鳥①

最初、鈍くさそうなやつがいるな、と思った。
カカシは視線の先にいる黒い髪の中忍であろう、その顔を目で追っていた。
暗部に入って酒が飲める年齢になってすぐ、年上の言わば先輩にあたる仲間に誘われるようになった飲み会。
誘われる、ではなく先輩としての命令に近い。もともとそんな縦のルールはどうても良かったから無視しても良かった。
ただ、家に返っても暇で、元々一匹狼のような存在だったカカシに、火影から周りと上手くやるように、と耳がタコになるほど言われていたので、仕方なく。
適当に。誘いに乗って飲み会に参加した。
とは言っても酒はそこまで好きじゃない。カカシはビールをちびちび飲みながら、やたら寄ってくる女と適当に話ながら。
部屋の隅で同じように笑っている中忍へ視線を向けた。イルカと呼ばれているその中忍は烏龍茶を手に持っている。ただ、他の女と違って笑顔は硬い。
鈍くさそうと思ったのは、この表情でも分かるが。最初居酒屋に入ってきた時にそう思った。
遅れてすみません。そう口にして頭を丁寧に下げるイルカの手には白いビニール袋。その袋からネギの頭が袋から覗いている。そのみたまんま。スーパーで買い物をしてきた姿で飲み会に現れたイルカに、当たり前のように笑いが起こった。
知り合いだろうか、一人のくノ一が、本当に寄ってきたの?と笑いながら、その袋を指さして可笑しそうに笑う。言われたイルカは顔を赤くして、苦笑いを浮かべた。室温で大丈夫なものだけなので。と付け加えるその科白もまた周りの笑いを誘う。
イルカは気恥ずかしそうに笑った。
変なやつ。
カカシは胡座をかきながらテーブルに縦肘をついて。その中忍が笑われているのを見つめた。

「ビールくらい飲め」
烏龍茶を飲んでいるイルカに、他の男がビールを進めた。
自分の先輩に当たるその暗部の男は勿論上忍。
どうするのか。カカシは興味本位でその様子を見つていると、少し困った顔をしながら。じゃあ、少しだけ。とグラスを手に持つ。
注がれたビールをコップ一杯飲んだだけで、顔が赤くなったのが分かった。酒に弱いのに、無理して飲んでいる。それが一目瞭然だった。断る事が出来ないと当たり前だが自分が潰れる。それが分からないのか。要領の悪い中忍だと、カカシは内心ぼやきながら隣の女の会話に相づちを打つ。
イルカの顔色が悪くなるのは直ぐだった。
知り合いであろう女がイルカに声をかけるが、首を振る。
ちょっと外へ出てきます。そう言ってイルカはふらふらと覚束ない足取りで居酒屋の外で消えた。
そこでちょうど席替えだと男が言い、またその飲み会の雰囲気に合わせるようにカカシは隣にきた女と酒を飲む。
気がつけば一次会が終わる時間になっていた。
時間潰しの為の飲み会に何も未練はない。カカシは腕にまとわりつく女に二次会は行かないと告げると、さっさとその場から背を向け歩き出した。
路地裏を歩き店の裏手に回った時、視界に入ったうずくまる黒い塊に目を向けた。青い顔で店を出たきり戻らずここにいたのか。それすら忘れていたが。肩まである黒い髪に目を向けながら。
(確か・・・・・・イルカ、だっけ)
珍しく名前を覚えていた事に、自分の事ながら感心する。任務で顔や名前を覚える事があっても、日常生活においては性格上必要に迫られない限り人の名前も顔も覚えない。暗部の仲間であってもうろ覚えがほとんどだ。
まあ、さっきまで同じ店にいて飲んでいたのだ。記憶に留まっていてもおかしくはない。
苦しそうに声を漏らしている、そのうずくまる背をしばらく見つめた。飲んでいた連中は皆二次会へと別の店に向かっているはず。気分が悪くなって外に出ている間に、仲間に置いて行かれた事に、同情なんて少しも感じないが。そう思っている間にもまた、イルカは苦しそうな声を出し咽せた。
(・・・・・・やれやれ)
カカシは仕方ないと息を吐き出すと、イルカの背を撫でた。
「大丈夫?」
「・・・・・・無理です」
泣きそうな顔を向けられ、カカシはまたため息を吐き出した。軽く首を振る。
「飲めないのに無理して飲んだらそうなるの、分かるでしょ」
吐いてはいないが、気持ち悪いには変わらないらしい。カカシに向けた黒い目が涙で潤んでいる。
「・・・・・・初めてでよく分からなくて」
返ってきた言葉に、カカシは眉を寄せた。呆れた顔でイルカを見つめる。
「だったら尚更じゃない」
全く、とカカシは呟くと撫でていた手をイルカから離すと立ち上がる。
「少し待ってて」
声をかけると、カカシは店へ戻った。
こんな事をするなんて、自分でもあり得なさすぎて可笑しくなってくる。偽善者面するつもりも毛頭ないが。あの潤んだ黒い瞳。その目からまともに目線を受けたら、放っておけない気持ちになったのは確かだった。
店へ入って目に入った店員を呼び止める。事情を話して水を入れたコップをもらう。そのまま礼を言って店を出ようとしたら、声をかけられた。
「奥の座敷のお客様でしたでしょうか?それでしたら、これをお忘れです」

