again②
夜更けの職員室、ぽつりとついた蛍光灯の元で一人、イルカは机に向かっていた。
ペンを止め窓の外に見える古い桜の木へ視線を向ける。
数日前に春の嵐と言わんばかりの大雨で、見事に咲いていた桜の大半は散ってしまったが、まだ少しぽつぽつと咲いてはいる。夜でも浮かび上がるような薄いピンクの花びらは、イルカの目からみても綺麗だった。
ただ、じきにその桜のも散ってしまうだろう。名残惜しそうに見つめ、再び視線を戻しペンを動かし始める。
こつこつと窓が叩かれる。
顔を上げるとそこに見えるのは銀色の髪。月夜より白いその髪は、夜に見せる桜の花の色と重なる。
イルカは黒い目を緩めると立ち上がり、窓を開けた。
「こんばんは」
「今晩はじゃないだろう。もう何時だと思ってるんだ」
苦言を告げると、カカシは苦笑いを浮かべた。
眉を下げて頭を掻く。
「相変わらず厳しいなあ、イルカ先生は。近場の喫茶店で勉強してたらこんな時間になってたんだって」
「嘘つけ」
「嘘じゃないって」
そう、カカシが言うように嘘じゃない。カカシはきっとそこで時間を潰していたんだと知っている。
俺が職員室に一人になるまで。
それが分かるから、強く責めれない。同時に胸が苦しくなった。
と、カカシが窓枠に両腕を置いてイルカを見上げる。小学生の頃から変わらない仕草。
「ね、先生。他に言うことないの?」
少し拗ねたような顔を見せられ、イルカは観念したように微笑む。
「分かってる。カカシ、進級おめでとう」
そこでようやくカカシが嬉しそうに目を細めた。
「うん」
満足そうな顔を見せる。
その顔立ちは随分とあどけなさが抜けてきていた。
自分が昔記憶していたカカシの面影にますます近づいている事は、間違えようがない事実。
それは、正直言葉に言い表せないような感覚。
湧き上がる気持ちを誤魔化したくてイルカは、大きくため息をついた。
「早いな、もう高校三年生か」
「そ」
短く返事をしたカカシは窓枠から手を離し微笑む。その顔は少し誇らしげだ。既にイルカの身長を超えている。
カカシのその成長を語ろうにも胸がいっぱいになり、とても言葉に出来ない。
出会ったばかりの幼いカカシは、年齢に合わない言動もあり、いつも周りから浮いていた。何もかもつまらない、と言った感じのカカシにイルカは自分なりにいつも寄り添うように見守ってきた。
それも小学生までで。
心配をしたが、自分はただの小学校の教師であり、それ以下でもそれ以上でもない。
だが多感な時期だろうにも関わらず、カカシはここに顔を見せにきた。
怪我をしないだろうか。事故に遭わないだろうか。
カカシを守りたいと強く思う自分とは裏腹に、常にマイペースで自分に見せるカカシの表情は穏やかだった。正直、それに救われた。
それで気がつけばカカシは今年で18歳になる。そして俺はーー。
「俺も歳をとるわけだなあ」
現実を改めて思い知りながらも納得したように口にしたら、カカシは不思議そうな顔をした。
「何言ってるの、俺と一緒に歳とってるんだから当たり前でしょ」
あっけらかんとされ、イルカは片眉を上げた。
「簡単に言うなよ。お前はまだ若いからいいんだろうけどな、」
「何が不満なの」
咎めるような口調に言葉を止めたイルカに、カカシは真っ直ぐ青い目を向ける。
「年齢なんて関係ないよ。イルカ先生と一緒に歳をとるの、俺は嬉しいのに」
先生は嬉しくないの?
