兆候⑤

 昼過ぎ、イルカは上忍の待機所から出る。それなりにイレギュラーな依頼が多かったせいか調整を何件か頼まれ作り直さなければいけないから、それを頭に浮かべながら廊下を歩いていると廊下の窓側でカカシが立っているのが目に入った。壁に寄りかかるようにしていつもの小冊子を読んでいる。
 上忍なんて変人の集まりだと思っていたし、それは今も変わらないが。
 イルカが気がつくと同時にこっちに気がついたカカシが、顔を上げる。イルカに向けて手招きした。そんなカカシの姿を見るのはもう最近は慣れっこで。手招きされるままにイルカはカカシに歩み寄った。
「カカシさんの分は今日はないですよ」
 任務依頼表のことだろうと言えば、そう、とすんなり返事が戻ってきた。残念、とカカシが付け加えるも、こっちの任務依頼表に名前がないということは火影から直接言い渡される任務があるからで。それが分かるから、正直、そうですね、とも言えなくて。イルカは苦笑いを浮かべるに留めると、そうだ、とカカシは口を開いた。
「来週どこかで早く上がれそうだけど、先生は?」
 その台詞に、ああ、とイルカは相づちを打った。残業はあったりなかったりするもの、受付の夜勤が急にシフトに入ったりするからはっきりとは分からないが。
「来週なら、たぶん大丈夫かと思います」
 イルカの返事に、カカシは頷く。
「じゃあ来週、また連絡するから」
 はい、と返事をして再び廊下を歩きだし。
 またか、と内心思うのは、その通り、ちょこちょこ誘われるからで。自分よりカカシ方が忙しく誘われても飲めたのは片手で数える程度だからだ。
 この前は自分が急遽夜勤が入って結局飲むことは出来なくて。
 同じ里で同じ忍びであっても働き方がこうも違うと合うわけがないのは当然だし、何より申し訳ない。
 自分なんかより同じ上忍仲間の方が互いに任務のスケジュールを把握している分合わせやすいはずなのに。
 だからといって、俺なんかを誘うのはどういうつもりか今更カカシに聞くつもりもないのは、どんな態度を取ってもカカシは自分に対する向き合い方は変わらないだろうと分かってしまったから。だから拒否するつもりはない。
 一つ言えるのは、当然友達と言える間柄とは言えないが、カカシと話す事は苦痛でもなく、むしろ楽しい。
 たぶん。
 それより仕事だ。
 思考を切り替えるように頼まれた任務の調整を頭に浮かべながら、イルカは受付へ足を向かう足を早めた。


 カカシと顔を合わせたのは週末だった。
 暖簾をくぐり、それなりに込み合った店内を見渡すと、奥のテーブルでカカシを見つける。店員と何か話しているのは注文をしているからか。その店員と入れ違いにイルカはカカシの前に座った。
「遅くなってすみません」
 謝るイルカにカカシは首を横に振る。
「俺もさっき来たところだから」
 中忍である自分が上忍を待たせるわけにはいかないから、その言葉に安心しながらもイルカは壁に貼られたお品書きへ目を向けた。
「何か注文したんですか?」
 聞くと、カカシはまた首を振る。てっきりビールを先に注文していたかと思ったから。不思議そうにすると、カカシは店の奥へ視線を向けた。
「なんか今度来るのはいつだとか、休みはあるかだとか、」
 それを聞きながら納得するのは、ここの居酒屋に通うようになってから、さっき見た女性店員の噂をよく耳にしていたからだ。要は、ハッキリ言えば男好きなんだろう、自分が気に入った客にやたら話しかけたり上手く誘い出したり。それなりに可愛い容姿だから、自分の友人も恋人がいるにも関わらず誘われ、その誘いに乗ったばかりに痛い目にあった。誘いに乗った友人が悪いのだが、女性に関しては特に無頓着な自分でも、流石にどうかと思った。愛想を振りまくのはいい。でも節度があるだろうとこんな自分でも思ったりしていたから。
