ひかりのにおい①

火影に呼び出された。
幼い頃に両親を無くした自分に目をかけていてくれている。自宅に招かれるのは珍しくないが、嫌な予感がした。

「ここだ」
家に上がり通された先に見える縁側で火影が座っていた。
月見酒と言う事だろうか。お銚子にお猪口が二つ。一つは火影の手にあった。
「遅くなりました」
イルカは肩にかけていたカバンを下ろし横に腰を下ろす。
遅番だと知っていた火影は気にする事なく頷いた。
「悪かったな、こんな遅くに」
綻んだ顔の割には声色は重い。
勧められるままに酒を注がれ、口にした。
辛いが喉越しが軽い。火影が好んでよく飲んでいる酒だった。
雲がない夜空には右半分が銀色に輝いている。
「…上弦の月だな」
イルカの視線を追うように火影も月を見上げて、低く呟いた。
「……カカシの事なんだが」
嫌な予感が的中した。
名前をだされただけで、イルカの胸がざわざわと動き出す。

カカシと別れて半月が経っていた。









カカシとの出会いは唐突だった。
カカシに半ば無理やりに身体の関係を持たされ、気がつけば自分の家に居つくようになっていた。最初の出会いは最悪ながらも、気がつけばカカシが嫌ではなかった。むしろ気持ちがあり、惹かれていた。
カカシが恋人と公言していたのが災いしたのか。イルカとカカシの仲を知った火影は好意的に思うはずがなく、親代わりとしての責務からか、直接カカシと別れるよう言われた。
側から見れば酔狂まがいのカカシに情人扱いされてると心配している火影の気持ちは痛いほど分かり嬉しかったが、イルカは断った。カカシと別れるつもりはなかった。
それでも火影は諦めなかった。何回かの申し出に、渋々承諾した。
親代わりの火影とカカシ。天秤にかけられるものではない。どちらか一方を選ぶ事も捨てる事も、出来ない。
ただ、里の為、カカシの為だと。火影から言われた言葉だけを信じて、承諾をした。










「何なんですかね、これは」
イルカの虚ろな目が機嫌が悪そうなカカシを映していた。
イルカの家にカカシとイルカと、火影がいた。此処に火影が来ることは滅多になく、3人がイルカの家に揃うのも初めてだった。些か異様な光景が映し出されていた。
火影が来た目的はただ一つ。
はっきりと、ーー2人の仲を切らせる為に。
イルカは正座したたまま、堪らず俯いた。カカシの顔が見れない。
吐き気がした。
カカシと別れる。一度決めた事なのに、身体が悲鳴をあげるかのようにイルカに現れていた。
「イルカ先生、何か言ってよ」
火影から口火を切られて別れると告げられたが、カカシはイルカに問いかけた。うな垂れたイルカの手にカカシの手が触れた。触られた手の甲が熱くなる。その暖かい掌を握り返したい衝動を堪えるように拳を作った。
「先刻、…」
「火影様は黙ってください。オレはイルカ先生に聞いてるんです。…アンタの口から聞かなきゃ納得出来ない」
火影の言葉を塞ぐようにカカシが口を開いた。イルカの拳を優しく指の腹で撫でる。
「…イルカ先生…」
カカシの自分を呼ぶ声に胸が張り裂けそうになった。
何故こんなにも苦しい思いをしなければいけないのだろう。
火影から言われた言葉が頭から離れなかった。
お遊びなら兎も角、本気で付き合われては困るーー有能な木の葉の忍であるはたけカカシは、結婚をして子孫を残すべきだと。それが木の葉の為でもあり、カカシの為になるのだと。
カカシの為。
イルカはゆっくりと顔をあげた。
泣くわけにはいかなかった。カカシに自分の揺らぐ気持ちを悟られてはならない。
「カカシさんと俺は別れるべきなんです…」
自分に言い聞かせるように。
ゆっくりと穏やかに。
イルカの拳の上に乗せられたカカシの手がゆっくりと離れた。
感情が読めないカカシの目が、視線を外す。
「…分かりましたよ」

それが、カカシと交わした最後の言葉。
愛する人の。最後の言葉。











「…すまないな、こんな話題」

火影の言葉で我に返った
何度も何度も思い出す。あの時のカカシの顔が頭から離れない。
心がちぎれそうになる。
銀色の月を見るだけで、ーー泣きそうになる。
カカシと別れてから、火影はイルカの仕事を制限した。
受付の仕事は外され、アカデミーの仕事と、簡単な任務。
本気でカカシと付き合っていると思っていなかったのか、落ち込むイルカに、火影はカカシと距離を置く措置を取った。
イルカは従う他なかった。失ったものは余りにも大きく、心に空いた穴を埋める術は仕事以外なかった。

