剥がれる

 昼の外食はラーメンに限る。
 そりゃあ食堂で食べる定食も美味しいが、限定のセットが食べられるのは昼だけで、お得でなにより美味い。
 イルカはラーメンを食べ、もぐもぐと咀嚼する。先生は相変わらず美味そうに食べるねえ、と店主に誉められ、イルカは恥ずかしそうに笑みを浮かべた。実は寝坊して朝ご飯を食べ損ねたなんて言えない。そうじゃなくともここのラーメンは美味しいが。と、店主の視線がイルカの後ろへ向けられる。いらっしゃい!と威勢のいい声につられ何となく視界を背中越しにへ向けようとした時、どーも、と店主に返される声。その声にイルカは反射的にビクリとした。
「ああ、イルカ先生」
 同時に自分にかけられる声。
 顔を上げるとそこには案の定、カカシが立っていた。顔を上げたイルカにカカシがニコリと微笑む。イルカも笑顔を作って軽く会釈をした。当たり前の様にカカシは隣に座り、店主にラーメンを注文する。
 イルカがラーメンを食べるのを続行しながら、あーあ、と心で呟いたのは。カカシが苦手だからだ。
 初めて会ったのはカカシがナルトの上忍師として挨拶をした時。尊敬していた忍だったからこそ、やたらに緊張する自分に、カカシはよろしくね、とにっこりと微笑んだ。離れて見ていた時は何を考えているのか分からないと思っていたから、その笑顔にほっとした時、
「可愛いね」
 続けてカカシがそう口にした。
 一瞬、何を言ったのか分からなかった。可愛いなんて、もういつ言われたか分からないくらいに久しぶりで。遡るなら自分の記憶では両親が健在だった幼い頃、そのくらいのはずだ。
 もともと自分はくノ一の中でもずば抜けて女っ気がない、と言うか男にしか見えない、と言われるのも慣れっこで。それに自分も納得していた。
 唖然としながらも、ありがとうございます、と言えば、その場に居合わせていたナルトが笑った。サクラも笑い、サスケもつられて笑っている。カカシも微笑んではいるが、それは皆と温度差のある、素直な笑みで。余計に恥ずかしさが募ったのは言うまでもない。
 あの日から、申し訳ないがカカシは苦手な人へと位置づけられた。
 だって、同世代のくノ一とは違い、自分は化粧もしてなければ、髪も後ろに一つに結ってあるだけで。同期以外は基本自分を女だと思わない。扱いもまた同じく。自分が忍として生きていく中で、それが楽だと思った。
 なのに、この人は、ーー。
「ね、先生。今夜暇?」
 当たり前の様に誘われ、イルカは啜り食べていた麺をごくりと飲み込んだ。あからさまにイルカは眉根を寄せカカシを見た。手の甲で口の端についたスープを拭う。
「・・・・・・暇じゃないです。何度言えば分かるんですか?」
 わざと不機嫌な声を出し、ふいと顔をそらせば、カカシが小さく笑ったのが聞こえた。何故かそれにもむっとするも、無視してイルカは自分の残り少ない麺を啜る。
 カカシの注文したラーメンはまだきていない。それは分かっているが、隣の席から痛いくらいの視線を感じ、それに耐えられなくて視線を向けると、やはり、カカシがたて肘をついたままこっちを見ている。
「・・・・・・何ですか」
 口の中に麺を入れたまま、もごもごとした口調で呆れながら聞けば、カカシはにこりと笑った。
「いや、イルカ先生美味しそうに食べるなあって」
 幾度となく聞いた台詞をカカシがまた口にした。そう、もう何度もカカシから言われている台詞。一度言えばもうそれでいいのだろうに、事ある毎に口にされ、しかも相手がカカシでは嬉しくもない。イルカは内心ため息を吐き出した。
「もういい加減に、」
 と言いかけた時、お待ち、とカカシの前に注文していた醤油ラーメンが置かれる。
「だよねえ、俺もそれをさっき言ったところ」
 店主の声に、イルカの声は遮られ、カカシは調子に乗ったように、だよね、と嬉しそうに店主に答える。
 悪気のない店主の表情を見たらそれ以上カカシに抗議の目も向けられず、仕方なくイルカは言葉をぐっと飲み込むしかなかった。

