手遅れ②

その日の帰り、カカシの足取りは軽かった。
それは自分でも自覚がない。
でも、ふと足を止めて思う。
あんな風に人を誘ったのは初めてだ。(女性遍歴での誘いは別として)
ふむ、とカカシは立ち止まったままその事実を頭の中で再確認する。
(...初めて、か)
初めて。
その言葉は正に自分が向き合っているイルカにぴったりと当てはまる。
正直あのナルトの衝撃の告白から、イルカに対する考えや感情が初めてばかりなんだと改めて感じる。
初めは相対する存在で、一生分かり会えないような人。と思いこんでいた。ナルトをあそこまで育ててくれたのには感謝しているが。
そんな気持ちを伝えるような相手ではないとすら思っていた。
でも今は。
上手く言えないが。一つ言えるとするならば。
気分は悪くない。
不思議だなあ、と思うが、やっぱり思うのはそれだ。
妙に納得するものを覚えながら、カカシは家路へと足を向けた。


羨ましいとか。
ほっとするとか。
気分が悪くない事とか。
あまりにもかけ離れたそれぞれのピースを、自分の中で当てはめる場所を探すのは難しい。
それを模索してもいいのだけれど、自分は哲学者でもないし自分自身に興味もない。
報告の列に並びながらぼんやり考える。
自分の番になり、目の前の担当者に報告書を渡して、ふっとイルカを思い出した。
「イルカ先生は?」
不意のカカシの問いかけに、目の前の担当していた男が動揺に身体を揺らした。驚きにカカシへ顔を上げる。
「...え?...イルカですか...?」
聞き間違えではないかと、恐る恐る聞き返され、カカシは素直に頷いた。
「うん。イルカ先生」
そこで、ようやく男が表情を和らげ口を開いた。
「今日はアカデミーで授業をしているかと」
「ああ、そっか」
先生、だもんね。
納得するようにカカシが言うと、合わせるように相手も、はい、と返事をした。
報告書を受理され、カカシは一瞬考えるが。そこからアカデミーへ足を向けた。
自分とは違って、子供に人気がある正に先生と言う代名詞がぴったり。
まさか自分がその「先生」なるなんて思いも寄らなかったけど。
不思議なもんだな、とカカシは感じた。
自分にも師がいて。そこまで身近ではない存在だったはずなのに。気がつけば縁遠いものだと思っていた。
今も正直自分が先生をしているなんて、可笑しいと思う。
カカシはふっと笑いを零していた。
アスマも紅も、同じ立場の先生であるのに、自分だけ浮いたような気がする。
酷く場違いな。
それでも、自分を先生と呼んでくれるあの三人の部下に、自分が上忍師であると、身を持って感じさせてくれるのだ。
否応なしに。
アカデミーに着いたカカシは足を止め、その建物を見上げた。
関係者意外立ち入り禁止。なんて大きく張られているが。カカシはそれを見なかった事にして正面の入り口の扉に手をかけた。

