兆候 後日談①

 今日は何を作ろうか。
 書類にナンバリングをほぼ一定のリズムで押しながら夕飯の献立を思い浮かべるも、脳裏によぎるのは別の事だった。
 朝、カカシがこの受付に立ち寄った。七班の任務は明日で、だから今日はいわゆる単独任務だ。火影から言い渡される任務しかないはずなのに顔を出したカカシは迷うことなく自分が座っている席まで歩み寄る。
 自分はまだそれに慣れないでいた。
 カカシが自分に好意を持っていると知ったのは先月だ。それまではただの変わった上忍だとばかり思っていて。
 自分もまた彼に惹かれていると気がついた。
 当たり前だが、カカシが自分に会いにきているんだと思うだけでむず痒い。
「ごめんね、今日ちょっと遅くなりそう」
 言われてまあそうだろうな、とそこは納得する。こういう関係になったからと言って都合良く任務が終わるはずもないし自分も自分で残業が当たり前のようにある。
「分かりました」
 素直に頷くと、カカシはそのまま背を向ける。それはいつもの事なのに、気がついたら、あの、と声をかけていた。
 カカシは足を止め、振り返る。
「もし良かったら俺ん家にしますか」
 ほら、それだったら時間もそこまで関係ないんで。
 店だったら開いている店を探さなきゃいけないし、閉店時間も気にしなくていい。約束で任務をしているカカシが時間に囚われる事もない。
 イルカの提案に、カカシはポケットに手を入れたまま、そうだね、と呟くように言う。
「じゃあそうしよっか」
 承諾しそのまま受付を後にしたカカシを見送った後、一人安堵のような溜息を出した時、
「珍しいよな」
 隣にいた同期がぼそりと呟いた。この関係を隠しているわけではないが一瞬ドキッとしながら目を向ければ、
「ほら、仲のいい上忍と中忍ってなかなかないだろ」
 なんてことない風にそう続けられ、深く考えていない事に安心しながら、そうか?とイルカは答える。笑って誤魔化しながら作業に戻った。
 

 家に誘ったのは大部分がカカシに向けて口にした内容が理由で、それ以外にないけど。カカシがどんな風に捉えているかは分からない。
 だって。
 先月こんな関係になったまさにその日、一緒に夕飯を食べた。久しぶりだから会話が楽しくて、このまま帰るのは寂しいと思ったから自分が家に誘った。その誘いにはそれ以外の理由はなかったのに。
 安い酒しかなかったけどそれを二人で飲みながら話していたら急に向こうがキスをしてきて、受け入れたらそのまま押し倒されて。それに心底驚いた。経験があるない関係なく、男同士でも恋人だったらそういう事もするだろうという認識もちゃんとあったが、そうではなく。ただ、驚いた。
「待って、カカシさん、待って」
 そう言う間にもねろりと首もとを舐められて、甘い感覚に身体を竦めながらも力を入れ両腕でカカシを押し戻す。
 その時のカカシのなんで?という不思議そうな顔が忘れられない。
 文字通り、何で?と聞かれイルカは赤面しながら、何でって、と口を開いた。恥ずかしい?と続けて聞かれ、それも確かにあったが、そういう訳じゃ、とそれも否定する。
「そうじゃなくて、早いんだよっ」
 今日の今日でなんでこうなるんだ。
 いつのまに上着の中に手を入れようとしていたのか、乱れた上着の裾を戻しながら怒り混じりに口にした言葉に、カカシはキョトンとした。
 そう、と理解したような言葉を言うカカシの顔が少し残念そうにも見え、一瞬申し訳ないとも思えたが、違う違うと思い直す。
「大体、家に上げたらOKだとか、オヤジの考えなんですよ」
 自分を正当化したくて言えば、カカシはそれもピンとこないらしく、なにそれ、と真顔で返してくるから、とにかく、とイルカは咳払いして姿勢を正した。毎回こんな事になったら堪らない。
「そういう時になったらまた言いますから」
 そうカカシにハッキリと伝えた。

 なんでそんな事を言ったんだ俺は。
 ペンを持つ手に力が入る。
 ただ、過去の自分を責めたくなるがどうにもならない。
 でもカカシはあの日からは、いい子?に押し倒すことはしてない。自分の中では、まだこの関係に慣れたくて認識をするだけで精一杯なのに。
 カカシはそういう意味では経験が豊富なんだろう。じゃなきゃ、あんな風に当たり前のように、そんな空気を作れたりしない。
 ただ、自分が経験不足なだけで。
 別に今日そんなつもりで声をかけたわけじゃないが。
 でも、さっきは。
 早口になっている自分も確かにいた。
 参ったな。
 そう心で呟きながら、イルカは書類に目を落とし熱くなった頬をぽりぽりと掻いた。



