知り合い未満②

 面倒くさい仕事を頼まれたイルカは受付で机に向かっていた。縦肘をついて時折額を掻きながら書類と睨めっこしていれば、おい、と声をかけられる。顔を上げれば、そこには髭を生やした上忍師が立っていて、イルカは慌てて広げていた書類を横にやった。申し訳ありません、とうっかりしていたことに頭を下げ必要書類を探し差し出すと、アスマはそれを受け取る。
「大変そうだな」
 横に押しやった書類の山に視線を向けられ、いやっ、と反射的に一回否定するも、それなりに、と素直に言い換えればアスマは軽く笑った。
「仕事の邪魔して悪かったな」
 書類を持って背を向けられ、イルカは頭を下げるしかなかった。
 邪魔だとか、そんな事あるはずがない。本来の仕事そっちのけでアスマの気配さえ気が付かなかったのは忍びとしても情けないことこの上ない。
 口は悪いがアスマはどの上忍よりできた人間だ。中忍からの信頼も厚く、イルカも同じ印象だ。
 自分もこうありたいと思いながら広い背中を見送っていると、不意にアスマが足を止めた。こっちへ振り返る。
「今日の夜時間あるか」
 煙草を咥えたアスマの台詞に、イルカはわずかに目を丸くした。


「急に悪かったな」
 ビールを注がれイルカはグラスを両手で持ちながら首を横に振った。
「最近面倒な仕事ばかりで正直参ってたところなんで、逆に有難いです」
 イルカの台詞に、だろうなあ、とアスマは声を立てて笑った。
「一日中机に座って細かい仕事なんて俺には到底できっこねえからな」
 感心するように言われ、イルカはいやいやと否定した。この里で中忍である自分が出来ることは限られている。同じ忍びだが最前線で里を守っているのは紛れもなく上忍たちや特別上忍たちだ。冗談でも肯定することは出来っこない。代わりに、とんでもありません、答えれば、アスマは煙草の煙を吐きながら、かてえなあ、と笑った。
 いや、そこは真面目にそうだろうとムキになりかけるイルカの空になりかけたグラスに、アスマは再びビールを注ぐ。
 まあ飲め飲め、と言われイルカは素直に従い冷えたビールを喉に流し込んだ。

 酒は強い方だが、当たり前だがアスマの方が遥かに強い。二人で大瓶を何本か空にして酔いもそれなりに回ってきた頃、そういやお前さあ、とアスマがおもむろに口を開いた。
「やたらカカシに喧嘩腰なんだってな」
 不意に出た名前に思わず、は?と聞き返したら、いやそーいうんじゃなくってよ、ほらそんな事耳にしたから、と追加して言われ、はあ、と相槌を打った。そういうんじゃなかったら何なんだと問いたくなったが、名前が出た時点で察しはついた。
 先月の事だ。あれからカカシとまともに会話すらする気になれなく、そのまま数週間。
 ついさっきまでとは反転、途端に心が曇りそれが分かりやすく顔に出たんだろう、アイツも悪い奴じゃねえんだわ、と笑いながらもアスマが呟くように口にする。
 アスマは確かにカカシと同じ上忍師仲間でもあり、時折二人で話しているところを見かけたことがあった。
 ただ、そうじゃなく。
 正直カカシの話題は耳にしたくなかった。いや、自分のカカシに対する言動には問題があるのは自分自身よく分かっている。憧れさえ抱いた上忍であり、現在も彼が里一の忍びということも十分理解している。
 だが、だがしかしだ。
 そこまで思ったところでグラスを持つ手に力が入る。

 だって、あり得ねえだろ。
 俺がどんなセックスするかなんて。
 自分でも分かんねえってのに。

 あまりにも露骨で下品なカカシの台詞を思い出すだけで怒りが蘇り、イルカはグッと唇を結んだ。
 はあ?何でわざわざアスマさんが仲介する必要あるんですかね?こっちがブチギレてるのは全部あの上忍がクソみたいなセクハラまがいな事を言い出したからでいくらアスマさんの頼みでも謝るつもりはないですしなんならあの上忍のせいでもっと悪化する可能性の方が高いんですが。
 などと渦巻くが口に出すわけにもいかない。
 不貞腐れたような顔をするしかないこっちの気持ちをどの程度理解しているか分からないアスマは、笑いながらビールを飲む。
「だからよ、一先ずは二人で話すってことで、」
 アスマの台詞に耳を疑った。は?とテーブルから顔を上げると、ちょうど店内に入ったカカシがこっちに歩いてきたのが見え、更に驚く。
 はあ!?と当たり前だが大きめな声が出た。
「困ります!」
 続けて出たデカい声にもアスマは動じない。いーからいーから、と立ちあがろうとしたイルカを宥めるように肩を叩き、その場に座らせる。
「俺は紅に呼ばれてるから」
 遅刻するとうるせえんだわ。
 ポケットから多めの勘定をテーブルに置くからそれも受け取れないし、どういう関係か分からない紅のボヤキはそれはそれで困るだろうけどカカシが近づいてるしこっちだってそれどころじゃないんだと。半ばパニックになるがアスマはさっさと店を出ていってしまうから。
 ひでえ。
 尊敬していたアスマの大きな背中を強制的に見送りながら浮かんだ言葉がそれだった。
 あんまりだ。
 呆然としたままのイルカの前に銀色の髪の上忍が視界に入る。
「座らないの?」
 カカシの言葉で、微妙な中腰のままの姿勢だったことに気がつく。座りたくない。逃げ出してしまいたいが。
 お節介しかないがアスマを思うと逃げることは出来ない自分が恨めしい。
 イルカは渋々腰を下ろした。
 