 最後の授業を終え黒板を消しているイルカに、子供達は挨拶をしながら元気に教室を飛び出していく。授業もあのくらい元気があったらいいのに、と言いたくなる子も少なくはないから、挨拶を返しながらその小さな背中を見つめ、微笑み、そして顔を黒板に戻した。
 自分の書いた字を消しながら、字が汚いと生徒に言われ、それはさっきからお前が邪魔してるからだろ、と授業中に悪戯ばかり繰り返す生徒に怒鳴った自分を思い出し、イルカは小さくため息を吐き出した。
 つい先日、生徒の親から口が悪いのは先生のせいではないかと、言われ、ひどく申し訳ないと思った。叱る事はともかく、叱り方を気をつけなければと思えば思うほど、上手くいかない。
 上級生になればなるほど女だからとナメてくる男子生徒も少なくはない。アカデミーの教師として、木の葉の忍として誇りを持っている分、きちんとした教え方が必要だ。
 あなたはすごいね。
 以前、不意にカカシに言われた言葉が頭に浮かんだ。たまたま七班の任務帰りに会った時並んで歩く事になって。何を言い出したのかと瞬きをする自分に、カカシは微笑んで前を歩くナルト達へ柔らかな視線を向ける。
 ナルトもそうだし、あのサスケだって懐いてるじゃない。それってすごい事だよ?
 あの言葉は正直、嬉しく、驚いた。
 ナルトの事で特に上から良いことを言われた事はなかったから。だから、ありがとうございます、と。そう言いたかったけど。それが上手く出てこなくて。そうですか。だけに留まった。でもまあその後に、そのへんのコツとか、今度じっくり教えてよ。
 何てカカシに言われて違う方向に行って、少しがっかりしたのは言うまでもない。
 大体、あの人何考えてるのか分かんないだよなあ。
 イルカは動かしていた手を止めると、ぼんやりと黒板を眺める。
 人付き合いには自信があったのに。
 カカシの言葉にペースを狂わされている気がして、正直迷惑だ。つきまとうとまではいかないが。この前のラーメン屋でも、ナルト達の前でも然り、人前でも平気で誘う言葉やあらぬ言葉を口にする。まるで挨拶のように。
 それで同僚や友人に揶揄を含んだ言葉を向けられるこっちの身にもなってもらいたいもんだ。
 いい加減、なびかないと分かったら、さっさと他の女性へ行けばいいのに。
 イルカは呆れ混じりの怒りを覚えながら、黒板を消す事を再開した。


