ひかりのにおい③

『ーーカカシさん。誕生日プレゼントは何が欲しいですか』

イルカの問いに愛読書を読んでいたカカシは顔を上げた。

額当ても口布も外したカカシはイルカを見てにっこり微笑んだ。

『オレねーーーー』

口は動いているのに。声が聞こえない。

『カカシさん、何て言ったんですか?もう一度言ってください』

カカシの目が優しく細められる。
愛おしむように手を伸ばされた。
再び開く唇から、やはり声が聞こえない。
唇の動きでイルカは声を読もうとする。

瞬間カカシが霧がかったように消えてイルカは慌ててカカシに腕を伸ばした。

カカシさんーー何て言ったんですか




頬に冷たい感触を感じた。
戻りつつある意識に、冷たさは土だと認識した。
ぼんやりとした意識の中、女に薬を飲まされた事を思い出した。
身体は、ーー手足が動かない。動かすと擦れる感触に、縛られていると分かった。
どのくらい時が経っているのか。
気を失った茶屋からどのくらい離れた場所に連れてこられたのか。
目的も分からない。
あの女が自分の立場から忍を拉致する意図は一体何なのか。
「うみのさん、起きたのね。意外にタフで驚いたわ」
声がかかり聞こえた方へ顔を上げた。
岩の上に女が座っている。姿が違う。綺麗な着物をきていたが、今は明らかに忍らしい服を身につけている。
額当てはーー。
「…月隠れの…忍…?」
イルカの声に女は口元を上げた。
場所は離れているが同盟国である里の額当てを目にしてイルカは驚いた。
この女は、木の葉の上層部の孫のはずでは。
「御名答。…そんな目で見ないでよ。隙があった貴方の失態でしょ?」
「…木の葉の人間ではないのか。何故こんな真似を……」
警戒を怠らない距離で、女はイルカを見ていた。
「あら、分かってると思うけど戸籍上は木の葉の人間よ。まあ、木の葉との同盟を確たるものにしたくて、勝手に親が決めた養子だけどね」
戸籍上という事は、養子縁組を利用した木の葉のへの侵入という事なのか。
「…だけどね、私は月隠れの忍。自分の里を守る為なら身体の一つや二つ、投げ出すのは平気」
強い眼差しだった。里を思う強い心にイルカは感銘した。
しかし。
「……こんな事をしたら…同盟解消だけでは済まなくなる…」
「知ってる」
「では何故…っ」
「答えるつもりはない」
きっぱりと跳ね除けられる。
「……犠牲には犠牲で返す。…俺は犠牲の代償なのか」
「……聞こえてたのね」
溜息交じりにカリンは笑いを零した。
「…貴方はただのルアーに過ぎないのよ」
「ルアー?」
「……カカシは貴方がどれくらい大切かしら」
イルカは目を見開いた。
心臓がどくりと大きく跳ね上がる。
カカシを殺すのがーー目的?一気に顔が青くなった。表情を隠すとか頭にも過っていない、その分かりやすい表情の変化に、女は薄っすら目を細めた。
「何故だ。何故カカシさんをーー」
「貴方の言葉通りよ、犠牲には犠牲。きちんと償わさせるつもり…私の命に代えてもね」
本気だ。冷静な話し方にイルカは焦った。
「…カカシがあなたに何をしたって言うんです?こんなの逆恨みにしか見えないっ」
「……同盟国なのに。あいつは何も躊躇しなかった。……一瞬の刹那で……仲間は死んだっ」
唇を噛み締めて怒りを露わにした。
「………あの男、冷静を装う獣って言ったことろね。さすがビンゴブックに載るだけある…私が狙う隙が全く無かった。だから貴方に方向転換」
「俺とカカシは何の関係もっ」
「私は木の葉の上層部に潜ってるのよ?調べはついてる。…どのくらい繋がりが深いかは流石に分からなかったけど……でも貴方は分かりやすくて助かった…女の勘はいかなる五感よりも正確よ」
「…馬鹿な事をっ、今からでも間に合う、こんな事はやめてくれ」
「間に合う?……十分に手遅れよ」
女の表情がガラリと変わった。
ピリピリとした空気に包まれる。
「カリン、時間だ」
不意に現れた複数の気配。木の上からイルカを見下ろしていた。皆灰色のマントに身を包み、顔には半面の仮面をつけている。
月隠れの暗部と言ったところなのか。放つチャクラがイルカより上だと身体で感じた。
カリンと呼ばれた女は顔に同じ半面の仮面を付ける。
イルカは身を捩り身体を起こした。
「っ、やめろっ!無駄な犠牲を出すな!」
「…愚問だな」
「黙らせるか」
「いいのよ」
カリンは片手を上げた。
「…うみのさん、あなたは優しい。……でもそれは忍に必要のないもの。無駄な犠牲の上に里の平和がある。そんなものよ」
「だったら…っ、俺1人の犠牲にしてくれ!」
木の上に立つ忍に声をあげた。
こんな復讐で何が解決になるのか。些細なきっかけで戦争は起きる。お互いの里の平和を願うなら、何故無駄な犠牲がつきものなんて言えるのか。
だったら自分の命で終わりにすればいい。
後手に縛られたまま、ひざ立ちをして月隠れの忍に首を上げた。
「…頼む」
掠れた声が森に消える。
カリンが笑いを零した。
「大切なルアーを自ら潰す訳ないでしょう?…目的は写輪眼」
「おい」
男がカリンを制止した。
「あれさえあれば里は有利になる。里の為に必要なものだわ…あなたはここでカカシ が来るのを待てばいい。片目を失った愛する骸を届けてあげる」
「やめっ、」
後頭部に鈍い痛みが走った。地面に顔から倒れこむ。
後ろの気配に目をやると半面の男が立っていた。
「余計な口は慎め。こいつは後で殺ればいい。行くぞ」
気配が次々に散っていく。
イルカはなす術がなく頭の痛みを耐え起き上がる。首筋に濡れた感触に、血が流れていると分かった。
「くそっ……っ……」
縛られた綱を力の限り引っ張るが外れない。擦れた皮は血が滲むが、構わなかった。
カカシの為に。ーーカカシの為に別れたのに、自分の隙からカカシが狙われてしまった。何も出来ないままなんて。
カカシを守りたい。イルカはその一心しかなかった。
岩に手の綱を擦り付ける。
ふっと手が解放され、綱がちぎれたのが分かった。
手首の皮がずるりと剥けていた。急いで脚に巻かれた綱を外すと、月隠れが消えた方向へ飛び上がり、木々を縫うように移動した。
(間に合ってくれ…っ)
痛みを振り切るように唇を噛んだ。
出来ればカリンを止めたい。
あの女はまだ若い。あの若さで月隠れの暗部をしていた。カカシと同じ様にその才能から幼い頃から戦地にいたのかもしれない。だが、木の葉に喧嘩を売るのは間違っている。戦力は比ではない。相打ち以上の悲惨な現状が待っている。
カリンだけではない。月隠れの里の者全てに言える。
(ーー平和を望んで何が悪い)

