ひかりのにおい②

新しくカカシに用意されていた婚約者ーー上層部の老忍の孫にあたる若い女性が選ばれた。
火影と共に顔合わせに参加したが、カカシは不在のまま行われた。呼ばなかったのか、来なかったのか。イルカにとってはカカシと顔を合わさずに済んで内心ほっとしていた。
選ばれた女は綺麗な女性だった。忍ではない若い女は控えめで人見知りなのか、時々見せるはにかむ笑顔は幼さを感じさせた。
政略結婚など、昔は良くある話だったが、今はあまり訊かない。
木の葉の平和を存続させる為に、必要な遺伝子ーー。
ここまで上が動いている事にイルカは改めて思い知らされた。
(この人もまた、可哀想な人なのかも知れない)
火影の後ろで座りながら、ぼんやりと考えた。
あの様子では、カカシはこの女も相手にしないのだろうか。
周りを掻き乱して混ぜられ続けている、この嫌な政略結婚と言う名の毒は、いつ終わりがくるのだろう。

「うみのさん」
帰り道、火影と別れた後ぼんやりと歩くイルカに声がかけられた。
振り返り、少し驚いた。カカシの新しい婚約者。名前はーー何と言ったか。あの場にいながら話を全く訊いていなかったから当たり前なのだが。
しかし何故。
戸惑い声を出さないイルカを見て小さく微笑んだ。
「ごめんなさい。びっくりさせちゃいましたか?」
はにかむ笑顔に、イルカはようやく声が出た。
「…あ、…いえ、少し驚いただけで」
「少しお話、しませんか」
「…はあ…」
正直乗り気にはなれなかった。話す事は何もないし、出来れば話したくない。
「歩きましょう?」
言葉を濁すイルカの横に来た。仕方なしに、促されるままイルカは歩を進めた。
「ああ言うの、私苦手で」
しばらくお互いに無言で歩いていたが、女が隣で口を開いた。
ああ言うのとは、先ほどの顔合わせの事だろうか。上層部の孫なら慣れていると思っていたが。イルカは力なく相槌をうった。
「はたけ…カカシさんはどんな方なの?」
ストレートな質問にイルカは少し息を呑んだ。そんな事を訊く為に呼び止められたのか。
どう言うべきか一瞬迷い、簡潔に説明した。
「…とても優秀な忍です」
「それは知っているわ。私が知りたいのは中身。だってそうでしょう?高名な忍は生死をかけた戦場にいつもいる。それってーーなんか怖くて」
横目で顔を伺った。人生の先を見ている目だった。政略結婚と言えど、カカシと共に歩む事を決めているのだろう。
「うみのさんから見たはたけさんはどんな方ですか?」
頭に入ってきた質問をぼんやりと考えた。
自分から見たーーカカシ。
一緒にいた頃のカカシが不意に蘇った。当たり前の様に毎日一緒に過ごしていた。
カカシといる時は自然体になれていた。不埒な言動が多かったが、話すととても楽しくて、でも沈黙も苦ではなくて。それは、ずっと続くものだと思っていた。
カカシの目を細めた優しい微笑みを、今更になり思い出した。

「……うみのさん?」
空を見つめたまま、カカシを思い出していた。
「我が儘で…態度もでかくて。…常に上から目線だし、…何を考えてるか分からない時もあって、自分勝手で…急に変な事するし…でも、……優しくて…」
「…………」
くすりと笑われてイルカは我に帰った。
「あっ、あ、いや…付き合いづらい方ですが、…とてもいい人です」
慌てて付け足したが、女は口に手を当て笑った。
「…仲が良いんですね」
「……いえ、……」
失敗した。
否定する事が出来ずに、軽く目を瞑り息を吐き出す。
考えない様にしていたカカシの事を訊かれて、口から勝手に言葉が滑り落ちていた。
弁解しようと女を見た時、不意に女が顔を横に向けた。
「…ごめんなさい。使いが来たみたい。…またお話聞かせてください」
丁寧に頭を下げられ、イルカも思わず頭を下げた。
真っ直ぐで清楚な人だった。
後ろ姿を見送り、イルカは改めて顔を顰めた。
何を言ってるんだ俺は。
彼女にとってどうでもいい事を話して、下手に勘繰られなかったから良かったものの。
未練がましい自分に腹がたつ。

ーーーにしても。

イルカはふと不思議に思った。
使いが来たと言っていたが、自分には全く気配が感じ取れなかった。
彼女はすぐに分かったと言うのに。
(…俺疲れてるのかな)
額当てに手を当てる。
カカシと別れてからあまり寝れていないのは事実だ。
眠気があるが、寝てもすぐに目が覚めてしまう。
眠りが浅くなっているのか。
熟睡出来れば一番いいのだが。
とにかく今日は帰って身体を休めよう。
イルカは気持ちを入れ替える様に息を吐き、家路へと足を向けた。








2週間後、アカデミーから帰る途中で、女が立っているのを目にした。顔を見てすぐに、カカシの新しい婚約者だと気がついた。
(…嫌だ)
無意識に込み上げるこの感情は一体何なのだろうか。
イルカの心は限界まできていた。先日にカカシの事を訊かれ、口にしてしまってから、忘れようと言い聞かせていた心は確実に、少しづつ憂悶していた。

