カカイルワンライ「それじゃあ」

 扉を開ければ冷たい風が吹き頬を撫でる。
 誰もいないと思った場所に人影を見たが構わず足を向けたのはそれが見知った相手だったからだ。
 屋上のフェンスに寄りかかり煙草を吸っていたアスマが開いた扉に顔を向け、カカシの顔を見た途端僅かながらに目を見張る表情を見せた。
「こりゃまた派手にやられたな」
 咥えていた煙草を指に挟み軽く笑うが、カカシは表情を変えず、まあね、と短く返す。覆面は顎下まで下げられたまま、その通った鼻筋の下にはまだ僅かに血の跡が残り、そこをカカシは指先で軽く拭った。
 カカシがこの木の葉で鼻血が出るほどにやられることはまずない。あるとすれば本人が敢えて受け身になった時だけだ。
「女か?」
 推測した言葉を向けたアスマに、カカシは視線を屋上から見える景色に向けたまま、
「まあ……そうね」
 ボソリと答える。
 素直に認めたことにも、また認めた事で今までろくにそっちの方は興味も関心も持たなかったはずなのに、色恋沙汰とか。驚くものの、それ以上の追求はするつもりもない。
「大変だな」
 その一言に留めてアスマは笑った。

 一人になった屋上でカカシはぼんやり景色を眺める。どういう訳かアスマは去り際に煙草を渡してきたから、それを素直に受け取り吸いながらカカシはポケットを探り一枚の紙を取り出した。
 広げたのは任務予定表で、そこには相変わらず丁寧な字で来週の任務が細かく書かれている。
 うみのイルカは少しだけ変わった中忍だ。人柄なのか職業柄なのかは知らないが、やたら感情を顔に出す。上下関係にきっちりしていると思いきや、上忍の自分にさえ食ってかかってくる。やたらゴマする相手よりかはよっぽどいいが。
 今日もイルカに廊下で呼び止められ、いつものように少しだけ不機嫌そうな顔をしながらも丁寧に任務予定表の説明を始めた。そんな細かく説明なんかしなくたっていいのに。見た目のまんま真面目で、子供に対してもそうだ。数日前七班の任務帰りにイルカを見かけ、ナルトが最初に駆け出した。そこからの会話はまるで寸劇のようだった。喜怒哀楽が入った和気藹々とした会話。気がついたらイルカやナルトを中心にサクラやサスケを含む四人の見えない輪が出来ていた。楽しそうに笑うイルカを思い出すが、今目の前にいる表情は全く別物だ。敢えて言うなら小難しい顔というべきか。面白くもなんともない、みたいな顔で目を伏せて書類を読みながら淡々と説明している。
 そんなイルカの顔を眺めていたら、自分の右手が動いていた。
 指を顎に添えれば、不意に触れた瞬間イルカがピクリと反応した。驚き上げたイルカの顔に覆面を引き下げた自分の顔をそのまま近づけて。
 唇を重ねた。
 なに、と言いかけたまま言葉を止めたイルカの黒い目がまん丸くなる。
 自分でしておきながら説明なんか出来そうになくて。あー、と間延びした声を出して頭を掻く。
「間違えた」
 取り繕うとしたら、そんな言葉が自分の口から出ていた。
 呆然としていたが、イルカの驚いた顔が険しくなる───その直後、鼻に重い痛みが走った。

 殴られるかもしれないと予測もついていたから、イルカが身体を動かした時当然避ける事は出来たけど。
 まさか頭突きをするなんて。
 予想外すぎてまともに食らった。
 今はもう痛みもないし鼻血も止まったが。
 というか。
 なんであんなことをしたのか。
 冷たい風に吹かれながら考えても答えは全く出そうにない。
 ただ、あの時。書面に目を落としていたイルカを見つめていたら。こっちを見てほしいと思った。そして淡々と話すあの口を塞ぎたいと、思った。
 気がついたら身体が動いていて。
 それを考えると、間違えた、と口にした言葉は違っていたように思う。間違ったわけではなくて。
 いや、でも、それじゃあ、───なんて言えば良かった?
 あまりにも自分でも不可解な気持ちに、カカシは煙草を咥えて空を見上げる。
 吐いた煙が空に舞い上っていくのをぼんやりと見つめた。


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