急に察知した気配と共にクナイが光る。
辛うじでイルカは木の陰からクナイを躱した。
放たれた先に揺れる灰色のマントを確認する。
(…まだ敵がいたのか…)
手に武器を持ちイルカは牽制した。
「エサが逃げたか。……無駄だ、お前みたいな中忍に何が出来る…大人しくしていればいいものを」
静かな森に低い声が響いた。
再び攻撃を察知して木々へ飛び移る。
前に出ては確実に捕まる。それだけは避けなければならない。
風のように動きが速くなる敵を躱し距離だけは何とか保つ。
チャクラの急激な消費で息が切れてきた。
(…このままでは、捕まる…)
背後から別の気配が現れ、イルカは上に移動した。
感じるチャクラがいくつも流れている。
現れた黒い気配。
木の葉の暗部が、月隠れと交戦していた。
(木の葉が動いている……カカシさんは……)
タイミングを見計らい地面に降り走り抜ける。
カカシの動向が知りたい。自分が狙われていると、分かっているだろうか。
きっかけは何にせよ自分の隙から生まれた戦いに、イルカは気が揉めていた。
たぶん自分がいなくともなくとも月隠れのカカシに対する復讐劇は行われていただろう。木の葉の忍は優秀だ。大きな騒ぎにならず収拾される可能性は高い。
しかし、自分を餌になんて真っ平御免だ。
自分のミスは自分で償う。
クナイの光が上から流れ、イルカは背後に飛び退いた。
すぐ目の前に現れた灰色の敵。
間に合わないーー。
イルカは振り下ろされるクナイの青白い光を見つめた。
瞬間視界がブレると同時に身体に大きな衝撃が走った。突き飛ばされて足で土を掴み体制を整える。
目の前には月隠れの敵が絶命していた。イルカを捕まえようとした忍だった。
余りの速さにどうなったのか分からなった。