なのに出されたカカシの名前。
空のお猪口をぐっと握りしめた。
「…どうもあやつは結婚に本腰を入れん」
ため息混じりに火影がつぶやく。
距離を置くべき措置はカカシにも取られていた。
ただ、イルカとは違いカカシは任務以外の命令は全く耳を貸さないらしく、火影が用意した婚約者を何人もあしらい相手にしていないらしい。
火影は溜息を吐いて酒を飲ん口にした。
「イルカよ、あやつに身を落ち着かせるべきだと、伝えてくれ」
薄々火影の意図には気がついていた。
まだお互いに気持ちが残っている。
時間と距離で削げないモノ。
踏ん切りをつけるには、ーー再度引き金を引かせるべきだと。
(あぁ…やっぱり言われた)
月を見上げてぼんやり思った。
火影との長年の付き合いに、ありありと意図が分かっていた。
イルカは断る事も出来ない。
でも引き金をひくなら、自分に。
それが出来たらどんなにか楽だろう。
「…分かりました」
月に話すように、イルカは夜空を見上げ呟いた。









カカシは簡単に見つける事が出来た。
家に行っても2人だけの空間に耐えれる自信はなかった。
ならばせめて外で。
木の下に腰を下ろしているカカシを見つけた時、動悸が激しくなり胸がかーっと熱くなるのを感じた。
(カカシさんだ…本当に目の前にいる…)
久しぶりに間近で見たカカシは、少し疲れているようにも見えた。
ちゃんとご飯を食べているだろうか。
睡眠はとっているだろうか。
任務は心配ないのかも知れないが、きちんとこなしているだろうか。
カカシへの気持ちが溢れてくる。
目を閉じ深呼吸を繰り返す。
何度も頭で繰り返したシミュレートを出来るだろうか。
半月ぶりのカカシを目にして、眩暈を覚える自分に叱咤した。
ここで、普通に接しなければ全てが意味がなくなってしまう。
別れた意味がーー。
イルカの気配はとうに気付かれているだろうが、カカシは本に目を落としたまま動かなかった。
銀色の髪が風で揺れる。
目の前まで来た時、ため息と共に視線を落としていた右目がイルカを見上げた。
「…どうしましたか。オレに用なんて無いはずですが」
低い声は驚く程落ち着いていた。
感情の無い目がイルカを捉えている。
イルカは唾を飲み、乾いた唇を舐めた。
「…婚約者はどうしたんですか」
「何ですかね不躾に」
「…火影様が用意した婚約者、断っているそうですね」
カカシはいかにも可笑しいと笑いを含ませた。
「子孫を残す為に用意した女の事ですか」
底冷えする目に足がすくんだ。
「…どの女も中身空っぽの無能ばかりで、ヤるだけやって捨ててますよ。花街行く手 間が省けて何よりですがね」
声色に怒りが現れていた。言葉を選ばないカカシに、用意された言葉が頭から消えて いく。
「そんな…」
「…大丈夫ですよ、アンタとの事は気にしていません。だからもうオレの前に顔見せないでください」
不意に口にされた自分への気持ちにイルカは心臓を直に掴まれた錯覚に陥る。自分で決めた決断がカカシからの言葉に代わり、刃物の様に突き刺さった。
出すつもりのなかった自分の気持ちが口から出た。
「…カカシさん、……俺は、ちゃんと謝って」
カカシは視線を逸らし舌打ちをした。
「謝るって何?オレはきれいさっぱり忘れるって言ってるんですよ」
胡座をかいて座ったままのカカシは、片膝を上げ、構える様にイルカを見た。
自分から別れを切り出したのだから当たり前だが、自分の事を忘れるとカカシの口から聞かされると、酷く打ちのめされたような感覚に陥った。
言われた言葉に返そうと考えるが、縛り付ける様なカカシの目に声がすぐに出てこなかった。
じっとイルカを見ていた目は、何かを堪えるように視線を外し、押し出すように口を開いた。
「……火影の犬なら犬らしく、ジジイの横で尻尾振ってなよ。…これ以上近づいたら咬み殺すよ?」
拒絶はイルカを圧倒した。殺気が滲みイルカは足を竦ませた。
カカシは本を閉じると立ち上がりイルカに背を向ける。
「アンタは何処まで……」
押し殺した声が漏れたが聞き取れなかった。
「…カカシさん…」
声をかける間も無く姿を消された。
緊張からか指先が震えていた。
行ってしまった。
これが本当にカカシの為なのだろうか。
何が正しいのだろうか。
ーー苦しい。
服の上から胸を押さえる。
涙が出て、泣いたら楽になるだろうか。服を強く握りしめる。
張り裂けそうな胸の痛みが強すぎて、何も出てこない。
眩しいくらいの青空の下、ただイルカは佇んでいた。



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