love pop①

 上忍待機室に入ってきたカカシを見て、反応を示したのは既にそこで待機していたアスマだった。よお、と煙草を咥えながら声をかけるが返事がない。いや、ん、と小さな声で返してきた気もするが、アスマの耳までは届かず、黙って怠そうに目の前のソファに腰掛けるカカシへ視線を向けた。いつものように見えるものの、ちょっと様子がおかしい。
 浅めに座ったまま、目の前の灰皿に吸っていた煙草の灰を落とし、煙を吐き出しながらアスマはカカシを見つめた。
 その姿はやはり普通にも見えるが、目の前にいるカカシから深いため息が漏れる。
「どうかしたのか」
 あまりカカシにはかけない言葉だ。長いつきあいだが、基本いつもどうってことない態度だし、現にあまりそこまでカカシから本音を口から聞いた事もない。カカシは、声をかけられ、その青い目をゆっくりとアスマに向けた。
「・・・・・・なに?」
 少し間を置き、聞き返されて、アスマは眉を寄せた。
「だから、どうかしたのかって聞いたんだ」
 面倒くさいと思いながらもう一度同じ言葉を口にすると、カカシにまた僅かに間を空けられ苛立ちを感じた時、
「殴られた」
 そう言われ、はっきりと言われたのだから意味は分かるが、相手がカカシだから、思わず笑っていた。
「お前が?何言ってんだ」
 冗談はよせとばかりに煙草を吸いながら笑うと、冗談じゃなくって、と追加され、アスマは笑っていた口を閉じた。
 そういえば、よく見てみると口布で覆われている左頬が微かに赤い。
「ああ、女か」
 勝手に合点した内容に頷けば、少し呆れを含んだような目を返された。違うよ、と否定され、じゃあ何だよと言う前に、
「イルカ先生」
 カカシから出た名前に、煙草を口から離した。イルカがカカシを殴る。そう言われてもぴんとこなかった。確かに少し前は中忍選抜試験でもめ事を起こしてはいたが。
 それはもう既に収拾がついていたはずだ。受付でも報告所でも、当たり障りのない二人の会話だって聞いていた。どちらかと言えばイルカはカカシを慕っているようにも感じていた。
 それにイルカが誰かを殴るなんて聞いたことがない。
「イルカが殴るって・・・・・・お前何したんだよ」
 当たり前に浮かんだ疑問をカカシに向けていた。カカシは落ち込んだような、ムスっとした顔のまま足を組んだその上に腕を置き立て肘をついている。その立て肘を解いて、銀色の頭をがしがしと掻き、
「何って、別に。セックスしようとしただけ」
 そう言った。

 だから言いたくなかったんだよねえ。
 カカシは聞かれたから答えてみたものの、アスマの予想通りの反応に内心ため息を吐き出したくなった。
 冗談だろ、と言われるがこればっかりは冗談ではないし、冗談を言える心境ではなかった。
 数日前、イルカに告白された。
 元々昔から女にはモテた。自覚はある。ただ、モテると言う言葉には自分の中では不本意で、抵抗があった。任務に没頭していた時は正直寄ってくる女は鬱陶しいだけだった。なにかと面倒くさかったから、表現は悪いが商売女を性欲の捌け口としていたが、上忍師になったらまた状況が変わった。当たり前のように色目を使ってくるくノ一が多くてしかもそれが上忍が多くプライドばかり高いから達が悪い。それでも誰か側に置いていれば他は意外にあっさり引いてくれる事が多いから、最近は取りあえず適当なくノ一とつき合う事にしていた。
 前もって身体にしか興味ないとさえ言っておけば、そこまでこじらせる事はない。終わったらそれまでで、また言い寄ってきたくノ一とつき合う。それを繰り返していた中、ちょうど向こうから別れ話を持ち出され、イルカに呼び出されたのは、それを了承した週末だった。
 イルカに悪い印象はなかった。同性でも媚びた目を使ってくる奴は多い中、写輪眼だと距離とおくような態度もなく、そんな目で見てこない、そして話しやすい。今度時間あったら一緒に飲もうよ、そんな会話をしたのもつい最近で。
 だから、呼び出された時もその誘いなのかとばかり思っていた。
 報告所で報告を済ませ、建物を出た時にイルカに呼び止められる。報告を済ませた相手はイルカだった。何か不備があったのかと思って訪ねれば、違うんです、と首を横に振られ、ちょっといいですか、と促されカカシは素直に従った。
 建物の裏手で立ち止まりこちらに振り返ったイルカは少しだけ緊張しているように見えた。あの、とイルカの口が開き、カカシはその少しふっくらとしたイルカの口元を見つめていると、
「俺、あなたの事が好きなんです」
 と、イルカが言った。
 内心驚いた。イルカからそんな目で見られているとは夢にも思わなかったから。驚きに目をパチクリさせていると、
「だから、一緒に飲みに行こうって言われたの、すごく嬉しいんですが、俺、そんな風にあなたを見てる事をあなたに言っておきたくて」
 そう続けるイルカは、恥ずかしそうにはにかむ。書類片手にイルカはもう片方の手で自分の鼻頭を掻いた。
「いいよ」
 そう言ったのは思わずではない、そう思ったからだった。了承したのに、イルカは目を丸くして、いいんですか、と口にするからカカシもまた、うん、いいよ、ともう一度答えた。まだ少しイルカは戸惑っているようだった。
「あの、俺、ノーマルなんですが、あなたは特別って言うか、だから、色々よく分かってないんですが、」
 えっと、参ったな、俺何言ってんですかね。なんか嬉しくて、と頬を赤らめ恥じらいながら嬉しそうに言うイルカは、見たことがなくて、素直に興味をそそられた。同調するようにカカシも笑う。
「うん、俺もそうだよ。男に興味はないけど、先生ならいいかなって」
 だからつき合おうよ、俺たち。
 にっこり微笑みながら言うと、イルカはまだ戸惑さを含みながらも、頬を赤くした。
 それが数日前。
 で、今日は週末を挟んで告白を受けてから初めて顔を合わせた。
 廊下でたまたま会ったイルカはいつもだが、何やら書類を持ち忙しそうに歩いていた。
 後ろ姿のイルカを見つけ、声をかける。イルカは自分の声で振り返り、嬉しそうに微笑んだ。それが酷く愛らしくて、つき合っている、と言うフィルターがかかっているからなのか、自分らしくないくらいにその笑顔に意識した。そして、何故か沸き上がったのは欲情だった。元々性欲は薄い方だと思っていた。こんな昼間っからなんてあり得ないと思うのに、イルカの自分を嬉しそうに見つめる目から何故か目が離せなくて。
 ただ、過去つき合っていたくノ一にしていたような感覚で、腰に手を回していた。
 イルカが少し目を丸くしたのが分かった。
 幸いな事に周りにはたまたま誰もいない。イルカの温もりを布越しに感じて更に気持ちが高ぶる。だから、
「ね、先生セックスしよ?」
 そう耳に囁いた。

