隣②

アンコのふとした一言、それにカカシはぼんやりと聞き耳を立てていた。
「綱手姫はさぁ、雑なローテーション組ん出ると思ったのに、意外にキッチリしてんだね」
待機所で一緒になったアンコが紅に言っている。飲食禁止と書いてあろうが甘い食べ物を持ち込んで甘茶を啜っている。あってもないような張り紙に咎める気持ちが少しもないが。カカシはいつもの本を片手に、甘い匂いに顔を顰めながらも、持つ本越しにアンコをチラと見た。
「何で?」
紅は然程興味がないと、そんな顔をしながらも脚を組み直し、アンコへ視線を向けた。
「最近気がついたんだけどね、受付の中忍くん達は、決まったローテーションでいるって思ってさ」
「内勤だから、それはそうじゃないの」
餡子が乗った串団子を一つ頬張って、咀嚼して。アンコは人差し指を立てた。
「三代目の時は意外にそうじゃなかったもん。人は見かけによらないって感じ?」
アンコは言葉を切ってお茶を飲む。
「曜日と時間でうまくシフト組ん出るんだよ。見せてもらったらさ、細かすぎるシフト表にびっくりよ」
「それ、五代目じゃなくてシズネが作ってるんじゃないの?」
「あ、そっか」
ポンと掌で作った拳を叩いた。
「でもさ、任務で出突っ張りのウチらとは違うから当たり前だろうけど、休みもキッチリあってさ〜」
「羨ましいだけなんでしょ」
「まーねぇ。だから火曜と木曜はいっつもイルカがいないんだよね」
アカデミー兼任だから仕方がないんだけど、イルカの任務の組み方や説明が一番受け入れ易いからさ。
などと、ただのボヤキに過ぎないアンコの会話を黙ってカカシは聞き、本を閉じて立ち上がった。
「あれ、カカシ、もう抜けるの?」
早めに帰ると思われ、かけられた声に、肩越しに目線を向けた。
「まーね。どうせ用だったら呼ばれるでしょ」
話し相手がいなくなると、憮然そうな表情を見せるアンコに背を向けて扉を閉めた。

