カカイルワンライ「式」

 雨が降っている。
 冷たい雨が朝からしとしとと地面を濡らし、水溜まりが出来てしまった演習場を廊下の窓から眺めながら、イルカは教室へ向かった。
 教室に近づけばいつものように子供たちの騒がしい声が聞こえてくるから、その耳から入り込む日常に気持ちを切り替えるようにイルカは息を吸い込む。
「席に着けよー!」
 出席簿を片手にガラリと扉を開けると同時に発したイルカの大きな声は、いつものように教室に響き渡った。

 教本を読み終えたイルカは説明を加えながら黒板に要点を書いていく。
 自分もまた同じだったように、課外授業や体術の授業とは違い知識を詰め込むだけの授業は大概の子供たちにとっては退屈以外何物でもないが。
 背中を見せた途端に聞こえる話し声に、イルカが素早くチョークを投げれば、案の定、コツンと音が鳴った。同時に男子生徒が頭を抱え、いってえ!と抗議に近い声を上げるから、
「三回目はないと言ったろう」
 そう付け加えれば、不満そうな顔を見せながらも、ちぇっ、と口を尖らせた。
 先生ってばすぐ怒る。
 減らず口が聞こえるが相手にしていたら授業が終わる。そのままイルカは教本を読み始めた。

 すぐ怒る。
 何でもない、いつも言われている生徒の言葉に、イルカの気持ちが何故か深く沈んだ。
 感情的なのは昔からだ。
 忍びにとっては致命的な事なのかもしれないが、その事を自分自身嫌な部分だと捉えたことはないし、情が深いからこそ教師に向いていると三代目が言ってくれた通り、手をかけた分生徒たちはしっかり成長してくれている。
 そう、これでいいと思っているのに。
 付き合って半年になるカカシはいつだって冷静だ。年上だからなのかもしれないが、自分より物静かで淡々としていて。それが、過酷な戦場下で感情に左右されることなく判断をする上で最も大切なものだと言うことは分かっている。だからこそ戦忍として常に最前線で戦えているんだろう。
 でも、昨日。
「あんた達最近仲良いわよね」
 上忍の待機所に顔を出し、任務依頼書を配っている時にカカシと話していたら、紅にそう口を開いた。どういう関係?と続けて聞かれ、面白半分なのか、ただ何となくなのかどうかは分からなかったが、上忍と中忍が頻繁に話していたら誰だってそう思うだろう。案の定口調からしてカカシと自分との仲を知っていなさそうだったから。何で答えようかと思っている前で、ああ、とカカシは呟いて頭を掻き、そして紅を見る。
「別に」
 カカシが短く一言そう口にした。
 口には出してはいなかったものの、自分がこの関係を他言して欲しくないのはカカシはきっと知っている。だからそう答えたんだと頭では分かるのに。
 別に
 その言葉に何故か傷ついている自分がいた。
 自分に対して言ったわけでもないのに。
 面倒くさいと言わんばかりに頭を掻き、都合が悪い事を誤魔化すかのような口調に聞こえた。
 そう、丸でカカシに関係を否定させているようで。
 そうですよ、と同調したが、上手く笑えていたかは分からない。ただ、顔に出るのが怖くて、その場から足早に立ち去った。
 自分の為だというのは分かっている。頭では分かっているのに。
 その日の午後カカシに話しかけられ、普通にしようと思ったけど出来なくて。突き放すような口調になっていた。
 その時カカシは、なんで怒ってるの、と言わんばかりの顔をした。
 そうだよ。
 怒る必要なんてない。
 それに怒っているのは自分だけだ。
 喧嘩にもならない。一人で怒っている。
 結局、どうでもいいことで落ち込んだり、くだらないことで怒るのはいつも自分だけ。
 それを最近嫌というほど感じる。
 子供のように。女々しくて。短気で。
 今まで気にもしていなかったことがカカシと付き合うことで露出した気分になり、そんな自分が嫌になる。
 馬鹿だな、と思いながらイルカは教本に目を落とした。勝手に傷ついて勝手に怒って、いわばカカシにしたことは八つ当たりだ。本当は、怒っていいのはカカシなのに。
 でもきっとカカシは怒らない。
 惨めな気持ちに泣きそうになった時、コツン、と窓を叩く音が聞こえ、イルカは教本から顔を上げた。
 窓の外はまだ雨が静かに降っていて、その濡れた窓を叩いているのは白い紙だった。チャクラを纏っているから式だと分かるけど。浮かぶのは疑問だけだった。謂わば式は忍び同士が連絡を取る為の手段だ。アカデミー内の施設にいる自分に式を送る意味なんてないしそもそも戦忍でもなく上忍でもない自分に送られてくることはまずない。
 ただ、授業の一環としてチャクラを扱う練習で紙飛行機を作って飛ばしたりもするが、今日は雨だ。
 不思議に思いながらイルカは窓に向かう。少しだけ窓を開ければその隙間からするりと白い紙が入り、イルカの手の内に自ら入るから自分当てだと認識した。それを証拠に同時に纏っていたチャクラが消えるから、手に取ると丁寧に折られた白い紙を広げ、その紙に目を落とす。

 俺の可愛い人

 その短い文字を目にした瞬間、イルカは目を丸くしていた。
 誰の字なのか。嫌でも分かる。
 分かるから、じわじわと体温が上昇して身体が熱くなった。 
 違う。そうじゃない。
 そんな事を期待していたわけじゃない。
 そうじゃないけど。
「せんせー、どうしたの?」
 紙を手にしたまま固まったイルカを不審に思った子供達が声をかける。
 何でもない。
 そう返事したいのに、出来なくて。
 それにコントロールすれば済む事なのに、顔が火照るのを止められない。
 カカシの馬鹿野朗。
 裏腹にそう心で呟くも、感情を隠す事が出来なくて。
 イルカはカカシが書いた紙を手に握りしめながら、真っ赤に染まった顔を教卓に伏せるしかなかった。
 

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