 結果はアスマに報告した通りで。言われた言葉にイルカは一瞬ぽかんとし、そして顔が険しくなる。思い切り右の拳で殴られた。
 もちろん避けようと思えば避けれたが、何故かそれを受け止めていた。と言うか、そうされるとは夢にも思っていなかった。イルカと付き合う事になった経緯を簡単に話しただけで、
「当たり前だろ」
 アスマに面白くなさそうにそう言われて、ぴんとこなかった。だって、今までそうしてきて叩かれた事は一度だってない。むしろ相手はいつも嬉しそうにする。
 当たり前と言われてカカシは不機嫌にアスマへ視線を向けた。
「何当たり前って、だって俺イルカ先生とつき合ってんだよ。誘って何が悪いの」
 言い返すカカシに、アスマは僅かに眉を寄せる。そこから少しだけ苦そうな顔を見せた。ため息混じりにアスマは煙草の煙を吐く。
「・・・・・・当たり前じゃねえよ」
 低い声で否定される。
「お前の当たり前がイルカにも当てはまると、そう思ってんのか」
 そう思ってるからそうしたんだと、分かってるだろうと、そんな顔をすると、アスマはカカシから視線を外す。黙って短くなった煙草の火を灰皿で揉み消した。アスマは側頭部を掻きながらソファに深く座り直す。
「まあ、それでイルカとは終わったんだろ。じゃあいいじゃねえか」
 勝手に終わらせようとする会話に、カカシは、え?と聞き直していた。
「何、終わったって」
 アスマはカカシに顔を向ける。
「だから、告られて、殴られて、終わった。だろ?」
 はっきりとした言い方だが、ちょっと分からない。
「・・・・・・なにそれ」
 分からなくとも、嫌な言い方だった。その曖昧な表現は不愉快なものしか感じない。同時に、大して痛くないと思っていた左頬が痛く感じた。
 カカシから突いて出た言葉に、そんなカカシにアスマは少し驚いた顔をした後、肩を竦め、そのまんまだ、と言って立ち上がる。ちょっと待ってよ、と言うカカシを残し、そのまま待機所を出て行った。



