忍、そんなのは関係ない。一緒に飲み食いしたのだ。
「俺にも払わせてくれないと困ります」
時々甘えてる時はあったが、こんな日まで甘えるわけにはいかない。
頑なに拒むイルカにカカシは折れた。先に払ったカカシに大体半分だと思われる金額の札をカカシに渡すと、しぶしぶ受け取る。
「いいって言ってるのに」
少しむすっとしてしいるカカシがむくれた子供の様で。少し可笑しくて小さく笑いを零したが、カカシはそこで合わせて笑うことはなかった。不機嫌なままのカカシに、どうしたのかと思うが、そこまでカカシのプライドを傷つけてしまったのだろうか。少し心配になりながら、イルカはカカシをのぞき込んだ。
「じゃあ、今度奢ってくれますか?」
聞くと、そこで要約カカシは頷き、ほっとした。
そこから2人で歩き出す。
夕飯には遅いくらいの時間でも相変わらず街中は賑わい、酔っぱらいもちらほらいるが、恋人たちが寒さに身を寄せ合うようにくっついて歩いているのが目に入った。
カカシと並んで歩く距離はいつもと変わらないのに。その距離がもどかしく感じた。
ふとした時に思う。
カカシの指は白い肌のまま、冷たいのだろうか、それとも暖かいのだろうか。
浮かんだ欲求に、こんな雰囲気の中だからだと言い訳をして頭を振った。
長くて印を結びやすそうな指に触れてみる事は、一生ないだろうけど。
出来ることなら、手を伸ばしてカカシの手に触れたい。
人混みの中、カカシが少し先を歩く形になっているそのカカシの手を見つめた。
少しだけ。
偶然ぶつかっただけ。
触れたらそう理由をつければいい。
誘惑に誘われるまま、ゆっくりと手を伸ばす。
「ねえ、先生見て」
触れる直前で、イルカは手を止めた。
顔を上げるとカカシが目の前にある大きなツリーを指さしている。それは、商店街と飲み屋が建ち並ぶ繁華街との間に設けられていた。
「綺麗だね」
光り輝く飾りを指さすカカシに、そうですね、と答えてツリーを見上げた。
このクリスマスツリーの飾り付けを街の人への手伝いとして、アカデミーの生徒と行ったのは12月に入ってすぐの事だ。いつもはゴミ拾いや草むしりは嫌々やる生徒がほとんどだが、今回は皆嬉しそうに顔を輝かせて飾り付けをしていた。そして最後に点灯した時の子供たちの歓喜の声。
そんな事を思い出したら不意に現実に引き戻されていた。自分の右手を広げて手のひらを見つめる。
(何考えてんだ俺)
イルカは眉を顰めた。
カカシを見ると、まだツリーを見上げていた。丸で初めて見るかのようにじっと見つめている。そんなカカシの横顔を見ていたら、胸の奥に暖かいものが詰まった感覚を覚えた。それが「幸せ」という感覚なんだと気がついた時、こみ上げる感覚にそれを必死に押しとどめた。
胸が苦しくなる。
この前、幸せだと。なんでカカシに素直に言えなかったんだろうか。
たった一言、そうですねと。言えばそれで良かったのに。
「行きましょうか」
代わりに出たのはそんな言葉だった。イルカの声にカカシは顔を戻し、うん、と微笑んで答える。
そこから再び歩き出したカカシの手に視線を向けた。
無骨な自分の手とは違う、綺麗な手。
でもその手は、自分より比べられないくらい遙かに多く、里のために死線をくぐり抜けてきたのだ。
よくよく考えれば俺なんかが触れていいわけがない。ぬくぬくと、内勤で任務にも出ない中忍の俺が。
自分の指先をゆっくりと丸める。
クリスマスソングはそれほど嫌いじゃないのに。何でだろう。自分が一番不似合いだと、感じてしまう。
視線を地面に落としたイルカはそこからゆっくりとカカシの横顔を見つめた。
オルゴール調で流れる曲は、降ってはいない見えない雪を音が跳ねていくみたいに幻想的で。青いイルミネーションが氷の様にきらきらと輝いていた。



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