 でも、その女性店員がカカシの様な男を放って置くわけがない。話しかけられた事に納得しながらも、イルカはそうですか、と相づちを打った。
 ビールを飲みながら湯豆腐やほっけの一夜干しや肉じゃがを食べる。
「やっぱりここのほっけは美味いね」
 魚の身を箸で上手に解しながら、カカシが言うから、イルカは深く頷いた。刺身もそうだが、魚が美味い居酒屋はやっぱり嬉しい。
 カカシが何を好んで食べるかなんて想像もしていなかったし、知らなかったが。食の好みが合っている事が多いから、だから飲みに誘われて嫌な気持ちにはならない。
 ビールを飲みながら、ふと目を向けるとさっきの女性店員は接客だとは思うが、男性客と楽しそうに話をしている。
「カカシさんはああいう子どう思いますか」
 それを見ていたらそう口を開いていた。ついさっきその女性店員がここのテーブルに肉じゃがを運び、自分も肉じゃがを作るのが上手いんだと、聞いてもいないのに、カカシに向けて話していた。
 イルカの言葉にカカシはほっけから目を上げ、ああいう子って?と言いながらイルカの視線と同じ方向へ向ける。そこから、ああ、と呟いた。
「そうだね、可愛いとは思うよ」
「え?」
 カカシの言葉に、思わず聞き返していた。
「明るいし、料理も上手いって言ってたし、女性らしいよね」
「どっ・・・・・・、」
「ど?」
 聞き返され、イルカはギクリとした。慌てて笑顔を浮かべる。そうですね、と返すに留めたものの、イルカは視線をテーブルに落とした。
 それはその通りだった。
 笑顔が可愛くて。愛想もいい。
 男癖が悪いとか、そういう事を何も知らない以上、カカシがそう思っても当然だ。知らなかったら自分でもそう思う。それに、それを証拠にカカシの言い方にはそれ以上のものはなく他意もない。
 それに、ここだけではない、職場である受付や報告所でも、カカシは女性に声をかけられているのを知っている。
 この人からしたら慣れっこだ。
 なのに、ほっけに箸を伸ばし、口に運ぶがさっきより美味く感じない。
 あれ?と自分でも内心首を傾げながら。じわじわと広がるのは変な焦りだった。
 何も知らないんだ。カカシがそう思ってもおかしくない。
 でも、カカシの答えに咄嗟に、言いそうになった言葉は、「どこが?」だった。
 自分でも酷い言葉だと思う。
 聞いておいてそんな言葉はない。その女性店員がどんな恋をしようと相手の自由だ。
 ただ、驚きはしたが、それは女性店員を否定したかった訳でもない。
 そう、そんなんじゃない。
 そうじゃなくて。
 カカシがそんな言葉を言うとは思ってなくて。 
 なのに、驚いただけで。
 カカシが壁に張ってある新しいメニューを見て、食べてみたいよね、と言っているが、相づちを打つものの、それどころじゃなくて、耳に入らない。 
 自分らしくない。
 確かに浮かんだ苛立ちに似た感情が動揺で上書きされる。
 イルカはジョッキを持ちながら、もう片方の手で頭を抱えるようにする。
 そう。文字通り、頭を抱えたくなった時、
「先生?」
 名前を呼ばれ、イルカは我に返るようにカカシへ顔を上げた。自分の目にカカシが映る。
 やばい、話を聞いてなかった。
「えっと、」
 何の話でしたっけ?
