花火①

まだ6月だと言うのに日差しが強い。
雨上がりだからというのもあるんだろうが。湿度がある空気に、まだ梅雨さえきていないが、もう夏が近いなあ、とイルカは思った。
飲み物を買うために入った店で目に入ったのは、花火だった。まだ時期的にもまだ早いとさえ思うのだが。
レジで会計を済ませながら、イルカはその花火を横目で見つめた。
そう言えば、カカシとつき合い始めたのもこの時期だった。
もう花火なんて置いてあるんだね。と言ったカカシはその花火を手に取ってイルカに見せた。
ねえ、これ買って一緒にやりましょうよ。
カカシはそう言った。
流石にまだ早いですよと言ったものの、子供のような嬉しそうな眼差しに、つい頷いてしまっていた。
それはそのまま戸棚の奥にしまって。結局使わずに1年が経ってしまっている。
もうカカシもきっと忘れているのだろう。
イルカは店を出るとまた蒸し暑さに眉を寄せながら、アカデミーへ向かった。

「...1年か」
イルカはふとさっき自分で思い出した事を口に出していた。
昨日、喧嘩をした。
いや、喧嘩と言うべきなのかも分からない。一方的に自分がカカシを責めただけのような気もする。
カカシが頻繁に飲みに行くようになったのは、ここ最近だった。
飲み行くのはいい。自分だってそうだ。社会人であるのだからつき合いだってあるのは当たり前で。
でも。
知らない女性と2人で並んで歩いているのを見た時には、呆れた。
堂々を腕を組んでいたから。恋人がいるというのに。
カカシは元よりモテる。それは重々知っていた。あの顔に背も高く稼ぎもあって、里一の忍びとあればモテない方がおかしい。
それでも。
カカシは自分を選らんだと言うのに。
だけど責めるのには気が引けた。腕は組んでいたが、友達だって事かもしれない。
ちょっとした事で責め立てるのは自分が度量の小さい男だと思われたくない。
だからそれをやり過ごして見なかった事にしたのに。
昨日の夜もまた、帰ってきたカカシから香水の甘い香りがしただけで、一気に頭に血が上った。
「カカシさん、もしかして浮気してるんですか?」
駆け引きなんてできっこない。単刀直入に口にしたイルカに、カカシはきょとんとした顔を見せた。
「え、浮気?なにそれ」
とぼけたような口調に、イルカは眉根を寄せる。
「いい香りがするじゃないですか」
言われて、カカシは自分の腕を上げながら嗅ぐ仕草を見せる。
「ああ、ホントだ。隣の女がたまたま付けてたんですよ」
「隣?」
あっけらかんとした言い方に、聞き返していた。
「ええ、今日の飲み会で隣に座った女ね」
「飲み会って、それって、」
言うべきか。言いよどむと、
「うん、合コン」
ハッキリと口にされる。
合コン。
なんだよそれ。
イルカは握った手に力を入れた。
「だから浮気なんかじゃないですって」
言いながらカカシに肩を触られ、思わず手で振り払っていた。
驚きに、カカシは目を丸くする。
「何で怒ってるの?」
「合コンなんて...俺は行って欲しくないです」
俯いて呟くように言えば、カカシが笑った。それに驚いてイルカは視線を上げる。
「何言ってるの?つき合いなんだから、仕方ないじゃない」
そんなのは分かっている。
自分だって子供じゃない。飲みに行くこと事態、悪いとも思っていない。
「分かってます。俺は、ただ...」
「ただ、なに?」
平然と聞き返され、イルカは思わず視線をずらしていた。
ただ自分は、カカシが知らない女性と仲良くしているのが嫌だっただけで。
そう思ったら。自分の醜い嫉妬心が浮き出ただけのようで、思わず口を噤んでいた。
丸でどっかのテレビドラマによくあるような。嫉妬して束縛する女性と被っているようで。
ふとカカシと女性が腕を組んでいた時の事が思い浮かんで、唇を強く噛んだ。
顔を上げる。
「俺は、あまり女性の人と仲良くして欲しくないだけです」
「....え?」
何言ってるの、と言わんばかりの表情をカカシはしていた。
「腕を組んだりするのは...どうかと思います」
嫌なものは嫌だと、しっかり伝えたい。
そう思っただけだったのに。
そうだね、って言って欲しかったのに。
カカシは酷く嫌そうな顔をした。
「なんか、今日のイルカ先生面倒臭いなあ」
ため息混じりに困ったように言われ、その通り、カカシは困った顔をしていた。
胸が、刃物で突き刺されたように、痛んだ。
その顔を見たら、すごく不毛な事をしているとさえ感じて、頭の中は冷静なのに、混乱している。そんなよく分からない状況に何を言ったらいいのか。
動かなくなったイルカに、カカシは不思議そうにのぞき込んだ。
「もういい?俺お風呂入ってくるね」
優しい声。
いつもと変わらない、微笑みを浮かべてこっちを見ていた。
さっきの言い争いがなかったかのように。
「...はい」
言えば、カカシはまた優しくイルカの頭を撫で、脱衣所に向かった。

