選択肢②

 昼休み、イルカは職員室にいた。
 自分の作った弁当を食べながらも視線はどこかへ漂わせている。
 この前のあれは、なんだったのだろうか。
 イルカは箸を咥えながら漂わせた視線を弁当に落とせば、そこには色気のない、配色悪い茶色い自分の弁当が目に映る。
 あの時は今までにないくらいにパニクったが、数日経つと、いい加減冷静を取り戻すし、そうなると、全て気のせいだったように思えてくる。
 大体、そもそもあのカカシが自分にそんなリアクションを取るはずがない。少女漫画のように周りの女性からきゃあきゃあ言われているような男が。
 あの直後に顔を合わせていたら、また動揺してしまったのかもしれないが、数日姿を見ないうちに、気持ちは自然落ち着きを取り戻す。そんな中、昨日、カカシを見かけた。
 隣には、すらっとした綺麗なくノ一が並んで歩いていた。同じ忍びでもきっと爪の先から毛先まで手入れの行き届いている、そう感じるくらい綺麗な女性だった。
 自分は、外の授業が続いているせいか、また黒くなったんじゃねえ?と同期に言われるし、きっとその通りだ。毎年この季節になると嫌でも黒くなるし、髪も紫外線でやられる。それでもやっぱりそんな事より子供たちの学ぶ姿や成長を感じれる喜びの方が勝る。
 体術を繰り返し教える事で手に出来たタコを、指で擦りながらそんな事を思っていれば、外で昼食を終えた同期や後輩が職員室へ戻ってくる。
 一人の後輩が、あれ、とこっちへ顔を向けた。
「自分で作ったんですか?」
 興味津々に聞いてくる後輩に、そうだと答えれば、感心したような声が返ってくる。私も作りたいんですけど、料理苦手で。と、そう口にする後輩は実家にまだ住んでいる。今日も昼食を外で一緒に食べようと誘われたが、行くのは大体少し高いランチで、安くて美味い(そして量の多い)定食屋やラーメンが好きな自分とは、食の好みが丸で違う。
 両親を亡くしてから一人暮らしを余儀なくされ、中忍になってからは家賃の安い中忍の独身寮に住めば良かったが、それより以前にこんな自分にでもアパートを貸してくれた大家さんに義理もあって、そのまま同じ部屋を借りている。古くてアカデミーからも遠いが、その人間関係を断ち切りたくなかった。
 ただ、そんな内情を言っても仕方がない。イルカは後輩に笑顔で応えた。

 午後、火影に頼まれた書類を抱えながら廊下を歩く。階段を上がったことろで顔を上げれば、執務室から出てきた人影が目に入る。銀色の髪でカカシだと直ぐに分かった。今まで反応したことなかったのに。心臓が少しだけ早くなった。
 そう、過去今までこんな状況は何度でもあったはずなのに。浮かぶのはあの時の間近で見たカカシの顔で。それだけで鼓動が早くなった。カカシが近くなるにつれ、忙しなく動く心臓に、慣れない環境に。イルカは自然視線を下に落としていた。顔が見れない。
 すれ違ったことろで、イルカはぺこりと頭を下げる。
 カカシは。俯いていたからよく分からなかったが。たぶん会釈を自分に返した。そのままカカシは廊下を歩き、自分が上ってきた階段を降りていく。
 気配が遠のくのを感じながら、イルカはそこでゆっくりと息を吐き出した。足を止める。
 気がつけば、書類を抱えていた腕に力を入れてしまっていたらしい。皺が寄ってしまった書類を手で直しながら。情けない気持ちが自分を包む。
 だって。
 きっと。
 自分だけ、勝手に意識している。
 そう、馬鹿みたいだ。
 たったあれだけの事で。
 自分自身意識するつもりもなかったのに。
 自分とは違い、何事もなかったように通り過ぎたカカシを思い出すだけで、またため息が出そうになる。皺になった書類を見つめながら。イルカは僅かに眉を寄せた。
 
 翌日、イルカは後悔していた。
 昨日の事ではなく、残業をしていた事に。
 たまたま職員室に残っていた自分に、顔を見せたのはくノ一の後輩だった。
 どうしても人数が足りなくて。
 彼氏が欲しいと積極的に飲み会に参加しているのは知っていた。でも、自分は当たり前だが興味がない。同期や友人と飲むのは好きだが、後輩言う飲み会は別だ。
「別に女なら足りないくらいがちょうどいいんじゃないの?」
 コンパの仕組みはよく知らないが。同じく男のコンパ好きな同期の話で何となく知っていた事を口にすると、でも、と後輩が口を結んだ。
「友達が、女の子二人だけじゃ何かあったら怖いって」
 忍びなんだから別に大丈夫だろう、と腹で思うが。思い切り困った顔をされると、先輩として心配になってくる。
 腕を組み迷いながらも、頷くしかなかった。
 