気持ちが顔に出ないよう努めながらその女へ視線を向けた。
イルカを見て軽く会釈をされ、イルカも頭を下げその女の前で足を止めた。
2週間ーーカカシ抜きの顔合わせから2週間経っていた。既にカカシと顔を合わせ、何らかの進展があってもおかしくはない。
だが、たかが火影の付き添いで同席した自分の前に何故現れるのか。
滅入る気持ちを抑えて、女を見た。
「お茶でもいかがですか?」
唐突な申し出にイルカはすぐ返答出来なかった。
先日話をしたが、そんな間柄でもなく、身分が違いすぎる。
何度も顔を合わせるのも、色々な意味では問題が出てくる。
渋った顔を察したのか、女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「…無遠慮だとは重々承知しております。…ですが、誰に相談出来る相手もいなくて」
女性にここまで言われて断る訳にはいかなくなってしまう。
「分かりました。話を伺いましょう」
重い頭で頷いた。



街からもだいぶ外れた場所に、その茶屋はあった。
いかにも一般の客は受け付けていないかの様な佇まいで、実際にはそうだろうと思いながら門をくぐり店に入った。
通された部屋には甘い香りが漂っている。上品な香が煙を上げていた。
出来れば話を聞いてすぐにでも退散したい。
適当な普通の店に入るとばかり思っていた。イルカは面倒臭さに気持ちが重くなっていた。
「先日カカシさんにお会いしました」
はっきりと名前を口にされ、イルカは胸がずんと重くなった。
「…承諾してるとばかり思ってましたが、違っていたんです」
運ばれた湯呑みを両手で掴み女は小さく息を吐いた。
「……私の全てを拒否されて、正直戸惑っています…それに…何か…上手く言えないのですが、内に怒りを抱えている様に見受けられました」
怒り。
分かりやすい説明にイルカは何も言えなくなる。
カカシと対峙したあのカカシは怒りそのものだった。
毛を逆立て殺気を放つ獣の様に、イルカを拒絶した。
「うみのさんは仲がいいんですよね。…でしたら」
「すみません」
イルカの突然の謝罪に言葉は遮られる。イルカは頭を深く下げた。
驚き言葉を失ったのだろうか。畳を見つめたままイルカは顔色を伺う事なく続けた。
「先日否定しませんでしたが、私とはたけ上忍とは決して貴方が思うような仲ではありません。…私はただの中忍で、貴方に助言出来る立場でもありません。先日言った事は忘れてください」
「…………」
沈黙が続く。
言葉の代わりに小さく息を吐く音が聞こえた。
「頭を上げてください」
ゆっくり顔を上げ、女を見た。顔を緩めてはいるが悲しい表情をしていた。
(…こんなのは間違っている)
女の顔を見てイルカは苦しくなった。
里の為より良い遺伝子を遺すべきとは言え、関わる人間の誰が快く思っているのだろう。少なくともカカシも、この女も、前に選ばれた女達も。
この先に幸せがあるのか。疑問は否めないはずだ。
目の前にいる女も家の為、里の為に意見を持つ事も許されず、従っているだけだ。
ーー俺とカカシさんが付き合わなかったら、こんな事にまで発展しなかったのか。

「……私ね、考えるんです」
口を閉じたままのイルカの目を真っ直ぐに見ていた。
「本当は、間違っているんじゃないかって、…思うの…だって仮にこのまま結婚しても、先が続くか分からないじゃない。…一体誰が幸せなんだろうって…犠牲の上に立つ幸せが、本当の幸せなのか。払った犠牲は……もう戻らないのに」
途中からは独白のように女は囁く声を出していた。
深い緑色の瞳は揺らぎ、口にした言葉以上の感情が見えたようで、イルカはその綺麗な顔を見つめた。
そんなイルカの視線に気づいたのか、
「あ、…でも仕方ないわよね。そんな家に産まれたんですから。ごめんなさい、さっき言った事は忘れてください」
ぱっと顔を明るくして笑顔を見せた。
「お茶をどうぞ。冷めてしまいます」
「はい……」
少し冷めたお茶をイルカは啜る。
甘い、抹茶の様な上品なお茶が喉に心地いい。
先ほどまで見せていた顔は消え、女は生菓子を口に運び、美味しい、と微笑んだ。
無理に明るくしている様がいじらしく感じ、イルカも微笑みを返した。
だが、これ以上ここにいても仕方がない。
「私はこれで失礼します」
立ち上がろうと膝を立てた。
不意に感じる身体の異変に、内心首を傾げた。頭が重い。
寝不足で血圧でも下がったのか。体調管理は怠っていないはずだが。
立ち上がれず、腕をテーブルで支えるが、視界がゆらゆらと揺れた。
こんな体調の変化はおかしい。
頭によぎるのは、先ほど口にしたお茶。
少し薬の香りがした。炊かれたお香だと気にしなかったが。
まさか。
「………あなたが……まさか……」
重い頭を上げる。女はイルカの表情を真顔で見ている。表情の変わりようにイルカは
眉を顰めた。
「……まだ話せる。中忍でもやっぱり薬の抵抗があるのね」
ぽつりと呟く女は観察するかのようにイルカを眺めている。
「……なんで、……こんなっ」
揺らぐ頭を必死に耐えるようにするが、身体中が熱く、手足の先が痺れ武器を持とうにも身体が動かない。
(……迂闊だった……でも何故…)
視界に映る女が斜めになり、落ちていく。
落ちているのはイルカ自身だった。イルカは肩から畳に身体が崩れ落ちていた。足元に女の足が見える。
「犠牲は…犠牲で返してもらう…それだけよ」
朦朧とする意識の中、女の呟くような声が耳に入り、イルカの意識は完全に途切れた。



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