兆候③

 今年初めての雪が降り出した。
 この寒さにも関わらず子供達は朝から無邪気に走り回っている。子供心を忘れたわけじゃないが、きっと積もるんだろうと思えばこそ、憂鬱な気持ちになるのは本格的な冬支度を先延ばしにしていたからだ。そこまで寒さに弱い訳じゃないが、流石に寒いものは寒い。
 マフラーはどこに仕舞ったっけ。
 冬服と同じ場所に仕舞ったはずなのに今朝探した時に見つからなかっのは、きっと適当にどこかに仕舞ってしまったのだろう。白い息を吐きながら、暖かい帽子やマフラーを身につけている子供たちを眺める。冷たい風にイルカはぶるりと体を震わせた。
 
 ストーブが完備された職員室は暖かい。体を緩ませながら自分の席に座ったイルカに声をかけてきたのは同期だった。
「子供らは呑気だよなあ」
 言われて雪が降っている窓へ目を向ければ、登校してきている生徒達のはしゃぐ声が嫌でも聞こえ、そうだな、と答えながらもイルカは苦笑いを浮かべた。雪の中の演習こそ必要なもので悪天候でも、いや、悪天候だからこそ教えなければならない事はたくさんある。それでも寒さに音を上げたくなるのはいつもこっちで、雨の時とは違い、子供達はさほどでもない。
「元気だよな」
 イルカの台詞に同期は同調しつつも呆れ顔を見せる。
「こっちは見てるだけで疲れるわ」
 その言葉を受け、イルカは何となく視線を再び窓へ向けた。
 疲れる。
 大人からしたらそれが素直な意見だろう。
 なのに、カカシは違った。
 数日前、七班の任務の報告をしたカカシに、思い切って声をかけた。今までこっちから挨拶はしていたものの、会話なんてしたことがなかったから。その日もそのまま報告書を受理するだけで終わらせようと思ったけど、何故かそのままで終わらせるのは何となく気が引けた。最近話す機会も増えたし、この前はたこ焼きを食べさせてもらったからなんだろうが。カカシはいつもと変わらず淡々としている。その表情をちらと見ながら、報告書を受理したタイミングで思い切ってイルカは口を開いた。あの、と言った自分の声が思った以上に大きい気がしてそれを誤魔化すようにイルカはまた口を開ける。
「西の山で任務なんて大変ですよね!」
 思った以上にでかい声が自分から出た。当たり前にカカシがこっちを見る。
 ほら、ナルトの事だから寒いだの疲れただの文句言ったんじゃないかなって。
 慌ててそう付け加えたイルカに、ああ、とカカシが呟くように低い声で相づちを打った。
「確かに途中までは文句たらたらだったんだけど、雪が舞い始めたら途端に嬉しそうにしちゃってさ」
 素直に答えてくれるカカシに、そうなんですか、と間の抜けた声が出る。そんなイルカ気にすることなくカカシは、なんさか、と続けて口を開いた。
「アイツら、犬みたいで参るよ」
 目元が僅かに緩む。
 イルカに向けて困った笑顔を浮かべた。

 正直、あの笑顔は驚いた。 
 表情は苦笑いに近かったけど。怠いとか、面倒くさいとか、嫌になるとか。そんな言葉を言うもんだと思っていたのは、自分の勝手なカカシのイメージからで。でも、そんなんじゃなくて。ただ、自分がそういう人だと思っていた。だって、任務表を渡す時はいつもつまんなそうな顔で受け取っていたから。
 でも、それなにり大変な任務だっただろうはずなのに、あんな顔をするとは思わなくて。
 苦笑いに近いけど。
 確かにカカシは嬉しそうに笑った。
 そんなカカシの表情を、ただ見つめている自分がいた。

