悪戯な①

「ここ、抜けてますよ」
報告書を指差して、イルカはとんとんと叩いた。
教師口調になるのは職業柄だと言えばそうだが、聞いている周りは顔が青い。
イルカが厳しい目線を送る先の男は銀髪を掻いた。
「ああ、これ」
分かってはいたが。同伴ある場合の上忍師の欄。記入していないのは、自分以外いなかったからだ。なしと書けばいいのだが、敢えてどの上忍だって書かない。
が、イルカは空欄を認めなかった。
「なしで」
と言えば、
「ではその通り記載してください」
ペンをカカシに向けて置く。
「何回言えば分かるんですか」
追加された刺々しい台詞はまた周りの緊張を高めた。それがイルカ自身全く分かっていない訳でもないはずがだ。それでもイルカはツンとした表情は崩さない。
中忍選抜試験のあの件以来、彼はこの態度を一貫して変えない。
カカシとしては食ってかかるつもりはない。イルカの言っている事は正論だからだ。言い方や態度は上官に対するものにしては厳しいとは思うが。だが、自分を慕う人間も多ければ、嫌う人間も多い。イルカが後者なだけだ。正直気にはしてられない。
カカシは黙って空欄に記入した。
「はい」
「結構です。お疲れ様でした」
律儀に頭を下げられる。
「どーも」

なんだろねえ、内心ボヤきながら受付を後にした。



昼休みに入った時間だからか、仕事がひと段落したからか、廊下を歩くイルカに執務室から笑い声が聞こえてきた。
「失礼します」
ノックをすれば直ぐに入りな、と部屋の主から声が返る。
抱えている書類を持ちながら扉を開け、談話していた相手がイルカを見た。
「ああ、イルカ」
紅が軽く首を傾げて微笑んだ。しばらく短期任務に就いていたが、帰ってきたのか。綱手の背後にはシズネが立ち、また一緒に微笑んている、女3人の話に立ち入ってしまったようで、気まずさから苦笑いを浮かべた。
「短期任務、お疲れ様でした」
頭を下げると、本当に、とため息混じりに笑った。
「でもまあ宿泊先が温泉だったから、良かったって言えば良かったのよ」
綱手の重圧な机には書類が散乱しているが、その上に箱が幾つか広げられている。見た所温泉饅頭ではない。
「チョコを使ったお菓子が名産だったから、幾つか、ね」
紅は嬉しそうに口角を上げた。
成る程、何種類も買い込むあたりが女性らしい。ただ、チョコはイルカも好きで疲れた時には口にしていた。
へえ、と珍し気に覗かせる。
「お前もイケる口か」
綱手の言葉に素直に頷いた。
「ええ、甘いものは意外に好きです」
「1つづつ食べてみて」
紅に嬉しそうに勧められ、イルカは手を伸ばした。
「じゃあ、お言葉に甘えまして」
1つ口に入れる。柔らかくココアが塗してある。その美味しさにイルカは目を丸くした。自分が食べる板チョコなんかとレベルが違う。
美味しさを噛み締めるイルカを他所に、女3人はまた話に花を咲かせていた。
「だからカカシに任せなくて良かったのよ」
紅から出た名前にピクと反応した。
「甘いもの嫌いだからな、見向きもしなかっただろうな」
豪快に笑う綱手を見ながら、2つ目のチョコを食べる。クッキーがサンドしてありこれもまた美味い。他に広げられたチョコを頬張り、最後のチョコを取ろうとし指を止めた。瓶に入っている。そのチョコはまん丸で艶々して。
(可愛いチョコだな)
イルカは瓶を開けると1つ摘んで口に入れた。
(…これは…ほろ苦い…?)
硬さがあるから奥歯で噛み、飲み込む。
嚥下してすぐ、身体に異変が起きた。
熱い。胸が焼けるような熱さはイルカの顔を歪めさせた。身体に力が入らなくなる。中からせり上がる熱さを逃したくて、短く息を吐いた。
「イルカさんどうしました?」
イルカの変化に直ぐに気がついたのはシズネだった。
大丈夫ではないが、大丈夫と口から出そうとするが喉も熱くて出るのははっはっ、と吐き出す息だけ。
何で、急に。
自分でも訳がわからない。朝から体調万全で、調子だって良くて。なのに。
「イルカ、お前もしかしてこれも食べたのか!?」
綱手の驚いた声が聞こえる。苦しさに顔を歪めながら、綱手を見る。
手に持っているのは瓶に見えるが。ボヤけてそれが瓶か定かじゃない。
視界が斜めに傾いていく。
そこから意識がストンと落ちた。



