病室

 窓から入り込んだ風を肌で感じ、深い眠りからゆっくり引き上げられるように意識が戻る。カカシは重い瞼を徐々に開いた。
 目を開く前に感じたように、陽が落ちかけているもののまだ部屋は明るい。
 怠いな。
 手足は動かせるが当たり前だが身体は重く、慣れたくもないこの状況に、やれやれとカカシは内心ため息を吐き出した。
 またこの景色か、と病室の見慣れた天井をぼんやりと眺めながらふと感じた気配と寝息にカカシは咄嗟に顔を横に向けた。
 人が座っていた。
 その相手には記憶がある。
 中忍のうみのイルカだった。
 パイプ椅子の背もたれに深く座り腕を組んで軽く俯いているが、ベッドに横になっているカカシからはイルカが目を閉じて寝ている表情が見える。
 初めて顔を合わせたのはナルト達の上忍師となった後の報告所だった。
 いつものように報告書を提出して受理されるのを待っていた時、真剣な顔つきで書類に目を落としていた相手が顔を上げる。
「はたけ上忍ですよね?」
 鼻の上に真一文字がある男が自分の名前を口にした。聞くまでもなく提出した報告書に自分の名前が書いてあるはずで、自負するつもりもないがそれなりに名前は知れ渡っているつもりだったが。
 そうだけど、と答えた途端、表情がパッと変わり黒い目が緩む。
「ナルト達をよろしくお願いします」
 その言動から相手が誰なのか察すれば、男はすみません、と咄嗟に出してしまった台詞に黒い頭を掻き、
「俺、アカデミーで担任をしていたうみのイルカです」
 ニカっと白い歯を見せた。

 それが最初だった。
 イルカの寝顔を見つめながら思い出す。
 一部の仲間を除いては。自分を知る者も、また知らなかった者は名前を聞いた途端距離を取る。そんなものだ。
 だから、拍子抜けしなかったと言ったら嘘だった。
 どんな男かさえ想像さえしていなかったが。他人に興味がなくとも、自分の部下になったナルトの元恩師であり彼を救った英雄だと言う事は知っていたが。
 柵越しに火影に向けて大声で話しかけたり。怒鳴りながら子供を追いかけ叱りつけたり、どこにいても騒がしいし足音も大きいし、はっきり言えば忍びらしくない。
 なんて否定的な言葉が浮かんだけどナルトやサクラ、そしてあのサスケまでもが慕っているのは一目瞭然で、他の忍びと同じようにきっと九尾で失ったものがあるはずなのに。
 意思の強さを感じる黒く輝く目は、今は閉じられていて、髪の色と同じ色の睫毛を見つめる。
 不思議な人だと思う。
 そう言えば、なんでこの人はここにいるんだろう。
 見舞いなのか。伝令で走らされたのか。憶測はいくらでも浮かぶが。

 前者であればいいのに。

 カカシが見つめる先で居眠りしていたイルカが不意に身体をビクッとさせる。ふがっ、と腕を組んだまま声を漏らし口をもごもごさせるから、起きるのかと思った時、
「はい……そうれす……」
 寝言を口にした。
 カカシは目を丸くする。
 この人は仕事人間だろうから、大方夢の中でも仕事しているんだろう。口にした寝言が自分の思考とたまたま繋がったに過ぎない、そう分かってるのに。
 なのに驚きよりも先に別の感情がカカシを支配していた。
 滅多に感情なんか表に出す事はないが。溢れ出した感情はやがて喉の奥に溜まるが、堪らずカカシはふっと笑いをこぼした。そこから必死に噛み殺すように笑う。
 直後、縫っている箇所の皮膚が攣り、腹を切っていたのを思い出すけどそれでも笑いが止まらない。
 初めて顔を合わせた時の、ニカっと笑ったあの笑顔は忘れられない。
 ホントに。
 この人には。
 参る。
 幾度となく対極な人だと思えるのに。
 くうくういびきをかいて呑気に寝続けるイルカを見つめながら、カカシは不思議な気持ちで目を細めた。


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