「今日はきついな」
 同期の言葉で我に返る。そう、今日は朝から演習だ。気持ちを切り替えるように、そうだな、と返してイルカは授業の準備をるすべく再び席を立った。


 昼間、一端雪が止んだものの夕方建物を出る頃にはまた雪が降り始めていた。このまま止んでくれたら良かったのに、なんて思っていたがそう都合良く上手くいくはずがない。
 すっかり暗くなった空から静かに舞い落ちる雪を仰ぎながら、イルカは小さく息を吐くと歩き出した。
 ホワイトクリスマスという響きこそ良いが、明日はしっかり仕事で、そもそもクリスマスに縁がない。それにクリスマスよりなによりコタツを出したいし半纏も出さなきゃならない。
 さっきまで暖かかった体も冷え込んでいくのが分かるから、次第に早足になる。
 流石にもうこの時間は子供達の姿はなく、ちらほらと見える人影を追い越しながらふと見えた先にカカシを見つけた。ナルト金色の髪ほどではないが、カカシの髪色は暗くてもよく分かる。この寒い中ここにいるのは今から単独で任務に出るからなのか、はたまたただ帰るだけなのか。内勤の自分なんかより多忙だというのは分かっているから、イルカはただ会釈だけをしてそのままカカシの前を通り過ぎる。
 カカシが声をかけてきたのは通り過ぎてその道の角を曲がろうとした時だった。
 名前を呼ばれて振り返るとカカシがいて、イルカは少しだけ困惑した。何回かこんな風に呼び止められる事が続いているが、まだ慣れない。だって、そもそもそこまで接点がない。
 はい、と素直に返事をすれば歩み寄ってきたカカシは隣に並ぶ。そのまま歩き出すからイルカもまた合わせるように歩き出した。
「とうとう降り出しちゃったね」
 何を話したらいいのか分からず黙っていると、カカシはそう口を開くから、イルカは、そうですね、と静かに答えた。チラと横を見るとカカシもまた自分と同じで防寒するものを身につけてはいない。それでも顔を覆っている口布のせいなのか、自分よりは暖かいように見える。その視線に気がついたカカシがこっちを見た。咄嗟に視線を逸らそうとしたけど、なに?と聞かれて、イルカは戸惑いながらも口を開いた。
「いや・・・・・・その口布は暖かいのかなあって」
 その答えが意外だったのかカカシは少しだけ目を丸くした。そしてその目を少しだけ緩ませる。
「そこまで暖かくないよ。寒いもんは寒いし」
 そう口にしたカカシの口布から白い息が出るから、それを見てイルカも思わず頬を緩めた。ですよね、と苦笑いして答える。
 変なこと聞いちゃったな。
 気まずくはないが自分の質問が馬鹿らしいと思った時、
「先生は寒いの?」
 聞かれて、イルカは頷いた。今日は午前も午後も演習ばかりで体は芯から冷え切っている。早く帰って夕飯よりも先に熱い風呂に浸かりたい。そんな事を思いながら、ええ、まあ、と答えるイルカに、カカシの手が動いた。その手が伸び、指先がイルカの頬に触れる。
「ホントだ。冷たい」
 反応が一瞬遅れた。
 何でこの人俺の頬に触ってんだ?
 そんな疑問が浮かんだ瞬間、
「鼻まで赤いね」
 言われてそこでイルカはようやく口を開けた。
「そ・・・・・・うですかね」
 言いながら自分の鼻に擦るように触れば、カカシの手は戻っていく。
「じゃあ俺こっちだから」
 何となく目で追っていれば、その手をポケットに仕舞ってそう言うから、イルカは、はい、と頭を下げる。その背中をイルカは見送った。
 
 この時期、毎年恒例と言えば忘年会だ。
 忙しい時期には違いないし年末年始もろくに休みだってないが、そんな忙しい中でもなんとか都合をつけるのは参加したいからだ。
 勿論自分も参加をするはずだったんだけど。
 執務室を出て、イルカは一人ため息を吐き出した。
 自分がどんな相手でも人とそれなりに上手くやれるのは。生まれ持ったものがあるのかもしれないが、それよりなにより幼い頃の環境によるものだ。両親を亡くしてから塞ぎ込むのが嫌で外では空元気ばかりで。人と接するのは嫌いじゃい。むしろ好きだ。だから、それは自分が生きていくには役に立った。今もこうして教員として里に貢献出来ている。
 それでも、どっちかというと接待は苦手なんだよなあ。
 そう思っただけでまたため息が出そうになるが、三代目に頼まれたからには仕方がない。
 イルカは割り切るように、ゆっくり廊下を歩き出した。