「捜しましたよ。イルカ先生」

背後の気配がなく、突然聞こえたカカシの声にイルカは驚き振り返った。
カカシがイルカを突き飛ばして攻撃を防いでくれていた。
姿を見てカカシが無事だったと言う安堵感に包まれるが、カカシの鋭い目にイルカは声がすぐに出なかった。
「…情報が錯綜してましてね。暗部からの要請に火影からの命令。……それに加えて月隠れから個人的に送られてきたアンタを捉えたとのメッセージ。まさかと思ってま したが、……一体これは何の茶番劇なわけ?」
一歩踏み出たカカシに手首をきつく掴まれて顔を歪めた。
「……っ………」
皮が剥け擦れた手首はじんじんと痛みを増した。
「拘束されてたのは事実みたいですね。……さ、帰りますよ」
「でもっ、月隠れの敵はまだ……」
「……アンタの犬死にするところなんて見たくないんですよ」
カカシの声が強くなり、イルカの身体がびくっと反応した。掴まれた手首に力が入る。カカシは眉を顰めてイルカを見ていた。なんて顔をするのだろう。
辛そうな顔に思わずイルカは腕を伸ばし、カカシの頬に触れた。
久しぶりに触れるカカシの頬は、冷たく、震えているように感じた。
「…カカシさん……」
カカシは振り切るように目を瞑り顔を背け、イルカの手を振り払った。
「…木の葉まで送り届けます」
「しかしっ……俺はこの戦いを止めたいんです。…このままじゃあの女は…」
「………木の葉に潜入したあの女ですか……俺が狙いだって事は知ってましたよ。残念ですが月隠れとの同盟は解消です。しかも自分を出し抜いた敵に同情ですか。…そんなんじゃ命がいくつあっても足りないよ。どこまでお人好しなわけ」
カカシはうんざりとした顔をし、酷く冷めた眼差しをイルカに向けた。
お人好し。それが何故かイルカの胸に突き刺さる。その通りだ。それは嫌と言うくらい思い知った。自分の考えさえ貫けず大切な人を手放すくらいだ。
イルカはきゅうと唇を結んだ。
カカシの言う事は正論だ。あの女は同盟国の裏切り以外何者でもない。
しかし、カリンを放ってはおけない。負けると分かってする戦いほどくだらなく無駄だ。
それが分かって目の前で命を捨てる相手を見捨てるなんて出来ない。
イルカの考えを察したのか、カカシは頭をガシガシと掻いた。
「……ホント、苛々する。分かんないね、アンタは。駄々こねてる場合じゃないのよ。いい加減その身体縛り上げますよ」
苛立ちを込めてカカシはイルカを見た。

全く違う別の殺意がイルカ達に向けられていた。
カカシも臨戦態勢で気配がある方向に顔を向けた。
数がーー増えている。月隠れの一部で動いていた訳ではなかったのか。
「俺も戦います」
カカシはイルカを横目でちらっと見て溜息を落とした。
「……頑固だけは一級品ですね」
武器を手に持つイルカを見て呆れた口調で言った。
「分かりましたよ……敵の相手はオレがします。そのを援護してください」
「はい」
「あぁ、そうだ。一ついいですか…あいつらはある特性が見れます。…大雑把に見えて全く油断していない。隙をあえて作り攻撃をさせ、逆に隙を作らせる。…それが相手の手です」
「大雑把……」
「そう、大雑把です。ただ、敵の動きは一見動きは動物的に見えるけど、実際はその場に適した行動を選択している。…理に適った動きって事です。よっぽど訓練してなければああは動けない……でもね、凌いでるだけでは駄目。防御だけでは相手に付け込まれ隙が生まれる」
「はい」
「反撃してください。隙を見て反撃を捩込むイメージがなきゃ、相手の隙に気づくことが出来ない。自分の動きをイメージして、考えて動くんです」
イルカはカカシの分析力に舌を巻いた。
ここに来るまでに何人かの敵と戦っただけでここまで分析している。
その分析に見合った動きで相手を倒す。簡単な解釈だが、それ相応な能力がなければ難しい。平凡な中忍の自分にそれが出来るだろうか。
「……大丈夫ですよ。オレはアンタを死なせないから」
落ち着いた呟きにイルカは胸が熱くなった。
広い背を見ながら思った。俺もこの人を死なせはしない。
守りたい。
「…行きますよ」
カカシが陽動するかの様に走り出した。影分身がカカシから現れ敵を打つ。
イルカはカカシから訊いた分析通りに隙を狙って動いた。
カカシによって手負いになった忍が、イルカに向かって術を放った。
上手く避けたつもりが、先を読まれていた。
動く閃光を受ける直前に襟元を強く掴まれ背後に投げ出された。
カカシが敵の術をチャクラで蹴散らす。
「…なってないですね~。隙だらけで丸でなってない。イメージしてください」
イルカが態勢を整えたのを確認してカカシは胸の前で唱え始める。
あれは、水遁のーー。
イルカは大きく飛び上がり手負いの敵を見た。再び放たれる術の軌道が頭に現れる。
あの光が出た先に隙が見える。
(ーー今だっ)
下からチャクラを使い上に舞い上がる。
イルカのクナイが敵の喉元を刺していた。
落ちて行く敵を確認して、カカシの気配の方向へ視線を向ける。
林の奥にある湖から移動した水が敵を上から包んでいた。
(……すごい……)
一瞬カカシの術に見惚れたが、水遁の術を躱した敵が湖の方へ移動したのが見えた。
その先に見えるもう一人の敵。
小柄な忍はすぐにカリンだと分かった。
イルカは気配を消して木の上から下に降りた。
距離を詰めない様に後をつける。
すでにこの森は戦場になっている。
明らかに木の葉が優勢ーー。
カリンはカカシを狙うのか。
恨みの輪廻は終わりがない。自分で気がついた時には遅いんだ。
あの女のーーカリンの悲しみは、恨みになってはいけない。
深い緑色の瞳を思い出す。