 やっぱり断れば良かった。
 居酒屋に着いて、個室に通され席に着いてから。その居心地の悪さにそう思うが。今更どうにもならない。
 受付や報告所で見た事がある上忍も何人かいて、後輩の言う心配を考えると、自分が居て良かったとも思うが。やっぱり慣れないものは慣れない。大体、自分自身が恋人が欲しい目的でいないのだから、尚更だ。話を合わせるのは得意だが、目的がない。知り合いじゃない上忍と飲むのは、正直苦痛だ。
 ただ、一つ。好きなビールを飲めるのは嬉しい。イルカは目の前のビールをごくりと飲んだ。
 一杯目の生ビールを飲み終える頃、いつもならここから飲む時間が楽しくなるはずなのに。一向に楽しくならない。周りの上忍が自分をターゲットにしていないのは丸わかりで。それはそれで割り切っていればいいだけだけど、正直つまらない。酒が入ったからか、そのつまらなさに眠くなった時、がらりと襖が開く。追加の酒を運んできた店員かと思っていたが、そこに立っていた相手に、イルカの目がまん丸になった。
 カカシがそこに立っていた。後輩やその友人が言葉なくとも色めき立ったのは一目瞭然で。それでも、こんな席にカカシが顔を出すとは思ってもいなくて。いや、そもそもこういう席にカカシは参加しているのか。自分の記憶では中忍上忍が集まって飲む場に、カカシを見た記憶はほとんどない。任務なのか、それとも興味がないのか。そんな感じだろうと思っていたのに。
 でも目の前にいるのは事実だった。そして。浮かんだ言葉が、困る、だった。そう、こんな席で顔を合わすのは、困る。居た堪れない気持ちに一人呆然としていれば、既に飲んでいた上忍がカカシを招き入れる。そこまで広くない部屋だが、近くにこないでくれと念じるイルカの横にカカシが座り、思わずまた、俯いていた。
 どうせならカカシの顔を見てからそわそわしている後輩たちの横に行ってくれればいいものを。なんでここ。
 そう強く思うが、上忍が自分が狙っている相手がカカシに取られては困るからだろうと何となく察する。
 それでも。ますます酒が美味しくなくなる。
 早く帰りたい。
 ため息を喉の奥に押し込みながらそう思った時、どーも、低い声が聞こえ、思わず顔を上げれば、隣の席に座っていたカカシがこっちを見ていた。イルカが顔を上げて直ぐ、カカシの視線は自分から外される。
 いつものような自分に対する態度が、また元に戻ってしまったような態度に。それをどう捉えたらいいのか分からなかった。
 ただ、それとは別に、自分がこの飲み会に参加してるんだと思われているのは間違いがなくて。でもそれは、後輩に言われて仕方なく、なんて言いたくなるが、なんでそんな言い訳をカカシに言う必要があるのか。悶々とした気持ちが自分を包む。だから。イルカもまた、視線を落としながらも、どうも、とカカシに小さく返事をした。
 王様ゲームしようと言い出したのは、カカシの隣の上忍だった。酒が入っているからか、周りが盛り上がるが、それが何なのか。よく分からない。きょとんとするイルカを余所に上忍が周りに使っていない割り箸に番号を書き全員に渡す。ただ、一回やったところで、どんなルールのゲームなのか嫌でも理解した。酔った他人同士のやることじゃないだろうと、内心思うが、これで周りは盛り上がっているのだから、自分との温度差ったらない。飲み会で上忍に無理強いさせられ色々やらされる中忍と同じだ。
 うんざりとした気持ちになるイルカに、王様になった上忍が、じゃあ、と声を出した。
「三番と五番がキスー!」
 嬉々としながら口に出した言葉に、イルカが凍り付く。聞き間違いだと思いたいが、残念だがそこまで酔っていないし耳はいい方だ。コップに注がれた酒を飲むとか、そんなんならまだしも、キス?
 青くなったイルカを余所に三番が、自ら手を挙げる。向かいに座っていた上忍だった。時々受付で顔を合わせた事があるだけの上忍だ。
 五番が誰だと探すまでもなく、固まったイルカとその表情で、周りが何となく察する。嫌な汗を掻いた時、三番を持った上忍があからさまに表情を曇らせた。
 それはこっちの台詞だと口に出したくなるが、相手は上忍だ。というか、そもそも、こんなえげつないゲームなんてやりたくなかったのに。
 今まで楽しい流れできた空気が少しずつ白けていくのが肌で感じる。こんなどうでもいい飲み会なのに。逃げ出したいし、気持ちが沈む。
 ため息が漏れそうになる唇をぐっと結べば、割り箸を握りしめた手に暖かいものが触れる。目を落とすとそれは、手だった。手甲をはめたその手がカカシだと分かるのに時間がかかったのは、何でこのタイミングで手に触れたのか分からなくて。カカシのその手を見つめていれば、ぐい、と引き寄せられる。反射的に顔を上げた時は、既にカカシは口布を下ろしていた。初めて見たカカシの素顔に引き込まれるように見ていれば、形のいい薄い唇が開く。
「じゃあ、俺としよっか」
 ふっと細められた目に、その言葉を理解する前に、カカシの顔が近づく。
 ゆっくりと、唇が重なった。


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