階段を上がって直ぐにイルカを見つけた。あの後ろ姿は一度見たら忘れない。イルカは誰かと話していた。
考えるまででもない、同じ教員だろう女と立ち話をしている。自分が以前イルカから答えを当てようとした女性たちとは逆な、見た目ぱっとしない直ぐにも忘れてしまいそうな顔立ち。
よく言えばおしとやかで清楚、って所だろうか。
カカシは黙ってその二人を眺め、女性がイルカに頭を下げ廊下を歩き出す。イルカはそれを見届けた後、ふと窓の外を眺めた。
カカシはようやく足を一歩前に出す。
「イルカ先生」
面白いくらいにイルカの身体が揺れた。振り返ったイルカの黒い目が丸くなる。
そんなイルカにカカシは歩み寄った。
自分より少し背の低いイルカの顔へ、自分の顔を近づけた。
「ねえ先生あの人でしょ?」
こっそりと囁くようにイルカに言う。
イルカは何の事かと瞬きした。
「可愛い感じの子が好みだったんですね」
続けて言った瞬間、そのきょとんとした黒い目がカカシを見た。
わずかな間の後、イルカは微笑んだ。
「...まさか」
自分の中でまだ続いていた。イルカの想い人が誰なのか。
でも、彼の正解にたどり着くにはまだ時間がかかりそうだ。
残念だと思った時、イルカは笑った。息を吐くように。どうしたの、とカカシが問う前に、イルカが口を開いた。
「丸でゲームみたいですね」
笑っているのに、言い方は悲しそうで。その口調に意識を取られていると、イルカは今度は混ぜっ返すように明るい笑顔を見せた。
参ったなといった顔で首の後ろに手をやって、
「もう、勘弁してください」
そう言われ、そんなつもりはないと言いたいのに。
その言葉が出てこなかった。言葉が続かないのはどうやら自分だけで、イルカはそれで?とカカシを見た。
「ここまで来られるなんて、何のご用ですか?」
切り替えられカカシは、ああ、うん。と頭を掻いた。
「この前言った中華の店、あれ今日あたりどうかな、と思ったんだけど」
そう言いながらも、イルカの表情をじっと観察している自分がいた。
イルカは思い出したように嬉しい顔を見せる。
「ええ、覚えてます。でも俺てっきり社交辞令かとばかり思ってて」
恥ずかしそうに笑うイルカを。
カカシはまだ心の中で冷静に見つめている。見つめながらも、合わせるようにカカシは微笑んだ。
「いや、俺そんな人に見えます?」
「いいえ、失礼しました」
イルカは笑っている。でもそれが作った笑顔だとカカシは気がついていた。
「でも俺今週夜勤で」
「夜勤?」
「あ、こっちじゃなく、受付の」
聞くと、イルカに受付のある方を指さされ、納得する。内勤は内勤で色々業務が詰め込まれているのを、改めて知る。
「すみません、お誘いいただいたのに」
頭を下げられた。
「いーえ。じゃあまた今度」
「はい」
イルカは頭を下げると、さっきの女性職員と同じ方向に背を向け歩きだした。
その先に職員室があるのが分かる。
カカシは。イルカがその職員室へ入ったのを見届けると。背を向けゆっくりと歩きだした。
言いようのないむかつきがカカシを襲っていた。
断られたとかそんなんじゃない。それに、イルカにではなく自分に。

丸でゲームみたいですね

その言葉を言われるまで。全く気がついていなかった。イルカはもしかしたら冗談めかして言ったのかもしれないが、その言葉に傷ついた。
傷ついたが、きっとそれ以上に。イルカが傷ついていると思い知らされた。
カカシは階段を下りながらぼんやり足もとを見つめる。
イルカが傷ついているとそれに気がついた時、その直後から、イルカの表情。一挙一動から、また彼を傷つけたと思われる素振りが出たらどうしようかと。
気が気でなかった自分がいた。
(...どうしちゃったの俺)
仮にイルカが傷ついていたとしても、謝れば済むことじゃない。
それに。すぐ笑ったから。そこまで向こうは思っていないよね。
心の中で独りごちって気持ちを落ち着かせようとする。
大した事じゃない。
そう。
きっと。
カカシは顔を上げる。
青空と太陽が輝いている建物の外へ足を踏み出した。