 切り替えてそう聞こうと思ったのに、カカシの手がジョッキを握っていた自分の手に触れている事に気がつく。
 それを見たら。立ち上がっていた。
 その勢いで倒れはしなかったものの、椅子がガタン、と音を立てる。それは込み合った店内の雑踏に紛れて誰も気にしていなかったが。イルカの動揺は止まらない。
「すみません」
 何で謝っているのか。
 何で立ち上がってしまったのか。
 カカシに説明しなくてはと思うのに。
 でも。
 イルカは謝るとそのまま店から立ち去った。






 イルカは外で自販機の前に立っていた。
 ここ数週間は授業ばかりでアカデミーアカデミーの建物にいる事が大半で、それに安堵している自分がいた。
 安堵しながらも、授業にしっかり集中出来なくて。これじゃいかんと休憩中に外に出たものの、自販機の前でどれを買うでもなく、イルカはぼんやり陳列された飲み物を眺める。どれを買うかなんて決まっているのに。
「買わないの?」
 コーヒーの缶のパッケージをぼんやりと眺めていれば背中に声がかかり、イルカは体をびくっとさせた。
 振り返るとそこにはその声の通りカカシが立っていて、イルカは思わず視線を逸らすように下を向いた。
「か・・・・・・います」
 答えたものの、そうじゃねえだろ、と自分に突っ込むが逃げ出したい気持ちが勝る。買わずにアカデミーに戻るべきか、さっさと買ってカカシに順番を譲るべきか。考える間もなく、カカシはポケットから財布を取りだし、小銭を自販機に入れた。
「コーヒーだよね?」
 聞かれてそれにも答えられずにいると、カカシはいつも買っているコーヒーのボタンを押した。ガコン、と缶が落ちる音が聞こえ、それをカカシが屈んで取り出す。
「はい」
 目の前に差し出された。
 思わずカカシの目を見ていた。視線が合い、イルカはまた直ぐに逸らすものの、この状況で逃げ出すことなんて出来るわけがなく、イルカはそのコーヒーを受け取る。
 カカシから受け取った缶コーヒーは、気がつかないままかじかんでいた指を暖かくさせて、イルカは包み込むようにその缶を持った。
 その横でカカシは同じ缶コーヒーを買い、手で持つ。イルカはそれをただ見ていた。
 カカシと顔を合わせるのはいつぶりだろうか。たまたま授業ばかりになったから、一週間以上は経っているはずだ。
 このまま顔を合わせないまま過ごすことなんて出来ないのは分かっていた。広いけど、狭い里で、同じ職業なら尚更だ。
 本当はこの場から逃げ出したい。
 きりきりと胸の奥が痛む。
 そう思うのに。それが出来ない。たぶん、カカシに声をかけられた瞬間から、そのタイミングを逃している。それが分かるから、どうしようもなくて。困り切ったまま立ち尽くしているイルカに、カカシは自販機の隣にあるベンチに座った。それを目で追うイルカに顔を向ける。眠そうな目でイルカを見つめ、手招きをした。
 逃げ出したい気持ちはあるが、それを諦めてイルカは促されるままにカカシの隣に座る。
 逃げ出したいと思っていても、自分の中で直面している事から目を逸らしたままでいいなんて思っていなかった。いつかは対峙しなければいけないと分かっていた。
 でも、まだ時間が欲しくて。
 いや、時間なんていくらあったことろで、現状は変わらない。顔を合わさない日数が増えれば増えるほど現実から背を向けたくなるのは確かで。
 なのに。
 どうしよう。
 カカシの隣で内心焦りばかりが広がった。
 何か話してくれないか、なんて都合良く思うがそれが酷く自分勝手な事ぐらい分かっていた。
 でも、最初の一言が出てこない。今までこうして二人でいる機会は何度もあったのに、こんなに緊張したことなんて一度だってなかった。カカシは上忍で、自分の世代からしたら憧れで。初めて顔を合わせた時はそりゃ緊張はしたが、それを感じることはなかった。
 謝ればいい。
 それは分かっている。