肩に痛みが走った。
背後から肩に貫かれた長い剣の切っ先がイルカの視界に入る。
血が滴るように刃先から落ちた。
「捕まえた」
カリンの声がした。
止めようと気持ちが上の空になっていた。背後に回られた事さえ気がつかなかった。
(……しまった…)
「逃げないで、カカシを誘き寄せて?」
背中をぐいと足で抑えられ、イルカは地面に膝まづいた。
刺した剣を植え込むように動かされ、燃えるような痛みに声を上げそうになる。
「ぐっ………うっ……っ……」
額には汗が滲み出た。声を出すまいと耐えるように唇を噛み締める。
「……カリンさん、訊いてくれ。……ここは木の葉の手が回っている……もう、こんな事は無意味だ…」
「黙って」
殺気を含んだ声が背後で聞こえた。
「不利は承知。形勢が不利でも構わないのよ。……私は復讐がしたいだけ」
「…復讐?」
特攻覚悟の人間ほど怖いものはない。死を恐れない攻撃は周りを道連れにしかねない。
「…そう復讐。塵みたいに殺された…私の婚約者の。そう…塵みたいにね」
「……………」
カリンは押し殺すような声を出した。
婚約者。この女の婚約者をカカシが殺した?
「彼が何をしたって言うの?…彼は里の平和を守るために毎日戦ってた。……里の為里の為って……」
「カカシさんが…あなたの婚約者を…?」
「ーーー平和なんてもういらない」
滲み出る殺気にイルカは背中が ひやりとした。首を捩り背後にいるカリンを見ようとした。が。
「…来る」
小さく呟いて一瞬のうちにカリンは消え、気配すら掴めない。
あの女はーーやはりカカシを狙っている。
顔を上げるとカカシが見えイルカは顔を青くした。
やすやすと罠にかかるカカシではないが、もし何かあったらーーーー。

駄目だ。
カカシさん来ては駄目だ。

カカシには見えているだろうか。
イルカはカカシに向かって手と首を使い [来るな 敵がいる] と合図を送る。
お願いだ。此処に来ないでくれ。
合図以上になす術がなく焦りにイルカは唇を噛んだ。自分はなんて無力なのだ。
冷静になれ、冷静になって考えるんだ。自分がいますべき事。
イルカはギュッと目を瞑る。瞼の裏に広がった闇の中で頭を巡らせる。
そう、ーー此処にはこさせない為には。
カカシが自由に戦うには、重い枷を取ればいい。

閉じていた目を開くと、カカシとの距離が縮まっていた。
微かに手が震えている。懐に忍ばせていたクナイを取り出した。
ゆっくりと刃の向きを自分に向ける。
震えを振り払うように、強く握りしめた。

(カカシさん)

イルカはクナイの刃を両手で持ち、自分に向け腕を振り上げた。
刀が刺さった肩に激痛が走るが構わなかった。そのまま心臓に向けて振り下ろす。

イルカはクナイを抱きかかえるように崩れ落ちた。


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