溺れる魚

偶然が重なった。
たまたま友人と行った先の行きつけの飲み屋が臨時休業で、仕方ないから別の店を探そうとぶらぶら繁華街を歩いていたら、チラシを配っている女の子が目に入った。小柄で可愛いからと友人の誰かがチラシをもらいに行き、ご丁寧に人数分貰ってくる。手にしたそのチラシは、新装開店した居酒屋のチラシだった。
せっかくだから行ってみるかと言ったのは自分ともう1人の友人。新しい店に行くのはこんなタイミングも必要だ。
多少混んではいたがテーブル席に案内され、友人と席に着く。
背中から声をかけられたのはまだ店員がお絞りさえ持ってきてない時だった。
振り返れば、顔見知りの上忍が立っていた。手洗いに行った帰りに自分達を見つけたらしい。上忍は奥の個室で上忍仲間と飲み始めたところで、どうせだったら一緒にと、声をかけられた。人当たりがよく、一緒に飲みたいからと言う優しい心遣いの上忍の誘いに皆快く頷き、個室に移動することになった。
大衆居酒屋に上忍が集うのは珍しい。聞けば、実は自分達も行く予定だった店が休みで、ここにしたのだと言う。
上忍について歩き、部屋に入って、イルカの視線はある上忍を捉えた。
相手もイルカの登場に驚きを隠さない目をしてこっちを見ている。が、直ぐにカカシはその目を緩め、この状況を受容したと目で表した。
自分の恋人と偶然にも同じ酒席になってしまったのは、イルカ自身驚いたが、それはカカシも同じだろう。
さっきの上忍が言っていたように、カカシは今日上忍仲間と飲む約束があるとイルカに告げていた。イルカもその日は同じように友人と飲みに行くとカカシに告げていた。
お互い別の店だから会うことはないだろうと、勝手に思い込んでいたのだ。
友人に2人の関係を告げていないのは、立場や恋人の性格をカカシなりに考慮してと言うのも勿論あるが、恋人という関係になったのはまだ1ヶ月も経っていないからと言うのもある。
写輪眼と名が知られたカカシに告白されて、戸惑いや驚きもあったが、光の如く、ものすごい速さで彼に堕ちたのは言うまでもない。
カカシに愛を囁かれるその何十倍、何百倍も気持ちは上だと確信している。それに、恥ずかしい話だが、20代半ばにして、彼はイルカの初恋であり、初体験の相手だった。
まさか自分が恋人になった相手にこんなにのめり込むなんて。
恋人同士になった正に今でさえ、彼に恋をしている。恐ろしいくらいに右肩上がりだ。
髪の毛の一本から爪先に至るまで彼に染まっている。
だから、必死に高まる体温を下げるのに必死だった。カカシのように普通に振る舞わなければ。
カカシは既に涼しい顔で、隣の上忍と目の前にいる中忍と話をしている。
家にいる時に見せるあの甘えた色っぽい表情は欠片もない。飄々としてでも凛として、外で見るカカシのもう1つの顔に、改めて格好いいと思う。
グラスを持つ白く長い指は、昨夜自分の身体を這っていた。難しい印を結ぶあの指が、自分を求めた。
アンダーの下にある日に焼けていない肌は滑らかでその質感は触ることを許された自分しか知らない。鍛え上げられ均等に、丸で彫刻のように綺麗な筋肉は、汗を掻くと艶やかさを増す。自分より低い体温が上がり、薄っすらと赤みを増す身体は美しい。
その肢体を惜しげもなく晒し、自分と肌を重ねる。
身体がぼわんと心地いい温かみを増していた。口にする酒のせいだと思いたい。目の縁も熱く、イルカは何回か瞬きをして指で擦った。
隣り合わせにならなくてよかった。
ほぼ無臭といっていいくらいカカシは匂いを持たないが、今の自分にはしっかりと嗅ぎ分ける事ができるだろう。
「イルカ先生、メニュー取ってくれる?」
低い声に顔を向ける。
深い青の色が自分を写していた。
「あ、はい!」
横に立てられたメニューを取り手渡す。
「ありがと」
少しだけ他人行儀な声のトーンが、また堪らなくいい。彼もそれなりに自分に意識をしているという事だからだ。
あの低い声が昨日耳を犯して囁き熱を吹き込んだ。
先日火影の執務室でカカシを含めた話し合いに参加した。愛してると言うその唇で、声で、事務的な挨拶を口にして、間延びした口調は時おり冷たささえ含んでいた。他の忍びと同じように。
薄く開いた唇を見たら、ぶるりと震えるものが走った。
自分は淡白でそこまで性欲がないという考えは思い込みだったらしい。
余り見ないようにと思う余り、逆効果の如く、銀色の髪を掻く仕草にさえ視線を奪われてしまう。酒の席で馬鹿話に花を咲かせている空気に、多少視線を動かした所で誰も気には留めないが。
でも小休憩が必要だ。
阿呆のように茹りつつある自分を諌める為にも席を立ち、手洗いへ向かった。本当は外の冷風に当たりたい気分にさえなるが、トイレに向かい手洗い台で顔を洗うでもいい。
新しく改装されたトイレは綺麗で広く使いやすく工夫されている。
手洗い台に向かい蛇口を捻り手を水にさらす。何秒間そのまま手を冷やして、何気なく目の前にある鏡に顔を上げて、息を呑んだ。カカシがニコリと微笑む。
慌てて水を止め、ハンカチを取ろうとポケットを探ろうとして、その手を取られた。濡れた手を躊躇なく掴まれ驚きに顔を上げれば、もう顔が間近まできていた。
息もかかるくらいに近い距離で、
「あんな顔、何でするの?」
「は、へ?」
昂まりが多少治まってはいたが、中途半端な状態でカカシに触れられ、猛然と心音が高鳴る。
さっきまで見せていた他人行儀の顔はない。
寒色の瞳の奥は、明らかに熱が籠っていた。その色の意味を知り、イルカの頬が赤みを増す。
「すっごい目、ヤラシイ。人前で誘うなんて卑怯だよ」
「何言って…」
熱い息を吐き出すと唇を首元に埋められる。甘えるように唇を押し当てられ、それだけで腰に痺れが走った。
「やっ、駄目っ!駄目ですよ…っ!」
こんな場所で。とカカシには勿論だが、自分も諌めるように強めに口にする。
「んー」
聞いていないと主張するかのようにうなじを甘噛みされ、腰を押し当てられる。既に硬くなったカカシ自身にイルカは息を詰めた。
そして悟る。カカシが自分以上に性欲で支配されていた事を。
誘ったつもりもないし、感情を表に出さないよう努めていた筈なのに。
どんなに鍛錬を積んでも、恋愛の波に逆らえない。本能が勝っていたのは事実だ。腰を押し当てられる事で、イルカの張り詰めたそれもカカシに伝わる。
「それで抑えてたつもり?」
吐息に近い笑いを漏らされ、それだけで肌が引き攣る。
カカシも他国に恐れられる忍びであるのに、こんな平凡な中忍の恋人に自制心を無くし、興奮し求め愛撫をする。イルカは悦びに胸が震え締め付けられた。が、恥ずかしさが先に上回る。今顔なんて見せられない。
カカシの言葉に素直に認めてイルカは腕を背中に回し、らしくないと思うが、強請るように指に力を入れた。
それに満足気にカカシはまた笑いを零した。
「じゃあこのままドロンしていいよね?」
ああ、成れの果てに逃避行。飲み会はこれにて終了。名残惜しさの言葉を並べてみるが。
飲みかけの酒は最初から味なんてしていなかったのは、イルカ自身、一番よく分かっていた。



<終>

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