 でも、あの日。居酒屋で逃げ出した事を謝りたいのに謝れないのは、こうしてカカシの隣に座っている今も尚、直面している事から目を逸らしているからだ。
 イルカはじっと地面を見つめた。
 暖かさが徐々に冷めていく。それが嫌でイルカは無意識に缶を強く持つ。
 カカシが何も話しかけてこないのは良いことなのか、もしくはその反対か。それは自分には分からない。
 でも、カカシの視線は自分には向けられていなくて、それは少し有り難かった。視線を感じたら、余計に焦りがわき上がって、こんな風に落ち着いてカカシの横に座っていることなんて出来ない。
 ただそれが、カカシの気遣いかは分からないが。
 でもこれは自分の問題だ。
 自分の問題で、カカシに迷惑をかけていることは申し訳ない。
 自分の未熟さで。
 自分の中に、まだこんなに子供らしい感情が残っているなんて思いもしなくて。
 そう。居酒屋で一緒にカカシと飲んでいた日。
 あの女性店員を可愛いと言ったカカシの言葉はショックだった。
 傷ついたとも違う。
 驚いたわけでもない。
 ただ、その言葉で。カカシが。もしかしたら。
 あの女性店員と仲良くなったら。
 自分がされるように夕飯に誘われたり。互いの好物を一緒に食べたり。こうやって面と向かって顔を見たり。
 手招きされたり。名前を呼ばれる。
 そう思ったら。
 認めたくなくて。いや、認めたから、逃げ出した。
 そこから痛くなるのは胸の奥ばかりで。
 でもこれを。カカシにどう説明する?
 そう思った途端、気分が悪くなった。
 やっぱり駄目だ。
 逃げたい。
 今すぐにでも、この場から。カカシの目の前からいなくなりたい。自分の脚力を出し切って。本気になったら、カカシには簡単に捕まるだろうけど。
「俺が何度も話しかけてきた時、イルカ先生はどう思った?」
 不意に話しかけられ、イルカは身体をビクっとさせるも、カカシの言葉を真剣に頭の中で繰り返す。
 どう思った。
 どう思ったって。思い返すまでもない。お、と口を開いたまま、
「おちょくってるって思いました」
 ハッキリと言い切る。
 困惑しながら、構うなと言っても構ってくるカカシは不可解で。
 正直、おちょくられてる。そう思った。
 そして、それは今も同じだ。
 真剣な答えだったのに。カカシは、はは、と笑うから。苛立ちが浮かぶ。こんな事で悩んだり、逃げ出したくなっているのも、全部カカシが自分をおちょくってくるからだ。
 カカシが何もしなかったら、こんなことにはならなかったはずなのに。
 笑うなんて。
「何が可笑しい、」
 笑われて抗議の目をカカシに向けて、イルカはそこで言葉を止めた。
 カカシが口布を下ろしていた。
 缶コーヒーを飲んでいるからだろう、そう思うがカカシも自分と同じようにプルトップすら開けていない。少しだけ驚いたままのイルカを前に、カカシは僅かに目を細める。
「あんたが本気になることなんてないと思ってた」
 そう話すカカシの意図が分からない。ぼんやりと見つめていればカカシはまた口を開く。
「でも、そういうことだよね?」
 そういうこと。
 そういうことって何だよ。
 その言い方に呆れもするが。
 その曖昧な表現を理解していた。
 ただ、そうだと認めることが出来なくて。
 怖くて、逃げたくて。その気持ちから目を背けていた。
 カカシに言われた事で一人で悩み、縛られていた感情が簡単に緩む。
 泣きそうになった。

 それに気がついているから分からないが、カカシは手を伸ばし、その指でイルカの頬を優しく撫でるように触れる。
 ずりぃーなあ。
 恋愛下手の自分からしたらこれは狡い。
 でも。そうなんだよ。
 何もかもが腑に落ちる。
 だから。
 カカシの顔がゆっくりと近づくのを、イルカは拒むことなく受け入れる。
 カカシの柔らかい唇の感触がイルカの唇にしっかりと伝わった。


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