カカシは廊下を歩いていた。ポケットに手を入れ、日帰りで行かされたSクラスの任務報告に向かう。
そこそこ儲かる任務だったが、思ったより手こずった。血と泥が服を汚している。今日はさっさと帰って風呂に入りたい。
廊下を歩いて、カカシはピタと足を止めた。
いつもなら。
執務室は特殊な結界で中の気配は常に探れない筈なのに。
何かがいる。感じるのは殺気でも何でもない。
それにあの綱手に危険が迫ってるとは思えない。多少警戒しながらも、カカシはポケットから手を出しドアノブに手をかけた。
「失礼しまーす」
カチャリと開けて、顔をのぞかせて直ぐ、
「カカシ!捕まえろ!」
「へ?」
綱手の怒号に目を丸くした。視界に入りカカシに向かってくる気配。捕まえるも何も、向こうからカカシに飛びかかり、カカシは多少よろめきながらもそれを両手で受け止めた。
小さい。カカシの脚にしがみついているソレを、小さい為に屈みながら。
「……何ですかコレ」
指差して綱手を見た。
「隠し子?」
「んな訳ないだろ!」
鋭い突っ込みに苦笑いして。未だカカシから離れない子供。黒髪を高く括り、カカシから離れない顔が見えずつむじが見える。その子供がカカシに顔を上げた。
「カカシ!」
名前を呼ばれたのもそうだが。
なんとも満面の笑みで、こっちを見上げている。幸せそうに。
鼻頭に傷があった。
「カカシ!」
また名前を呼ぶ。嬉しそうに。そしてカカシの脚にしがみついたまま、その脚に頬擦りされ、カカシは顔を顰めた。
好かれているみたいだが。
子供は苦手だ。
しかも、見た所2、3歳の幼さ。免疫がほとんどない。
「えー………、何、コレ?」
カカシは脚にくっついたままの子供を指差し顔を上げた。
綱手、紅、シズネ。3人揃いも揃って驚いた顔でこっちを見ている。
「聞いてます?コレな、」
「カカシ!抱っこ!」
下を見れば、言ってる側からその子供が脚から手を離し両腕を上に上げ、抱っこしろと強請る。
戸惑いまたカカシは顔を顰めて、顔を上げる。
「抱っこって言ってるなら…してあげれば?」
紅が口に手を当てながら、言う。
「はあ!?ヤダよ。だったら紅がしてよ」
「やーだー!!あの人やだ!!カカシがいい!」
下から子供特有の甲高い声と共にカカシの脚をギュッと掴んだ。
「はあ?ちょっと、…」
無碍に拒否していいものか、困惑すると、吹き出すと共に笑い声が聞こえた。
見れば3人揃って笑っている。小さく始まった声は次第に大きくなり、堪えきれないと紅なんかは腹を抱えている。
「ちょっと!何笑ってんのよ!?」
オネエ言葉にも聞こえるカカシの台詞に綱手は片手を上げた。
「あ、悪い、でもな。ほら、」
眦に浮いた涙を指で擦りながら綱手はまだ可笑しそうに息をしている。
何が可笑しいのか。
全く状況が読めない上に笑われるのは如何なものか。しかもまだ足元では抱っこ抱っこと強請るガキがいる。
「ほら、抱っこしてやんなよ」
笑い交じりに促され、不機嫌丸出しにカカシはその子供を抱え上げた。
「カカシー」
やっとしてくれたと、甘い声で今度は首に腕を回され抱きつかれる。
ぐっと眉を寄せながら、引き気味に。
「で、このガキは何ですか」
綱手をジトっと睨みながら言った。
「イルカだよ」
ニヤニヤしながら。
聞き覚えがある名前に耳を疑った。
「イルカ?」
「そう、うみのイルカ本人だよ」
「………え!?」