俺は、何か間違った事を言ったのだろうか。


恋愛経験もろくになく、恋人だってカカシが初めてで。
だから、あの時はどうすれば一番良かったのか。
今もまだ分からないままだ。
廊下でぼんやり歩いていたら、反対側から来た人を避けたつもりなのに、避け切れていなかったのか、ぶつかっていた。
「すみません」
頭を下げ、自分の腕から落ちた書類やペンを拾おうと屈み込み。
先にペンと拾い上げられ、イルカは顔を上げた。
瞬間目を開く。
仮面をつけた男。
執務室に繋がる廊下なのだから、いてもおかしくないんだろうが。
「どうぞ」
差し出される。
「あ、...ありがとうございます」
仮面から見えるのは黒く短い髪と、耳。
それには、見覚えがあった。
いつだったか、前もペンを拾ってもらってーー。
いや、そうだけど、そうじゃない。
イルカは首を振る。
立ち上がり背を向けた男を思わず目で追っていた。
「あの、この前は、」
言い掛けると、男が動きを止め振り返った。
そうだ。
イルカは確信する。
数ヶ月前に、自分はこの男と会っている。
ふしだらに、カカシにアカデミーの用具室に連れ込まれ事に及んだ時に。
不覚にも、窓の外にいた男と目が合った。
でも少し自分の確信に不安が残る。
振り返った仮面の男に、立ち上がり一歩近づいた。
「あの後...しばらく注意してみたんですが。噂にさえなっていませんでした。黙っていてくれたんですね」
見られて動揺はもちろんしたが。咄嗟の自分の仕草を見た後、この男は姿を消したけど。黙っているわけがないと、思っていたが。
本当に何も噂を耳にすることはなかった。
有耶無耶にしたようなイルカの台詞に、男はしばらく無言だったが。
静かに息を吐き出した。そして辺りを警戒するかのように、人がいないか確認し、またイルカに顔を戻す。
「...そりゃ、そうですよ」
男が面越しにイルカを見つめながら口を開いた。
「あなたにシッってっされたんですから」
言われた言葉に目を丸くして、そこから思わずイルカは笑ってしまっていた。
「ありがとうございます」
「いや、...別に」
礼を言うと、困ったように、男は黒い髪を掻いた。
この男は、自分が思っている以上に真面目なのだろう。明らかに自分より格上なはずなのに、敬語だ。
「そうは言っても衝動的にしゃべりたくなるものでしょう。人の口に戸はたてられないって言いますしね」
言うと、男はまた考えるように少し間を置いた。
「...そんな怖い事出来ませんから」
「怖い?」
聞き返して直ぐに、その意図が分かる。
カカシは以前暗部だったと噂に聞いた事がある。
それは事実だろうし、そしてこの男はカカシを知っているのだ。
この男は、自分が見たのをカカシに知れるのが、怖いと、そう言ったのだ。
それを知ったからと言って、カカシが怒るとは思えないけど。
でも。もしかしたら。やはり怒るのだろうか。
そう思うと。カカシの事は何も知らないなあ、とふとそう感じて寂しくなった。カカシと付き合い始めてまだ1年位なのだから、当たり前なのに。
それに、カカシの暗部にいた時の事さえもちろん知らない。別に繋がりがなかった過去まで知りたいとも思わないし、知る必要がないとも思う。
でも、昨日の事があったからなのか。
ひどく自分が臆病になってしまっている気がする。
「あの」
その声に落としかけていた視線を上げると、男はじっとこっちを見ていた。
「何かあったんですか」
「.....え?」
そこまで顔に出していただろうか。
聞き返すと、男が慌てて手を振った。
「あ、いや。すみません。何でもないです」
それが、相手が暗部だからだろうか。すごく人間味のある言動に見えて。
いや、違う。聞いてきた男の口調が、自分を本当に心配していると、そう感じたからだ。その気持ちが、あの時の、あのカカシから欲しかった。
だから余計に今の自分にすごく暖かくて。
イルカは男の姿を見ながら眉を下げていた。
「あの、聞いていいですか?」
「...何でしょうか」
イルカの問いに、また少し辺りを見渡しながら男が答えた。
「もし、あなたが飲み会に行って、女性がいたからといって恋人に責められたら、鬱陶しいって思いますよね」
「...飲み会...ですか」
男は後頭部を掻いて呟くように言った。
「僕はあまりそう言う場に行かないですが...せん、いや、カカシ上忍が、浮気とか...したって事ですか」
顔を上げれば、仮にです、と男が慌てて付け加える。
浮気。その言葉は自分を酷く憂鬱にさせた。
「...浮気って、どこからが浮気なんですかね」
ぼんやりと、独り言のように口にしたイルカを、男がじっと見つめた。
名前も知らない男に、自分は何を聞いてるんだと、思う。それに、聞いている内容があまりにも子供染みているとも。
この男には、何も関係がないと言うのに。こんな事を言えば、カカシと自分の関係を知ってはいるとはいえ、危ない橋を渡っているような状態になると言う事なのに。
それに、この男からしたら、中忍が上忍の、しかもあのカカシとつき合ったはいいが、浮気され捨てられると、腹の中で笑われたっておかしくはないんだ。
(....何言ってんだ俺は)
しかも、捨てられるなんて自暴的な言葉を勝手に思い浮かべただけで、目の奥が簡単に熱くなった。
「...カカシ上忍ですが、」
不意の男の声にイルカは視線を向けた。
「あの人は思った以上に子供っぽいって、あなたはご存じですよね?」
何を言い始めたのかと、イルカは潤んだ目を瞬きさせながら、一回頷けば、それを確認するかのように、男は続ける。
「臆病になる気持ちも...分かりますが。あの人はそこまで深く考えてないと思います」
どう捉えるべきなのか、黙ってしまったイルカを前に、男は耳の後ろを掻いた。
「だから、ダメな事はダメだって。お灸を据える事も必要かと」
えっと、と呟いた男の手が上がる。イルカの頭の上に乗せた。
「上手く言えず申し訳ないですが。そんなに悲しまなくても大丈夫だと思います」
ぎこちないが、ゆっくりとイルカの頭を撫でた男は、そう言った。



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