臆面もなく言うカカシにイルカはどう答えたらいいのか困り、まあ、そうだな、と鼻頭を掻いた。
昔はからかう事を前提に早熟な事を言うとは思っていたが。
最近は前提が取り除かれ、ストレートに突きつけてくる。それがすごくむず痒くい。
頬が熱くなるのが分かった。それが恥ずかしくてたまらなくなる。
だって相手は高校生だ。
それでも、カカシである事には変わりないと頭の何処かで認識してしまっているのか。
最近は、カカシの成長に不安が付きまとうようになった。
自分は兎も角、カカシは当たり前に恋人を作ってもおかしくはない年齢。
それは昔から自分に言い聞かせていた。それはカカシの成長の一環なのだと。
笑顔で喜ぶ事なんだと。
「先生、別の事考えてるよね?」
気がつけば、カカシが不満げにイルカを見つめていた。
「俺と話すのつまらない?」
「んな事あるわけないだろう」
聞かれて慌てて首を横に振った。
それでもカカシは、ふーん、と面白くなさそうに呟く。
十代の青年らしい仕草だと分かっているのに、それだけで焦る自分がいた。
背が伸び、自分が記憶しているカカシに近づくにつれ、恋人だった頃の記憶が今の自分に入り混じる。
「……先生は今の生徒の事で頭がいっぱいなんだよね、きっと」
ちらりと、採点途中の答案へ恨めしそうにカカシは視線を投げた。
「いや、それは」
言いかけたものの、流石に否定しきれない自分がいた。今受け持っている生徒は生徒で考えないわけがない。
ただ、カカシは全く別なんだと伝えることは出来ない。
「四六時中なんて言わないからさ、俺の事も考えてよ」
懇願する眼差しに何も言えなくなる。どう受け取ったのだろう、カカシは悲しそうに微笑みを浮かべた。イルカの胸が小さく痛んだ。
「カカシ、」
「イルカ先生」
被せられた言葉に、イルカはカカシに微笑みを向ける。
「何だ?」
「来月、先生の誕生日でしょ?一緒にごはん食べに行こうよ」
「え?いや、だってな」
「俺の奢りで」
「ーーえ?」
眉を顰めるとカカシはにっこり微笑んだ。
「大丈夫だよ。実はさ、俺バイト決めてきたの。だから割り勘はなし」
イルカが何が言う前に先手を打たれる。
「じゃあ、楽しみにしててね」
「あ、おいっ」
手をひらひらとさせると、カカシは背を向け駆け出す。
その背中は直ぐに闇夜に呑み込まれるように消えて行った。
イルカは静かに窓を閉める。自分の席に戻ると深く椅子に腰かけた。
あのカカシが奢るだなんて。いままで缶コーヒーを差し入れたり、奢ったりはあったが。
「成長したなあ」
声に出したらじんわりと実感が湧いてくる。
あの小さかったカカシが。
背負ったランドセルが大きくみえるくらいに小さかったのに。
日々見守っていたはずなのに、いつの間に、と言う表現がぴったりだ。
イルカは微笑みを浮かべながら赤ペンを手に持った。
頭の中で、さっきまでいたカカシとのやりとりがゆっくりと再生される。
浮かんだ場面にイルカはぐっと眉根を寄せ小さく笑った。
「……馬鹿だな俺は」
遥か遠くの記憶がイルカの視界をぼやけさせた。
忍びだった自分がカカシと知り合ったばかりの頃。アカデミーの職員室で一人残業をしていると、カカシがよく顔を出した。覆面に額当てで片目を隠しているのに、ニコニコと嬉しそうなのが分かった。
イルカ先生
カカシがイルカを呼ぶ。
晩御飯まだだったら一緒にメシでも食いませんか?