カカシはコップを持って店の裏に戻る。地面に腰を下ろしたまままだ苦しそうに息をしていた。
「ほら」
しゃがみ込んでイルカに手渡す。
「すみません」
受け取るイルカの手は微かに震えていた。アルコールが入った胃は、吐けないのなら少しでも水を飲んで薄めるしかない。
イルカは両手でコップを持ち、ゆっくりと喉に流し込んでいく。立ち上がったカカシはその様子をじっと見つめ、飲み干したの確認すると、ため息混じりに頭を掻いた。
再びイルカの前にしゃがみこむ。
「あんたさ、もうこんな飲み会に来るのやめたほうがいいよ」
「・・・・・・え?」
口を手の甲で拭いながら、イルカはぼんやりした顔で聞き返した。
「余計なお世話かもしれないけどさ、酒も弱いみたいだし。笑顔だって引き攣ってたし」
言いながら、さっき店の店員から渡された買い物袋をイルカに見せる。
「こんな物持って合コン参加したって彼氏なんで出来ないんじゃない?」
イルカの目が徐々に丸くなる。青い冷えた色のカカシの目を、じっと見つめた。
責めるような眼差しに見えるのは気のせいではない。でも、そう思ったのだから仕方がない。もっと色気のある服を着ればいいのにとさえ思うが。余計なお世話だと改めて思う。そんなの自分にとったらどうだっていい事だ。
カカシは立ち上がる。
「そのコップ、店に戻しといてね」
背を向けて歩き出すと、イルカが立ち上がったのが気配で分かった。
「ちょっと、待ってください」
随分と不機嫌な声だった。カカシは足を止めて振り返る。
その通り、立ち上がったイルカは少し眉根を寄せたままカカシを見ている。
「なに。もう用なんてないよね」
「介抱してもらったのは礼を言います。でも買い物してこようと、そんなのは勝手でしょう。今日の飲み会だって、自分のミスで怪我させた先輩の代わりで来ただけで、来たかったわけじゃない。それに・・・・・・、」
イルカが唇をぐっと噛んで再び開く。
「俺は男だ」
カカシの目が見開いた。
(・・・・・・あれ、・・・・・・あれ?)
目の前ではっきりと言われた言葉は、ちゃんと脳に伝わっているのに。理解が遅れた。
カカシは首を傾げながらポケットに入れていた手を出し、イルカに指を向ける。
「・・・・・・え?、あんた男?」
聞き返すと、イルカが更に睨んだ。
「当たり前だ」
「そんなひょろいのに?」
カカシの言葉にかあ、とイルカの顔が赤くなった。
「髪だって、」
「これはたまたま紐が切れただけで、いつもはこうやって、」
と、髪を片手でまとめて、その姿を見せられる。
カカシは口元に手を当てた。
イルカをじっと見つめる。
何で勘違いしたのか。自分でも分からない。遠巻きに目で追っていたから、話している声も聞こえなくて。
でも、てっきり。勝手に。
ーーでも、何で。
自分が腹立たしい。間違えた動揺の中に恥ずかしさも感じ、
「・・・・・・紛らわしい」
そんな言葉が自分から出ていた。
イルカは眉を寄せる。
「なっ、」
イルカが言い返す前にカカシは飛躍した。近くの木の枝に身体を着地させる。
不意に消えたカカシに驚いたイルカはきょろきょろと首を動かすが、立ち並ぶ木の陰に隠れたカカシを見つける事はイルカにとっては容易ではないようだった。見失ったカカシを探している。
そんなイルカを見下ろしながら、カカシは小さく舌打ちをして密かに眉を寄せる。
そのままカカシは再び身体を闇に飛ばした。


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