 カカシは待機所を出て廊下を歩いていた。いつもの様に小冊子を読みふけっていたが、何回も読んでいるはずなのに、その内容は一切頭に入ってこない。
 浮かぶのはあの髭の嫌味ったらしい言葉だけ。気にしなくてもいいはずなのに、無性に不安を覚えた。その不安を払拭したくてカカシは歩く。そこでふと腕を取られ顔を向ければ、見覚えのあるくノ一だった。
「カカシ、どうしたの?」
 そう聞かれても、何がどうしたのなのか、分からない。え?何が、と聞き返すとそのくノ一はカカシの腕を掴んだまま、顔を覗き込んだ。
「だってなんかちょっと怒ってるような顔」
 じっと見つめられ、そしてふふっと含み笑いをされ、不快なものしか感じない。カカシは眉を寄せた。
「だから、なに」
 くノ一が掴んでいた腕に自分の腕を絡ませる。大きく柔らかい胸が押し当てられた。
「ね、今日時間ある?」
 聞かれ、目の前のくノ一は名前は覚えていないが、以前関係を持ったことを思い出す。だって今フリーなんでしょ?そう言われて、浮かぶ否定の言葉を口にしようとした時、アスマの言葉が浮かんで、不安と共に迷いが生じる、と、少し先から歩いてくる気配に顔を上げれば、そこには自分が探していたイルカが歩いていた。いつも見せてくれたにこやかな笑顔は一切ない。その顔を見たら、胸の奥がざらざらとした嫌な感触がした。カカシは、ただ、書類を手に歩くイルカを見つめ、黙って通り過ぎたところで、くノ一の腕をふりほどいた。すたすたと歩き廊下の角を曲がろうとしているイルカの後を追う。
「待って」
 声をかければ、イルカは足を止めた。カカシへ振り返る。
「どうしたんですか?」
 静かに問われ、突き放された言い方に感じ、カカシは呼び止めたのが自分にも関わらず、躊躇った。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、」
 躊躇いがちに口を開くと、はい、と返事はするものの表情は変わらないが、イルカから素直な言葉が返ってくる。
「俺たち、・・・・・・終わった訳じゃないよね?」
 アスマの言葉を鵜呑みにしたくないと、尋ねるカカシに、イルカは、それを聞いて少しだけ目を丸くした、ように感じた。だがその表情は直ぐに消える。口を閉じ、ふう、と息を吐き出し、再び口を開くまで、カカシはじっとイルカの答えを待った。
「・・・・・・あなたがそう思っているのでしたら」
 ため息混じりに言われて、カカシは面食らった。そのまま再び歩き出したイルカの腕を、カカシは掴んでいた。
「ちょっと待って、あなたは・・・・・・どうなの?」
 見つめる先のイルカは、腕を掴まれるが動じない。静かな眼差しをカカシに向けた。輝きを奥に秘める黒い目がカカシを映す。
「違うって、そう言って欲しいんですか?」
 真っ直ぐ見つめながら、イルカに言われ、カカシは僅かに眉根を寄せた。酷く自分を優位に立たせているような言葉だった。正直他人にここまで言われた事は記憶にそうない。カカシは口布の下で一回開きかけた口を閉じ、再び開いた。
「・・・・・・そりゃあ、そうでしょ」
 カカシの言葉に、イルカは片眉を上げる。
「そんな風には全く見えませんけどね」
 それはさっきのまとわりついてきたくノ一の事を指しているのは直ぐに分かった。実際に誘いに乗ってセックスしようとしていたのならまだしも、ただ話していただけで、元々あれはそんなんじゃないし、そんなの言いがかりもいいとこだ。
 と、そんな反論が頭に浮かぶ間にも、またイルカに背を向けらカカシは慌てて手を伸ばしていた。
「待って、ね、あの女は関係ないから、ホントに」
 何でこんなに釈明じみた言葉を選んでいるのか、自分でも不明だが。訴えるように少し強調して言うと、イルカは胡乱な眼差しをカカシに向ける。そうですか、と小さく口にした。
 ホッとしたのもつかの間、
「俺、そんなに軽そうに見えますか?」
 続けてイルカが口にした言葉に、カカシは少しだけ目を丸くした。軽いとか、軽くないとか、自分の中ではそんなものはどうでも良かった。そう、今までそこに関してはどうでもいいつき合いしか選んでこなかった。だから、拒否される事自体不可解でしかなかったから、と、そこまで思ってアスマの苦々しい表情と共に、言われた言葉を思い出した。あの目は、イルカが今自分に尋ねてきた言葉と同じ意味なのだと感じる。
 後ろめたい気持ちが混じり、だけど、どうしたものか分からない。考え込みながらカカシはがしがしと銀色の頭を掻いた。
「・・・・・・いいえ」
 そう答えるしかなかった。軽そうに見えるか、と聞かれたら、それはノーだ。簡単に足を開くようには思えない。
 でも、つき合って欲しい、と自分に好意があると、そう言われたから。
 などと思うが、それを言うのは得策だとは思えなかったから、カカシは敢えて口には出さなかった。一言口にした後、黙る。
 イルカはそんなカカシをじっと見ていた。曇りがない真っ直ぐな黒い目で見つめられ、左目は隠しているのにむず痒くて、酷く居心地が悪く感じた。思わず視線を下にずらす。
 その時、ふう、とイルカが息を漏らしたのが聞こえた。カカシが下げていた視線を上げる。
「じゃあ、いいですよ」
 そう口にした言葉はさっきよりトゲがない。どういう意味なのかと、窺う先のイルカの口元は上がっているように見える。
「あの、」
「今度いつ夕飯食いに行きます?」
 言い掛けたカカシの言葉に被せられた言葉。それは流石にカカシにも分かった。
「あ、じゃあ明日」
 反応を示して言葉を返すと、イルカの黒い目が緩む。
「いいですよ。分かりました。じゃあ、明日」
 と言ってイルカは背を向け歩き出し、カカシは、うん、と反射的に答える。
 イルカの後ろ姿を見つめ、さっきまで居心地悪く感じていたものが、なくなっている事に気がついた。
 そして身体の力が抜けるような、ふわりとした感覚に包まれる。その感覚の中、一人廊下でカカシはまた頭を掻いた。

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