中忍の俺からしたらカカシは上忍であり上官なのに、俺を先生と呼び、いつも丁寧な言葉を使った。
ね、俺奢りますから。イルカ先生。
柔らかい笑顔で誘う。
ついさっきカカシが職員室に現れた時。俺をご飯に誘った時。
重ねちゃ駄目だってわかってるのに。
年齢だって、お互いの立場も全く違うのに。
ーーカカシ先生なんじゃないかって思えた。
イルカ先生。
記憶にあるカカシの甘くて低い声が脳内で響き体が震えた。
気がつかないようにしていたのに。
その事実を認めたら、酷く胸がずきりと痛んだ。
目から涙が落ち、答案を滲ませる。
昔の恋人に今でも恋をしているのはおかしいだろうか。
カカシさん。
俺は今もあなたに会いたくてたまらない。
どうしたら、この苦しみから解放されるのだろうか。
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ペンを止め窓の外に見える古い桜の木へ視線を向ける。
数日前に春の嵐と言わんばかりの大雨で、見事に咲いていた桜の大半は散ってしまったが、まだ少しぽつぽつと咲いてはいる。夜でも浮かび上がるような薄いピンクの花びらは、イルカの目からみても綺麗だった。
ただ、じきにその桜のも散ってしまうだろう。名残惜しそうに見つめ、再び視線を戻しペンを動かし始める。
こつこつと窓が叩かれる。
顔を上げるとそこに見えるのは銀色の髪。月夜より白いその髪は、夜に見せる桜の花の色と重なる。
イルカは黒い目を緩めると立ち上がり、窓を開けた。
「こんばんは」
「今晩はじゃないだろう。もう何時だと思ってるんだ」
苦言を告げると、カカシは苦笑いを浮かべた。
眉を下げて頭を掻く。
「相変わらず厳しいなあ、イルカ先生は。近場の喫茶店で勉強してたらこんな時間になってたんだって」
「嘘つけ」
「嘘じゃないって」
そう、カカシが言うように嘘じゃない。カカシはきっとそこで時間を潰していたんだと知っている。
俺が職員室に一人になるまで。
それが分かるから、強く責めれない。同時に胸が苦しくなった。
と、カカシが窓枠に両腕を置いてイルカを見上げる。小学生の頃から変わらない仕草。
「ね、先生。他に言うことないの?」
少し拗ねたような顔を見せられ、イルカは観念したように微笑む。
「分かってる。カカシ、進級おめでとう」
そこでようやくカカシが嬉しそうに目を細めた。
「うん」
満足そうな顔を見せる。
その顔立ちは随分とあどけなさが抜けてきていた。
自分が昔記憶していたカカシの面影にますます近づいている事は、間違えようがない事実。
それは、正直言葉に言い表せないような感覚。
湧き上がる気持ちを誤魔化したくてイルカは、大きくため息をついた。
「早いな、もう高校三年生か」
「そ」
短く返事をしたカカシは窓枠から手を離し微笑む。その顔は少し誇らしげだ。既にイルカの身長を超えている。
カカシのその成長を語ろうにも胸がいっぱいになり、とても言葉に出来ない。
出会ったばかりの幼いカカシは、年齢に合わない言動もあり、いつも周りから浮いていた。何もかもつまらない、と言った感じのカカシにイルカは自分なりにいつも寄り添うように見守ってきた。
それも小学生までで。
心配をしたが、自分はただの小学校の教師であり、それ以下でもそれ以上でもない。
だが多感な時期だろうにも関わらず、カカシはここに顔を見せにきた。
怪我をしないだろうか。事故に遭わないだろうか。
カカシを守りたいと強く思う自分とは裏腹に、常にマイペースで自分に見せるカカシの表情は穏やかだった。正直、それに救われた。
それで気がつけばカカシは今年で18歳になる。そして俺はーー。
「俺も歳をとるわけだなあ」
現実を改めて思い知りながらも納得したように口にしたら、カカシは不思議そうな顔をした。
「何言ってるの、俺と一緒に歳とってるんだから当たり前でしょ」
あっけらかんとされ、イルカは片眉を上げた。
「簡単に言うなよ。お前はまだ若いからいいんだろうけどな、」
「何が不満なの」
咎めるような口調に言葉を止めたイルカに、カカシは真っ直ぐ青い目を向ける。
「年齢なんて関係ないよ。イルカ先生と一緒に歳をとるの、俺は嬉しいのに」
先生は嬉しくないの?