「もう一軒くらいいいではないか」
 料亭を出るなりそう言い出されてイルカは困った。
 機嫌良さそうに言う大名は酒のおかげで顔が赤い。足下がふらついていても歩けるくらいだからまだいいが、案の定だと思うのはこれは毎年同じ事の繰り返しだからだ。
  数年前、体調を崩した三代目の代わりに酒の相手をしたのが始まりで、そこから何故かこの大名は自分を指名するようになった。
 酒を注ぐ相手がこんなたいしてぱっとしない中忍の男じゃいい加減嫌気がさすんじゃないかと思うが、今年も自分が呼ばれた。
 自分が日頃足を運べないような料亭で飲み食い出来るのは有り難いが。
 重い。
 ふらつく足に、転ばせるわけにはいかないから体を支えるが体重をかけられたら、流石に重くないわけがない。
「もう帰りましょう」
 旅館は直ぐですから。
 そう促すも、大名はそれを聞いて盛大なため息を吐き出した。分かっておらん様だな、と言われイルカはそこで仕方なく閉口する。
 明日は三代目と里の視察をする予定は知っている。酒が好きなのは理解しているが、これ以上飲んでも酔いつぶれるのは目に見えていて、明日の予定に影響を出すわけにはいかないんだよ。
 なんて口に出せるわけもなく、イルカはその重い体を支えて旅館の方へ足を進める。
 そんなイルカに、仕方がないのお、と大名が酒臭い口を開いた。
「そんなに言うなら店は諦めるから、代わりにイルカ、お前に部屋で酒を注げ」
 それならよかろう。
 良くねえよ。
 即答するのを堪えてイルカは、そうですねえ、と苦笑いを浮かべた。自分だって明日は仕事だ。それに今日は忘年会で。時間があるのなら出来ればそっちに少しでも顔を出したいのに。
 どうしようか悩むイルカに大名が急かすようにイルカの腕を掴む。その瞬間、不意に大名の体を支えていたはずの重みが消えた。 
 なんだと思い顔を上げて、そこにいる顔を見てイルカは目を丸くしていた。
 カカシがそこに立っていた。
 里の人間だから、カカシがそこにいるのはおかしくない。驚いたのは、カカシが大名の腕を掴んでいるからで。この状況が理解できなくて、カカシほどの上忍だったらこの大名と面識があるのか、なんて思うイルカの前で、カカシは怪訝そうに大名を見た。
「あんた何してんの?」
 酷くぶっきらぼうな言い方だった。その表情とも合っている口調だが、今自分は大名を接待している最中で、なのにカカシが何で怒っているのか分からない。
 あの、と言いかけるイルカより先に、腕を掴まれている大名が口を開いた。
「何だお前は、無礼なっ、」
 そこでハッっとする。大名とカカシは面識があるわけでもなんでもない。そこでようやく気がついた事実にカカシへ再び顔を向ける。カカシの目は大名へ向けられていた。
「何だって、何だっていいでしょ」
 不快そうな表情をカカシは変えない。ただ、その風貌から中忍だって、相手が大名だって分かる。なのに、カカシのその態度を変えることがない。上忍であればこそ、その立場は一目瞭然、のはずなのに。  
 カカシは何が気に入らないんだ。苛立ちと動揺が浮かぶイルカを前に、カカシは平然と大名を見る。
「お前、私を誰だと思って、」
 酒も混じってはいるが、怒りに顔を赤くした大名に。カカシはその言葉に、分かってますよ、と言い、でもさ、と苛立ち気に呟くように続ける。
「偉かったら何してもいいとでも思ってんの?」
 ハッキリと言い切るその言葉に、イルカは直ぐに口を開くことが出来なかった。
 何言ってるんだこの人は。
 そう思うのに。
 否定する言葉が出てこない。
 こういうものだと飲み込もうとしていた。
  それに否応なしに気づかされる。
 だってそうだろう。謂わば大名は里の長だ。そうするのが当然だ。この場が上手く収まればそれでいい。そのはずなのに。
 なのに、カカシの言葉に言い表すことの出来ない掬われたような気持ち
は何なのか。
 大名を擁護するべきだってわかっているのに。
 カカシの言葉が胸に柔らかくも深く突き刺さり言葉が自分から出てこない。でもこのままじゃ駄目だとイルカは困惑した顔のままぐっと口を結ぶと、カカシから視線を外し、再び口を開く。
「・・・・・・宿までお送りますので、参りましょう」
 俯いたまま大名に告げるとイルカは促すように歩き出した。


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