お誘い

 あんなに暑かったはずの気温はすっかり下がり、恋人との距離がいつも以上に近くなる季節がやってきた。
 などと目の前で手を繋いで歩くカップルを眺めながら思う。
 イルカはひとしきり目の前で仲睦まじい若者2人を眺めた後、視線を外した。
 朝っぱらからいちゃついてんじゃねえよ、などとは思わない。何故なら自分も恋人と一緒に歩いているからだ。
 我ながらすごいと思う。
 万年中忍でろくに恋人なんていることもなかった自分に恋人が出来たことさえ奇跡だと言えるし、しかも隣を歩く恋人は言わずと知れた上忍であるはたけカカシだ。
 ちらと横を見ると、自分より少しだけ背の高いカカシが目に入る。自分の髪色とは違う、朝日を浴びて輝いている銀色の髪をそっと見つめた。知り合った頃は考えもしなかったが、歩くたびに少しだけ揺れる銀色の髪は触ったらどんな感じなんだろうかとか思っている間に視線に気がついたらカカシがこっちを見るから、イルカは慌てて目を逸らすように前を向いた。
「いや〜、今日は寒いですね」
 全然恋人らしくないありきたりの言葉を笑いながら言えば、そうだね、とカカシから柔らかな言葉が返ってくる。もっとこう、気の利いた何かを言わなきゃと思ってもつい最近まではただ一緒に飯を食う知り合い程度だったから恋人になった実感なんてまだなくて、その切り替えが出来ていない。
 それと比べたらカカシは前から変わらず紳士で優しいのは人柄ももちろんあるが、自分を好いていてくれたからで、だから恋人になった今も接し方や眼差しは優しくて。
 それなのに情けないことに。上忍だからと多少遠慮することはあったがざっくばらんなままに接していた自分は、突然恋愛関係になったことに対応しきれていない。
 だって経験ないんだもん。
 心の中で悲しい言い訳をしてみる。
 だがしかし、それじゃあいけない。
 相手が自分だから、カカシはそこまで期待なんてしていないだろうが。やっぱりカカシさんと恋人同士になったんだから、恋人らしい会話やら何かをしたい。
 きっとこうして並んで歩いていても、他愛ない会話ばかりで誰も自分とカカシが恋人同士なんて思わないだろう。いっそのこと目の前のカップルのように手を繋げたらどんなにいいか。
「先生今日は上がるの遅い?」
 不意に質問され巡らせていた思考が止まる。イルカは、え、とカカシへ顔を向けた。そこから、ゆっくりと今日のスケジュールを思い出した。
「どうかな、会議は来週になったんで何も問題がなかったら七時くらいには上がれると思うんですが」
 それを聞いてカカシは、良かった、と露わになっている右の目元を緩める。
「俺もそれくらいには上がれそうだから。一緒に夕飯でも食べようか」
 嬉しさが胸に広がった。前からカカシの誘いはいつだって嬉しかった。でもそれとはまた違う、カカシにまた会えることの嬉しさが気分を上昇させる。
 その眼差しを受けながらイルカは、はい、と笑顔で頷いた。視線を前に戻す。
 優しい。
 優しくて、なんて事ない誘いでも気遣いが感じられる。こんな俺に、なんていったら恋人なんだからおかしくないんだろうけど。歳の差もあるんだろうが。自分はとても同じ事は出来ない。いや、出来ていない。カカシのようにスマートに誘えたらどんなあにいいだろうか。
 ぼんやりと少し前を楽しそうに話しながら歩いているカップルを眺める。
 そもそも、カカシと付き合う事になってから自分からろくに誘うことをしていない。誘うどころか恋人らしい事もない。
 いや、やっぱりこのままじゃいけない。
 カカシさんの恋人なんだから。
 俺だって。
 イルカは口を結び、決意するように指先をぎゅっと丸めた。そこからその拳を作った手を緩め、隣りを歩くカカシの手を掴む。
「カカシさん、夕飯の後一緒にお風呂に入りましょうっ」
 こっちを見たカカシの目が丸くなったのが分かった。
 あ、違う。風呂じゃねえ。銭湯だ。
 慣れないことをしたばかりに勢い余って言い方を間違えた。
 訂正しようとしたのに。
 普段からあんなに落ち着いているカカシが目の前で赤面するからそれに目を奪われる。
「入る」
 まさかのカカシの返事に、訂正も出来ずにイルカもつられて顔が熱くなる。きっと握っている手からカカシにその熱さが伝わっている。そう思えば余計に恥ずかしくてどうしようもなくて。
「……はい」
 カカシの手を掴んだまま、消えそうな声で答えた。


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