臆面もなく言うカカシにイルカはどう答えたらいいのか困り、まあ、そうだな、と鼻頭を掻いた。
昔はからかう事を前提に早熟な事を言うとは思っていたが。
最近は前提が取り除かれ、ストレートに突きつけてくる。それがすごくむず痒くい。
頬が熱くなるのが分かった。それが恥ずかしくてたまらなくなる。
だって相手は高校生だ。
それでも、カカシである事には変わりないと頭の何処かで認識してしまっているのか。
最近は、カカシの成長に不安が付きまとうようになった。
自分は兎も角、カカシは当たり前に恋人を作ってもおかしくはない年齢。
それは昔から自分に言い聞かせていた。それはカカシの成長の一環なのだと。
笑顔で喜ぶ事なんだと。
「先生、別の事考えてるよね?」
気がつけば、カカシが不満げにイルカを見つめていた。
「俺と話すのつまらない?」
「んな事あるわけないだろう」
聞かれて慌てて首を横に振った。
それでもカカシは、ふーん、と面白くなさそうに呟く。
十代の青年らしい仕草だと分かっているのに、それだけで焦る自分がいた。
背が伸び、自分が記憶しているカカシに近づくにつれ、恋人だった頃の記憶が今の自分に入り混じる。
「……先生は今の生徒の事で頭がいっぱいなんだよね、きっと」
ちらりと、採点途中の答案へ恨めしそうにカカシは視線を投げた。
「いや、それは」
言いかけたものの、流石に否定しきれない自分がいた。今受け持っている生徒は生徒で考えないわけがない。
ただ、カカシは全く別なんだと伝えることは出来ない。
「四六時中なんて言わないからさ、俺の事も考えてよ」
懇願する眼差しに何も言えなくなる。どう受け取ったのだろう、カカシは悲しそうに微笑みを浮かべた。イルカの胸が小さく痛んだ。
「カカシ、」
「イルカ先生」
被せられた言葉に、イルカはカカシに微笑みを向ける。
「何だ?」
「来月、先生の誕生日でしょ?一緒にごはん食べに行こうよ」
「え?いや、だってな」
「俺の奢りで」
「ーーえ?」
眉を顰めるとカカシはにっこり微笑んだ。
「大丈夫だよ。実はさ、俺バイト決めてきたの。だから割り勘はなし」
イルカが何が言う前に先手を打たれる。
「じゃあ、楽しみにしててね」
「あ、おいっ」
手をひらひらとさせると、カカシは背を向け駆け出す。
その背中は直ぐに闇夜に呑み込まれるように消えて行った。
イルカは静かに窓を閉める。自分の席に戻ると深く椅子に腰かけた。
あのカカシが奢るだなんて。いままで缶コーヒーを差し入れたり、奢ったりはあったが。
「成長したなあ」
声に出したらじんわりと実感が湧いてくる。
あの小さかったカカシが。
背負ったランドセルが大きくみえるくらいに小さかったのに。
日々見守っていたはずなのに、いつの間に、と言う表現がぴったりだ。
イルカは微笑みを浮かべながら赤ペンを手に持った。
頭の中で、さっきまでいたカカシとのやりとりがゆっくりと再生される。
浮かんだ場面にイルカはぐっと眉根を寄せ小さく笑った。
「……馬鹿だな俺は」
遥か遠くの記憶がイルカの視界をぼやけさせた。
忍びだった自分がカカシと知り合ったばかりの頃。アカデミーの職員室で一人残業をしていると、カカシがよく顔を出した。覆面に額当てで片目を隠しているのに、ニコニコと嬉しそうなのが分かった。
イルカ先生
カカシがイルカを呼ぶ。
晩御飯まだだったら一緒にメシでも食いませんか?
中忍の俺からしたらカカシは上忍であり上官なのに、俺を先生と呼び、いつも丁寧な言葉を使った。
ね、俺奢りますから。イルカ先生。
柔らかい笑顔で誘う。
ついさっきカカシが職員室に現れた時。俺をご飯に誘った時。
重ねちゃ駄目だってわかってるのに。
年齢だって、お互いの立場も全く違うのに。
ーーカカシ先生なんじゃないかって思えた。
イルカ先生。
記憶にあるカカシの甘くて低い声が脳内で響き体が震えた。
気がつかないようにしていたのに。
その事実を認めたら、酷く胸がずきりと痛んだ。
目から涙が落ち、答案を滲ませる。
昔の恋人に今でも恋をしているのはおかしいだろうか。
カカシさん。
俺は今もあなたに会いたくてたまらない。
どうしたら、この苦しみから解放されるのだろうか。
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