 食後、ちゃぶ台の前で胡座を掻いて座っているカカシに、すごい緊張してるね、とハッキリ言われ、イルカの頬がかあっと熱くなった。
 カカシはイルカが淹れたばかりの緑茶が入った湯飲みを持ちながらこっちをじっと見ていて。その落ち着きようと眠そうな目を見つめ返しただけで、どう足掻こうとも心の奥まで見透かされている気がして諦めに似た気分になるから。イルカは溜息混じりに後頭部を掻いた。
「緊張しちゃ悪いですか」
 認めるように唇を尖らせて言えば、別に、と笑いを僅かに含んだ口調で返してくるから、その余裕がある態度に自然に膨れっ面になる。
 おちょくられてんなあ。
 この人と関わるようになってからそれは毎度思っていた事だが、つき合うようになった今も変わらない。ただ、こっちを見る目は優しいから、からかっている訳ではないと分かるから。それ以上文句を言うのをやめる。
 慣れてるなと思ったのは最初からだ。
 あの寒い日の午後、唇を重ねる前に頬に触れてきたことや、やんわりと重ねられた後にもう一度緩くキスされたこと。そして初めて押し倒してきた時も感じるのは、余裕だった。
 そう、余裕なんだよな。
 こうしている今も、布団の上で手慣れたようにキスをされ、舌を絡められ、それだけで鼻にかかった声が漏れる。寒いはずなのに頬は既に熱くて。イルカは目を伏せたまま眉根を僅かに寄せた。
「何考えてるの?」
 唇が離れた時に言われ、イルカは伏せていた目を上げる。そこには自分を間近で見下ろしているカカシがいた。
「考え事してるなんて、余裕じゃない」
 まさかそんな事を言われるとは思わなくて、イルカは、なっ、と怒り混じりに声を詰まらせる。
 それはこっちの台詞だ。
 言い返そうとしたが、それを止める。
 正直余裕なんてあるわけがない。でも、カカシの言うとおり自分は上か下どっちなんだろうとか、頭の中ではぐるぐるとくだらないことで占拠されていて。どうしようもなくて。
 でも。
 イルカは開きかけた口を結んだ後、またゆっくりと開いた。
「・・・・・・俺なんて、ただの普通の中忍なのに、」
 心の奥でずっと疑問だった事が口に出る。
 仲のいい上忍と中忍
 今日そんな風に同期にも言われた。
 ただ仲がいいだけならいい。
 でも俺たちはそうじゃない。
 こういう関係になる事を自分は望んだけど。
 カカシは里を誇る忍びで。
 あの九尾が封印されたナルトを任せられている上忍師で。
 考えてもどうしようもない事だって分かっているけど。
「普通の何がいけないの?」
 カカシの言葉にイルカの思考が止まる。目を向けると、その口調の通り、不思議そうな顔をしていた。
「・・・・・・え?」
 聞き返すイルカに、カカシは少しだけ首を傾げる。
「あんたが中忍で俺は上忍、それだけでしょ」
 当然の様にカカシは言う。その顔をイルカは見つめた。
 否定される訳でもない、かと言って同意するわけでもない。イルカの言葉に疑問しかない。そんな顔にイルカは少しだけ驚くが。
 ああそうだ。
 そうだった。
 思い出す。
 あの日、大名の接待をしていた夜にカカシが口にした言葉を。
 この人はこういう人なんだ。
 上下関係しかない実力社会のこの里で。
 それがなんなのかと平然と問う。
 こっちが馬鹿らしくなるくらいに。
 何よりナルト達のあの笑顔がその証拠だ。
 そう思ったらイルカは急に情けなくなり、にゅにゅっと眉が下がった。カカシに手を伸ばし白い頬にそっと指で触れる。
「・・・・・・たくさん愛してください」
 恥ずかしい事を口にしているのは重々承知だ。頬が熱くなるが、それしか言葉が浮かばない。
 イルカの言葉に、カカシは少しだけ目を見開いた。そして頬に添えたイルカの手を握る。
「当たり前でしょ」
 珍しく恥ずかしそうな表情に見えるのは気のせいか。
 イルカは頬を赤く染めたカカシの首に腕を回すと、引き寄せて今度は自ら唇を重ねた。

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