 その日は上忍と中忍の飲み会だった。基本内勤の忍は予定がない限りは参加する必要があるが、仕事の量が減るわけではない。開始時刻より遅れて行けば、既にその部屋は盛り上がりを見せていた。
 隅からこっそりと入るも、すぐに同僚に見つかり声がかかる。イルカは苦笑いを浮かべながら、グラスを受け取った。ビールが注がれる。
 そこそこ冷えたビールでも十分幸せだ。イルカは飲み干すとふう、と息を吐き出した。そこから辺りを見渡し銀髪の上忍がいないことにも安堵する。
 この前は気がつけば横に座られ、しかも酒が弱いくせに無理してビールを一緒に飲もうとするし、それでいてずっと隣から動かなくなる。
 互いに好きな食べ物が同じだと分かるとすごい嬉しそうにするから、素直に自分も嬉しいと言えば、今度作ってもらいたい、などと話が飛躍するので迂闊に酒を飲みながら話しも出来ない。
 上忍であるカカシがいれば周りが当たり前に遠慮して、せっかくの飲み放題だと言うのに同僚と盛り上がれず仕舞いだったし。
「今日はたけ上忍いないよなあ」
 なあ、イルカ。言われてイルカはグラスを口につけたまま隣の同僚へ顔を向けた。
「さあ」
 素っ気なく返してビールを飲むイルカに同僚が片眉を上げる。お前なあ、と肩をぽんと叩かれた。
「あんな優しい上忍いないぞ?」
「変わり者の間違いだって」
 そう返してイルカは縦肘をつく。
 変わり者、カカシはそれ以外の何者でもない。こんな野暮ったい自分につきまとわなくても、寄ってくる女性は数え切れないいるくせに。たぶん、簡単に手に入る相手より、振り向かない女を振り向かせたいとか、その心理が入っているのは間違いがない。
 じゃなきゃあんなしつこくつきまとう訳がない。
 イルカは内心鼻で笑ってビールを飲む。
 残念だけど、そんな手に引っかかるほど自分は馬鹿じゃない。あ、このシシャモ美味しい。
 口に入れたシシャモの美味しさに、思考は途切れ、そして口の中に広がる小さな幸せに浸る。
「嘘ばっかり」
 もぐもぐと咀嚼しながら顔を向けると、斜め前にいたくノ一がイルカを見ていた。さっき口にした台詞が自分に向けられているのだと、知る。
 嫌な奴に捕まったな、とイルカな心で呟いた。と、言うのもこの一つ年上のくノ一は、元々男っ気の強い自分に好感を持っていない。それは言動から十分伝わってきていた。同じように化粧して着飾らない事が男の気を引いているのだと勘違いしている。ただ、昔から友達は女より男が多かった、それだけの話なのに。
 イルカはビールを一口飲み、斜め前のくノ一を見つめ返した。
 反論してもいいが、正直面倒くさい。どうしようかと考えている間にも相手はまた口を開いた。
「言っとくけど、周りにばればれだから」
 攻撃的な口調は挑発していると分かっている。だけど、この楽しい酒の席でこんな話題に敢えて触れてくる神経が知れない。
 苛立ちながら、イルカは小さくため息を吐き出した。一回外した視線をもう一度くノ一へ向ける。
「何がですか?」
「はたけ上忍に決まってるでしょ」
 静かに問えば、直ぐに返される言葉。イルカはグラスをテーブルに置いた。
「まさか」
「自分に興味があるって事が嬉しいくせに」
 普段そこまで気が短くない方だが、馬鹿にされたような言い方にイルカはむっとした。思わず自分の目つきがきつくなったのが分かり、視線をテーブルに落とせば、ほらやっぱり、と笑いを含んだ声がくノ一から聞こえた。イルカはゆっくりと黒い目をそのくノ一へ向ける。
「嬉しいとか、そんな風に思った事ありません。仕事のし過ぎで薬品にやられちゃったんじゃないんですか?」
 相手が医療忍者だと分かってるからこそ、そう嫌味混じりに冷たく言い放つと、くノ一の顔が険しくなった。まさかイルカが言い返すと思っていなかったのか、周りの空気もまた、張りつめる。おいイルカ、と同僚に宥めるような言葉を向けられるが、酒も入っているせいか、どうしても馬鹿にした言い方が許せなかった。睨むと、くノ一もまた目つきがきつくなる。だが、またふっと鼻で笑った。
「言っとくけどね、見えてないのはあなただけ。みんな知ってるわよ」
「何が、」
「顔に好きって書いてあるもの」
 イルカの目が丸くなった。呆れて思わず、は?と聞き返すとくノ一の眉根が寄った。
「好きなんでしょ?だからいつも顔を合わせる度にはたけ上忍の子供を欲しがるような顔をするんじゃない!」
 思わず息を飲んでいた。想像すらしていなかった言葉に、口を少しだけ開けたまま、頭が真っ白になる。
 そして、呆然としているイルカの視界に、勝ち誇った様な顔をしているくノ一の後ろに、ふと見えたのは、カカシだった。
 ゆっくりと視線を動かせば、青みがかった目と交わり。
 そして。顔が一気に熱くなった。
 え、何で。
 自分でも信じられないのに、抑えられない。かあ、とイルカの顔が赤く染まり、それを見つめるカカシの目が、僅かに見開いたのが見えた。
 違う。そんなんじゃ、
 否定しようとしても頭が未だに真っ白で機能しなくて、カカシから目が離せない。
 顔が、身体が熱くて。それに泣きたくなったなった。
 違う、違うってば。
 そう目で訴えても顔を真っ赤に染めたイルカを見つめるカカシの目の奥に、燃えるような色が見え、途端背中が甘く痺れた。
 否定しようにも、自分の気持ちを物語っている表情は、隠しようにも隠せない。絶対に隠し通そうと、いや、隠し通せると思っていたのに。あんな一言で剥がされるなんて。
 身体の力が抜ける。

 ああ、つかまったなあ、と泣きそうな顔でカカシを見つめながらイルカは思った。 

<終>


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