夜勤と言っていたように、そこからイルカと顔を合わせる事がなかった。
正直それが有り難いと思う自分がいた。
傷つけたと分かった時点で、後ろめたいと言う気持ちが裏側にあるからだ。
ああ、人間らしい感情だと。カカシは実感して笑いたくなった。本当に、ここ最近何度も感じている事だが、イルカに会ってから自分がどんな人間なのか目の当たりにされている気分になる。
それが自分の心の絶妙なポイントをくすぐられているようで。
人は独りじゃ生きていけないと言うが、こう言うことも含まれているんじゃないかとさえ思えてくる。
もっと早くイルカに会えていたら。もしかしたら、もう少し自分は違った人間になっていたのかもしれない。
良い意味か悪い意味か。それは分からないけども。
ともかく、もし次イルカに会ったら何を話そうかと考えた時、浮かんだ事実。
イルカを傷つけたあの話題を抜かしたら、特に接点がない。いや、ナルトとか、同じ職業なのだからないことはないけども。今まで特に交わる接点がなかったから、特に親しくなることもなかった。
たまたまナルトの件で繋がっただけで。
それもまた、絶賛失恋中のナルトを思うと、現時点では触れてはいけない話題に棚上げされれる。
でも。
もしかしたら。
イルカは、自分が話しかけない事を望んでいるのかもしれない。いや、距離を置きたいとさえ思っていてもおかしくはない。
自分が興味本位でイルカに話しかけていた事は、事実なのだから。
自分が出した結論に、参ったな、とカカシは頭を掻いて、ふと上げた視線の先にいるアスマに気がついた。
今日はたまたま非番で待機所に詰めているのは、アスマも同じだった。
煙草をふかしながら、隅に置かれていた雑誌を読みふけっている。
そう言えば。
アスマはイルカと仲がいい。
この男とどこにどう接点があるのか。まあ元々アスマは面倒見が良い事から下にも慕われているのは事実で、ーー。
カカシの視線に気がついたアスマが雑誌から顔を上げた。
「あ?なんだ」
考え事をしていたからと言って、この男に相談したからどうなる訳じゃない。
「いーや、別に」
短く返せば、怪訝そうに眉を寄せてまた雑誌へ目を落とした。
カカシは足を組み直して背もたれに体重を預けた。
待機してるのだから、時間があるのだから仕方がない事なのかもしれないが。
こうして体を動かしていないと、さっきまで考えていた事がまた頭に浮かぶ。
謝るべきだろうか。
それでも、謝ると言うことは、自分に悪意があったと言っているような事になるのかもしれない。
好奇心はあった。だが、悪意があったかと問われればそこはノーで、決して彼を傷つけるつもりじゃなかった。
ただ、単純に。イルカの事が知りたかったからだ。
どんな相手に想いを寄せているのか。イチャパラ並みの純愛をイルカはしているのだから。
それに、分かりもしないその相手に。羨ましいとさえ感じて。
自分に向けられた視線に、カカシの思考が遮られた。顔を向けると、アスマがこっちを見ている。
「....なに」
「いや、別に」
考え事をしていたのを悟られたのかと思うも、アスマの視線はそうじゃないと感じるが。
さっきの自分と同じ様な会話をただしたかっただけなのか。そんな事あるわけがないだろうけど。
居心地の悪い視線には違いない。
カカシは立ち上がると、アスマが口を開いた。
「あと1時間は待機じゃねえのか」
「知ってるよ。ちょっと散歩」
子供か、と愚痴られカカシは鼻で笑って返す。
待機所から外に出てカカシは首を鳴らしながら息を吐き出した。
自由なようで自由じゃない時間は有意義じゃない。名前の如く待機がその仕事のうちに違いなんだろうが。
それでもあの髭と二人きりじゃ息が詰まる。
少し歩いてポケットを探って財布がないことに気がついた。こんな事は滅多にない。
自分らしくない考え事をしていたからだろうか。なんて思っても仕方がない。
カカシは待機所に足を向けた。
歩いて扉が開いている事に気がついたのは開けようとした直前だった。
同時に中でアスマの話す声がする。その相手の声が聞こえて、カカシの心音が一回跳ねた。
イルカの声だと分かったからだ。
扉を開ければいいはずなのに。躊躇いドアノブを掴むまでいかない。そう思うのは、イルカが自分と顔を合わせたくないと思っていると思いこんでいるからで。
こんな事で揺れる感情を消すことも出来るのに。敢えてそうしたいとも思えなかった。
同時に、ここにいる事が聞き耳を立てることになる事さえ、深く考えていなかった。
「この書類はもらっとく」
サンキューな。アスマがイルカにそう言ったのが聞こえた。
「いえ、こちらこそ。遅くなってすみませんでした」
久しぶりに耳にした、いつもの、イルカの声。それだけでまたとんとんと鼓動が小刻みに打ち始める。
「で、....えっと」
イルカが言いながら、
「じゃあ、これで」
目の前の扉がイルカによって開く。と同時だった。アスマが笑い、イルカが目の前にカカシがいる事に気がつき、
「ああ、お前の愛しの野郎は散歩だとよ」
アスマがイルカの背中にそう言葉を投げかける。カカシを目の前にして。
「.....え?」
と声を出したカカシに、イルカの顔が一気に赤面した。
アスマが言った言葉の意味が分かるのに。今ここの状況を把握出来ていないのは、あまりにも予想していなかったからだ。
これがもし任務なら、もっと冷静に全てを見極めすぐに理解しただろう。
もっと言うと、頭が真っ白になっていた。
だから、出来たその隙にイルカはカカシの脇を通り過ぎ、逃げ出した。イルカの作った空気の流れが頬に触れ、そこでようやくカカシの頭が機能した。
振り返る。
当たり前だが、イルカの姿は見えなくなっていた。



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