間を置いて右目を見開いて首に擦りついている子供を見た。
「これだよ」
綱手は机から瓶を持ちカカシに見せた。
「シズネが特別に調合した試作品、子供に変化する為の薬さ。普通の変化より長時間作用するヤツを頼んだんだよ。チャクラを無駄に使わなくていいようにね。でも、イルカがチョコと間違えて口にしたみたいでねえ」
呆れ気味に話しながら、綱手はため息を吐き出した。
「は?チョコ?」
カカシは唖然と返した。
「試作品と言えど薬だからそれ専用の瓶に入ってたのに、食い意地が張ってるんだか」
「それで、…じゃあ、本当にこれ、イルカ先生なの?」
目を見張って自分にしがみついているイルカの顔をマジマジと見た。
そう言われれば確かにイルカだ。
この傷にこの髪型。
でも。
「カカシー!」
子供になったからって。丸で別人だ。
黒々と輝いた目をカカシに見せて。ニッコリと笑う。
余りにも嬉しそうな顔に、カカシは戸惑いイルカを見た。
大切なものを見つけたかのように、自分の頬を口布越しにカカシの頬に付けた。
あんたなんか嫌いですと、口には出さないが、べったり顔に張ってあったイルカが。
平気で遅刻するところや如何わしい本を持ち歩いているのが嫌いだと、ナルトづてに聞いたのも覚えている。
それなのに。
「カカシ」
愛おしそうにカカシの顔を飽きずに見ては抱きつく。半信半疑でそんなイルカをただ眺めた。
「どうやらねえ」
綱手の声にハッとして顔を向ける。
「試作品だから仕方ないが、精神面も子供に戻るみたいだね」
「…じゃあ、」
綱手は頷く。
「中身も3歳児だな」
成る程、それなら仕方ないか、と聞いて、またハッとした。
「イルカ、アンタが好きだったのね」
関心気味に紅がボソリと呟き、カカシの気がついた結論を簡単に口にした。
「あんなに毛嫌いしてたのに」
付け加えられ、綱手もシズネも頷きイルカを見ている。
「いやでも、これって薬で嫌いな人を好きになるような作用が」
「ないです」
きっぱりとシズネが否定する。
「カカシー」
小さな手がカカシの頬を触る。目を細めて、これ以上ない幸せそうな顔を見せる。
「カカシ、大好き」
破顔した顔はカカシを惚けさせた。ニコニコしている幼いイルカを見詰める。
あの冷たい目も。憎たらしい台詞も。全身でアナタなんか嫌いだって。言っていた。
そう言っていたイルカは何処にもない。
「カカシ、そんなに好かれてるだから暫く預かって面倒頼むよ」
「は、冗談デショ!?」
驚き振り向くと、その素早さが面白かったのか、もういっかーい、とイルカが笑いながらしがみつく。
「冗談じゃないよ。何でかうちら3人に懐かないんだから仕方がないだろ。さっきまで逃げ回って大変だったんだからな」
自ら肩を叩きながら綱手は言った。
「いや、直ぐ戻せないんですか?」
「ええ、時間が経てば、元の姿に戻ります」
シズネが言い、カカシはシズネを見た。
「時間って、どのくらい…」
「多分…2日、…位?」
可愛く首を傾げられ、カカシは苦笑いした。
何の冗談だ。
「好かれてるんだから、いいだろ。それが次の任務にしてやる」
「いや、でも、」
「カカシ好きー」
イルカが返事をするかのように甘い声で好きを繰り返し、紅がまた隅で肩を震わせ笑っているのが見えた。


NEXT→
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。