外に出た途端風の寒さが肌に染み込む。ほとんどの隠されている白い肌は青白くも薄っすら赤みが増す。
イルカと名前を含む会話に聞き耳を立てている自分に嫌気がさしていた。それを悟られるのも避けたかった。ただ、なんとなく外に出ただけだが、あんな言葉を残しておいて寒さにすぐ戻るわけにもいかず、本当にそのまま帰ってしまおうと思い始めていた。
薄暗い中明かりが灯る方向を見れば、アカデミーの建物内裏口の一階に自動販売機が見えた。さっきの甘い匂いは鼻にまだ残っているようだ。餡団子と甘茶。最強の組み合わせを思い出し、早くあの匂い忘れたいと、無性に珈琲の香りが恋しくなる。
裏口とは言え、入れば意外に広い。隅には喫煙所となっているのか、銀色のボックス型の灰皿が備え付けてあった。雨風凌ぎにもなる。
初めて来たなあと変に感心しながらも、自販機の前まで来て、ポケットから小銭を探る。
「あ」
の声に、目を向ければ、イルカが二階の階段から降りてきていた。
あの日。鍋をご馳走になって以来のイルカに、自分が驚いた顔をしたのではないかと、平静を保つよう自分の中で意識した。
イルカは少しだけ恥じらうような表情を浮かべている。
「何を買われようとしたんですか?」
自販機の真ん中に立ったままのカカシに、相当した言葉をかけられた。
「あ、うん。珈琲をね」
言いながら小銭をポケットから出して投入口に入れる。無糖の缶コーヒーを選択すれば、ガタン、と下へ商品が落ちる音がコンクリの部屋に響いた。
屈んで取れば、イルカが近づいてきて、並ぶ飲料を眺めている。
「先生は何買うの?」
「あ、えーっとですね。息抜きで、甘い物がいいかなーって」
ココアかな。と耳に聞こえ、カカシはまだある自分の小銭を投入口に入れ、ココアのボタンを押した。
「え!!いや、カカシ先生!」
予想通りに慌てるイルカを他所に、ココアを取り出してイルカに差し出した。
「はい」
「ご、ご馳走になります」
受け取るしかないイルカは、少しだけ眉を寄せていた。
少しばかり強引だったのかもしれない。だが、そんな事を気にして欲しくなくて、カカシはプルトップを開けて、暖かい珈琲を口にした。顎まで下げられた口布をイルカが見ているのが分かる。前イルカの家で口布を下ろした時も、わかり易いくらいに視線を注がれた。その後は酒も多少入り、いつも通りから、少しだけ砕けたイルカと話をする機会に恵まれた。イルカの匂いが染み付いた、生活感のある部屋はカカシの頭から離れない。正に想像していた通りで、女がいる部屋ではなかった。
イルカに素顔を晒すのには躊躇すら伴わなかったが。だが、出来れば嫌われる要素は残したくない。彼の好みはわからないが、面食いだったらいいのにと、思った。
「息抜きって、まだ仕事?」
休憩所として使われているのを表すように年季の入った木の椅子が幾つか壁際に並んでいる。きっとアカデミーで不要になった椅子を再利用しているのだろう。
その椅子に座れば、少しだけ脚のがたつきが見られた。
「はい。毎週アカデミーで残業できるのは週2日だけですから」
アンコの台詞を裏付ける言葉を聞きながら、イルカの生活の流れの一部を知った事を知る。それは嬉しさに、心で変なむず痒さを覚えた。
「だから、いつもこの時間で休憩を取って、もう一踏ん張りするんです」
まあ、採点とか資料まとめとか、地味な作業なんですけど。
後頭部に手を当てて、言いにくそうな顔を見せて笑った。
やはり少しだけ態度が硬い。それがイルカの保つ自分への気持ちだと分かっている。でもあの時、イルカは自分から家に招いた。食事を誘った。
自分はイルカに取っては上官であれ、友人寄りだと、テリトリーに入れた意味は深く探れないが、もう少しだけ距離を縮めたい。
彼には、なし崩しとかあるんだろうか。ジリジリとした間合いには任務での戦闘だけで充分だ。
だからと言っても妄想が広がるばかりで。
「この前は、」
敢えて触れなかった事に、カカシはイルカのその言葉だけで、顔を上げた。
「楽しかったです」
両手でココアの缶を包むように持ちながら、緩ませるイルカの目元を見て、気持ちがふわふわ浮き立つのがわかった。
「鍋、美味かったです」
ようやく言ったカカシの感想に、イルカはまた目元を緩ませた。
「シメのうどんも美味しかったですね」
とイルカは思い出すように言った。
それはカカシが提案した。一人だとそこまでの量を作った事がないと、シメまで残らない事がほとんどらしかった。
「やっぱり一人鍋より断然美味かったなあ」
「それはそうね」
お互いに思い出したように微笑んだ。
階段から数人降りてくる。カカシの存在に驚いた顔を見せながらも、軽く頭を下げ、隅の喫煙所へ背を向けて立った。
確かに教員しかこない場所に上忍がいたら気まずいんだろうね。
カカシ自身は気まずいとも思わない。伸びきった神経は子供の頃からだ。
緊張と気まずさには慣れている筈なのに。イルカの顔を伺い人間の不思議さを思い知る。彼にああやって背を向けられたら、立ち直るにはだいぶ時間がかかりそうだ。
内心苦笑して、手に持つ珈琲を飲みきった。
立ち上がって自販機に隣接しているダストボックスへ缶を入れる。
「明日、任務ですよね」
早朝からの任務が入っていた。それを知っているイルカに驚きながらはい、と答えた。
「頑張って、無事に帰ってきてください」
俺は明日は受付遅番なんです。見送れないんで。
と、微笑まれて、カカシは俯きがちに笑っていた。恥ずかしさが勝っていた。それを見せれなくて俯いて、間を置き顔を上げイルカを見る。
「ええ、分かりました」
カカシの返答に、ごちそうさまでした、と丁寧に頭を下げられ、カカシは頷いて裏口を出た。
身体が熱い。やる気が漲るってこうを言うのだ。
押し込まれる任務内容に嫌気がさしていたのに。
少しずつ、積み重なるイルカとの会話が里への想いを強くしている。
命を落とすのが当たり前の世界、しがらみにしかならないのに。
気がつかないフリをすればいいのだと分かっているのに。
それは今のカカシにとって難しかった。

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