 どうしよう。
 微妙な空気に、途端に味が変わってしまったビールをイルカはカカシの前でチビチビと飲む。
 なんでこんなことになったのか。
 悔やむのはそこだった。
 怒るのは当たり前だ。
 大して仲良くもない上忍にプライバシーもあったもんじゃない最低な事を聞かれて怒らないほうがどうかしてる。
 しかし、自分はそこで怒り任せに対応してしまった。さっさと気持ちを切り替えれば良かったもののそれに加えて怒りがなかなか収まらなくて更につっけんどんな言い方をした。
 それだ。
 思い返してイルカは後悔する。最初のやり取りだけで終わらせれば良かったのに。周りからよくその感情丸出しなところをどうにかしろとは言われた、これが自分なんだと笑って聞く耳さえ持たなかった。
 これじゃあ幼い頃昔よく絵本で読んだ昔話に出てくる駄目な学習能力がない若者そのものだ。
 しかし、大体なんでこんな場を設ける必要があるのか。
 これは喧嘩なんてものでもない。中忍なんて上忍に比べたらこの里にはいくらでもいる、自分もその中の一人だ。そんな中忍が冗談で一方的に怒ったに過ぎない。はずなのに。馬鹿馬鹿しいと放っておけばいいはずだ。
 そうだ、こんな風にわざわざ酒を奢ってもらうことなんて必要か?
 もしかして。
 謝らせようとか、そんな魂胆か。
 だったらそれは正解だ。
 面と向かって酒を飲むくらいならさっさと謝って、
「ごめんね」
 黙ったまま、思考がぐるんぐるん回っている時に不意にカカシが口を開いたから。イルカは視線を上げた。目の前に座っているカカシを見ながら、ん?と内心首を傾げる。
 今、はたけ上忍師からごめんねって言われた気がしたが。いや、気のせいじゃない。
 現にアスマが去った時から、酔いはすっかり覚めてしまっている。
 カカシに言われた謝罪の言葉に時間差でイルカは面食らった。
 怒っていた。そう、確かに怒ってはいたが。謝るべきとは思ったものの、実際にカカシが謝るなんて思っていなかったから。
 困惑しながらも、えっと、とイルカは口を開く。
「それは、……悪いと思ってるから謝ってるんですよね?」
 念の為。確認の意味で聞いたのに、カカシはイルカに問われて、んー、と間延びした声を出した。
「それはどうだろう」
 続けて口にした言葉にイルカは閉口した。目を丸くする。
 いやいやいやいや。
 どうだろうって。
 なんだそれ。
 頭を抱えたくなった。
 この場を設けたのは上忍仲間であるアスマの好意かカカシが話したからか。この際そんなことはどっちでもいい。
 今自分にカカシが謝ったのは事実だ。
 なのに、どうだろう? 
 どういうこと?
 もやはその疑問しか浮かばない。
 一瞬怒りを感じたものの、それ以上憤ることはなかった。怒りを通り越して呆れる、が近いのか。確かに沸点は低いが、怒るのも疲れる時だってある。それが正に今だ。

 この人、一体なんなんだろうか。
 セクハラまがいな台詞を投げられた時も思ったが。
 おちょくってるのか。
 中忍を馬鹿にしてるのか。
 にしてはやたら真顔だし。
 どんな反応が正解なのか。
 イルカは困った。
 気難しい生徒を相手にするより難しい。
 うーん、と唸りながら頭を掻き、そしてカカシへ視線を向ける。
「じゃあ何であんなこと言ったんですか?」
 巡り巡って事の発端に触れることにしたイルカがそう聞くと、ああ、とカカシはまた何のことはないと、そんな感じで相槌を打つ。
「あんたがタイプだから」
 カカシの言葉にキョトンとした。
 聞き間違える事はない。その台詞に。呆然としながらもイルカは堪えきれずに小さく笑った。その笑い声で緊張感が途端に切れる。イルカはゲラゲラと笑うと、何言ってんですか、と腹を抱えながらもテーブルを叩いた。
 そんな可笑しい?とカカシに聞かれて更にイルカは笑う。
「いや、それはないでしょう?俺ですよ?天下のはたけ上忍が俺なんて、いやいや、ないない。そりゃ笑いますって。見てくださいよ、ほら、こんな石投げりゃあたるようなどこにでもいる中忍なんですよ?」
 笑いながらイルカは眦に浮かんだ涙を指で擦る。
「ははあ、分かりました、散々怒らせたからと今度は笑わせようとかそーいう魂胆ですね。でもそれは正解です。めちゃくちゃ面白いです。いやーはたけ上忍がこんな面白い冗談言うなんて知らなかったなあ」
 そこまで言ってひいひいと笑いながらカカシを見て。そこでカカシが一切笑っていない事に気がつきイルカは首を傾げる。
 あれ、おかしいな。
 こんなに俺を笑わせたんだから、満足な顔を見せたっていいだろうに。
 って、あれ。
 冗談じゃない?
 不思議に思っていると、カカシはため息混じりに手を伸ばし、テーブルの上にあるイルカの手を握る。カカシの長い指が手の甲をゆっくりと擦った。今までにない感触に体がビクリと反応を示すイルカに、ねえ先生、とカカシが低い声で囁く。
「すごい鈍いけど、大丈夫?」
 心配そうにカカシが見つめる。
 そう、文字通りここまでされてようやくカカシの言動の意味が分かった瞬間、イルカの顔がじわじわと熱くなる。
 今更ながらトマトの様に赤く染まった。

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